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保育園の桜

 陽仁とは家も同じマンションの階数違い、近所にある保育園にも小学校にも毎日一緒に通っていた。親同士も仲が良く、その上春からの進学先の高校も一緒だ。  中学からの帰り道、古めかしい懐かしい保育園の園舎の前に差しかかると、門の隣の桜が思いのほか満開に近かった。  風に揺られても群れて咲く重そうな梢が揺れるばかりで、花びらはそれほど散らない。きっと今が盛りといったところだろう。昔はもっと巨木に見えたが、紬も陽仁も大きくなって、花が鼻先に近くに見えた。   「もう他所より結構咲いてる。いつもこの木少し咲くの早いよな? ちょっと花びらのピンク濃くないか?」 「染井吉野とは種類が違うのかもしれない。園庭の方のも咲いているかな。こっちからじゃ見えないが」  園舎の裏にある懐かしい園庭はこちら側からは見えないのだ。  保育園に一緒に通った仲間は他にも沢山いたが、保育園時代から一番の仲良しは陽仁のまま変わらない。 「あー。庭のブランコの後ろの木。あっちの木の方がこれより大きいよな。あっちはたしかピンクが薄くて白っぽい普通の奴だよ」 「そうだな。……落ちてくる花びら、どっちが先に片手で掴めるか競って遊んだよな」 「そうそう片手でキャッチ出来たら願いが叶うっていってさ。あれ誰が教えてくれたんだっけ? みんなむきになってやった」 「お互い同じ花びらとろうとして紬と頭ぶつかったりして、痛かった上に先生に怒られた。懐かしいな……」 「お前が石頭だから俺の方がもっと痛かったよ。花終わるとさ。ポロポロ小さいさくらんぼみたいな先が小さい赤い実がそこら中に沢山落ちててさ、食べれるかなって口入れてそれも怒られたよな。それに陽仁が、小さいさくらんぼでも、埋めたら桜が生えてくるっていってさ……」 「紬、そのことだけど……」 「陽仁! 花びらきた! 掴んで!」  風がさやさやと吹いて、ちょうどよいタイミングで花びらがひらりと1枚、陽仁の目の前に落ちてきた。彼は眉一つ動かさず、事も無げに利き手ですらない方の手で花びらをぱっと掴み取った。紬は痛みを暫し忘れてぱあっと顔を輝かせた。 「ナイスキャッチ! 願い事、言いなよ。志望校は入れたから、別のやつ」  おかげで気分が少し上向いて紬がにっこり笑いかけると、陽仁が眩しげな表情をした後、くっきりした二重の瞳を細めて何か言いたげな顔をしてこちらを向いた。 「紬、俺な……」 「あ、陽仁それ」  こちらに向き直って真剣な顔つきをした陽仁の手元を見たら、ビニール袋からちょっと桜に似ている可愛い感じの花が揺ら揺らと顔を覗かせている。 「彩夏ちゃんが好きそうな色の花だな、それ。だから選んだのか?」  話の腰を折られて言いよどみ、陽仁は何故だか顔を赤らめた。その照れたような表情がなんだか可愛く、幼い頃の陽仁のそれと重なって見えて紬は幼馴染に変わらぬ部分を見つけて嬉しくなった。 「……ああ、これか。そうだな。彩夏、ピンクが好きだからな」 「桜みたいな色の花だな」 「だから桜草っていうらしい……。紬、覚えてないか? ……あのな」    ざわざわと風が吹き、桜の梢が揺れて光が射し、はらはらと散る花びらの美しさより、またその刺激にずきっとまた頭に痛みが走って陽仁が顔を僅かに顰める。するとボタンが締まらず白シャツが丸見えになった陽仁が学ランを翻し、慌てて近寄ってくる。 「大丈夫か?」 「んっ……。ちょっとずきっときた。こういう薄曇りな日に急に眩しいと駄目なんだ」  陽仁は折角掴んた花びらを前がはだけた学ランのポケットに押し込むと、自分の荷物を片手にまとめて、片手を紬の方に差し出してくれた。 「……? 何?」 「荷物持つよ。 頭痛いんだろ? 朝からか?」 「あ……。やっぱりばれてたか」 「そりゃ、分かる」 「俺そんなに機嫌悪そうだったか?」    紬が顔を歪めて陽仁を見上げると、彼は眉を下げて困ったような顔をして見せた。 「いや。別にそんな風には見えないが。俺には何となくわかる。