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「陽向さん、具合悪いですか?」  夕方の幼児番組をただぼんやり眺めていた陽向は話しかけられてはっとした。 「ごめんなさい、ぼーっとしてた」  ソファのそばに立つ三浦を見上げ瞬きをした。  帰宅後からどんどん身体が重たく、熱くなっている。  テーブルでお絵描きをしていた凛子がクレヨンを置いて寄ってきた。 「熱計ってみます?」 「そうですね、済みません」 「ひーたんお熱? おむねもしもししましょうね~」  三浦が体温計を、凛子が人形用のお医者さんキットを持ってきた。体温計を受け取り計測している間、凛子は陽向の胸や腹に子供用の聴診器をあて頷いたり首を傾げたりしている。真剣な面持ちの凛子に「風邪でしょうか」と聞いてみる。 「お注射しましょうね」  どうやら診察の結果注射が必要と判断されたらしい。  腕を捲られ「いたくないよ~」と声かけ頂いたとき、ピピっと体温計が鳴った。  すかさず凛子が体温計を抜き取り、難しい顔で眺めたあと体温計を陽向に渡してきた。  37.1℃、微熱というほどもない。 「ちょっとお熱なので、お注射ですね~」  また、いたくないよ~と言いながら凛子はプラスチックの注射器を陽向の腕に当てた。   ちゅ~と言いながら注射器を揺らす凛子に「先生、すぐなおりますか」と聞いてみる。 「お注射したからなおりますっ」  力強く頷く凛子にありがとうございましたとお礼を言って陽向は注射の後を揉む真似をする。  微熱だけど、どんどん身体が重たく顔が熱くなっている。 「陽向さん、大丈夫? 私もう帰るけど」 「あ、はい、微熱でした。全然大丈夫です、心配かけてすみません」 「馨さんにお伝えしましょうか?」  陽向は目を見開いてとんでもないと首を振った。 「本当に大丈夫です。このくらいで連絡貰ったら馨が困っちゃいますよ! よし、動きます!動いたら元気になりますので」 「馨さんはなんでも知りたいんじゃないかと思いますけども……、本当に大丈夫? 無理はしないでくださいね」  心配げな三浦を安心させるため、しゃきっと立ち玄関まで見送った。が、三浦が去ったあと、陽向はめまいがして玄関に座り込んだ。  今までにない体調の変化に少し怖くなる。  身体のだるさ具合から考えると、もっと熱があっても良さそうに思う。  あと、だるいといえば発情期も考えられるが、今はその期間ではない。  陽向のように通常の生活が出来る程の軽い発情期でも一応少しはだるさがあり、周期くらいは分かる。  陽向の発情期は周期から考えるとあと一月以上先だ。今までに周期がずれた事はないので今日の体調不良は発情期ではないはず。  お絵描きを止めて幼児番組のキャラクターと一緒に踊る凛子を見守りながら、微熱でももし風邪なら凛子に移したくないなと思う。  明日病院に行こうかなと考えていたらスマホが震え、東園からもう帰ると連絡が来た。  三浦が報告したのかもしれない。連絡しなくていいとは言ったものの、こう具合が悪くては凛子をちゃんと見ていることが出来ないかもしれない。  幼児は本当に、目を離した一瞬で事故にあったり、誤飲したりするものなのだ。  ソファに座っていたが体勢が保てず横になる。 「ひーたんおねつ?」 「ううん、大丈夫」  凛子が首をかしげる。  切り揃った前髪の下の、黒目がちな大きな瞳が陽向をじっと見ている。  笑って見せると凛子におでこを触られ、そのあとよしよしと頭を撫でられた。  凛子がお熱のとき、して貰ったことを覚えていて、その真似をしているのかなと思いながら見ていると、和室の押し入れから小さめの毛布を引きずってきた凛子がそれを陽向にかけた。 「りんちゃん優しいね。ありがとう」  未就園児さんなのに、さっきのお医者さんごっこといいこんな事出来るなんて天才じゃないかなと真剣に思う。  