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第24話

英の次の舞台が決まったのはあれからすぐの事だった。 今日はその初稽古。いつもの稽古場に、朝から記者団が詰め寄り、遠慮なしに稽古風景を撮っている。異様な興奮と熱気に包まれていて、英は気圧され気味だ。 「月成作品は、公演までその内容は秘密なんじゃなかったんですか?」 英は近くにいた共演者に問いかける。彼は今回の舞台の主役格、とある財閥の御曹司役である、東吾(とうご)という俳優だ。東吾はAカンパニーでも代表的な俳優で、舞台、テレビドラマ、映画とマルチに活躍している。しかもその媒体によって細かく演技を分けられる、超実力派俳優だ。 東吾は必死な記者団を遠目で楽しそうに眺めながら答える。 「んー……ま、宣伝になるなら良いんじゃない? せっかくだから、英も目立っておくチャンスだよ。ほら」 そう言って、英の肩を抱き寄せた。バランスを崩した英は、そのまま東吾の体に収まってしまう。 彼は背が月成と同じくらいに高く、体も鍛えているので、細い英とは違い男らしい体格をしていた。 「ちょ、東吾さん」 慌てて離れようとする英をまた引き寄せ、カメラに向かってピースをしている。役に合わせてぴっちりと髪をセットしている東吾は、できる社長といった風情でカッコイイが、役から離れるとふわふわと捉えどころのないキャラが出てきて、英は少し苦手に思っていた。 「あ、ほら、監督戻ってきたんで、放してください」 休憩から戻ってきた月成を見つけると、チャンスだとばかりに離れる。放っておくと東吾は英をいじりだすから、堪ったものではない。 「じゃ、さっきの立ち位置から」 月成が声を掛けると、キャストがそれぞれ位置に付く。今回はそれほど人数をかけない舞台で、とあるバーで起こる恋愛模様を描く。 今回記者団がこぞって狙っているのは、やはり月成光洋だった。 (役者は引退したんじゃないのかよ) 何を思ったか、今回の月成作品は、彼が主人公で話が進む。バーのマスター役をする月成はカウンターもどきの机に囲まれたスペースに入り、指示を出した。 「瑠璃(るり)、下手から登場」 「はい」 指示通り下手から入ってきたのは女優の高島瑠璃。こちらもAカンパニーでは有名な女優で、品が良く、色気もあり、またそれを武器に様々な役をこなせるので重宝されている。 月成の役者復活という話題とさらに問題は、その高島と月成が、以前付き合っていたということだ。 マスコミは舞台の練習風景より、月成とのスキャンダルが取れないかと躍起になっている。 しかも恋愛ものの話を扱うことで、よりを戻すのでは、と噂が持ちきりだ。 「瑠璃の恋人役は俺なんだけどねぇ」 隅で見ていた東吾が、呆れたように呟く。元恋人同士の共演に浮足立ったマスコミはどうにも止められない。 「っていうか、ホントに付き合ってたんですか? そんな話、オレ、聞いたことなかったですけど」 確か月成と高島はこれまでに何度か共演しているはずだ。しかし、月成の女性関係は聞いた覚えはない。 「ああ、本当だよ。社長もあれこれ手伝って、監督の女関係はもみ消してるからねぇ」 やっぱり。英は顔を顰めた。前の公演では小井出にも手を出していたし、英もその中の一人なのだろう。 「あ、英。眉間の皺、取れなくなるよ?」 つんつん、と眉間を突かれて、英はさらに不機嫌になる。そっちの方面ではかなりだらしない月成に、嫌悪感を抱いているだけだと思いたかった。 「東吾、お前の番だ」 「あ、はいはい」 月成に呼ばれて東吾が行ってしまうと、英はため息をついた。この舞台に関しては楽しめない要素がありすぎる、と心の中で愚痴る。 (まず、役名がそのまま) 英はその理由を一つずつ挙げていった。 月成演じるバーのマスターは役名がそのままマスター。 