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2.いる、と思ってた頃

 一番最初に〈それ〉が起こったのは公園の近くにあった廃屋に対してで、たぶん四歳の時だった。  オカルトかスピリチュアルが好きな奴からしたら〈それ〉は『霊感』とか『第六感』になるんだろう。でもオレは、幽霊も化け物も見た事がない。『近い何か』なんだとしても、じゃあ一体何なのかって言われると、自分でもよく分かっていなかった。  いかにも「出そう!」って場所が怖かった事も、なくはない。でも、昔こっそりやった肝試しは、メインの心霊スポットよりも「おはらいしないと!」って、その後に連れて行かれた場所の方がよっぽど駄目だった。  写真の隅に写った人型っぽいモノにも、何かを感じた事はなかった。ただ、親戚連中に囲まれながら和やかに微笑む大叔母には、泥と黴と煤煙が混ざって纏わりついてるような雰囲気を感じて、近寄れない事ならあった。  そういう、ごく普通に存在している物や場所や人にも〈あの感覚〉は働いていた。  軽ければ、ちょっと頭が痛いとか、何かに見られてるような気がして集中出来ないとかで済む。酷い時は、動悸に悪寒に吐き気。終いには、恐怖感で動けなくなる、なんて、普段の生活に影響が出るような異変が起きた。  親は「訳の分からない事を言っている余裕があるのなら、もっと|鴇坂《ときさか》の名に恥じない人間になる努力をしろ」的な事ばっか言ってた。あいつらは、いわゆる『普通の人の目に見えない何か』っていうのを信じていなかった。慰めてくれた記憶は、ため息と冷めた視線で埋もれてる。  まあ、幼稚園受験の時からずーっとあいつらの第一志望に受かんないし、習い事も学校の成績も他の色々も理想通りの成果を上げない息子の言う事なんて、言い訳か気を引く為の嘘だと思ってたんだろう。  そんな環境で育ったら、特別な力だって自慢したり、自由に操れるようになりたいって発想は勿論出ない。これ以上失望されないように、耐えて隠してなかった事にしていくのが、オレにとっての普通だった。  そうやって迎えた十一歳の秋。  塾のテストが満点じゃなかった事の説明を母親に求められて、うっかり口篭ったのがまずかった。  怖いものの所為で勉強が進まなかった、なんてもう言わなくなってたのに、馬鹿みたいに気難しい顔で成り行きを見ていた父親が「また他人の所為にするつもりか」「そんなに迷信じみた物が好きなら、あやかって来い」ってキレた。そのままオレは手を引っ張られ、学業成就の祈願で有名な場所に連れて行くとかで、強引に車に押し込められた。  父親の運転は珍しく荒れてて、母親は無言のまま苛々してた。  まだ純粋だったオレは、二人の様子をちらちら伺いながら「これが最後のチャンスだ」って拳を固めていた。あいつらは知ろうとしなかったけど、恐怖心には耐性がついて来てたし、体に大きい負担が掛かる事も昔よりは少なくなっていた。  だから、もし行く先で何かあっても、今なら大丈夫って思ってた。今度こそ、絶対に大丈夫だって。  なのに、覚悟と自信を持って踏み出した足は、荘厳って言葉を体現している入り口の手前で一歩も動かなくなった。  帰ろうとしている大学生くらいの男の晴れやかな顔は、一応見えた。  でも、入れ替わりで入って行った気軽な足取りとそれを支える杖は音だけになってて、じいさんかばあさんか分からなかった。  お揃いのお守りをどこに付けようか? って楽しそうに話す高い声が、不自然に止むのにも。数歩先で一瞬止まった小さな足が、引っ張られながら振り返るみたいに絡れて去っていくのにも。大丈夫です気にしないでください、って言えなかった。  何人もが平然と行き来する傍で、顔を見られないように体を抱き締めて蹲っている事しか、オレにはできなかった。  この日を境に、両親はオレを見限った。

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