「じゃあな、先に戻る――」 「あっ、待てよ」 「ん？」 「ほら、動くな」 　あいつはそう言って引き留めると、俺の胸元に手をかけた。そしてそのまま、ネクタイを締め直した。 「お前ってけっこう鈍いな。ネクタイ曲がってるぞ？」 「――ああ、すまん。気づかなかった」 「こういうところ変わらないよな……！」 「え？」 「ほら、学生の時。お前がネクタイ曲がってる時よく直してやっただろ？」 「そ……そうだったかな？」 「ああ、お前ってデキるタイプにみえても意外とそうでもないんだよな」 「なんだよそれ？」 「さあ――」 柏木は胸元に手をかけると、曲がってるネクタイを直してくれた。アイツの話を聞きながら、そう言えば学生の時にそんなこともあったようなと、ふと思い出した。不思議なことに大人になると昔の事なんてよく覚えていない。若い頃の学生時代なんて曖昧なものだ。 　そう言えば柏木は、俺のネクタイが曲がってる時なんかはよく直してくれた。その度に「おっちょこちょいな奴」と、よくからかわれたものだ。何故だろうか……。こんなときに不意にそんな事を思い出した――。 「……ったく。お前って本当にこういう所は全然、変わらないよな――」 「そ、そんなことない……！」 「いや。変わらないよ。そうやって直ぐにムキになる所とか――」 「え……？」 　その瞬間、あいつは俺の事をジッと見てきた。その視線に俺は思わず息を呑んだ。 「も、いい。離せよ…――！」 「ああ、すまん……」 　俺はあいつから一歩身を引くと、その場から急ぎ足で離れようとした。するとあいつが後ろから腕を掴んできた。 「なあ、信一……！」 「なっ……！？」 　後ろから腕を掴まれた瞬間、咄嗟に振り返ろうとした。すると目の前で誰かに体がぶつかった。そして慌てて前を見るとそこに阿川がいた。