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第3話

 月曜日は憂鬱ってよく耳にするけど、家にあまりいたくない俺には無関係な話だった。でも今日はちょっとだけ、その気持ちがわかる。  結局俺は、土日も晴翔からの電話を無視するため電源を切り、ついには家にまでやってきた晴翔を、母に頼んで居留守を決め込み追い返してもらった。母は何も知らないくせに許してあげたら?とか言ってきたが無視。  そこまでやってしまうと、いざ学校が始まった時、一体どんな顔で会えばいいのか分からなくなる。土日を挟んだことで俺も大分頭が冷えてきて、ずっと怒って意地を張っているのが嫌になってきたのだ。 「行ってきます」  複雑な気持ちを抱えたまま、俺はいつものように家を出る。 「朱音!!」  だけど、マンションのエントランスを出たところで呼び止められ、振り向いた俺は、晴翔の姿に驚愕した。 「おまえ!なんだよその格好!」  驚いたのは、晴翔がいることにじゃない。晴翔は普段着にダウンを羽織り、中学校の鞄も持っていなかった。 「おまえまさか!ずっとここに…」 「朱音ごめん!」  俺が言い終わらないうちに、晴翔はそのまま土下座するんじゃないかな勢いで頭を下げてくる。 「もう二度とあんなことしないから!頼むから俺のこと無視しないで!!」  図体はすっかりでかくなったくせに、まるで小学生みたいな晴翔の口調に絆された俺は即座に晴翔を許し、その後、晴翔が俺に好きだと言ってくることはなくなった。ただ、無事仲直りはしたものの、俺は、今までよりも晴翔と連ず、真っ直ぐ自分の家に帰るようになる。  理由は別に、晴翔がどうのではない。母が無事出産し、産まれたばかりの赤ん坊を見た時、俺は心底降参したのだ。こんなにも小さくて、柔らかくて、何一つ自分ではできないくせに、誰よりも力強い存在と張り合ったって仕方ない。それに、今も時々疎外感を感じることはあるけれど、俺は産まれてきたばかりの妹に、少しずつ愛しさを覚えるようにもなっていた。  俺が放課後あまり晴翔と過ごさなくなってから、晴翔はサッカー部にもたまにしか顔出さなくなり、元々クラスも、中学に入ってから仲良くしていたグループも違った俺達には、少しだけ距離ができた。 『知ってる?3組の神谷晴翔、松井達と渋谷遊びに行った時スカウトされたらしいぜ』 『マジで?』 『モデルにならないかって、あと最近また違う年上のギャルと付き合い始めたらしい』  そんな同級生の噂を聞いて、あの時の告白はやっぱりあいつの気まぐれだったんだなと思いながら、髪色も戻し、ピアスも外してすっかり落ち着いた俺は、相変わらず優樹に片想いをしたまま中学3年生をむかえる。  そして俺達3人は、初めて全員同じクラスになったのだ。 「おまえ達ってさあ、不思議だよな」  中学生になってから、三年間同じクラスでそこそこ仲が良い倉林が、休み時間ふと俺に言ってくる。 「何が?」 「だってさあ、3人とも全然タイプ違うじゃん。連んでる奴も違うし、教室ではあんまり一緒にいないのに、放課後は一緒の塾行ったり家行ったりしてるんだろ?昨日中村が神谷の頭どついてるの見て、鶴田達が中村のこと勇者だ!とか言って騒ついてたぜ」  鶴田はガリ勉で、オタクの代表みたいな奴だ。時々マニアックなアニメや、謎の言語を話していて俺は全く仲良くないのだが、優樹は鶴田と気が合うようで、よく一緒にいるのを見かける。 「ああ、幼稚園からの幼馴染だからさ」 「いや、幼馴染だからってよっぽど気があわねえとずっと連まねえだろ。だったら俺だって鶴田と幼馴染だし、小学校までは家近所だからよく遊んでたけど今全然だぜ」  確かに、俺と優樹と晴翔は、いわゆるスクールカーストというものがあるのだとしたら、タイプも仲良くしてる奴らも違っていた。晴翔は完全にヤンキーで、連む女子も男子も派手な遊んでる系が多く、一時期俺もそこに足を踏み入れたけど、晴翔以外とは正直あまり合わなかった。  優樹が仲良くしている鶴田達もしかり、似たような価値観や見た目を持つ生徒達が、自然と同グループになる傾向が強い中、教室以外では、今だに3人で連んでる俺達は珍しいのかもしれない。  特に中3になってから、俺達の繋がりはまた一段と強くなった。というのも、高校受験シーズンになり、俺は優樹と同じ高校に行きたいという邪な理由で、優樹と同じ塾に入ったのだ。  テストの成績でクラス分けされるので、塾のクラスは勿論違う。でも、優樹が目指しているのは、絶対に俺には届かない偏差値70以上の高校ではなく、自由な校風が人気で陸上部も強い、偏差値64~66の公立高校で、併願の私立を安全圏に下げるなら、挑戦してもいいんじゃないかと先生も許してくれた。  優樹も、朱音と一緒の高校行けたら嬉しいと言ってくれて、図書室や塾、時々優樹の家でも一緒に勉強するようになり、俺にとって最高すぎる日々を送っていた。そこに晴翔が、俺も朱音と同じ高校行きたいと加わり、俺達はまた、小学生の時のように連むようになったのだ。  