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第55話正義の裏切り【3】

 ジャレッドが出た場所はナパ運河から離れた地区だった。立ち並んでいるのは一般庶民の暮らす家屋だが、外出禁止令が出されているため出歩いている住民の姿は見当たらなかった。遠くを見据えると、高台付近はすでに火が上がっており、敵軍騎士はそちらに集中しているようだ。運河の向こう側のアランテアトロン広場からは下劣な笑い声が響き渡っている。  ジャレッドは手のひらを見つめた。  明確な意思をもって魔法を発動させたのは初めてのこと。けれどその明確な意思が「ギルを拒む」だったのだから、暗く深淵たる後悔が胸によぎる。  今からでも戻ろうか? エルフの魔道具を使えばギルのもとに飛べる。もしくは今この瞬間にも、ギルがこちらに飛んでくるかもしれない。  懐に手を入れ、ジャレッドは巾着袋を取り出す。ジッと見つめ、やがて意を決し、指をぱちんと弾いた。だが巾着袋にはなにも変化が起きない。 「ふぅん・・・・・・出来ると思ったんだけど」  どうやら先ほどの魔法はまぐれだったらしい。  ジャレッドは諦め、空き家を見つけて足を踏み入れた。誰も住んでいないせいか腐った土の匂いがこびりつき、床の木板が不快な音をたてる。奥の窓辺には同様に古びたベッドがあり、ジャレッドはその上に巾着袋を置いた。 「ごめん」  ここに置いておけば、ギルが飛んできても敵軍に見つからないで安全だろう。それから足早に空き家を出て、「ん?」と眉を顰めた。  ジャレッドは天を仰ぐ。適当な場所に出たはずなのに、空高くを燕が旋回している。 「ズワルウは賢いんですよ」  突然かけられた声にジャレッドは愕然(がくぜん)とした。 「げ、なんで・・・・・・?!」  よりにもよって、空き家の外で待ち受けていたのは大の天敵スティーヴィー。 「こほんっ、気配を消すのは得意ですので」  お師匠譲りですからと、スティーヴィーはニッコリと笑み、ジャレッドににじり寄った。ギルの執事には軟弱なイメージしかなかったのに、こうして直に向き合うと心の底を射抜かれてしまいそうな独特の風格がある・・・・・・。 「殿下、戻りましょうね」  言われると同時にジャレッドはがっちりと腕を掴まれた。 「え、ちょっと、離せぇぇ——!」  小柄な身体の何処からそんな腕力が湧いてくるのか、引いても押してもびくともしない。 「駄目ですよ、このままギル様のもとに連れて行きます」  ぐいぐいと空き家の中に引き戻されかけ、ジャレッドは必死に抵抗をする。 「・・・・・・うぐー! 勝手に決めるな、あんたに俺を止める権限はない」 「権利の話をするならば、私も含め、この国で殿下に命令できる者はもはや一人もいませんよ。ですが私には殿下をギル様のもとにお届けするという大切な責務があります」 「はあ? 勘弁してくれよ・・・・・・」  そう溜息をつくと、スティーヴィーは長めの前髪をかきあげ、「そもそも」とジャレッドを振り返った。 「あの大軍に打ち勝つ良策はあったのでしょうか? 見境なしに外へ飛び出すなんて何を考えているんです? 戦場のど真ん中に出てしまったらどうするつもりだったのですか? 皆が貴方のために動いているのですよ?」  歯切れ良くなされる詰問(きつもん)に、ジャレッドはヒクリと唇の端が引き攣る。 「ギル様は貴方を心から気にかけていらっしゃるのに・・・・・・」  とたん、ウッと胸が苦しくなる。最後に漏れ出したスティーヴィーの本音がジャレッドの心に矢を放ち、触れられたくなかった(もろ)い部分を貫いたのだ。 「けど、ギルは来ないじゃん」  ジャレッドが拗ねたような言い方をすると、スティーヴィーは濃紺の瞳に哀れみを滲ませる。 「私は貴方の立場が羨ましい」 「は?」 「それなのに、貴方のことはちっとも羨ましく思いません」  何か執事にとってはあるまじき、とんでもない暴言を吐かれたような気がするが、どうゆう意味なのか・・・・・・。 「殿下は何でも手に入れられるはずでしょう?」 「・・・・・・は? だから、それが何?!」  困惑と焦燥を一度に抱えたような顔をして言い返すと、視線を逸らされ、「いえ、申し訳ありませんでした」と話題を打ち切られた。  気づけば空き家の中まで引き戻されており、スティーヴィーは掴んでいた手を離し、スタスタとベッドのある窓辺まで歩いていった。歩調にあわせてスティーヴィーの淡い亜麻色の髪がなびき、尻の半分までを隠す外套の裾がリズミカルに揺れるのに目がいく。  なんだろうとジャレッドは首を捻った。何かが気になり、しっくりこない感じがする。素性を隠すための質素な装いであるからではない、スティーヴィーを見かけるたびに思っていたことがあった気がするのだ。  ・・・・・・そういえば、フィンの身につけていたジャケットは長いテールが印象的だった。パトロもオズニエルも公爵家の屋敷にいるときは同じもの着ている。  それは珍しいことではなくて、ヴィエボ国では役職の高い使用人といったら燕尾服が定番だ。  でもスティーヴィーが燕尾服に袖を通したところを見たことがない。彼もれっきとした執事なのだから着る資格はあると思うが。  と、関係のないことを考えているうちに、スティーヴィーはベッドの淵でくるりと方向を変え、優雅に微笑んだ。 「さて殿下、どうすれば満足ですか?」  問いかけにジャレッドは目を伏せて、口を開く。 「・・・・・・放っておいてくれたらいい」  しかし即座に主張は()ねつけられた。 「承諾しかねます」 「ふん、勝手にしろ。俺はナパ運河の向こう側に行く」  そう言いジャレッドは扉に向かう。被害は刻一刻と広がっているはずなのだ。無駄な言い争いをして油を売っている時間はない。 「行ってどうされるのですか? 殺されますよ?」  突き刺すように指摘され、踏み出した足が強張った。 「それでも」  と拳を握りしめて振り返ると、スティーヴィーはジャレッドにむかって目をすがめた。 「殺されれば死ぬのは貴方ではなくギル様ですが?」 「・・・・・・わかってるよッ! じゃあどうすればいいんだよ!!」 「訊ねているのは私の方ですよ、殿下」  微笑しながら小首を傾げられ、ジャレッドは苦虫を噛み潰す。この魔性の執事はギルが居る時とまるで性格が違うじゃないか。 「まったく困った人ですね。子どもみたいに喚き散らしても何も解決しませんよ」 「・・・・・・それなら教えてくれよ・・・・・俺には何ができる?」  ジャレッドは俯き、吐き捨てる。  王子とは名ばかりで、何もできない無力感が心を(むしば)む。けれど胸の奥で渦巻く激情にジャレッドの身体は突き動かされた。 「・・・・・・せめて孤児院の子たちだけでもどうにかしてやりたいんだ」  インガルらが暮らす孤児院は運河の向こう、王宮側の広場にほど近い場所にある。心の底から絞り出した言葉を祈るように言い、ジャレッドはスティーヴィーを見た。 「身勝手ですね」  わかっている。国民は孤児院の子どもたちだけじゃない。自分の知っている人間だけでも救いたいだなんて、これは命の選別に他ならなかった。  だがジャレッドがいつまでも折れずに立ち向かい続ける気でいると、スティーヴィーは感じ取ったようだ。わずかに細められた瞳が、かすかに揺れた。 「わかりました、殿下が(おもむ)いても何かができるとは思いませんがここで駄々をこね続けられても困りますし、同行します。危険だと判断したら、どのような状況でも私の欠片で飛ばしますので、宜しいですね?」  頷きかけて、一瞬、躊躇った。それはもし目の前で苦しめられている子どもたちが居ても、見捨てて逃げるということだろうか。  とはいえ、ここで反論しては平行線のまま決着がつかない。 「・・・・・・好きにしろ」  結局ジャレッドはそう返事をし、スティーヴィーの考えは割り切って考えることにした。  そんなジャレッドに何を思うか、スティーヴィーは感情を見せずにスッと横に並び 「そうと決まればさっさと行ってしまいましょう、その孤児院はどちらですか?」  と、にべもなく告げる。  わずか数秒前、「身勝手」だと偉そうに言っていたくせに、それこそ「血も涙もないようなことを平然と言ってのけるお前は人の命をなんだと思ってるんだ」となじってやりたくなる態度だ。  舌打ち混じりに睨みつけたジャレッドの前を、スティーヴィーは返事を待たずに歩き出した。 「あ、先に行くなよ!」  ジャレッドは慌てて追いかけるが、スタスタと早歩きのまま止まらない。敵軍の中に飛び込むというのに堂々と隠れもせずに歩くので肝が冷える。 「待ってっ!」  場所を知らないだろう? と言って肩を掴むと、ようやく立ち止まり、気持ちが悪いほどにニッコリと笑う。 「思い出しました。この国に孤児院は二つしかありませんでしたから、王都と・・・・・・もう一方は随分と前に敵国の侵略にあい焼けて無くなりましたけれど」  そして不意に笑顔が消えた。   「・・・・・・わからなければ気になさらないでください、失礼しました。道は存じ上げておりますので問題ありません」  その後ふたたび和かに取り繕われた笑みに戻り、歩き出す。  ———え? 一体なに、今のは?  乙女心も驚愕の喜怒哀楽の急転ぶりにジャレッドは絶句し、思わず足がすくんだ。少しずつスティーヴィーとの間が開き、我に返って距離を詰める。その時には氷みたいに感情を消していて、ジャレッドは固唾を呑みながら横に並ぶ。 「なあ」 「しっ、静かに」  スティーヴィーは足を止めた。

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