こんな天気だし、いつもより余計に顔が白っぽいし」 「……よかった。うちの母さんみたいにつんつんしてみえるのかと思ったら恐ろしかった。あれやられたら周りは最悪だろ?」 「それは大丈夫だ」  普段は大雑把なところはあるものの、朗らかな性格の母も頭痛の時は恐ろしい程の不機嫌さで近寄るのもはばかられる。幼い頃、一度だけだったが、ものに当たり散らしていた姿を目の当たりにしてから、逆にああはなるまいと紬は体調が悪い時こそ人に不快感を与えないようにと周りに気を使ってしまうのだ。 「むしろお前はいつも人に気を使いすぎだろ? 俺には気を使わなくていい」 「そっか。……うん。いつもありがとう」  そんな一言が、弱った身体にジワリと暖かく効く。なによりの薬に感じた。  紬がこくりと頷くと、陽仁は優しい瞳で微笑んでくれる。  陽仁は紬の意地でも頑張る外面の良さも見抜いていて、あれこれと世話を焼いてくれるのだ。互いに両親が仕事で忙しく、幼い頃は学童から帰ってきてからも互いの家でどちらかの親が帰ってくるのを暗くなってからも二人で待っていたこともある。どれだけお互いの存在が救いだったか分からないし、お互いがお互いの世話を焼いているつもりだったが、今では妹が生まれてから兄力がめきめき上がった陽仁に気遣いの先回りをされてばかりだ。 「それよりこのまま、うちくるか? 昼もうちで食べよう」 「助かる。母さん絶対頭痛くて寝込んでるだろうし……。あ、でも母さんの分もなにか買ってこようかな。甘いパンとかなら少し食べるっていうかもしれないし。起きないかもしれないけど」 「紬は優しいな。じゃあ俺がおばさんの分も色々適当に買ってくるからお前は着替えてきたら、すぐうちきて、俺の部屋で休んでていいよ」 「え、いいの?」 「ご飯食べて薬飲んだらよくなるだろ?」 「ありがとう」 (どっちが優しいんだか……。イケメンだし、背は高いし。頭いいし。運動できるし。そりゃボタンなんて争奪戦で、すぐ無くなるよな。彼女ができたら俺にしてくれてた以上に、きっとすごく大事にするだろうな。……ボタン渡した子と付き合うのかな。クラスの子なのか、それとも別の……)  またも心がこの空のようにもくもくっと曇ったが、紬はそれを頭痛と陽仁の優しさに甘えてばかりの成長のない自分のせいにした。 「陽仁はさ、いかないの? クラスの集まり」 「……うちのクラスは男子は男子、女子は女子って感じでそんなに仲良くないからな。一応今日、集まりがあるらしいけど、俺はそもそも部活の友達の方が多いしお前もいるから行く必要ないだろ?  それに彩夏迎えに行かないとだしな 」 てっきり人気者の陽仁はクラスの集まりに行くと思っていたからそれはとても意外な答えだった。 「そっか、そうなの? 本当はさ……。俺もあんまりクラスの集まり行きたくなかったんだ」 「……お前こそ3年のクラス、気に入ってるのかと思ってた。木戸とか、女子でも仲いい人いたじゃないか? ……あの、学級委員の」  人の噂話など気にしなさそうな陽仁まで学級委員同士の云々の話を知られていたとは思わず、それがいつもより少し訝し気な口調だったから意外に思った。ざわとまた風が吹き、桜が散ったが、陽仁が神妙な顔つきをしてこちらを見ているので紬はとても花びらに手を伸ばせなかった。 「お前にまで聞かれるとは思わなかったな? いろんな奴に聞かれてほんといやなんだよ、その話題」 「俺が紬の好きな人に興味持っちゃおかしい?」 「陽仁なに怒ってるんだよ? 手塚さんとは学級委員一緒にやったってぐらいで特に仲いいとかじゃなくて、別に普通だよ」 「でもお前そのボタン、手塚さんにあげたって」 「え? なんでお前知ってんの?」 「学年のグループラインの通知に入ってた。お前が手塚さんにボタンあげたって」    陽仁にしてはどことなく苛々とした早口で、しかも食い気味だ。 (そっか、俺が陽仁のボタンの行方気になったみたいに、こいつもそれなりに気になるのかな?)  やはり幼馴染同士。お互いのことは何でも知っていないと気になるのは同じなのだ。そう合点がいって紬はわざと明るい声をだすと、事も無げな雰囲気をわざと醸した。 