俺自身、また3人で昔みたいに過ごせることが嬉しくて、優樹と両思いにはなれなくても、こんな風に3人で変わらず仲良くいられるなら、それだけで幸せだと思うようになっていた。だけどこの後起こる、ある出来事をきっかけに、俺は、恋という感情の痛さと自分の醜さを、嫌というほど実感することになる。    中3の二学期が始まってすぐ、優樹が熱を出して中学を休んだ。好きな子が学校を休めば当然心配だし、その日のテンションは低くなる。そんな中、二人の女子が発した言葉で、男達のテンションが俺以上に一気に下がったのがわかった。 「今日優樹君休みだって、残念だったね」 「ちょっとやめてよ」  体育会系の活発な女子、五十嵐彩がそう声をかけたのは、この中学で1、2の男子人気を誇る谷口真央だったのだ。  谷口は清楚な見た目に反して胸が大きく、成績も学年5位以内に常に入る秀才で性格もおっとりしている。積極的な男がアタックしても悉く玉砕しているようで、前に倉林が、そこもまたいいんだよなあとうっとりしながら言っていた。 「なんだよ!谷口が好きなのまさかの中村かよ!生徒会長のイケメン大島やバレー部エースの冨田が告白しても振られたって聞いてたけど、まさかの地味面好きだったなんて!」  体育の時間、クラスの男子達はその話題で持ちきりだった。優樹は地味面じゃねえし!可愛いし!と心の中で反論しながらも、俺は、心臓がギュッと縮んでいくような不快感を覚える。俺は女の子に興味はないが、谷口が可愛いくて性格もいいのはわかっていた。多分優樹も、谷口に告白でもされたら…  谷口に告白され、照れたように笑う優樹の笑顔。放課後二人で帰る優樹と谷口の後ろ姿。 『ごめん、今日は谷口と二人きりで勉強したいから、これからは3人の勉強会なしにしてもらえる?』  実際起こってもいないのに、そんなセリフまでリアルに浮かんできて、俺は、地面がぐらつき、足元から崩れて落ちていくような不安感に襲われる。 「朱音!」  ふと気づくと、春翔が俺の顔を覗きこんでいた。 「おまえ体調悪いだろう?保健室行こうぜ」 「え?」 「先生、朱音が頭痛いみたいなんで保健室連れて行きます」  晴翔は見た目に似合わず保健委員だ。俺が答える前に、晴翔が勝手に決めて俺の手を掴む。体育教師の高橋は、本当かよという目でこちらを見たが、俺の顔色が思った以上に悪かったようで、行って来いとすぐに俺と晴翔を促した。なのに、体育の授業を抜け出し晴翔が俺を連れて行ったのは保健室ではなく、3階屋上前の階段の踊り場。 「なんだよ、保健室じゃねえじゃん」 「本当は、頭痛いわけじゃねえだろ」 「…」  晴翔の言葉に、俺は黙り込む。 「心配?優樹のこと」  それは、どちらのことを言っているんだろう?学校休んでること?それとも、谷口のこと… 「大丈夫だと思うぜ、あいつ、多分谷口に興味ないと思う」 「別に…」  そっちかよと思ったけど、晴翔の前なら、俺は優樹が好きなこと言ってもいいんだという安心感が、ジワジワと胸に広がっていく。 「座れよ」  晴翔は突然壁に寄りかかって座りこみ、足と腕を広げ、その間に来いと、ふざけたことを言ってきた。 「なんでそんなところに座らなきゃいけねえんだよ」 「慰めてやっから」 「はあ?ふざけんな」  俺が晴翔の頭を軽く叩くと、晴翔はその手をギュッと握ってくる。 「なあお願い。なんもしねえから、ただ、ここに座ってくれるだけでいいから」  この時俺は、晴翔が自分を好きだと告白してきたことを、今更のように思い出す。あれから何も言ってこなくなったから、ほとんど気にしなくなっていたけど、晴翔の切羽詰まった表情が、優樹への不毛な恋心を抱える自分の姿と重なった。 「わかったよ」  俺は、できるだけぶっきらぼうに言って、晴翔の足の間にドカッと座る。変な空気になるのが嫌でわざと乱暴に座ったのに、後ろから腹に回された晴翔の手は優しく、首元に感じる息遣いからは、晴翔の隠しきれない高揚感が伝わってきた。 「朱音が優樹好きでも、俺はずっと、朱音が好きだから」 「よく言うぜ、おまえ年上ギャルの彼女いるんだろう?保健の先生とも噂になってたぜ」 「はあ?受験勉強で最近朱音や優樹とばっかり一緒にいるのに、そんな暇あるわけねえだろ」 「まあモデルになるにしても、高校くらいは行った方がいいもんな」 「ならねえっつうの。俺が高校行きたいの、朱音と同じところ行きたいからってだけだもん」 「そんな理由かよ」  俺だって晴翔と変わらない。優樹と同じ高校に行きたいからというだけで、勉強を頑張りだした。晴翔も分かっているだろうけど、俺は今、それをあえて言おうとは思わなかった。 (俺は、ずるいのかもしれない)  ゲイの俺が、優樹に振り向いてもらえることは多分一生ないだろう。だから、自分を好きだと言ってくれている男に甘えている。女には敵わない劣等感を、晴翔で満たそうとしている。 (ごめん、晴翔…)  授業中の、まるでこの世に二人しかいないようなシンとした空気が心地いい。冷たい床と、晴翔の温かさ以外何も感じたくなくて、俺は目を瞑り、その身体に寄りかかった。     

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