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第10話
次の日、約束通り母親は自宅に来た。数年ぶりに会った母親は、前よりも神経質そうに見える。
彼女はあちこち見回しながらリビングに入ると、ダイニングテーブルの椅子に座った。
「暑かったでしょう? お茶飲む?」
「ええ、ありがとう」
櫂斗が麦茶を注ぐ間も、母親は不躾に色々見ている。
「ちゃんとしているのは、本当のようね」
櫂斗は苦笑して麦茶が入ったコップを、母親に出した。
「櫂斗、あなた今、お付き合いしてる人はいるの?」
きた、と櫂斗は思う。しかし久しぶりに会ったというのに、いきなり本題を切り出すとは。
「いきなりそれ? やっと今の仕事に慣れたところだし、付き合うとかそういうのは……」
「あなたのいとこのめぐちゃん、年末に結婚式挙げるんですって」
だからか、と櫂斗は思う。同じ年頃の親類の子が、結婚すると聞いて焦っているらしい。
「あなたはどうなの? 結婚する気、あるの?」
問い詰めるような声に、櫂斗は怯んだ。黙っていると、母親はため息をつく。
「非常勤とはいえ、教師になれた。採用試験も受けてるんでしょ?」
「……うん……」
「だったら、もっと収入も安定するし、そうなれば……」
「お母さん、そんな話する為にここに来たの?」
母親の言葉を遮って、櫂斗は聞いた。すると彼女はカバンから一枚の写真を取り出す。写真に写っていたのは、長い綺麗な黒髪が印象的な、知的な女性だった。
まさか、と思って母親を見ると、彼女は話し始める。
「この子……知り合いのお子さんなんだけど、櫂斗の写真を見せたら是非お会いしたいって」
「は? 何勝手に話してんだよ」
櫂斗は目眩がした。見合い話を持ってくるとは思っていたけれど、こちらへの打診も無しに話を進めているとは思わなかった。
「会うだけで良いから」
母親の言葉に、櫂斗は何も言えなくなった。結局は、櫂斗が心配なのではなく、母親自身が安心したいのだ、と思うとムカついてくる。
「結婚どころか付き合う気も無いのに、会うのは失礼じゃないのか?」
「どうして? 美人な子じゃない、会ってみたら好きになるかもしれないわよ?」
それは無い、と櫂斗は思うけれど、母親に言うのは酷だったので止める。しかし、櫂斗の反応に母親は眉をひそめた。
「あなたまさか、まだ男の人が好きとか言うんじゃないでしょうね?」
「……」
「櫂斗、お願いだから、普通の人生歩んでちょうだい。……あの件があってから、私はそれだけが心配で……」
母親は心配だからこそ、櫂斗を諭すように言っているのも分かる。けれど、こればかりはどうしようもないのだ。時間が経てば、考えが変わるという事でもない。
「……普通って何? 結局、オレの意思は無視して、お母さんが安心したいだけじゃん」
櫂斗は一人っ子だ。だからこそ母親は櫂斗に多くを期待してしまうし、櫂斗もそれなりに応えようとしてきた。自分がゲイというだけで、両親を心配させている自覚はある。だから会いたくなかったのに。
「……とりあえず、この子と会う約束はしてちょうだい。それが確認できるまで、私は帰らないから」
櫂斗は天井を仰いだ。休みの初日に来たのも、泊まるって言ったのも、全部その為だったと分かる。
だったらさっさと会って、断ればしばらくは母親も大人しくしてくれるだろう。そう考えて了承した。
母親は早速その場で知り合いに連絡を取り、明日に会う時間まで約束を取り付けた。相手もちょうど休みに入っていたので、その方が都合が良いと言われたようだ。
「明日、その子と会ったら私に電話ちょうだい。本当に会っているのか、その子と代わってもらうから」
櫂斗はとことん信用されていないんだな、と思ってぶっきらぼうに返事をした。
その後、特に会話をする事も無く一日が過ぎる。しかし、櫂斗はどうやってこの話を断ろうか、その事ばかり考えていた。
次の日、一応ワイシャツにスラックスという、割ときちんとした格好で出かけた櫂斗は、待ち合わせの場所に行くとすぐに、お相手の女性を見つけた。
「波多野さん、ですか? はじめまして、堀内です」
笑顔で近付いて挨拶すると、彼女は切れ長の瞳を緩ませた。女性としては背が高く、さらにパンツルックにヒールをはいているので、櫂斗よりも背が高い。
「とりあえず、喫茶店にでも入りますか」
櫂斗はそう言って、波多野を連れて歩き出す。
「今日は急でしたけど、ありがとうございます」
波多野があまり話さないので、櫂斗がリードしようと話しかける。すると、いえ、と彼女は笑った。
「申し訳ないですけど、喫茶店に着いたら母と電話してもらえますか? 本当に会っているのか、確認したいと言うので」
過保護ですよね、と苦笑すると、波多野は笑顔のまま言う。
「それが原因で、縁談が失敗するとか考えないんですかね」
彼女の言葉に驚いて見ると、ああ、ごめんなさいと口元を手で押さえた。
