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#31
突然の事だった。
部屋の中に充満するのは
甘ったるくて、身体の芯までをもいとも簡単に支配するかのような
本能を呼び起こさせる香り。
ほんの一瞬でも気を抜けば
理性など何処かへ行ってしまいそうだ。
俺の中の、奥の…
鋭い牙を剥き、唾液を垂らして光る目を持つ猛獣が
アリスさんに向かって今にも飛びかかってしまいそうな感覚。
よりによって…この人、なんで今……っ。
「ア、リスさ……あんたそれ…ッ」
耳まで真っ赤に染め上げるアリスさんは
ハァ、ハァと浅い呼吸を繰り返す。
熱い息が、空気中に吐き出されて
その空気すら、俺を捕らえて離さない。
ダメだ、これ以上…
そばにいたら店長の目の前でアリスさんを犯す。
袖で口元を覆い、やっとの思いで足を2、3歩引けば
アリスさんの口角が
ニッと上がった。
その意図がわからず、ぼやける視界でアリスさんに問おうと口を開くが
俺よりも先に、この部屋の沈黙を覆したのは店長だった。
「アリス?どうした…急に。体調でも悪いか?
顔も赤いみたいだが…熱でも出たんじゃないか」
はぁ?
何言ってんだこいつ。今のアリスさんはどう考えたって──。
…と、そこまで思考を巡らせたところでハッとした。
店長はβで、アリスさんの発情期におけるフェロモンに影響されるような事はない。
そして番のいるΩのフェロモンは
番ったαにしか効かなくなることも…。
って事は、この匂い…
こんなに強くて甘くて体も心も全部持ってかれそうなコレに気付いているのは俺だけなのか。
「…ぜーんぜん、体調不良なんかじゃ…な、いよ。
健太君は……はぁ…わかってる、けどっ…
店長にはわからないでしょぉ……?」
アリスさんは、膝に手を置いてゆらりと立ち上がる。
そんな一つ一つの仕草に、どうしても目を離せなくて
五感全てを使ってアリスさんを追い掛けた。
“襲え”
“孕ませろ”
“喰らえ”
“捕まえろ”
“奪われるな”
“早く”
“ハヤク…。”
頭がクラクラして。
脳から仕切りに出されている信号は、俺の理性を脅かし続ける。
一歩
また一歩と俺に近づくアリスさんの匂いにあてられて
唇の端から唾液が垂れた。
「…こうなった、俺の事……救えるのは、ね
この世で健太君…ひとり、だけ…っ」
首に腕を回されて
アリスさんの熱い舌が、俺の溢れた唾液をレロ…と舐め上げる。
潤んだ瞳
上擦った声
吐息
心拍
アリスさんの纏う全てに身も心も侵されて
なけなしの理性でギリギリと歯軋りをくりかえした。
その時
「…あぁ、なんだ。レイ…発情期だったのか
こちらへおいで、一緒に気持ち良く──…」
声が、じわりじわりと近づいた。
アリスさんを呼ぶ声が。
俺のΩをたやすく呼ぶな
俺のΩを奪うな
俺だけのΩに────
「触 れ る な 」
「ヒッ…」
唇からは血の味がして
アリスさんを引き寄せたせいで身体中の血液が沸騰するんじゃないかってくらい沸き立って
だけど、そんな事どうでも良くて。
「俺の…宇宙一大切な人に
酷い事したら、許さないから…っ」
アリスさんの弱々しくも強い意志の感じられるその言葉に
店長が顔を青くして何度もうなずく姿を見た。
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