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おまけ:友人のその後2

 広瀬はすごく分かりやすい。  シグラが透の家に来てはや二週間。二人と一緒に過ごす中で、何度もそんなことを思った。 「もー、先生起きてください! 食事中っすよ!」 「んー……眠い……」 「せんせー!」  広瀬が用意した朝食を、いつものように三人で食べていた。透は締め切り明けだった。部屋から出てきたときから眠たそうだったが、とうとう限界を迎えたらしい。倒れそうになった透を、隣に座っていた広瀬が支えた。  広瀬はいつも透の世話を焼いている。透が何かをするたびに呆れたような言葉を吐いているけれど、広瀬からは毎回嬉しそうな雰囲気も感じられた。 「……ふふ」 「あ、笑いましたね」 「だってタクマくん、楽しそうです」 「こらこら。言わない」  静かな寝息を立てている透を見つめて、広瀬は心底弱ったような笑みを浮かべた。  この家に来てのシグラの仕事は、透の部屋でモデルになることが主だった。透に指定されたポーズをとったり、透の視界に入るだけだったりと振れ幅も様々だ。広瀬がそんなシグラに嫉妬をしないのはシグラにも好きな相手が居ると分かっているからだろう。あるいはシグラの人間性を好いているからなのか。とにかく広瀬はシグラに優しく接してくれて、シグラも広瀬を心から応援している。  だけど実は透も仕事の休憩中にいつも広瀬の話をするから、この二人案外うまくいくのではないかなと、シグラはひっそりとそんなことを思っていた。 「先生、ほら、今日出かけるんでしょ! BLのネタになりそうな同級生と会うって言ってましたよね! 起きてくださいって!」 「はっ、そうだった! ネタと会うんだった! 忘れてた」  広瀬の言葉に飛び起きた透は、ガツガツと食事をかき込んだ。そうして立ち上がると一目散に自室に向かう。広瀬は慣れたように透の食器をシンクに運んでいた。  五年も一緒に居るからなのか、二人の空気は夫婦のようだ。恋愛感情はどうなのかは分からないが、シグラは時折、そんな二人が羨ましい。 「告白はしないんですか?」  シグラは何気なくそんなことを聞いてみた。少しあと、キッチンに居た広瀬が眉を下げる。どこか諦めたような表情だ。 「……女の人が好きな人だからなー……告白はちょっと難しいかも」 「……気持ちが悪いって思われる?」 「そうっすね。……嫌われるくらいなら、今の距離が一番いいっす」  これまでバース性は邪魔だと思っていた。そんなものがあるからシグラは生き辛かった。死んでしまいたかった。何度も悔しい思いをした。だけどこうなってみて初めて、バース性があれば良いのにと思う。それならきっと広瀬は透に告白できていただろう。  叶わなくても、伝えるだけで気持ちが悪いなんて思われない。バース性があれば、シグラにだってチャンスはあったはずなのに。  なんとも都合の良い思考に、シグラは呆れた笑みを漏らした。 「……同情で付き合うって……相手のことを嫌いになったわけではないんですかね……」  広瀬の言葉を聞いて、なんとなくそんなことが気になってしまった。  タマキは恋人になってくれた。シグラを嫌っていたような雰囲気もなかった。むしろシグラが本当に”恋人”であると勘違いしたほどである。触れ合うことこそなかったが、普通に接してくれていたはずだ。  あの態度の中に”嫌い”という感情はあったのだろうか。あの笑顔は嘘だったのだろうか。シグラはとにかく否定してほしくて、伺うように上目に広瀬に目を向ける。 「もしかして、シグラくんの話っすか?」 「……はい。女の人が好きな人だったんですけど……僕は男同士の恋愛が気持ち悪がられるって知らなくて告白してしまったんです。恋人になってくれて嬉しかったんだけど……僕が可哀想だったから僕と恋人になってくれたんだって聞いてしまって」 「それ、本人が言ってた?」 「はい」  広瀬が不愉快そうに眉を寄せた。同じような立場だからこそ分かることもあるのだろう。  広瀬は大股でシグラの元にやってくると、まだ座って食事をしているシグラを横からぎゅっと抱きしめる。 「大丈夫っすよ。シグラくんはもうそんな奴のこと思い出さなくていいですから! おれも先生も、シグラくんのこと大好きですよ」 「……はは……そう?」 「もちろん! ……シグラくん、ここに来たとき裸足でしたよね。もしかしてそいつのところから逃げてきたんすか?」  広瀬の腕の中で、シグラがゆるりと小さく頷く。 「そっか。……うん。分かりました。大丈夫っす。ずっと一緒に居ましょ」  シグラの頭を抱きしめた広瀬が、撫でるように優しく手を動かす。  ずっとひとりぼっちだったシグラには慣れない接触だ。幼い頃母にされて以来、こんなふうに抱きしめられたことなんかない。シグラは広瀬に甘えるように、広瀬の腕を握り締めることしかできなかった。  シグラが落ち着いたのは少し経ってからだった。広瀬になだめられながらゆっくりと食事を終えると、広瀬は楽しそうに洗い物を始めた。シグラはそんな広瀬の様子に嬉しく思いながら、透の部屋を目指す。シグラはだいたい透の部屋に居る。空いた時間は部屋に来てくれと透に言われているからだ。  しかし今日は出かけると言っていた。モデルは必要なのだろうか。  