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第15話

 黒塔に、昼が訪れた。午前中、トーマとキースは、二人で転移魔術について鍛錬をしていた。こちらは座学はとうにキースとて収めているので、理論は嫌というほど分かっている――どころか、理解度で言うならば、深いのはキースだった。頭では理解できている。 「意外」  話をしていると、トーマの側には、魔術構築の知識がキースから見るとあまり無かったので、思わずキースは呟いた。するとトーマが微苦笑した。 「魔術は理屈じゃないからな、俺にとっては」 「俺は理論からやるんだと信じきってた」 「感覚だ」 「生活密着魔術もそうなのか?」 「その通りだ。自分に必要なものを適宜生み出していく。俺の場合はキース様とは違い、全て必要に迫られて覚えてきたというのが正しいかも知れない」  それを聞いて、キースは頷いた。  キースは、本人にこそ自覚はないが、大切に大切に、次世代の暗黒魔導師候補として育てられてきた。よって基礎理論も応用理論も、並みの魔術師――どころか、それこそ、ファルレやユーグでもなければ、例え竜族であっても滅多な事では太刀打ちできないレベルで完璧だ。本人が明るく元気で、外見からは理論派には見えないが、実に箱入りの魔術師である。トーマも最初は、こちらにも座学が必要だろうかと考えていたのだが、すぐにその必要は無く、師事すべきは己の側だったと気づかされた。 「やっぱり実際に使うって大切なんだな。感覚、か」  キースは呟いてから腕を組んだ。 「セックスも、同じか?」 「っ、な、何だ急に」 「だってトーマ、昨日教えようとしてくれた時、座学の前に、俺を抱きしめただろう?」 「……」  事実であるが、あれは意図が違う。単純に、キースの知識の欠落具合を知らなかっただけだ。赤面してしまったトーマは、唇を片手で覆ってから、チラリとキースを見る。キースは純粋な瞳をしていて、丸くした目でパチパチと瞬きをしている。あまりにもあどけなく見えて、先程までの転移理論の話の時の知的な様相が消失しているものだから、トーマは胸を揺さぶられた。体の奥がゾクリと熱くなる。芯が熱を帯びそうになる。  ――欲情してしまう。 「……キース様」 「ん?」 「本当に俺で良いのか?」 「何がだ?」 「教える相手が」 「確かに転移魔術は、理論面は俺の方が詳しいと分かった。それでも、長距離の移動が可能なのはトーマの方なんだから、俺は教わりたいぞ?」  首を傾げたキースを見て、『そうではないんだ!』と、トーマは叫び出したくなった。しかし類稀なるムッツリであるトーマは、この状況で、真面目くさった顔をしているため、それ以上は何も言えなかった。  こうしてこの日の転移魔術に関する鍛錬は、ひとまずは互の知識確認という形で終了した。 「昼食、どうする?」  二階の居間へと戻りながらキースが問うと、トーマは長めに瞬きをした。  ――すぐにでも、抜いてきたい。  そんな思いが非常に強い。出来る事ならば、夜とは言わず、キースを今すぐにでも貪りたい。食べるならば、キースが良かった。切実にそう考えていた。  階段を降りてくる足音が響いたのは、その時の事だった。 「おい、ファルレ!」  珍しく声を荒らげているのは、ユーグだった。 「だから僕は忙しいし、それどころではないと、言っているよね?」  不機嫌そうな声で返答したファルレが、先に降りてきた。その後を追うようにユーグが床を踏む。ファルレは声こそ不機嫌そうだが、表情はいつもと同じ無表情だ。一方のユーグは呆れたように目を細めている。 「マギナリア帝国の皇帝府からの、それも、皇帝陛下からの、直々の依頼だぞ?」 「だから何? 黒塔はいずれの国家権力に従う必要も無い」 「それはそうだが……やり手と評判の皇帝直属部隊の隊長が失踪して、その捜索依頼が来たというのは、黒塔にとっても看過出来る事では無いだろう?」 「興味ない」 「あのな」  二人のやりとりに、キースが首を傾げた。 「何かあったのか? 聞こえてたから言うと、失踪?」 「そうなんだ。それでファルレに相談したいと話しているのに、無理だの一点張りでな。キースからも説得してくれ」  呆れたように溜息をついたユーグは、どこか疲れた顔をしている。ファルレはといえば、チラリとトーマを見た。実は対面するのは、初めての事である。しかし現在のファルレの脳内は、カイの事で一色の為、話しかけるでもない。ファルレはそのまま、皆の脇をすり抜けて、厨房へと向かった。カイのために、食事を作るつもりなのだ。 「俺、やるか?」 「大丈夫だよ、キース。僕がやりたいんだ」 「ふぅん?」  料理をする時間にユーグと話せば良いではないかとキースは思ったが、ファルレはこれと決めたら譲らないので、何も言わない事にした。  その後、ファルレが厨房を独占していたので、三人は居間のソファに腰を下ろす事にした。流れるように移動し、座した直後、ユーグが頭を抱えた。 「あークソ。死ぬほど忙しい時に限って、こうも厄介事が入ってくるから嫌になる」 「何が忙しいんだ?」  キースが問う。キースにはまだ異世界人について話していないユーグは、チラリとトーマを見てから、腕を組んだ。トーマに手伝わせる事が出来たならば、非常に助かる案件だが、決してそれは出来ない。無精ひげを撫でながら、ユーグは嘆息した。 「――まぁ、研究の一環のようなものだ」  適当に濁したユーグは、それから重い腰を上げた。ファルレが相談にすらのってくれない以上、己が処理をするしかない。異世界人について考えると、それは早い方が良いだろう。なにせユーグは知っていた――皇帝直属部隊の隊長こと、ルカ=エイダという人物が異世界人であることを。ユーグは何人かの、特に異世界人集落を出たと思しき異世界人を既に特定して、監視魔術を展開していたのである。 「キース、今から支度をして、俺は暫くの間、黒塔から出てくる。何かあったらファルレに言うように。ただファルレはファルレで何が忙しいのかはさっぱり不明だが、多忙という本人談であるから、基本的にはトーマと自習に励んでくれ」  立ち上がったユーグはそう言うと、上階に消えた。残されたキースはトーマを見る。するとそれまで黙っていたトーマもまた、キースを見た。 「師匠の言葉だし、昼間は転移魔術、夜は性教育、頼んだぞ」  朗らかに言ったキースに対し、トーマは噎せそうになったが、なんとか堪えて頷いたのだった。

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