「堀内さん、この話、乗り気でしたか? 私、全然気が向かなくって」
どうやら彼女も櫂斗と同じ考えで、さっさとこの話を終わらせたくて来たようだった。
「……実はオレも。とりあえず適当に話して解散しますか」
櫂斗はホッとして喫茶店に入る。波多野がテラス席が良いと言うのでその通りにし、約束通り母親に電話をして彼女にも話してもらうと、母親は満足そうに通話を切った。
「実は私、恋人がいて、今も見張られてるんですよ。暑いけど、お付き合いください」
笑顔で言った波多野は、特に嫌がっている様子はない。テラス席が良いと言ったのはそういう事か、と櫂斗は頷いた。
「……愛されてるんですね。恋人さんとは結婚しないんですか?」
櫂斗が聞くと、波多野は首を横に振った。綺麗なロングストレートの髪が揺れる。
「私、ビアンなんで。一緒に暮らしてはいますけど、紙上の契約に興味無いんです」
それを聞いて、櫂斗と全く同じ状況の彼女に、好感を持った。そして、普通に受け入れた櫂斗に思う所があったのだろう、波多野は「堀内さんは何故乗り気じゃないんです?」と聞いてくる。波多野がカミングアウトしてくれたなら、櫂斗も正直に話そうと思った。
「……実は、波多野さんと全く同じ状況で……オレは恋人いないですけどね」
「なんだぁ、偽装結婚できそうじゃないですか」
「あはは……」
明るく言う波多野に、櫂斗は乾いた笑い声を上げる。すると、机の上に置いてあった波多野のスマホが震えた。メッセージをチラリと見た彼女は、その画面を見せてくれる。
「偽装でもだめだって」
「そりゃそうでしょう。あまり意地悪言っちゃ可愛そうですよ」
クスクス笑う波多野は嬉しそうだ。波多野の恋人は、この会話をどこかで聞いているらしい。
微笑ましいな、と思って笑うと、波多野はあら、と声を上げた。
「堀内さんは女性に人気ありそうですね。女性は全く興味無いんです?」
「ゼロではないですけど、男性の方が好きです。基本ネコなんで」
なるほどねー、と波多野は注文したコーヒーを飲んだ。
「結婚は無理だけど、友達にはなれそうですね。連絡先、交換してもいいですか?」
波多野はまたメッセージを見せてくれる。そこにはいいよーと表示されていた。どうやら波多野の恋人は、自分に害が無いと分かれば寛大らしい。
連絡先を交換したところで、波多野は恋人を紹介したくなったらしい。けれど恋人は頑なにそれを拒み、そのイチャイチャを微笑ましく見る。
「自慢の恋人なのは分かりましたから。これ以上はご馳走様です」
冗談っぽく櫂斗は笑って言うと、波多野も笑った。
その後軽く世間話をして、しばらく付き合う振りをして、やっぱり合わなかったという体で終わりにしよう、と打ち合わせをし、二人は別れる。悪い出会いではなかったので、櫂斗の心は少し軽くなった。けれど、根本的な解決にはなっていないのでどうしようか、と考える。
波多野のように、もう少しオープンにできたら楽なのだろうか? しかし、母親の反発も大きいだろう。
櫂斗は家に帰ると、中は静かだった。母親がいるのでテレビの音くらいしてもいいのに、と足を進めると、リビングにいた母親は部屋から出てきていきなり櫂斗を平手打ちする。
「何よコレ!? あの時から全然反省してないじゃない!!」
母親の手にあったのは、クローゼットの奥に隠したはずの、ゲイ向け雑誌だった。カッと頬が熱くなってそれを奪うと、櫂斗は母親を睨む。
「オレがいない間に漁ったのかよ……さすがにやり過ぎだぞ」
櫂斗がそう言うと、母親は弾かれたように叫んだ。
「だって! あれから櫂斗、女の子の話全然しないじゃないっ。せっかく先生になれたのに、普通の生活、どうしてしてくれないの!?」
「オレは一人暮らしして、自分で稼いでる。それは普通じゃないのかよ?」
今までに何度も繰り返した会話。今回もこうなるのか、と櫂斗はうんざりした。
「いずれは結婚して、孫を見せて欲しいの。どうして分かってくれないのよ!?」
「それはこっちのセリフだ! あの時にオレは男が好きだって話しただろ!?」
櫂斗は感情のままに叫ぶと、母親は泣き崩れてしまった。
「どうして……あんな汚らわしい事……男同士とか……ありえないっ、考え直して、お願いだからっ」
母親の姿が、櫂斗の真実を知った時の光景と重なって、胸が苦しくなる。
「お母さんごめん……もう、帰って」
「櫂斗!」
「帰れよ!!」
櫂斗は力任せに叫ぶと、母親は肩を震わせた。そして無言で荷物をまとめ、家を出て行った。
いっそ、自分がゲイではなく、偏った性嗜好でなければ。そう考えて、櫂斗はその場に座り込んだ。
両親を悲しませたくなくて、真面目なイメージのある教師になって、恋愛も諦めていたのに、結局それだけでは問題は無くならない。
あの時、あんな事がなければ、と櫂斗はまばたきをすると、滲んだ視界に涙が床に落ちるのが見えた。
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