「ええ、もうそんな噂になってんの? 直接あげたわけじゃない。別の女子のグループに欲しいって言われてあげたら、それを手塚さんに渡してるのは見たけど」 「そんな簡単に渡していいものなの? 第二ボタンだぞ」 「なんか陽仁、どうしたの? そんなにこだわるところかよ? お前こそ、ボタン全滅じゃないかよ」 「……別に俺はいいんだ。何人かにノリで記念に欲しいって言われただけだから、でもお前の場合、それ本命ってことだろ?」  ぐっと一瞬詰まるが、日頃素直な陽仁にしては珍しく。木戸ぐらいしつこく食い下がってくる。これではまるで、陽仁がやきもちを焼いているみたいに聞こえてならなかった。 「じゃあ俺も陽仁と同じ。記念に欲しいって、そんな感じだ。別に意味なんてない。俺好きな女子がいるわけじゃないから、欲しいなら別にいいかなって。それに、頭痛くて色々考えるの億劫だったんだよ」 「中々ひどい奴だな、お前。相手はお前のこと好きなんだろ? だから欲しがってたんだろ? それをそんなおざなりにしていいのか?」 「だったら自分でちゃんと取りに来て告白でも何でもすればいいじゃないか。俺はきちんと面と向かっていってくるのじゃなきゃ嫌だ。SNSで告白とか、後で削除してウソ告白とかいってなかったことにするとか、そういう正々堂々としていないのは好かない」  今度は女子の肩をもった陽仁に紬の方がやきもちを焼いて文字通り餅のようにぷうっと頬を膨らませた。 「それになんだよそれ、陽仁どっちの味方なんだよ? 陽仁はいつでも俺味方じゃないと駄目なんだよ」 「俺はいつでも、紬の味方だ」    ついに零した本音に、陽仁の方も真っ正直に即答した。しかしすぐあと、恥ずかしくなってお互いに顔を見合わすと急激に恥ずかしくなって顔を赤らめた。 「は、はは。俺ら保育園の前で何言ってんだろ」 「だな。……お前が他に好きな奴がいないって、分かったからいいとする」 「俺もだわ。陽仁についに彼女出来たかと思ってやだったから。よかった」 「……俺に彼女いないの、良かったって思ってくれるんだな」    足元に散った花びらに目をやりながら、安堵感から思わず陽仁も零した本音は、紬の耳には届かず昼下がりの雑踏に溶けていく。 「俺さ、今日朝から体調いまいちだし、公園で騒いでからファミレスでだらだらコース結構きついと思ってた。だから陽仁にああいって貰えてすげえよかった。陽仁んちで前みたいにまったりしたい」 「……そうか」 「彩夏ちゃん迎えに行くのは本当なんだ?」 「本当だ。彩夏とケーキ買いに行くのも本当。じゃあさ、お前も体調良くなったら、一緒に来るか? ケーキ好きなの買っていいってさ」 「あ、ああ。うん。じゃあそうする、陽仁といる方がいい」 「そうか。それは、嬉しい」    紬の返答に満足そうに微笑む顔は目元が陽仁のお母さんに似ていて柔和な感じだ。紬はむすっとしていると末広二重の切れ長の瞳がちょっときつめに見えてしまうから憧れる綺麗な瞳だと思う。  さりげなく紬の荷物を手に取って歩き出した陽仁の後ろについて、そのすっかり広く頼もしくなった後姿を眺めてちょっとした感傷に浸る。  入学したころは二人ともそれほど身長は高くなく、むしろ紬の方が僅か大きいぐらいだったが二年の終わりぐらいからぐんぐん伸び始めた陽仁の身長はまだまだ止まる気配を見せない。   (小さい頃は周りと喧嘩してばかりでどっちかといえばトラブルメーカーだったのに、今じゃすごく優しくて成績も身長もすっかり逆転だよな……。悔しいけどかっこいい。性格も良くて、頼りになるし、一緒にいて楽しい。こんなにいいツレがいたら、彼女どころじゃなくなったって、仕方ないだろ?)  高校まで一緒になってしまったから、さらにお互いニコイチから離れられなくて、とても彼女出来なくなるぞと部活の連中にも散々揶揄われてきた。  しかし一番安心できる相手とのこの距離感に子供の頃から浸り慣れているので、まだまだ失いたくないと思ってしまうのだ。

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