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第1話
「中也、我儘云ってみて」
「じゃあ死に去らせ」
「其れ以外で」
亦太宰が面倒臭い事を云って来た。特に用事も無い癖にこうして偶に俺の部屋へやって来たかと思えば何をする訳でも無く適当な時間を潰して自分勝手に帰って行く。
時には自分から酒や摘みを持ち込んで来る事から、俺の部屋じゃなくても佳いのではと思う事も多かった。
点灯する端末の暦に視線を落とせば「成程、そういう事か」と合点が行き、素直ではない二十一歳児の行動に深い溜息を吐いて本を読む手を止める。
自分の居場所かと思える程に俺の寝台の上で寛ぐ太宰の顔横に手を着くと、嘲笑に近い笑みを太宰は浮かべる。嗚呼、気付くのが遅い俺が悪かったよ。
「じゃあ……」
寝台に膝を乗せるとぎしりと軋む音がする。太宰の細っこい躰を跨いで両膝を着き、頬に添えた手の親指で唇をなぞるとちらりと其の隙間から赤い舌先が覗く。
「俺の事『好き』って云ってみろよ」
「好っき好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好きっ」
「連呼ウっゼェ」
「文句多い」
「我儘云って欲しいんだろ?」
今日は四月二十九日、俺の誕生日らしいからな。
実に回り諄い遣り方ではあったが、此奴なりに俺の誕生日を祝おうとする気持ちは伝わった。
満足気な表情を浮かべる子供の顔中に雨の様に口吻を落とす。
「構って欲しいなら最初からそう云えよ」
「構ってえー」
其の儘寝台へと転がると口吻だけでは満足出来なかったらしい太宰が今度は俺の上にのしかかって来る。此れじゃあ何方の誕生日か解ったもんじゃねぇな。
「重い」
「君の筋肉は其の程度なのかい?」
「舐めんな」
猫みたいに気紛れで無邪気な恋人と寝台の上で戯れ合いあっという間に時間は過ぎる。誕生日だからと云って特別な贈呈品が欲しい訳でも無い。太宰とこうして過ごせるだけの何気無い日常が実は一番の贅沢なのかも知れなかった。
「じゃあ、亦連絡しないで来るよ」
「厭、連絡しろよ其処は」
手前の去り際に毎回思う。
――”恋しい”と。
手前は平気なのか、毎回来る此の時間が。
こんなにも”恋しい”と思って居るのが実は自分だけではないかと考えると、少しだけ――苦しくなる。
玄関の扉が開く其の瞬間、毎度見送る見慣れた背中。
次の約束なんて一度もした事が無い。何時だって気が付いたら気紛れに太宰が現れる許りだった。
太宰が念願の自殺を完遂して仕舞う可能性だって有る。俺だって余所の組織に命を狙われ、明日生きて居るとも断言は出来ない。
――手前の誕生日を、俺は共に過ごせて遣れないかも知れない。
「…………行、くな」
徐に漏れ出した本音。太宰の脚がぴたりと止まる。其れでも太宰は未だ振り返らない、俺に背中を向けた儘、手は扉の持ち手を握って居た。
「……泊まってけよ、今夜」
後生だ。此れ以上の我儘なんて云って遣らねぇ。だから俺の唯一無二の此の願いを叶えてみやがれ。
動かない太宰の背後に近寄り、持ち手を掴む手を上から握り込む。
何故此奴は先刻から何も云いやがらない。普段なら調子に乗って揶揄って来ても佳さそうなものだが――
「オイ、太ざ――」
横から覗き込んだ太宰の顔は、蛸の様に真っ赤だった。
一拍置いて、我に返った太宰は先ず始めに俺の顔を凝視して、其れから真っ赤に染まる自らの顔を両手で覆い隠す。其の口許が妙な形に歪んで居た事を俺は見逃さなかった。
羞恥心に耐え切れなく為ったのか、靴を履いた儘玄関前で太宰は屈み込む。聢りと顔は手で覆った儘だった。
「ほら太宰、だざ――――治?」
照れて真っ赤に成った顔でも惜しまず見せてみろ。手と顔の隙間にしつこい位口吻けを繰り返せば、軈て恭しくも太宰は其の手を下ろして恨めしそうな視線を俺に向けて来る。
「……名前で呼ぶとか、卑怯」
「手前は端から名前で呼んでたじゃねぇか」
わしわしと蓬髪を掻き乱せば余程其の顔を隠したいのか玄関先にも拘らず抱き着いて来る。
「泊まってくだろ?」
「……泊まる」
「明日は?」
「休み」
「奇遇だな、俺もだ」
太宰に抱き着かれた儘筋力だけで起き上がると其れにくっ付いて太宰も立ち上がる。矢張り鍛えておいて損は無い。筋肉は何事に於いても裏切らないのだ、此奴と違って。
「なァ太宰」
「……なあに」
「好き」
「うん」
「好き」
「うん」
「すげえ好き」
「うん」
――君恋フル
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