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第74話

 煜瑾(いくきん)が、スリムなブラックデニムパンツに真っ白なコットンシャツという、実にシンプルなスタイルで、小敏(しょうびん)の待つ1階のダイニングキッチンに現れた。  普段は生地も仕立ても最上級の衣類を身に着けている煜瑾だが、こんな風なファストファッションでさえ煜瑾が着ると高級ブランドの逸品に見えるから小敏には不思議だった。 (結局、素材がいいと、どう加工しても美味しいってことか)  高雅で優美な煜瑾の姿に、小敏は持参したドライフルーツを摘まみながらそんな感想を抱いた。 「それは、何ですか、小敏?」  親友が食べている物が気になって、煜瑾は優しく微笑んだ。 「ああ、ボクの誕生日に優木(ゆうき)さんと海南島に行くことは言ったよね。そのお土産」 「海南島のフルーツですか?」 「そう。とっても美味しいドライフルーツ」  そう言って、小敏は自分と同じく、ひと口大にカットされたドライパイナップルを摘まんで、親友の口元に運んだ。  それを無邪気にパクリと口にして、煜瑾は嬉しそうに笑ったのだが、その目が赤いことを小敏は見逃さなかった。 「(よう)シェフから、朝ご飯を預かって来たんだ。一緒に食べようよ」  何も無いような顔をして、努めて明るく小敏は煜瑾をダイニングテーブルに座らせた。  テーブルには小敏が運んできた朝食が、ちゃんとお皿に移されて並んでいる。 「ありがとう、小敏。こんな風に支度までしてくれて」 「煜瑾のためなら、喜んで」  小敏がそう言って、ふざけて煜瑾の頬に軽いキスをすると、煜瑾は真っ赤になって固まってしまう。 「マンゴーのスムージーがあるよ」  煜瑾の好物だと知っている小敏がそう言うと、いつもならその大きな黒瞳を輝かせるはずだが、なぜだか今朝の煜瑾は悲しそうに目を伏せた。  昨夜は、愛しい文維がマンゴージュースを用意してくれたのだ。それほど思いやってくれる恋人が、なぜ…。  煜瑾は、自分が見捨てられた気がして、悲しくて胸が潰れそうになった。 「ねえ、文維(ぶんい)と何かあった?」  小敏は心配そうに煜瑾の憂い顔を覗き込みながら、優しく問いかけた。  その言葉に煜瑾はビクリと反応するものの、俯いたまま顔を上げようともしない。 「その…、ケンカ、した?」  珍しく遠慮がちに訊く小敏に、煜瑾は黙って首を横に振った。 「じゃあ…。どうして昨日は同じベッドで寝なかったのさ?」 「!…ど、どうして、知っているのですか!」  煜瑾は驚愕して思わずその美貌を振り仰ぎ、小敏を見た。

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