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君のためのあまいみつ

 大事な人を思って悩む時間は贅沢な苦行だと思う。  恭一(きょういち)はショーケースの裏側に座りこみ、目の前のつつましやかなお菓子を睨む。  当店自慢のガトーショコラ、コーヒーに合うニューヨークチーズケーキ、紅茶におすすめシフォンケーキに、季節限定抹茶あずきマフィン。 (どれも美味しいのは知ってる……んだけどなぁ)  着飾りすぎない素朴な味の焼き菓子たちは、どれもこの店のコーヒー・紅茶に合う素晴らしい看板商品だ。けれど今、恭一が求めているのは、”そういうの”じゃない。 (ケーキじゃダメなんだよ、ケーキじゃ……)  ショーケースのガラスにしかめ面が映りこむ。短く整えた前髪の下から、ジト目がこちらを睨み返す。顔面には自信があるけど、この顔は接客業の人間としてアウトだ。  はあ、としゃがみこんだ膝の間にため息を吐き出したところで、厨房の奥から「店長ー」と呼ばれる。思う存分悩んでいたいけれど、あいにくと今は仕事中である。  恭一がこの喫茶店の店長の座を譲り受けて、もう五年が経つ。  以前の店長は引退し、その当時店員だった恭一がそのままこの店を受け継いだ。  コーヒーと紅茶、ちょっとした軽食を提供する小さな喫茶店。大儲けしているわけではないが、そこそこ順調。  この時間、店はアイドルタイムというやつで、いつもなら、山のようにある雑務を片っ端からこなしていくのが恭一の常だ。だけど、ここ数日はとある問題に頭を悩ませていたせいで、普段よりも仕事が進まない。  恭一を悩ませる問題。  それは数日後に迫る、恭一と恋人の大事な記念日に、ささやかなディナーの最後を“なにで締めるか”という問題だった。  恭一には恋人がいる。佐野(さの)春人(はるひと)という、今年三十九歳になる最高に可愛い男だ。  春人とは、恭一がまだ店長になる前、マッチングアプリで知り合った。最初は春人の方が熱烈にアピールしていたが、今では自分の方が春人にぞっこんだと恭一は自覚している。  付き合って何年も経ち、「もうこれで終わるんじゃないか」と思うような喧嘩もしたが、今のところ、こうして二人仲良く同棲している。  二人の間には、うまくやっていくために設けた決まりがいくつかある。例えば担当する家事の種類を決めたり、夕飯がいらない時は必ず連絡するようにしたり、などなど。  そして、これもそのうちの一つ。 『二人が付き合い始めた日と、互いの誕生日は、家で一緒にご馳走を食べること』。  ささやかだけど、管理職サラリーマンと飲食店の店長という互いに忙しい立場にあって、家で二人、ゆっくりとくつろいで食事をする時間はとても貴重なものだ。だからこそこの時間を毎年大事にしてきた。  食事は恭一が作ることもあれば、デリを頼んだり、稀に外食することもあったりする。どのくらい手間をかけるかは、その時のお互いの忙しさ次第だ。  ここで重要なのは、食事の締め。つまりデザートだ。  恭一も春人も、甘い物は好きだ。お互いの誕生日はもちろん、付き合った記念日にも必ずケーキを食後につつく。  デザートに合わせるために、スイーツに合うワインやラムまで買った。特別な日の、大人のためのスイーツタイム。口の中から頭のてっぺん、つま先まで、全身が幸福の甘さに浸かった至福の時間。 (チョコレートケーキとブランデー……うまかったな)  数か月前の恭一の誕生日に供された、濃厚でこってりした甘さを思い出す。けれど、恭一の表情は苦い。今、恭一を悩ませるこの問題は、あの日のチョコレートケーキから始まったと言っても過言ではないからだ。  その日は恭一の誕生日ということで、春人がデパ地下で豪華な総菜を買い込んできた。  