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51.知ったから #1
翌日、遙は学校を休んだ。朝一で本人から『問題はないが念の為』って連絡は来ていたし、なんなら登校前に顔を見に行って無事は確認しておいたけれど、休み時間の度に連絡用のアプリを開いた。
『大丈夫か?』
『調子どう?』
『終わったら直ぐ行くから』
打って消して、アプリを閉じてまた開くを、繰り返す。
昨日より平気そうだったんだから止めとけ。そう言い聞かせるのと同じだけ「いってらっしゃい」って送り出してくれたやわらかい声と、儚く細められた眼を思い出した。
その時に胸が騒つく理由なんて、考えなくてもはっきりしてる。嘘だろと思い悩む隙がないくらいに心配だったのは、不幸中の幸いっつって良いのかどうなのか。
余っ程まずい事になんなきゃ、戻って来て、なんて言わないんだろうな。こっちが何送っても絶対『大丈夫だ』しか返さないだろうし。
……でもそうじゃなくて。ちょっとでも、苦しいって思ってるかも知れないのが。一人で居るのが寂しいって一瞬でも思わせんのが。嫌なんだよ、こっちは。
嫌いだった頃に目の前で落ちて行った「助けて」を思い出した所為で、余計に居ても立っても居られなくなる。
直ぐにどっかに行きそうになる集中力を掻き集めて授業を聞き、下校時のホームルームが終わると同時に一目散で教室を出て行く自分が、初めて遙に会った日と重なった。
薄く滲む汗が引かない内に行った所為でか、ベッドから体を起こしていた遙は、そんなに急いで来たのか? ってちょっと驚いていた。
「具合は? 大丈夫?」
「昴のお陰で安定している。心配をかけてすまなかったな。」
「何もなかったんなら良い」
「改めて、昨日は取り乱してしまってすまない。迷惑をかけた。」
「迷惑なんて思ってねぇよ。オレだって、色々気付けてなかったし」
「昴が気に病む必要はない。この身がどのような状態にあるか自覚しながらも先延ばしにして来た、俺自身の問題なのだから。」
だが、ありがとう。そう言って、遙がふわりと空気を和らげる。凄く好きな仕草なのに、今だけは、そうじゃないだろと思った。オレは、優しく線引きされた安全圏に居たいんじゃない。
「なぁ。何があったんだよ」
「これだ、というきっかけがあったのではないんだ。ただ……、しばらく何も出来ずにいた間に、懸念していた場所の状況が悪化してしまっていて。このような事が、今後は更に増えて行くのだなと。改めて現実を突き付けられた。」
ただそれだけだ。と、ここじゃない何処かへ視線が向けられる。
「折り合いを付ける為の時間はいくらでもあったのに。意気地がなかったと言おうか、勇気がなかったと言おうか……。怠慢だな。情けない話だ。」
「そういう問題じゃないだろ、お前の場合」
少しでも気持ちを軽くしてやりたいのに、魔法の言葉は浮かんでくれなかった。「使命なんて忘ろ。誰も責めたりしない」と本気で思って言ったとしても、遙には正しく届かない。
「オレは裏切られたとか思ってないから。魔法で世界救うとか全然想像出来ねぇし。お前の役に立つなら、って思ってやってただけで。だから、何か手伝える事あったら言えよ。そういうのに行く時にオレが居た方が良いなら付いてくから」
「ありがとう。必要な場合は、そうさせてもらう。」
「……頼る気ないだろ」
「そんな事はない。ただ、危険な場所もある。折角の申し出に応えられない事もあるが、どうか気にしないで欲しい。」
優しい顔は遠慮をしているようには見えなかった。つまり遙は、本当にそんな所へ行かなきゃいけない。
災害ボランティアとか、魔法があるとしたら簡単なお祓いみたいな事とか、そのくらいのものだと思っていた。普段は学校があるし、本調子じゃないって言ってたから、個人で出来る範囲の事をやってるんじゃないかって。
……違う。遙がその何処かに立っている姿を、オレは想像していなかった。
それを、昨日で思い知らされた。
「遙」
「何だ?」
「昨日と一昨日、何処に行ってた?」
遙の視線を落とす仕草にもシーツを握る音にも、ごめんやっぱ忘れてって言って、なかった事にしたくなった。けど、オレは知らなきゃいけない。
遙が顔を上げた。遠くを見つめる姿は、少しでも目を離したらどこかに行ってしまいそうだった。
罪を告白するように、口が開かれる。
「──────。」
静かに告げられた場所は五つ。定期的に浄化をしに行っている場所の内の二つ、自然災害に遭った街、民族間の紛争が続く一帯、疑心暗鬼の果てに生贄を差し出す通報が飛び交う集落。国内はその中で一ヶ所しかなかった。
「何で……、そんな所に行くんだよ」
「助けを求められている所となると、どうしてもな。本当ならば、もっと大きな争いも諌めなくてはならないのだが。」
「三つ目までだろせいぜい。後の二つなんてどうすんだよ。怪我人治すのか? 攻撃されてる奴がいたら守んの? 魔法があったら、そういう奴等全員助けるくらいの事出来んのかよ?」
恩師の墓参りのついで、なんて冗談じゃない。使命とかいう馬鹿なシステムは国も規模も関係なしに、どっかで大勢の奴等が『助けて』って思うだけで、遙が行かなきゃならない所に割り当てるのか。
「理想としては成し得たかった。相手もこちらと同じ種類の力ならば対抗し易いのだが、人間相手はそうもいかない所も多いが。随分と多くの事が出来なくなってしまった。」
「どっちにしたって、お前一人で背負えるものじゃないだろ」
「恐ろしかったんだ。見ている事しか出来ない側へと、押し流されて行く現状が。例え、引き際と呼べた頃すら過ぎようとしていても。」
虚しい結末を語る人は、涙一つ流してくれない。それを、強いから出来る、と納得したくはなかった。ましてや、成すべき事を果たせなかった自分への当然の報いだ、と思い込ませておくことも、絶対に。
過酷な土地に赴いていた痕跡を欠片も残さない手に、自分の掌を重ねる。
「ごめん。ちゃんと分かってやれてなくて」
「それも、昴が謝る事ではない。」
「一年の時、あんな事言ったのも。本当にごめん」
「体質を考えれば仕方がない。そこから得たものもある。」
遙があと何年生きられるのかも、今まで何年生きてきたのかも、オレは知らない。
その途方もない年月の間、自分の手が届かなかった沢山の人達の事を悼みながら生きる選択を否定する権利は、オレにはない。
だけど。
「オレは、お前に救われたと思ってる」
だったら、その手が救い上げた人間が居る事も、ちゃんと胸に留めておくべきだ。
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