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第9話

 大正という時代の始まり。  帝都、灯京は迫り来る戦禍の気配に包まれている。医師を志して上京した俺は、私宅監置の資料をまとめながら、実際には一度もそう言ったものを目にした事が無い己について考える。座敷牢など、本当に存在するのだろうか? 少なくとも、節巳の村では見た事が無い。 「絢戸先生、お手紙ですよ」  声をかけられ振り返ると、研究室の中へと使いの者が手紙を運んできたところだった。更なる資料の追加だろうかと考える。届いた一通の手紙には、『絢戸廣埜』という俺の名前が確かに記されていた。差出人を見れば、『碕寺時生』と書いてある。俺の幼馴染だ。 「やっと返事が来たか――いや、待て。どういう事だ?」  過去、俺は手紙を送った事は無いはずだ。家が近所で狭い村であるから相応の付き合いはあったが、上京してから俺は時生に手紙を書いた記憶など無い。なのに、無意識にそう呟いていた。開封しながら、俺は首を傾げる。 『時間は前にのみ進むのではなく、輪廻の巡りは過去にも及ぶようだ。俺はここで監視をする。殺す事は出来ないと理解した。閉じ込めておくしかないという理由を知った。二度と節巳には戻るな』  そんな短い手紙だった。 「どういう意味だ?」  呟きながら俺は、酷い焦燥感に襲われていた。すぐにでも節巳へと戻らなければ、俺は永遠に喪失してしまうのではないか、奪われてしまうのではないか、そんな恐怖に駆られた。自分でも論理的に説明する事は困難だったが、俺はその日の内に休暇を願い出た。  節巳へと戻り、俺は生家に荷物を置いてすぐ、碕寺へと向かった。  すると視界に、庵が入る。強い既視感がある。俺は、あの場所を知っているような気がする。気づけば真っ直ぐに、そちらへと進んでいた。 「!」  そして目を見開いた。南京錠と御札にまみれた外扉、内扉、格子戸――見える中には、白い着物の少年がいる。一人か、いいや、二人とすれば良いのか。中には、二つの首を持つ色素異常の少年達が座っていた。左の首が『比翼』と言い、右の首が『連理』と言うのだと、何故なのか俺は、知っていた。その正面に、俺に気づいた様子の無い時生が立っている。 「――だから何度も教えてあげているのに。僕と比翼の代わりに、絢戸をここに入れて、ずっと眺めて、守っておけば安心だって」  連理の声がした。俺は息を呑みかけ、気づかれないように後退る。しかし左の首である比翼が、直後真っ直ぐに俺を見た。そして麗しい唇を動かす。そこに音は無かったが、俺には読み取る事が出来た。過去にも同じ言葉を聞いた事があるからだ――初めて見たはずなのに。 『廣埜、大切なものを守ってあげて』  そうだ。俺はいつか、幼少の頃に、確かに聞いたはずだ。  あの時はその他に、逃げる事もまた勇気だとも聞いた。  だが、そんな現実は存在しないはずだ。俺は、林の脇にある座敷牢など目にした事は無いはずだ。では、この記憶はなんだ? 「いいや、俺はここで、お前達を見張る」 「そう。じゃあこれからは、ずっと僕達と君が一緒だね」  ――蛇神が、本当に執着し、欲している存在。果たしてそれは? 「時生」  俺は決意し、嫌な冷や汗をこらえ、震えを押し殺しながら声をかけた。 「廣埜! どうしてここに?」 「出るぞ」 「あ、ああ。お前をここに置いておくわけには行かない」  時生が俺を連れ出そうとした。俺もまた時生を連れ出したかった。そうしなければ、奪われる事を本能的に理解していた。一瞥すれば比翼は優しい顔で、連理は退屈そうに、だがどちらも唇には弧を貼り付けて俺達を見ている。 「何故この村に戻ってきた?」 「時の流れが一方向では無いように、愛もまた双方向だからとだけ伝えておく」  ――人間には生きる権利があるはずだ。人間ならば、誰にでも。だが、人間では無かったならば? その上、その存在が、殺せず繰り返す理の中で生きていたならば? 輪廻の中に閉ざされた村の内側、そのまた内の座敷牢。ただ、そこに閉じ込めておくほかない。歪みを正せぬ以上、押し込め、見えないようにしておく以外の術は無い。  俺は村に戻り、その後、座敷牢を絢戸家の敷地へと移した。時生は大反対したが、俺が押し切った。  永遠に解体されないと決定している座敷牢の扉をきつく閉ざし、鍵をかけてから、俺は一人頷く。決して、時生を害させない。決意し、俺は家を継ぎ、村長として励みながら、蛇神の監視を始めた。  ――その前は、別の座敷牢にいたんだ。  ――寺の前は、庄屋の家で、そこも『絢戸』だった。  ――ああ、村長の家だった事もあったかな。  結局のところ、柿の表面に傷をつけた時、そこに布をかぶせておけば、一時的には傷は見えなくなるが、腐敗は進んでいく。いくら内の内に閉じ込めようとも、歪な流れ、螺旋状の輪廻の配列は、村の血脈の中で繰り返す。それが、呪いなのだろう。しかし比翼が教えてくれた愛の形の一つでもあるように感じる。 『この愛を受けたるの不幸の外に、この村に生れたるの不幸を重ぬるものと云ふべし』  そう書いた日記の扉を俺は閉じた。                                       【完】

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