春人は料理経験がなく、作ることができるのはカレーかシチューか肉じゃがと、調味料が違うだけで行程はほぼ同じの三品だけだ。  日常の食事ならともかく、春人に豪華な料理は作れないということで、恭一の誕生日はいつも豪華なデリと決まっている。  ワインと一緒にそれらをつつき、腹もこなれたところで、同じデパートで買ってきてくれたチョコレートケーキを二人で食べた。 「この組み合わせ、うっま。スポンジにブランデーが染みるの罪だわー」 「案外合うんだね。……ああ、洋酒入りチョコがあるんだから、ある意味当たり前か」  二人並んでソファに座り、芸術品のようなケーキに舌鼓を打つ。  口の中でチョコレートブランデーケーキを生成するのに恭一は夢中になり、春人も眼鏡の奥のタレ目を糸目にしてご満悦だった。  焦げ茶のドレスを纏ったような繊細なチョコレートケーキは、恭一の店の素朴なケーキとはまた違う魅力がある。ふわふわのスポンジと、チョコレートが入った生クリームは軽やかで、濃厚かつ繊細だ。  食べ終わるのが惜しくてちびちび食べ進めていたら、隣に腰かける春人のフォークが止まっていることに気が付いた。自分と同じく、味わって食べているのかと思いきや、なんだか表情が悲しそうだ。 「春人、どうしたの?」 「あ……うん。いや、」  何事も回りくどいことは嫌いな恭一はまっすぐ問いかける。対して春人の答えははっきりしない。首を傾げ、言い淀む春人の答えを待っていると、彼は苦笑いして手の中のケーキを軽く掲げた。 「すっごく美味しくて……美味しいんだけどちょっと、途中でしんどくなってしまいまして」 「あー……」  その気まずそうな一言で察する。きっとケーキを食べている途中でお腹いっぱいになってしまったんだろう。 「今日の総菜、美味かったもんね。食べすぎちゃった?」  言いながら、労わるように春人のお腹をさする。メタボしてない、良いお腹だ。春人は恭一の好きにさせながら、困った顔で首をかしげる。 「いや、いつも通り、ケーキの余力は残しておいたんだよ。けど、思いのほか……クリームが……」 「ああ……結構濃いもんね、このクリーム」  言って恭一は自分のケーキのクリームを口に含む。淡いブラウンのクリームは、生クリームにチョコレートを混ぜてホイップした、チョコレートクリームだ。  もともと生クリームはら脂肪分は高いけれど、チョコレートも入っているから更にこってり目だ。  甘い物を食べすぎて、もう生クリームなんて見たくない! と思う事なんて良くあることだ。明日食べればいいよ、と声をかけようとして、想像よりもよほど悲しそう……と言うか、寂しそうな顔をしている春人に驚いた。 「年かなぁ。甘い物は大好きなのに、食べられないのはちょっと寂しいね」 「とっ……、年は関係ないでしょ。三十九はまだ現役、男盛りだから」  本気で言ったのだが、口調もタイミングも必死さも、全部フォローのためだと思われたようだった。春人は眉を下げて、ありがとうと笑う。 「もちろん、僕だって老けた気でいる訳じゃないよ。ただ、年齢で味覚は変わるって言うしね」 「それはそうかもだけど……」  本当に春人のことを微塵も老けたとは思っていないのに、伝わっていないようでもどかしい。  春人は腹も出てないし、普段撫でつけている髪に白髪も見当たらない。きちんと運動して、身なりにも気を使っているからこんなにスマートなのだ。  これでスーツを着て仕事をしていれば、出来るビジネスマンのお手本みたいで格好いいのに、家に戻ってくると表情が緩んで穏やかな顔立ちになるのがとても可愛くてそれはもう―――。 (あ、いかん。余計な方向に思考がそれた)  恭一は店のテーブルを隅々まで拭きつつ、心の中で思考をもとのルートに戻す。チョコレートケーキ事件を思い出していたのに、いつの間にか春人のことを考えてしまっていた。  