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第29話 行きの旅路
安息日が終わり、週が明けた。ツァイアー公爵領地への出立の朝は、雲が多めの晴れの日だった。俺とシュトルフが乗る馬車の他に、荷物を運ぶ馬車や、付き人や護衛達が乗る馬車や馬も一緒に旅立つ。
王宮からの護衛は、近衛騎士達の中から、今回はジークという名の騎士が選ばれた。俺付きの近衛騎士は約二十名ほどいるのだが、中でもジークは俺と年が近いので、特に覚えていた。守られつつ、一緒に成長してきたと言える――が、ほとんど話をした事はない。
近衛騎士はシフト制だ。
なお、ツァイアー公爵家側も、今回の旅において護衛を手配してくれたようで、昨晩にはその知らせが入った。もっとも、それほど危険がある国ではない、このアクアゲート王国は。
「来たか」
俺が王宮の正門へと向かうと、そこにツァイアー公爵家の家紋入りの馬車が停まっていた。扉の前には、シュトルフが立っている。
「おはよう、シュトルフ」
現在、朝の七時。春の終わりの風は少しだけ冷たい。
「ああ。おはよう。クラウス、昨日は良く眠れたか?」
「まぁまぁだな」
そんなやりとりをしてから、俺はシュトルフに促されて馬車に乗り込んだ。丁度謁見の時間と重なったため、見送りはない。代わりに昨晩、国王陛下や宰相閣下、母上に優しい言葉をかけてもらった。
走り出した馬車の中で、俺は窓の外を一瞥する。シュトルフは、正面にあるテーブルの上のカップに手を伸ばしている。それを確認してから、俺は改めて窓の外を見た。
本日の夜は、隣街のはずれで宿を取る予定だ。馬車の中で眠るのは、まだ先の予定である。十日間の旅路では、シュトルフとずっと二人でいるんだなぁと、漠然と俺は考えた。
……天気の話は、そこまで長引かないような気がする。車窓から見る度に、ネタには出来るかもしれないけれども、毎日劇的に天候が変化するとは思えない。
そんな事を考えてから、俺もまたカップに手を伸ばした。この馬車には、トイレに行かなくて良い魔術がかけられている。長期移動で貴族が主に用いるものだ。床に魔法陣が刻まれている。
「朝食は何を食べたんだ?」
俺は世間話をひねり出してから、カップを傾けた。するとシュトルフがチラリと俺を見た。
「チーズオムレツだった」
「そうか」
「公爵領地のシェフの腕も良い。クラウスが気に入ってくれる事を願う」
「――道中の宿の食事だって、俺は楽しみにしているんだぞ?」
これは本心だ。視察などで宿に泊まる時、俺はいつも、その土地の食事を楽しみにしていた。俺の言葉に、シュトルフが静かに頷いた。
「俺はあまり家や夜会以外で食事をした経験が無いから、興味はある」
高位貴族として、当然だろうと俺は思った。公務がある俺よりも、あるいは旅といった側面では、シュトルフの方が箱入りなのではないかと考えてしまう。俺にも、教えられる事があると良いんだけどな……。
このように、ポツリポツリと会話を重ねていると、意外とあっさり時は流れていき、空の色が変わっていった。夕焼けが消えた頃、月が顔を覗かせた時、馬車が停車し、俺とシュトルフはこの日の宿に到着した。
夕食にも丁度良い時間で、俺達は最初に食事をした。
食堂で口にしたのだが、その後俺とシュトルフは、当然のように同じ部屋に案内された。寝台も一つだ。テーブルの上には、非常にそれとなく魔法薬茶が置いてある。俺はこれらの気遣いに、複雑な気持ちになった。
「グラタンは中々美味だったな」
シュトルフが俺の後ろから室内に入ると、鍵をかけながら食事の感想を述べた。俺は頷こうとしつつも、回った鍵の音に緊張してしまう。
「ホワイトソースが、その、た、たまらなかったな!」
「ああ」
俺は僅かに俯き、挙動不審になってしまいそうな体を制しながら、それとなく寝台へと歩み寄った。両腕で体を抱いて、寝台に座る。するとシュトルフもこちらへやってきた。
「明日も早いし、そろそろ寝るか」
シュトルフはそう言うと、あっさりとベッドに上がって、毛布をかけた。慌てて俺はその隣で横になる。
「おやすみ、クラウス」
「あ、ああ。おやすみ!」
俺は窓がある壁の方を、じっと見た。シュトルフが背中のすぐそばに寝ているのを理解しながら、ふと思う。いやいやいや、この距離で、この状況で、眠れるわけがないだろうに!
「!」
シュトルフが後ろから俺を抱きしめたのは、その時だった。あからさまに俺はビクリとしてしまった。
「ん」
俺のうなじを、ぺろりとシュトルフが舐める。思わず俺はギュッと目を閉じた。
「寝るんじゃなかったのか?」
「そうだな」
「嫌だからな。宿の人や扉の外の護衛に聞かれるかもしれないし、シーツだって汚れるだろうし、ああ、嫌だからな!」
「確かにこの宿の壁は薄そうではある」
抗議した俺に対し、クスクスと笑ったシュトルフは、それから腕に力を込めた。
「ただお前を抱きしめて眠りたいだけだ。おやすみ、クラウス」
いや、だから、この状況じゃ眠れないだろうが!
――と、俺は言いたかったが、その後シュトルフから寝息が聞こえてきた為、俺は口を噤んだ。
宿に泊まる時は、大体こんな感じだった。二度ほど馬車の中で眠った夜は、気づけば俺はシュトルフの肩に体を預けていた。
本日は九日目、行きの旅路の最終日だ。
最後の宿でもある。風呂に入った俺は、一人深く吐息した。
ほぼ毎夜、シュトルフに抱きしめられて眠っていたし、一人になる時間もほぼない状態で十日間……正直な話、若干体が熱い。しかし抜くタイミングが無い!
しかも俺を抱きしめて眠るシュトルフは、指先で俺の鎖骨をなぞったり、脇腹をくすぐったりしてくる。焦れったい!
「はぁ……」
寝台へと向かい、俺は大きく息を吐く。シュトルフは既に寝台の上にいた。
「どうかしたのか?」
「別に」
「明日領地入りだからな。緊張しているのか?」
「い、いや……そ、そうだな! その通りだ!」
俺は必死で誤魔化した。それから寝台に入ると、この夜もシュトルフは俺を抱きしめた。だからその手が辛いのだと、俺は叫びたくなった。
「大丈夫だ、俺がついている」
そういう事ではない。俺は率直に言って、もっと即物的で、今欲しいのは安心感ではない……。
あんなにも後ろでの行為に怯えていたはずなのに、今はシュトルフに触れられる事が怖くもなんともなくなっている気がする。
しかしこの日もシュトルフは先に眠ったので、俺は熱い体を持て余しながら、なんとか瞼を閉じたのだった。
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