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第1話 卒業パーティ
「クリスティーナ=ツァイアー。君との婚約を破棄――……」
そこまで言いかけた瞬間だった。
あるいはそれは奇跡だったのか、俺の中に膨大な『記憶』が蘇った。
現在は、王立学園の卒業パーティ。
それまで自分でも理解出来るほどに険しかっただろう俺の顔は、瞬間的に青褪めたと思われる。
「……」
破棄、まで言った時、俺は、はっきりと思い出した。
俺は知っている、この場面を……。
本当にどうしてこのタイミングで思い出してしまったんだ? せめてもう少し早く思い出す事は出来なかったのか? これは、俺が『前世』で暇つぶしに読んでいた『ざまぁ系小説』の世界と同じ場面だ。一気に指先まで震えた俺は、コミカライズもなされたその小説の内容と登場人物について、瞬時に想起した。
俺ことクラウス=バルテル=アクアゲートは、このアクアゲート王国の第一王子である。敵も多い。そんな中、次期国王としての後ろ盾となってもらう事も踏まえて、幼少時より、従妹であるツァイアー公爵家のクリスティーナとは、許婚の関係だった。
たった今、俺が婚約破棄をしようとしている彼女は、冷ややかな眼差しで俺を見ている。背が高く細身で、最高の淑女だ。一方の俺が、何故婚約破棄をしようとしていたかと言うと、王立学園の特待生である平民の少女に恋をし……て、いたと数分前までは思っていた。
だが俺の記憶が正しければ、この小説の主人公は『クリスティーナ』なのである。クリスティーナを断罪し婚約破棄をしたクラウス即ち俺に待ち受けている未来は、かなり悲惨だ。クリスティーナ陣営に、最終的に『ざまぁ』されて、追放されるキャラクターだ。
実際、ここまでの生活を振り返ってみても、クリスティーナに悪い所は無い。
恋にうつつを抜かしていた俺、平民の少女であるユアの言葉を何でも信じていた俺、彼女がクリスティーナにイジメを受けたという話を聞き疑う事も無かった俺、だがクリスティーナの行いは、淑女として正当なただの注意であったというのも今ならば分かる。
青褪めたままで俺は、唇を震わせた。もう、『破棄』まで言ってしまった……。
このまま破棄すると、どうなるか。
俺の記憶を辿ると、この後俺は、父である国王陛下に呼び出され、継承権を剥奪され、後ろ盾も失い、幽閉後国外追放されその後に殺害される。死にたくない……!
この際、王位は諦めよう。そこは良い。
記憶を取り戻す前の俺は、自分が王位につく事を疑っていなかったし、第二王子である異母弟に関してはあまり気に止めてこなかったし、王位継承権第四位であるクリスティーナの兄、シュトルフとは犬猿の仲だった。継承権第三位は、シュトルフとクリスティーナの父である、現ツァイアー公爵である叔父上だ。王弟である。
だが、婚約破棄した後、俺はざまぁをされてストーリーから退場する事になるのだが、そのざまぁを主導するのはシュトルフであるし、クリスティーナは俺の弟の第二王子ダイクと結ばれる……! ダイクが即位する。そこは良い。もう良い。問題は、シュトルフだ。
卒業パーティではあるが、保護者も招かれている。クリスティーナの保護者役は、兄のシュトルフその人だ。ちらりと見れば、非常に冷ややかな、見下すような、蔑むような目をこちらに向けている。怖い。迫力がありすぎる。もうこの時点で俺の心は折れた。
今までの俺を寧ろ称えたい。よくあの氷のような冷酷なシュトルフとすらやり合えていたな、数分前までの俺。しかし周囲も止めるべきじゃ……クリスティーナ本人ですら、俺には何も言ってこなかったぞ。いいや、これは責任転嫁だと分かっているし、正直言って、顔良し・頭良し・性格良し(だと少し前まで思っていた)・運動神経抜群・次期国王の俺に注意出来る奴なんていないよな、うん!
