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番外編 トリヤ
「なぁ、聞いたか。寮で自殺した奴がいるらしいぜ?」
「えぇ? マジで?」
「ほら、例の演出家と寝たっていう――」
久しぶりに事務所に顔を出したとき、不意に聞こえてきた噂話がやけに耳に残った。事務所の研究生が入っている寮で自殺者が、ということにも驚いたが、「演出家と寝た」という言葉が引っかかる。よく見れば、事務所のあちこちで同じ噂話をしている人たちがいた。
噂話をここまで気にしたのは初めてだ。聞き耳を立てたのも初めてだった。しかし自殺者が誰なのかまでは聞き取れない。それ以前に僕は研究生の名前を知らなかった。
(いや、いまは目の前の舞台のことに集中すべきだ)
気になりつつも頭を切り換えたからか、“寮での自殺者”という話はそのまま忘れてしまった。
舞台が近づくにつれ、レッスンや稽古以外も忙しくなってきた。各種媒体の取材や番宣のためテレビ出演、インターネットでの特別番組など目が回る仕事量だ。
レッスン時間を奪われるのは嫌だったが、これも仕事だと割り切るしかない。どんなに忙しくても不満そうな顔は絶対に見せないようにしなければ。これは子役のときから叩き込まれてきたことで、いつの間にか無意識に笑顔を浮かべられるようになっていた。
それなのに、取材陣からのある言葉が聞こえたとき、スッと笑顔が消えるのが自分でもわかった。
「同じ事務所の研究生が自殺したことを、どう思いますか?」
内容が内容だけに、言葉が出なかったことも表情をなくしたことも咎められることはなかった。逆に世間では僕への同情が集まったらしいが、別に同情してほしくてそうしたわけじゃない。それこそ無意識に自分が出てしまったのだ。
「自殺した研究生」という噂話を思い出した僕は、そのことが気になって仕方がなくなった。レッスン中も頭から離れなくて、ネットニュースを調べることにした。
「見たことのない顔だな」
記事に添えられている写真に見覚えはない。事務所の研究生は百人以上いる。頻繁に仕事をする相手ならまだしも同期ですら知らない人が多いのだから、接点のない研究生の顔や名前を知らなくても当然だ。
「……いや、この顔はどこかで……。あぁ、あのときの」
ふと、何カ月か前にレッスン場で研究生――タマキ・ヨリチカを見かけたことを思い出した。
あの日、僕は舞台の通し稽古に参加する予定だった。ところがメインで絡む相手が仕事の関係で参加できなくなり、仕方なく空いた時間を事務所のレッスン場で稽古することにした。
いつも使っている部屋に向かう途中、ドアが開いている部屋から聞き馴染みのある音楽が聞こえてきた。それは僕が十五歳のときにアメリカのヒットチャートを賑わした曲で、誰が流しているのかと思って部屋を覗いた。
そこで踊っていたのがタマキ・ヨリチカだった。名前は知らなかったが、主に研究生が使う部屋だったから研究生の誰かだということはわかった。おそらく自分と同じくらいの歳で、研究生にしてはいい動きをしていると思った。
(そこそこうまいな)
この間デビューしたグループより、よほど見応えがあった。このくらい踊れるならデビューしていてもよさそうなのに、どうして研究生のままなんだろうか。
その後、社長からあの研究生がタマキ・ヨリチカという名前だと聞いた。同時に「タマはなぁ、踊りのセンスは抜群なんだがなぁ」と苦笑していたのが気になった。
社長がそんな顔をした理由は、すぐにわかった。数日後、再びレッスン場に行った僕は、トイレの前で言い争うタマキ・ヨリチカを見かけた。相手はデビューしたてのグループメンバーで、「年下のくせに生意気だ」と言われて激昂しているようだった。