おそるおそる部屋に入ると、少しばかり表情の固い透が微かに振り返る。この緊張感は何なのか。今日はいい、とも言われないためにいつものように部屋に入ると、椅子に座っていた透がくるりと椅子ごと振り返った。 「シグラくん」 「え、あ、はい」 「その……広瀬くんとはどういう関係なのかな?」 「……え?」  質問の意味が分からず、シグラはパチパチと目を瞬く。 「ああ、えっと……さっき、きみが広瀬くんに抱きしめられているのを見てしまってね……シグラくんには出来るだけ僕の部屋に来てもらっているからそんな関係になるはずがないんだけど、でも広瀬くんは最初からやけにきみを気に入っているし、もしかしたら二人はそういう関係になったのかなとか……」 「違います。え、というか……トオルさんはタクマくんのこと好きなんですか?」 「え! なんで分かったの!? 怖い!」 「だって今、僕を出来るだけ部屋に呼んでるのはタクマくんとそういう関係にさせないためだって……」 「そんなこと言ってた!?」 「言ってましたけど」  真っ赤になった透は数度口を開閉すると、背中を丸めて椅子を回転させた。  椅子の背で丸まった背中が見えなくなる。けれど恥ずかしがっているのは雰囲気から伝わった。 「広瀬くんには内緒にしててよ。気持ち悪がられたら嫌だしさ」 「……え、言えばいいのに」 「だからさぁ、僕は今のままの関係でいたいんだよ。出て行かれるのは耐えられない」 「でも、タクマくんもトオルさんのこと好きですよ?」 「…………ん?」  一瞬遅れて理解したのか、透が振り向いたのは遅かった。  沈黙が落ちる。透はじっとシグラを見ていたが、シグラは不思議そうに首を傾げるだけだった。やがてキッチンから「先生時間! 準備できましたか!?」と広瀬の急かす声が聞こえた。そこで時間を思い出した透が準備を始めて、この話は曖昧に終わる。  それから透は、なんとなくギクシャクした態度で広瀬に接していた。  家を出るまでそれは続き、じっと見ていたかと思えば突然頬を染めたり、何かを聞きたそうにしては目を逸らしたりと忙しそうだった。  余計なことを言ってしまっただろうか。シグラがそれに気付いたのは、広瀬と共に買い物のために家を出てすぐ、広瀬が落ち込んでいるのを知ってからだった。 「先生、ちょっとおかしかった……おれが男を好きだってバレたのかな……」 「え……とー……」 「おれがシグラくんを抱きしめてたのを見たんだよきっと……それで変に意識されてるんだ……どうしよう……どうやってごまかそう……」 「……でも、トオルさんもタクマくんを好きだって言ってましたよ。男同士に抵抗なんか、」 「そんなわけないっす。あの人バツイチっすよ。相手は女性、しかも子どもまで居るんすから」  即答されて、シグラは次の言葉をのみ込んだ。 「はぁー……ねえシグラくん、おれと付き合ってるってことにしません? そしたら先生も自分は対象にならないんだって安心するかも」 「だめです。トオルさんが可哀想」 「お願い! おれと付き合おう。幸せにするから」 「タクマくんのそのノリ嫌いじゃないですよ」 「オッケーってことっすか?」 「ノーってことです」 「お願いー!」  目的地のスーパーはそんなに遠い場所にはない。そのため歩いて向かっていたのだが、広瀬がシグラに抱きつくものだから途端にスピードが落ちた。周囲の目がシグラたちに向けられる。クスクスと微笑ましく見守っていた。 「もー、タクマくん」 「付き合ってくれるまで離しません!」 「えー……じゃあいったん保留です。ほら、早く買い物に、」 「シグラ!」 「広瀬くん!」  シグラと広瀬は、互いに背後から引っ張られることで引き離された。  何が起きたのか。シグラも広瀬も互いのキョトンとした顔を見つめていたが、すぐに自身を抱きしめている背後の男を振り返る。 「え! 先生! お出かけしたんじゃないんすか!」 「……タマキ、なんでここに……」  透は広瀬の体をくるりと自身のほうに向けると、まるで隠すようにふたたび強く抱きしめた。  なぜかタマキと透が意味深に見つめあっている。間にいる二人のことは眼中にないようだ。 「透、どういうこと?」 「理解したよ珠貴(たまき)。きみが言っていた恋人はシグラくんのことだったのか。それなら僕がずっと言っていた『偶然拾った理想の受けっぽい男の子』と同一人物だよ」 「……気付いてて黙ってたの?」 「まさか。……そっちこそ、恋人というのは嘘だったのか? なんでシグラくんは広瀬くんの告白を保留に? きみと恋人なら断るのが普通だろ」 「それは……」  珠貴の腕がぎゅうと強く締め付ける。シグラは少し眉を寄せた。 「……せ、先生! あの、おれ、」 「うるさい。……珠貴、今日は解散しよう。お互いこの後が忙しそうだし」 「……そうだね」  広瀬は透に肩を抱かれて、強引に家の方向へと連れられていた。何が起きたのかはシグラにはいまだに理解はできない。だけど透は広瀬を抱きしめていたから、告白でもするのかもしれない。  二人は両思いだ。それを知っているシグラは、二人を落ち着いた気持ちで二人を見送っていた。 「俺たちも話そうか」  珠貴の冷ややかな声が降る。  ああ同情が終わったのかと、シグラは傷つきながらも珠貴を見上げた。  

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