結局あの夜は、恭一が奪うように春人の分のチョコレートケーキを平らげ、彼が老けていないことを証明するため寝室へ引きずっていった。  翌日の春人は胃もたれもしていなさそうだったし、彼自身が言っていたように、消化器官の衰えというより味覚の変化なのかもしれない。  甘いものは変わらず好きだけれど、こってりした脂肪分はあまり好まなくなった。 (だとしたら、やっぱり今度の記念日にケーキは出せないよな)  テーブル拭きの次はナプキンの補充をしつつ、天井を仰ぐ。  今年の記念日の食事は恭一が用意することになっている。  春人の仕事が忙しいため、比較的余裕がある恭一が担当することになったのだ。もちろんデザートも恭一が用意する。だからこそ、こんなにも頭を悩ませているのだが。  またケーキが食べきれなくて、しょんぼりする春人は見たくない。せっかくのお祝いの席なのだから、最後までハッピーに締めくくりたい。  何ならデザートを無くすか? とも思ったけれど、それは少し物足りない。いい大人が夜にスイーツを嗜む、あの背徳的な雰囲気が良いのだ。脂肪分がたとえ減ったとしても、あの時間は味わいたい。  そうなると、ケーキ以外のデザートを出すことに思考がシフトしていくのだが、これがまた、てんで決まらなくて、恭一は困りに困っている。  悩みの沼に浸かっていた恭一の意識を、店のドアベルの音が引き戻した。  気が付けばすでに十五時、店が混み始める時間帯に差し掛かろうとしている。恭一は仕方なく、贅沢で甘い悩みから身を起こし、目の前の仕事に専念することにした。  店を閉め、明日の準備もすべて済ませて店を出るのが大体十九時前後。けれど今日はお客さんの入りが悪く、明日の支度を早々に終えてしまったので、いつもよりも早い帰宅だ。  春の盛りから梅雨の時期へ移行する、過ごしやすい貴重な季節。穏やかな空気の中、体が覚えている道筋を何も考えず歩いていると、意識は自然と思考の世界へ落ちていく。 (まじでどうしよ。こってりしてない、ハレの日にあうデザート)  今まで考えたものは多数ある。  例えば、ゼリーやババロア。これは綺麗だけれど、いまいち非日常感がない。  アイスクリームやシャーベットは、冷凍庫に常備するほど春人が日常的に食べているので、真新しさに欠ける。  あっさりして華やかな洋菓子として、考え付いたのはこの二つくらいだ。 (だいたい、洋菓子はバターと生クリームのオンパレードなんだよな。それが良いんだけど)  あの濃厚な脂肪分があるからこそ、舌触りが滑らかになるし、苦いコーヒーとの相性も際立つ。脂肪とは素晴らしいものなのだ、摂りすぎさえしなければ。 (和菓子はその点では満点なんだけど、地味さがなぁ)  洋菓子に比べ脂肪分の少ない和菓子は、割合あっさりしている。けれど、全体的に和菓子は見た目が地味なのだ。 (可愛い棹菓子とか、デコった団子とかもあるけど、なんか……昼間に緑茶と食べたいんだよ、そういうのは)  他にも、色とりどりの“こなし”を使った練り切りなんかも華やかだが、やっぱり練り切りは濃い目の緑茶か抹茶と合わせたい。ムーディーな夜の空気の中で食べるには、ちょっと清楚すぎる 「……やっぱ、無難なのは、アイスクリームサンデーかな」  ぼそっと呟いたのは、今のところ最有力候補のデザートの名前だ。  店で使っているアイスクリームディッシャーを借りて、複数のアイスを高く盛り付け、ウエハースとミントでもあしらってあげれば、華やかさは出るはずだ。  それでも、恭一が決めきれていないのは、単純に“自分がピンと来ていないから”に過ぎない。  記念日は必ずケーキだった。だからこそ、それに変わる何かに対するハードルが自分の中で上がっているのだ。  頭で悩みながらも、体に染みついた行動のままに恭一はスーパーに寄り、不足していた日用品を買い足して、いつも通る商店街のアーケードをとぼとぼ歩く。  