「年下とか関係ないだろ。デビューしたほうが上なんだから、おまえは言われたとおりに飲み物を買いに行けばいいんだよ」
「うるせぇな」
「おまえなんか、デビューすらしてないくせに」
「うるせぇって言ってんだろ。つーか、おまえ程度の踊りでデビューとか、マジありえねぇ」
「はぁ!? デビューもしてない奴に言われたくないね! っていうか、早く飲み物買って来いよ。僕たちはレッスンで忙しいんだからさ!」
「そんなにほしけりゃ自分で行けよ」
そう言い捨てたタマキ・ヨリチカがこちらに向かってくることに気づき、慌てて近くの部屋に隠れた。通り過ぎるとき、「オオトリ・ユウヤだって、年下のくせに生意気なんだよ」とつぶやいた声が耳に入った。
「あぁ、こいつもか」
昔から大勢の妬みに晒されてきたから、いまさらショックを受けることはない。それなのに、なぜか少しだけ残念な気持ちになった。
「あの性格じゃ、デビューは難しいだろうな」
あれだけ踊れるのにもったいないと思った。だから社長も苦笑していたのだろう。彼のことを気にかけたのはそのときが最後で、その後思い出すことはなかった。
そのタマキ・ヨリチカが自殺した研究生だったのだ。
「そうか、自殺したのか」
ネットニュースを見ながら「そういえば演出家と寝たという話を聞いたな」ということも思い出した。
ネットニュースを見て以来、僕は頻繁にタマキ・ヨリチカのことを思い出すようになった。直接話したこともないし接点すらなかったのに気になって仕方がなかった。
(きっと社長に話を聞いたせいだ)
久しぶりに会った社長は少しやつれたように見えた。デビューしていないとはいえ、事務所の人間が自殺したとなれば対応その他で大変なのだろう。僕は「大丈夫ですか?」と声をかけ、気がつけばタマキ・ヨリチカのことを訊ねていた。
「タマは、おまえの大ファンだったんだよ」
「僕の?」
「初めて見たとき、おまえの踊ってる姿を見てボロボロ泣いててなぁ。泣きながら『すごい、すごい』ってうわ言みたいにつぶやいてた。それで俺が事務所に誘ったんだ」
「泣いてたって」
「タマがまだ小学生のときだ。そんな子どもが同じ小学生のおまえを見てあんなに泣いて感動するなんて、こっちが感動するだろ?」
「小学生ってことは、僕がまだダンスを始めたばかりの頃ですね」
「そのときから、タマはずっとおまえを見ていた。いつかおまえと同じステージに立つんだって言ってな。右足に大怪我したときも随分無茶なリハビリをしてなぁ。それでもあいつは這い上がってきた。だから、今回の舞台のオーディションに声をかけたんだがな」
そういえば、ネットニュースには「オーディションに落ちたことがショックで」と書いてあった。
「おまえと同じ舞台に立ちたいと長年思いすぎて、ギリギリだったんだろうな。本当にあいつは……いっつも『リンゴ、体にいいんすよ』なんて言って丸かじりしながら、どれだけオオトリ・ユウヤがすごいか、そりゃまぁよくしゃべった。ありゃあ、もう恋してるってくらいだったなぁ」
社長の言葉が、なぜか耳にこびりついて忘れられなくなった。
タマキ・ヨリチカの話を聞いてから、僕はそれまで以上に舞台稽古にまい進した。そうしなければいけないような気がしたからだ。そうして無事に千秋楽を迎え、打ち上げもそこそこに引き上げた翌々日、僕はアメリカへ向かう飛行機に乗った。
「タマキ・ヨリチカ……だからタマなのか」
稽古の合間に集めたタマキ・ヨリチカの資料をタブレットで見る。研究生だった彼の資料は少なかったが、社長が持っていたいくつかのダンス動画を手に入れることができた。
「やっぱり、いい線いってる」
これなら同じステージに立っていてもおかしくない。僕とは丸っきり違うから、互いに影響し合っていいステージになったかもしれない。誰かのダンスを見てこんなふうに思ったのは初めてだった。
