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第4話-2
俺の不安をかき消すようにクロは手を振った。
朝に竜人のおっさんが小声で教えてくれたが、ランスと王妃の不倫が持ち上がっているという。宮中行事である降臨生誕祭がちかづいており、よくあるきな臭い噂だとは笑っていた。
いつものどうでもいい話かと思いきや、どうやら嘘でもないらしいと武器屋のおっさんが声をちいさくしていた。
「でも……さ……」
「なんだ?」
「いや、その……」
眉目秀麗な顔を近づけられると、気迫に負けて後退ってしまう。
「逃げるな」
「ち、近いって……」
そうかというような表情で不満そうに離れて、クロは剣へ視線を戻した。店主が熱心に一番強そうな剣をまた勧めている。ああ、それはたかいやつ。金貨三十枚はするはずだ。
「この剣は品物がよいな」
「へい。隣国からのもので、これは値切れませんぜ」
「わかった。これにしよう」
「俺、外で待っていますね」
「待て。そういえばソウタ、体調はどうだ?」
すっと足音も立てずに近づき、俺の額に手を当てた。
うっ……。ここは武器屋だぞ。
むやみに顔を接近させられると困る。
動揺するだろうが。
整った顔が目と鼻の先にある。
灰色の瞳が眼前にせまると緊張がたかまる。これで童貞騎士というのはうそなんじゃないかと疑ってしまうほどの整った顔をしている。
「……だ、だいじょうぶだし」
「朝から食欲が落ちているじゃないか。さすがに無理させ過ぎたか?」
さらに距離を縮めて近づいてくる。こつんと棚に背中がぶつかる。
「……そ、そそ、そうだな」
「目の下に隈ができている」
「ちょっと寝れば気にすることはないし」
「でも、昨日より色が濃いぞ」
し、しつこい。
確かに睡眠不足だが、それはあんたらが寝かせてくれないからであって、ここでそんなことを大声で言いたくない。
「それにちゃんと食べているのか?」
「た、食べてるよ」
「……ならいいが、剣を買ったら古書屋でも寄っていくか? 本が欲しいと話していたな」
「い、いく……」
「欲しいものはなんでも言え」
「こどもじゃねえし」
「子どもだろう」
「ちげぇよ。昼によくもまー……はっ」
おもわず公共の場で、卑猥な言葉を口にしそうになって真っ赤になる。
「ばかめ」
くっくっくと腹を抑えて笑いをこらえている。
……くっ。つうか、笑うな。
笑うとちょっとかわいいじゃんか。
ふだんは無表情なのにギャップがすごい。
完璧だった顔面が崩れて、クロが口もとをゆるませている。
口をひらくと母ちゃんみたいにやかましいし、いちいち俺の体調を心配して聞いてくるし、尻は大丈夫なのかと余計なことまで尋ねてくるのにだ。
「こどもじゃねえし……」
「そうじゃない。なんだか目が離せないんだ。ああ、まて。盾も見てから出よう」
「はいはい。じっくりと見てろよ。俺は邪魔しないように入り口で待ってる」
「ああ。わかった」
チラチラと俺たちに視線を送ってくる女騎士と目が合う。童貞なのに、どこに行ってもモテる。そして老若男女声をかけられる俺を餌に、二人に近寄ろうという奴らが後を絶たない。
おなじ童貞なのに、こんなにもちがう。
ランスもそうだが、澄んだ美貌にすっと長い脚、そして引き立て役である俺が横にいると誰だって目を引いてしまうわけか。
「入り口でまっていろ。間違われて攫われるなよ」
「俺みたいなちんちくりんは攫われないよ」
「……どうかな」
くっと軽い笑みを浮かべ、クロは口の端をあげる。薄い唇が上がり、その笑みにドキッとしてしまう。
はっとなって首を横に振る。いけないいけない。俺のラブポイントが上がってどうする。
まったくもって俺をなんだと思っているんだ。俺は武器屋の入り口前に立り、寝ていたルゥを起こした。
「クゥ………」
「おまえも腹へったか?」
「クゥッ!」