もちろん陽向は凛子を産んではないし、知り合ったのはつい最近だけど、毎日一緒にいるからか、なんだかもう凛子が我が子のように感じる瞬間がある。   大好きだよと頭を撫でると凛子は得意気に頷いておもちゃ箱へ向かった。  横になったまま凛子の背中を眺める。  身体がなんだかどんどん熱くなっている、頬を触ると手の冷たさが気持ち良い。  一応これでも仕事中なのだから、せめて座っていたいのに身体が動かない。  ふと、玄関で物音がたったような気がする。見に行かなきゃと身体を起こそうとするけれど、腕の力が途中で抜けてしまう。  凛子を見ている視界が急に塞がれ目の前に東園が現れた。 「ああ、よかった。馨か、お帰り」  休日の、手を加えていない髪型だと年相応だがスーツに横に流した髪型をした東園は年上に見える。しゃがんだ東園の顔はすぐそこで、眉根を寄せて陽向を見ているのが分かる。 「ごめんちょっと体調が悪くなっちゃって」  起き上がろうとした陽向を東園が制した。 「起きるな、顔色が悪いな。気持ちが悪いか? しかし、すごいな」 「え、なに?」 「いや、陽向顔が赤い。ちょっと触ってもいいか?」  頷くと東園は手の甲でそろっと陽向の頬を撫でた。 「熱いな。ちょっと待ってろ。すぐ上に運ぶから」  東園は凛子のそばにより声をかけると二階に上がっていった。 「かおちゃんね、ひーたんねんねって」  凛子が横になった陽向の腰あたりをとんとんと叩き、東園の真似をして手の甲で陽向の頬を触る。 「ありがとう、りんちゃん」  お熱があるね、という凛子に苦笑しながら本当に発熱しているのか分からなくなってきた。  顔もだけど身体の奥まで熱くて、その今までに感じたことのない感覚に少し怖くなってきた。  やっぱり外で何らかのウイルスに感染してしまったんじゃないかと少し落ち込む。マスクに消毒、手洗いうがい、幼児がいるんだからと気をつけていたのだけど。 「りんちゃん遊んでてね。僕は二階に上がるから。かおちゃんが来たらごはん食べてお風呂に入ってね」  起きるなと言われたものの、さすがに二階へ運ばれる程、陽向の身体は軽くないと思う。  座面に手をついてゆっくり上体を起こす。 頭が持ち上がっただけで目眩がして、その体勢から変えられない。 「おいおい無理するな」  カッターシャツの上から二つのボタンを外した東園が陽向の顔を覗き込みながら袖を折り曲げている。 「自分で、行ける、から」 「起きられてないだろ。いったん横になれ、持って行くから」 「持って行けるほど、軽くないと思うけど」  確かに立ち上がって二階に行けないかもしれない。しぶしぶソファに横になると肩の下と膝裏に腕を差し入れた東園が危なげなく陽向を抱え上げた。 「わ、ちょ、」  横抱きに持ち上げられ、落ちちゃうんじゃないかと怖く身体が落ち着かない。 「俺に寄りかかって」 「う、うん」  小さい頃はこうやって運ばれたこともあったのだろうけれど、二十代の今、その感覚を覚えているはずもなくただただ恐ろしくて東園の言うとおりにする。  肩口に顔を寄せると東園の匂いがして脳の奥がじんと痺れる。  なんだろうこの感覚。  身体の中心に火が灯ってじわじわと溶けていく感じ。  どうしてか分からないけれどもっともっと溶けてしまいたい気がして東園のシャツに顔をこすりつける。癖になる匂いだと思いながらふうっと深く息を吐く。  どんどん身体の力が抜けていく。 「下ろすぞ」 「あ、うん」  いつの間に自分の部屋に入ってきたのか、気がつかないほど夢中になって東園の匂いを嗅いでいたかと思うと恥ずかしくなる。  そろっとベッドに下ろされ、布団を掛けられる。

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