「こんなことを思うのは、もういないからだ」
そうだ。こんなに気になって仕方がないのは、タマキ・ヨリチカのことを知ったのが彼が死んだ後だったからだ。もうどこにも存在しないからこそ、あり得ない未来を想像して気になってしまう。
言葉を交わすことも同じステージに立つことも、何よりあの踊りを見ることは二度とできな。そう思うと、なぜかタマキ・ヨリチカのことが強烈に刻み込まれる気がした。
「そういえば、死んで心に傷を残すってセリフがあったな」
三年ほど前に出演した映画で、台本にそういうセリフがあったことを思い出す。自分のセリフではなかったが、やけに印象深くていまだに覚えていた。もしいまあのセリフを言うとしたら、僕は誰よりも気持ちを込めて口にすることができるだろう。
「……本当に何なんだろうな」
いくら死んだ後に知った存在だからといって、ここまで気になるものだろうか。そもそもタマキ・ヨリチカのことは社長に聞いたことと、わずかに見聞きしたことしか知らない。それなのに、どうしてこんなにも強烈に……。
「こんなにも強烈に惹かれるんだろうな……」
思わずハッとさせられたダンスのせいか、小さい頃から僕を目標にしてきたと聞いたからか、それとも――「ありゃあ、もう恋してるってくらいだったなぁ」と言った社長の言葉が蘇る。
(僕のダンスだけで、僕に惚れたっていうのならうれしいけど)
若き起業家と人気女優の間に生まれた僕の周りには、昔から色眼鏡で見るか色目を使う人たちしかいなかった。どれだけ本気で芝居をしても歌を歌っても、誰もが僕自身を純粋に見てくれることはなかった。ただ、ダンスだけは違っていた。スポーツに近いからか、誰よりもうまく踊れば実力を認めてもらえた。それが僕の心に一筋の光をもたらした。
だから密かにダンスに打ち込み、ダンスで海外進出することを決めた。そう決意したのは小学生のときだった。そんな僕のダンスをタマキ・ヨリチカは見ていた。僕が誰か知らないまま純粋に感動してくれた。
「本当にそうだったとしたら……いや、いまさら言ったところで無意味だ」
もう、この世にタマキ・ヨリチカはいない。彼はこの世界に絶望して自ら命を絶ってしまった。それが僕にはたまらなくもったいなく思えて、たまらなく苦しかった。僕が感じているこの世界の息苦しさを思い出して、よけいに苦しくなる。
「別の世界に生まれていたら、死ぬ前に話したりできたんだろうか」
そう思ってタブレットに視線を落としたとき、ドゴン! と大きな音がした。続けて急激に機体が落ちて、腹の奥がヒュッと冷える。
「なんだ……?」
僕が覚えているのはここまでだ。覚えているというより、ここまでしか意識がなかった。
この日、アメリカ行きの旅客機が太平洋上に墜落したというニュースが世界中を駆け巡った。
・
・
「おーい、トリ、そろそろ起きろー」
「ん……」
軽く体を揺すられる感覚に、フッと意識が戻った。ゆっくりと目を開けると、目の前にタマの顔がある。
「……あぁ、眠ってしまっていたのか」
「珍しいな、トリがうたた寝とか」
少し目を細めて笑うタマの顔に、わけもなく胸が締めつけられる。僕はその気持ちのまま、上半身を起こしてタマをギュッと抱き寄せた。
「なんだよ、トリ」
「……いや、夢見が悪かっただけだ」
「怖い夢でも見たのか?」
「怖い夢」という言葉に、『オーディションに落ちた大手芸能事務所の研究生、自殺か』というネットニュースの見出しが蘇った。
(たしかに、あれは怖い夢だな)
前世では事実だったかもしれないが、今生では悪夢であり怖い夢だ。僕はわずかに震えた手に力を入れ、さらに強くタマを抱きしめる。
「なんだよ、そんなに怖かったのかよ」
少し笑いながら、タマが僕の背中をトントンと優しく叩いた。まるで子どもにするような仕草はどうかと思うが、それが心地よくてホッとする。
