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花と悋気 04

 浅い眠りに、夢を見た。  ひとりで雑踏を歩いていたら、急に呼び止められて腕を引かれる夢。  ――どこに行ってたの。探したんだよ。  叱るような、糸川の声。そう言われて初めて、自分が糸川とはぐれて迷子になっていたことに気づいた。  不思議と、それに気づくまでは心細いとも寂しいとも思っていなくて、そういうものだと、あてどなくただ歩いていた。けれど、自分を探していたと言う糸川の必死な顔を見て、実はとても不安だったことを思い知った。  抱き締められて、その腕の強さに深い安堵を覚えて。  そしてふと疑問が浮かぶ。  この安堵は自分だけのものだろうか?  目が覚めて、なんとも言えない暑苦しさを覚えて寝返りを打とうとして、身動きがとれないことに気づいた。  横向きで寝ていた糸井は、背後からぴったりと糸川に抱き込まれ、その両腕は糸井の胸と腹に巻き付いていた。二人とも全裸のままで、直に伝わる体温が布団にこもって暑い。  足元や肩に掛かった布団を剥いだりしてモゾモゾと動いていたら、糸井をホールドしていた糸川の腕が不意に浮いて軽くなった。 「ん……んん、……気がついた?」  眠そうな声が後ろ首辺りでため息を吹きかけてきて、そわっと糸井は肩を竦める。 「すいません、俺……あの、寝落ちてましたよね」 「いや、うん……ごめん、僕が無茶して」 「あ、いえ……」 「やめてって何回も言ってたのに……聞けなかった。ごめん、ほんとに……」  肩口に顔を埋めたままの糸川の声は弱い。糸井の声を無視して無理を強いたことに、ひどく落ち込んでいるらしかった。 「いえ、俺も……何て言うか、物品の管理が杜撰ですみません」  けれど事の発端を蒸し返すようなことを糸井が発したとたん、「ちょっと」と張られた糸川の声が尖る。 「謝るところが違うんだよ。ちゃんと隠しとけって話じゃなくて、処分しとけって話だからね」 「え、えっと、処分するきっかけがなかなかなくて」 「僕としては僕とつき合い始めた時点が十分なきっかけだったとは思うけど過ぎたことは仕方がないから次の不燃物の収集日に全部まとめてごみに出そうね。悪いけどもう袋にまとめておいたからね」  さっきまで眠そうだったのに、読点も入れずに淀みない早口を繰り出されて、この件がよっぽど糸川の癇に障ったらしいことを改めて知った糸井は、自分のデリカシーの欠如を反省した。  我が身に置き換えてみれば、それがアダルトグッズでなくとも、糸川がもし自分以外に好きだった相手からもらったものを今も大事に保管していたとしたら、糸井もいい気はしない。決して糸井はグッズを使っている最中に三島を思い浮かべたりはしないが、そういうものをまだ持っているというだけで、過去の相手に思いを馳せたりしているんじゃないかと勘繰ってしまうのもわからないではない。  離れていれば、なおのこと。糸川の頭に他の誰かがいるかもしれないと思うと、すごく悲しいし嫌だ。  そしてふと、当たり前のことのようできちんと腹落ちしていなかったことに気がついた。  糸川も、糸井と同じように感じるのだと、思ってもいいらしい。  どこかでまだ、自分ばかりが糸川を好きで、想いの強さや大きさに差があるのだから、自分と糸川を同列に考えてはいけない、そんなふうに考えては糸川への冒涜になってしまう、と感じてしまう部分があって。  自分など、さほど重要度を持つはずがないのだから、自分の存在如何で相手が左右されることもあるわけがないと、変に高を括っていた。  糸川に愛されていることを実感するにつれ、以前よりはその傾向はましになったと思っていたが、思考の癖はなかなか抜けず、糸井はつい自分を卑下することに安心してしまう。それこそが糸川の気持ちを軽んじて侮辱していることになるとも気づかずに。  糸井が悲しく思うこと、嫌だと思うことは、糸川だって同じように思ってくれる。そう考えていいのだと、やっと現実感を伴って、糸井の腑に落ちた。  糸川が腕に力を入れて、後ろから糸井を抱き直す。鎖骨の下あたりに添えられた糸川の左手には、糸井と揃いの指輪がはまっている。その硬い銀色の輪っかは、何よりの糸川の愛情の証左だ。 (糸川さんって……実はけっこう、俺のこと好きだよね)  そう思うと、糸井が感じるのと同じように、糸川も一人の夜が寂しかったりするのかもしれない、という想像が及ぶようになる。  そして、こうして会えたときには、糸井と同じように喜びや安心感を覚えてくれているのかもしれない、とも。 (……そうだったらいいなぁ)  糸川の左手に、甲の上から手を重ねて指を絡めてみる。