ここ最近の習慣で、洋菓子店の店先をぼんやり眺めるが、ショーケースに目立つのはやっぱりケーキばかりで、すぐに歩みを再開した。  ケーキは宝箱のようなものだ。その小さな体積の中に様々な要素が詰め込まれていて、少しずつ突き崩して食べていく工程は、宝箱の中身を取り出す瞬間に似ている。一つ取り出しては驚き、二つ取り出してはうっとりし、次を、次をと求めている間にあっと言う間に終わってしまう。 (あんな風に、一口ごとに楽しくて、食べ終わった後も余韻が冷めやらないような、そんなお菓子があればな)  なお、あっさり目で。  考え事に夢中になり、足元に落ちた目線を上げる。気持ちを切り替えようと、意識して周りの景色に目を向けた―――その先にあったものに恭一の目は釘付けになった。  ……これだ。  恭一は確かに、自分の中で何かが“ぴんと来る”のを感じた。 ■ ■ ■    インターフォンの音に、キッチンにいた恭一が、ぱっと顔を上げた。鍋の火を止め、急いで玄関へと出迎えに向かう。 「春人、おかえり」 「ただいま、恭一……ああ、いい匂い」  靴をそろえていた春人が振り返って、たまらず、と言った様子で呟く。玄関先まで漂ってくる、トマト煮込みハンバーグの匂いに気づいたようだ。 「早くお風呂入ってきなよ。上がったら即メシな」 「ありがとう。そうさせてもらおうかな」  春人は、さすがに疲労を隠しきれない表情で苦笑した。今日の定時退社をもぎ取るため、忙しい業務をさらに圧縮して、連日残業してきたのだ。  春人を風呂に入れている間に、素早く料理をテーブルに運んでおく。彼が着替えて脱衣所から出てきたのと、温かな料理を最後にテーブルに並べたのは同時だった。 「タイミング完璧」  呟くと、恭一よりも少し高い位置にある春人の口元から、ふふっと低い笑い声が聞こえた。  春人と一緒にグラスとワインを並べ、乾杯する。付き合った記念日ではあるけれど、「俺たちが出会った記念に、乾杯」とかは言わない。二人ともシャイなので、言った瞬間双方がダメージを負う。  だから、「いつもお疲れ様」とはにかみながら、グラスを少し持ち上げるくらいがちょうどいい。  毎日調理に携わっている恭一の手料理は安定の出来栄えで、春人は喜びで糸目になりながら、料理の美味しさに浸っていた。 「本当に、嬉しいです。ありがとう。僕の好物をたくさん……」 「俺の好物もたくさん作れたから、良いんだよ。いっぱい食べな、まだしばらく繁忙期続くんだろ?」 「うっ……今それ、言わないで……」 「ごめんて」  のんびりした会話と共に和やかな食事の時間が過ぎ、食後は食器洗いとテーブルの片づけを分担する。  後片付けも終わって一息ついたところで、恭一はすっと息を吸い込み、 「デザート、食べない?」  と提案した。  春人は笑顔で、いいね、と頷く。早速恭一はキッチンへ向かい、冷蔵庫の扉を開いた。 「お皿とフォーク、用意しておく?」  手伝おうと食器棚を覗き込む春人の問いかけに、恭一は「いや、いらない」と首を振る。 「今日は、その器を使うんだ」  そう言って指さしたのは、シンクの上に二つ並んだ、かき氷やアイスクリームサンデーを乗せるような脚付きのグラスだ。それを見て春人は目を丸くする。 「アレ、お店の備品だと思った」 「備品ではある。今日のために借りてきたんだ。あれに盛り付けるのは、これ」  そう言って冷蔵庫から取り出したのは、手のひらからはみ出すぐらいの透明なプラスチック容器。まじまじとその中身を見つめて、春人はあっと声を上げた。 「これ、あんみつ?」 「正解」  恭一がまだデザートに悩んでいた数日前の帰り道、たまたま商店街の和菓子屋の店頭が目に入った。味のある筆文字で書かれた張り紙には「あんみつ」の文字があり、それを見た瞬間にピンと来たのだ。 