「こうしてると、あんたが年下だってことを思い出す」
「なんだ、それは」
「だってさ、いつも偉そうにしてるだろ? だから年下ってのを忘れそうになるんだよ」
「僕は偉そうか?」
不意に「年下のくせに生意気だ」というタマキ・ヨリチカの声が聞こえた気がした。
「偉そうだけど、そこんところも好きだよ」
「……」
「おっ、珍しく照れてる」
「うるさい」
「ハハハッ。たまにはそういう年下っぽい感じもいいな」
「うるさいぞ」
少し熱くなった顔を見られたくなくてスッと横を向く。それでも「アハハ」と笑い続けるタマをチラッと見ると、優しい表情で僕を見ていることに気がついた。
「俺はどんなトリも好きだよ。金持ち らしく偉そうなトリも、いまみたいに年下っぽいトリも。もちろん一緒に踊ってるトリも好きだし、キラキラした明かりの下で大勢に見つめられるトリも好きだ」
「え……?」
最後の言葉に驚いて顔を向けようとしたが、それより先にタマの唇が頬に触れて動けなくなった。
「俺は、どんなトリだって好きだからな」
タマの言葉に、柄にもなく熱いものがこみ上げてきた。目尻を濡らしてしまいそうな気配に、慌ててタマの唇にキスを返す。
タマは、時々前世を思い出したんじゃないかと思うようなことを口にする。しかし本人に記憶は戻っていないらしく、いまだに記憶が蘇ればいいのにと言っている。
僕はこんなにはっきり覚えているのにどうしてタマには記憶がないのか、出会った当初は気になって仕方がなかった。記憶があれば早く気持ちが通じるのにと思って焦ったりもした。だが、タマが覚えていないことにはきっと理由があるのだ。
(もしかして、死因に関係があるのかもしれない)
タマキ・ヨリチカは、寮の三階から二階に下りる階段の踊り場に倒れているところを発見された。そのときにはすでに意識がなく、運ばれた病院で死亡が確認された。状況から警察は事故か自殺かわからないと発表したが、事務所の人間もマスコミも自殺だと思っていた。僕も、そうじゃないかと考えた。
(でも、事実は誰にもわからない)
本当は事故だったのかもしれない。それなら、タマキ・ヨリチカはあの世界に絶望したわけではなかったということだ。そうでなければ今生でこれほど踊りに夢中になり、一番人気の踊り子になれるわけがない。
そう思うと少しだけ息苦しさが薄れた気がした。僕の勝手な希望だが、そうあってほしいと願わずにはいられなかった。……すでに終わっている前世に、希望も何もないというのに。
「ちょ……っ、トリ、盛ってんじゃねぇよ」
「駄目か?」
「真面目な顔して何抜かしてんだ。これから浜辺で食事だって話してただろ」
「……そういえばそうだったな」
「ったく、突然盛るんだから油断ならねぇな」
そんな憎まれ口を叩きながらも、タマの目元が赤くなっていることには気づいている。
色っぽいタマの顔を見ながら、食事の後、今夜こそ一緒に風呂に入ろうと考えた。あれだけ交わっているのに、なぜかタマは一緒に入浴することを嫌がる。いまさら何を恥ずかしがるのか理解できないが、「俺の繊細な気持ちの問題なんだよ」と言うタマが前世のタマと重なってたまらなくなった。そんなかわいいタマを今夜は思う存分堪能したい。
「……トリ、なんか変なこと考えてるだろ」
「別に」
「いいや、そういう表情は何か変なことを考えているときの顔だ」
「僕は心まで鉄面皮だと言われてきたんだが?」
「そりゃあ少し前までのことだろ。俺には結構わかるぞ?」
「……そうか」
タマの言葉がうれしくて、もう一度抱きしめて思う存分タマの存在を堪能することにした。
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