すると、糸川がきゅっと指の股をすぼめて握り込んでくる。  その優しい強さが嬉しくて、覚えず笑みが上って、大きく息をついて瞼を閉じた。 「次の不燃物の日、忘れないように出さなきゃ……」  呟いた糸井をまた、糸川が背中からぎゅっと抱き寄せた。  日曜と月曜を二人きりで穏やかに過ごして、糸川はまた大阪に戻っていった。  改札の手前で別れて、糸井は糸川の背中を見送る。本当はもっと長く見つめていたいのに、その姿はあっという間に雑踏の中に紛れて消えてしまう。  日も落ちきった駅からの帰路、またね、と目を細めた糸川の声が耳に返って、目の奥がじんと熱くなって糸井は慌てた。  実は、前回大阪に行った帰りの新幹線の中でも、糸井は泣いてしまった。そんなに涙脆いたちではないと思っていたのに、またしばらく糸川とは触れ合えないのだと、考えてしまった途端にもうダメだった。  前回に引き続いて、今回も寂しさに胸を占められる。安定感の足りない自分を再認識して、糸井は俯いた。 (恥ずかし……)  往来を歩きながらこっそり滲んだ涙を拭いて、何の気なしに、自宅最寄りのコンビニに立ち寄る。  糸井が入店しようとしたそのタイミングで、中から男性客が出てきた。それに道を譲ろうとして、後ろに下がった糸井のかかとが段差に引っ掛かってバランスを崩す。  うわ転ぶ、と思った瞬間、糸井の体はストライプのワイシャツの逞しい腕に支えられた。 「……っと」 「す、すみません、ありがとうございます!」  慌てて体勢を立て直して、助けてくれた男性から離れて頭を下げて。 「え、糸井?」  突然降ってきた自分の名に驚いて顔を上げて、糸井はさらにその目を見開いた。 「……三島さん!?」  まさかそんなことはありえない、と二度見してみたものの、そこにある見知った顔は、見紛うはずもないかつての想い人、三島孝弘だ。 「な、え、なんで」  思うように言葉が出てこず、狼狽えた糸井は挙動不審に周囲と三島の顔を何度も見比べる。白いビニール袋とビジネスバッグを提げた三島も、驚いた顔で糸井を凝視していた。 「もしかしておまえも、この近所に住んでんのか?」 「おまえ『も』!?」 「いや、俺こないだ日本に帰ってきて、今住んでんのこの裏だよ」  三島が指差したマンションは今いるコンビニのすぐ裏手で、糸井のアパートからは二ブロックしか離れていない。近所も近所だ。  糸井の顔が蒼白する。 「嘘……何してくれてんの三島さん……」 「いや知らねぇし。ていうかおまえ、帰国して初めて会ったんだからもうちょっと何かないの。お帰りィ、とか。会いたかったァ、とか。なんか感動的なやつ」 「ないわ! あるわけないわ!」  食い気味に完全否定した糸井に、三島は歯を剥いた。 「おっまえ! そんな薄情なやつだったか!?」 「三島さんこそそんなに物忘れの激しい人だった!? あんた俺のことさっくり切って糸川さんに押し付けたよな!?」 「おまえら今つき合ってんなら結果オーライだろうが!」 「結果的にすっごい感謝してるよ! どうもありがとうございましたーぁ」 「くっそ……こんなかわいくねぇやつだったかおまえ……どういう教育してんだ糸川め」  忌々しそうに舌打ちをした三島の後ろを、怪訝そうに視線を寄越しながらコンビニ客が退店していく。店の真ん前で人目も憚らずに言い合いをしていたことに気づいて、糸井は出入り口の脇に避けた。 「……糸川さんには絶対言わないでよ、俺んちの近くに住んでること」  三島から受け取ったものを残していただけであれだけ荒れるのだから、近くに住んでいるなんて知ったらろくなことにならないと、糸井は三島に口止めをする。 「言わねぇわ、わざわざそんなこと」  面倒臭い、と興味なさげに吐き捨てて、三島は踵を返した。 「じゃーまたな、ご近所さん」  社交辞令なのか本気でまた会う気があるのか、軽く手を上げて三島はコンビニ横の路地を入っていく。  その背を見送りながら、このことは糸川には絶対に伏せておこう、と心に決める糸井だった。  余談。  糸川が大阪に戻った翌日の夜、糸川からのギフト設定で某ネット通販のニヤついた箱が届いた。何の予告もなかったので、少々重たいその箱を開けてもいいのだろうかと戸惑いながら、糸川に確認のメッセージを送る。 『開けてみて!』  すぐにそう返事が来たので、開封して、中身を見て、糸井は箱をそっと閉じた。 (……バカなの?)  糸川に対して失礼だとは思いつつ、その感想を禁じ得ない。  箱の中身は、三島からのもらいものを全て処分しても余りある、アダルトグッズの数々だった。 <END>

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