主人たちに似て、欲望に忠実なところはそっくりのようだ。
でもこっちのほうがまだかわいげがある。長いくびを撫でてやると、まだ眠そうにうつらうつらと丸くなった。
「こんな感じだったら、いいんだけどな……。あのふたり絶倫だし……。はあ」
夜が苦痛だ。
いつになったらケツ開発をやめてくれるんだろう。
……尻がもたない。
最近は昼夜見境なくやられるし、いつかどっちかにうしろを襲われるんじゃないかと不安になる。
俺はため息をついて視線を落とすと、なにやらキラリと光るものが目に入った。
周りにはだれもいない。
なんだろうとおもって手に取る。黒くくすんでいて、グラスのようにもみえるが底にはくぼみががあり、口はひろく器にもなりそうだ。
「皿か、これ?」
ちょうど、ルゥの餌皿を買い替えたいと思っていたところなので俺はそれをまじまじとみた。
「ルゥの餌入れにでもすっかな」
すっと腰にある革袋にいれた。
落としものにしては、汚れてるしべつにいいだろう。どうせゴミだ。洗えば再利用できる。
そう思っていた矢先に、クロが店から出てきた。
「ソウタ、またせたな」
「おう」
クロはうつらうつらしているルゥを横から小突いて、起こした。
「ルゥ、起きろ。いくぞ」
「クッ!」
途中、宿まであと少しというところで、手を掴まれた。
どうしたんだと立ち止まっていると、クロがごそごそとなにかを取り出している。
「……ちょっとまて」
「はい?」
俺の手のひらをとる。一点が輝いている。どっかでみたことのある、デジャブにまじまじと眺める。
「これをおまえにやる」
「…………あっ!」
「指輪だ」
「これ……」
あっちの世界から引き込まれたときにつけた指輪だ。
「気に入ったから買った」
「ええっ。ち、ちょっとおちつけ!」
精緻な彫りがほどこされた台座に濃いコバルトブルー。あやしげな紋章もほどこされている。きらりと青く光を放っている。
「不満か」
「ち、ちがう……」
あうあうとしていると、真剣な眼差しを向けられる。
「おまえのためだ。気にする必要なんてない」
「でもさ……」
「いやなら捨てろ」
うっ。すてたい。捨てたいけど、そういう状況でもない。
「いや、でもさ。なんかわるい」
「気にするな」
そう言われても、気にするつうの。
「……これ、高いやつだろ」
「ふつうの値段だ。その指輪は能力を高めるらしいぞ」
「たかめる?」
「ああ。潜在能力を上げるらしい」
なおさら、捨てたい。
俺のケツになにかあったらどうすんだ。
「……ひっ」
「捨てたいなら、いまここで棄てろ」
ものすごい形相で睨まれる。目の奥が笑っていない。
「…………いや、しません。ありがとうございます」
「ちゃんとつけろよ。それとへんなやつに声を掛けられなかったか? まえに連れて行かれそうになったからな」
「あ、あれは道を尋ねられただけで。相手は老人だし……」
「老人でもだめだ。老人の面を被った悪人だっている。それと、俺のそばを離れるな」
「……はい」
後ろから客人が出てきたので、俺たちは店を出た。斜め横に古書店が見えた。すでに陽は傾き、香辛料を振って鶏を焼いた匂いが漂っている。
「夕飯を食べてから帰るぞ。終わったら、俺はルゥを飛ばしてくる。厩屋につないでばかりだからな」
「わかった」
クロは俺の手をしっかりと握る。
そしてずんずんと前へ歩き出した。仕事終わりの村人とすれ違い、軽く頭を下げて挨拶を交わす。
「なんだ?」
うつむいて黙り込む俺を怪訝におもったのか、クロが振り返った。
「聖杯探しがなくなったら、城に戻んの……?」
「そんなのは見つけてから言え。そのまえにやるべきことがたくさんあるんだ、ほら歩け。早くしないと陽が沈むぞ」
「……わかった」
しまった。また怒られた。
鴉がカアと情けなく鳴いた。
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