しおらしい外見とは裏腹に、金持ちと権力、どちらの婚約者を取るか揺れる瑠璃。 体面だけで瑠璃を愛していない東吾。 それぞれがマスターのバーで愚痴をこぼしながら話は進んでいく。 いろいろな人が集まるバーで、マスターに会いに行くという客は実際に多い。そのなかで描かれる人間模様を月成は恋愛という点で書き上げている。 マスターはマスターで、可愛らしく儚げな瑠璃に惹かれ、それを応援すると出しゃばってくるのが英だ。英はマスターが気に入っていて、実は想いを寄せているオカマ役だ。 報われないオカマの英に、台本を読んでいてだんだん凹んできた。どうしてよりによって、この役を英にやらせたのか。 ものすごく、月成の意図が読めてしまって嫌だ。 役者は、感情を見せる仕事だ。当然、経験があるほどそれは現実味を帯び、人の心を動かすことができる。 しかし、英は恋愛をしたことがない。勉強のために本やドラマ、映画など、恋愛を扱う作品はいくつも見てきたが、結局は想像の上での演技にしかならないのだ。 月成は、前回の公演で英の弱点を見抜いていたのだろう。想像しながら演技をするため、表現が甘いのだと。 思えば、今回共演する三人は、共に恋愛方面で騒がせることが多い役者ばかりだ。しかも癖のある役者ばかりで、下手すると英は埋もれてしまう。 「たんぽぽ、お前の番だ。まず東吾と入れ替わるように店に入ってくる」 「はい」 すると東吾は、店の入り口ですれ違った英を嫌な目で見て避けていった。世間体を気にする彼の役は、オカマという人種が嫌いなのだろう。さすがと言うべきか、役ととはいえ、ちょっと本気で傷つく。 『ま、マスター、こんばんは。来ちゃった』 乗り気でない役の上に喋りなれない女言葉。自分でも最悪だと思うほどに棒読みだ。 「東吾に睨まれたくらいでビビッてどうする。それに、そんな引きつった笑顔で店に入ってくるな」 「……はい」 やはり指摘された英は、素直に返事をする。しかし、その後何度やっても、感情が演技に乗ってこない。 さすがに今回は脇役であるため、しつこいほどやり直しはさせられなかったが、前回の舞台の評判が良かったためか、熱が入っていた記者団も呆れモードだ。 (あの子って、あんなだったっけ?) (前の『僕は鳥になっちゃって、』は、脚本に助けられたな) (さすが月成先生。どんなに下手な役者でも見せられるようになるんだな) 本人たちは声を抑えているつもりだろうが、全部英に聞こえていた。同じ役者に言われるならまだしも、ゴシップばかり追いかけている人たちにまでそう言われてしまうのは、凹む。 (分かってるよ、オレが下手だってことくらい……) その日の稽古は散々なまま終わった。 記者団が帰ると、全員で今後の予定を確認し、解散する。英はもう一度台本をじっくり読むため、寮に帰ろうと思っていた。 「たんぽぽ」 クールダウンにストレッチをしていると、月成に声を掛けられる。今日の散々な稽古への叱咤かと身構えていたら、彼の口からは思いもよらない言葉が出てきた。 「二時間後、裏口の駐車場。社長と打ち合わせするから来い」 「……え?」 何のことかとぽかんとしていると、月成はそのまま稽古場を出てしまう。そして固まった英は、言葉の意味を考えて青ざめた。 (まさか、社長と監督二人からダメ出し? いや、それならまだ良いけど、降りてくれなんて言われたら……) そこまで考えて、英は首を振った。言われてもいないことを考えるより、今日月成に注意されたことを考えて、次の稽古に備えよう、と考え直す。正直やる気は起きないが、これは仕事だ、そうも言ってられない。 (でも前の舞台のこともあるし……) 再び降りろと言われない保証はない。 ますます気分が落ち込み、英は早々と稽古場を出ることにした。

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