「春人がこの前、ケーキがこってりしてて苦戦してたから。今日は何かあっさりしたものが良いなぁと思って、これにしたんだ」 「……僕のために?」  きょとん、とした顔で春人が自分自身を指さす。もちろん、という意味で恭一はこっくり頷いた。 「そそ。これならきっと最後まで楽しめると思って。……こうやって、脚付きのグラスに乗せれば、特別感も出るし」  浅いお椀型になった器の中に、まずは寒天とみつ豆を敷く。その上に、セットになっていたあんこ、白玉、ミカンと白桃のシロップ漬けを並べた。 「これ、僕のために……すごい、嬉しい」  感動のまなざしで二つのあんみつを眺める春人に、恭一はいたずらっ子のような笑みを向ける。 「これ、だけじゃないんですよ。春人さん」 「えっ?」  にまにまと不気味に笑う恭一を見て、春人が厚い肩をきゅっとすくめる。いちいち反応が可愛い恋人の前に、恭一は指を二本立てて示した。 「二つ、春人さんにはこれから選んでもらいます」 「な……何でしょうか……恭一さん」 「まず一つ目、かけるなら白蜜がいいか、黒蜜が良いか。……まだ決めないで!」  何か言おうと口を開きかけた春人を鋭い声で制する。びくっ、と驚いた春人が慌てて口を閉じる。それを見届けて、もったいぶった口調で厳かに告げた。 「二つ目、これが重要です。……乗せるのは、抹茶か、バニラか」 「まさか……」 「そうです、アイスです」  いつの間にか背後に隠していたアイスクリームディッシャーを、ゆっくり春人の目の間に出す。春人は咳払いのような声を上げる。器用に片手を眼鏡の下に滑り込ませ、目元を覆った。 「……こんな贅沢があっていいんですか」 「へへ、いいんですよ」  春人が少し身をかがめて、恭一の肩と首の間あたりに頬を摺り寄せた。耳のすぐ近くで、ありがとう、大好き、と言われて、くすぐったさに笑う。恭一にとって最大級の賞賛の言葉だった。 「さて、それで、どっちがいい? 春人」  敬語の小芝居を止めて、ディッシャー片手に問いかける。春人は顎に手を当て、ついでに小首もかしげる。 「質問なんだけど、白蜜って何? 僕、黒蜜しか知らないかも」 「ああ、これね」  恭一は、赤い蓋をされた二つのミニボトルを手に持つ。片方は褐色を帯びた黒で、もう片方は透明だ。 「黒蜜は黒砂糖、白蜜は普通のお砂糖を水で溶かして煮詰めたものだよ。黒蜜はコクがあって、コーヒーとかキャラメルっぽい独特の風味があるのに対して、白蜜には癖がない」 「へえ、初めて知った」 「俺が子供の時はさ、『変な味する!』っていって黒蜜が食べられなくて、ずーっと白蜜で食べてたなぁ。美味しかったよ」  子供の頃に親に連れて行ってもらった甘味処を思い出す。癖のある味を楽しむにはまだおこちゃまで、いつもバニラアイスと白蜜のクリームあんみつを食べていたっけ。 「子供は舌が敏感だからね。……ん、話を聞いたら、白蜜で食べたくなってきた」 「おお、いいぞ。アイスはどっちにする?」 「恭一少年の思い出の味が知りたいから、バニラアイスで」  はにかみ笑顔付きのオーダーにサムズアップで返すと、恭一は冷凍庫から市販品のアイスを二種類出してきた。  手早くバニラアイスをすくい、場所を開けておいたど真ん中めがけて慎重に配置する。ゆっくりディッシャーを持ち上げると、綺麗な半円のアイスの山が、あんみつのてっぺんに収まった。  バニラに続いて抹茶もすくい終えると、バニラアイスの方には白蜜、抹茶アイスの方には黒蜜をかける。最後に、サクランボのシロップ漬けを乗せて、完成だ。  昭和レトロを彷彿とさせる厚みのある脚付きグラスの上に、見事なフォルムのあんみつが出来上がった。 「すごい……! お店のあんみつみたいだ」  はしゃいだ様子の春人と共に、器を手にしてリビングのソファへ移動する。  