このままだとシュトルフに、非常に恐ろしいざまぁをされる。
俺は死にたくない。
「……」
「クラウス様?」
皆が俺を見ている。俺は俯く。俺の言葉の続きを、クリスティーナが促そうとしている。
「クラウス様は、今、婚約破棄と――」
「待ってくれ!」
「――え?」
「ちょっと待ってくれ! クリスティーナは何も悪くないんだ!」
まずその部分を誤解させないようにと、俺は全力で大声で述べた。俺は非常に慎重に一瞬だけチラっとクリスティーナを見た。クリスティーナは、目を丸くし、小首を傾げ、頬に手を添えている。
続いてさらに慎重に、俺はチラッと斜め後方を見た。そこには平民出身の少女、ユアがいて、キラキラした瞳で俺を見ている。なお、俺とユアは別に付き合っているわけでも何でもない。俺は攻略対象者の一人――ユアをヒロインとした場合の、乙女ゲームとやらの登場人物だったのである。ユアは、ハーレムエンドを狙っていたようだ。しかし俺の記憶が確かならば、ここは確実に『クリスティーナの世界』だ。
「ですがクラウス様は、婚約破棄と……」
「だ、だから、それは、その、あれ、あれなんだ! あれだ!」
まずい。非常にまずい。
「――クリスティーナ! 長きに渡り、婚約者として共にいて、俺は気づいてしまったんだ。君は、ダイクに恋をしているだろう?」
「え?」
「可愛い弟と大切な許婚の恋、応援せずにはいられないんだ!」
よくぞ回った俺の口!
だが俺の言葉にクリスティーナは、ポカンとした顔をしてから、扇を片手に呆れたように吐息した。
「私 の不貞を疑っておいでなのですか?」
「違う!」
あ、ダメだった、俺の口! そうだよな、あくまでユアルートの設定上の完璧に過ぎなかった俺の頭脳だ。そしてクリスティーナから見たら、俺はもうただのモブだし!
「そ、その……俺も真実の恋を知り、結婚とは、愛があるものが望ましいと思うようになったんだ。俺にクリスティーナほど素晴らしい女性は勿体無い!」
ダメだ、何を言えばいいのか分からない。
「恋、ですか……それは、殿下が私以外の方を好いているという趣旨ですわよね?」
「俺は断じてユアの事を好きではないからそこだけは誤解しないでくれ!」
今更過ぎる感を覚えたが、俺はきっぱりとこれだけは言い切った。
すると会場に奇妙な気配が流れた。まずクリスティーナが目を見開いている。ちらりと確認すれば、ユアが口を半分ほど開けて呆然としている。名前を出して巻き込んだ第二王子は腕を組んでじっと俺を見ている。最後にシュトルフを確認すれば、眉を顰めていた。
「では、クラウス兄上は誰が好きなんだ?」
ボソっとダイクが言った。それとなくダイクは、クリスティーナの隣に立った。俺は知っている。ダイクの方は、昔からクリスティーナに好意を寄せていた。ちょっと前までの調子に乗っていた俺は、正直王位を争っている異母弟の思い人が自分の婚約者で気分が良いと思っている部分もあった最低な性格の持ち主である。我ながら傲慢だった。
「えっと……」
しかし俺の数分前までの恋心など、既に泡沫のように消え去った。ユアへの想いなんて本当にあったのかも怪しい。だがここで下手な回答をすれば、全ては失敗だ。
「……」
このまま断罪されないようにするには……そうだ、そうだ、そうだぞ! 俺の行動を変えるだけでなく、俺に断罪が可能な人間を潰せば――道連れにすれば、逃れられるかもしれない!
「……俺、は」
全員の視線が俺に集中した。嫌な汗がダラダラと背中を流れていく。
「……シュトルフが好きなんだ」
静かに俺は告げた。会場中が静まり返った。
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