ローテーブルに二つ並んだあんみつは宝石のように輝いていた。  素晴らしい出来のあんみつをお互いのスマホで写真に収め、スプーンを手に取る。 「いただきます」  まずはスプーンを下の方に掬い入れ、黒蜜の絡んだ寒天とみつ豆を口の中へ。  寒天独特の、ぷりっとした触感が小気味よい。みつ豆は強めに塩がきいていて、黒蜜の濃厚な甘みに良く合っていた。  抹茶アイスのクリーミーさと渋さも、黒蜜と相性がいい。素朴な味の寒天が、色んな味わいを見せるのが楽しかった。 「寒天とみかん、さっぱりして美味しい……。バニラアイスと白蜜が混ざると、ちょっと白熊みたいな味がする」 「わかる! 案外合うんだよな」  白蜜&バニラアイスあんみつを食べる春人は、至福の表情でみかんと寒天をスプーンですくう。恭一はちらりとその手元を盗み見た。  実は先ほど、あんみつ用のスプーンを春人に用意してもらっている間に、あんみつに少し細工をした。  白蜜とバニラアイスの方には、フルーツを多めに、寒天とみつ豆を少し減らしてある。  白蜜は癖がないため、みかんなどの柑橘類とも喧嘩しない。癖が無いという事は同時に飽きやすいという事でもあるが、フルーツ類が多ければ、味変もできて飽きにくいはずだ。 (代わりに、こってりめの黒蜜抹茶の方には、スタンダードな寒天とみつ豆を多めに)  恭一の思惑は成功したようで、春人はぴっとりとまぶたを降ろして、あんみつを堪能している。恭一はそれを見て同じように目を細め、黒蜜の絡まった寒天を頬張った。 (悩みまくって、本当に良かった)  あの時、あの店に出会えて本当に良かった、と恭一は感慨と共にみつ豆を噛みしめる。  さて次は白玉をいただこうか、と思ったところで、すいーっと視界の中にスプーンが侵入してきた。隣を見れば、目尻をとろけさせた春人がスプーンを差し出している。 「おすそわけ」  優しい低音で促されて、恭一はぱくりと差し出されたそれを口に入れた。ぷちぷちはじけるみかんと寒天、バニラアイスと白蜜が混ざり合って、優しい甘さが柑橘の風味を包んでいる。懐かしい、思い出の味だ。  目を閉じて思い出に浸っていると、左の頬にほのかな温かさが触れる。器に触れていた指先だけが冷たくなっている、春人の手だった。  ぱちっと目を開けると、穏やかな瞳と目が合う。 「……本当に嬉しい。ありがとう」  言葉は少なく、だけど目線が饒舌に語り掛けてくる。  このままキスするのかな、と頭の片隅で考えてから、なんだかいつもの記念日の夜とはちょっと違うな、と恭一は思った。いつもなら、この後の展開なんて冷静に考える暇も無くもつれ込むのに。  そこで恭一は、あ、と間抜けな声を出してしまった。 「そうだわ。なーんか足りないと思ったら、今日はスイーツに合うお酒を見繕うの忘れてた!」  素っ頓狂な声を上げた恭一に、春人は一瞬目を丸くして、すぐに小さく噴き出す。 「……はは。君って、そういうところ……」  くっくっと腹を抱えて笑う春人を、少し赤くなった顔で睨む。雰囲気は今ので完全に霧散した。  しばらく肩を震わせて笑っていた春人は、はーっと苦しそうに息をついてようやく体を起こした。 「今度、あんみつに合うお酒を検討してみようか」 「……合う酒、あるかな」 「試してみようよ」  笑われたことは恥ずかしいけれど、春人の提案が魅力的で、恭一は不機嫌な顔を続けることができなかった。春人の目を見て、釣られるように笑う。  目指していた雰囲気づくりはできなかったけれど、「また今度」と言われたことが嬉しい。 (あんみつ、大成功で良かった)  恭一は早くも次の記念日を思いつつ、極上の宝石のような輝きを持つ甘味を、スプーンで一口頬張った。 終わり

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