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第10話 攻めに転じる

 翌日、俺は珍しく少し緊張しながらギルドに向かった。初めて夜の担当になったときよりも、おそらくずっと緊張している。それもこれもあいつのせいだと、心の中で文句を言ってやりたくなった。 「あらハイネ、まだ少し早いんじゃない?」 「……ちょっと、気合を入れないとと思って」  意味不明なことを口にした俺に、サザリーはきょとんとした表情を見せたあと、にこりと笑った。 「今夜の受付は、そんなに大変そうじゃないわよ?」 「あー、うん、わかってる」  ふふっと笑っているサザリーに見られるのがなんだか落ち着かなくて、酒場のほうに顔を向けた。すると酒場で調達したのだろう夕飯の包みを持ったリィナが、「ハイネ、聞いた!?」と大きな声で話しかけてきた。 「聞いたって、何を?」 「あのね、新しい受付の子が来るんだって!」 「新しい受付が? 本当に?」 「ほんとよ! だってギルドマスターが朝来て、書類を置いていったんだから!」 「これ見てよ」と渡された書類にはギルドマスターの名前とサイン、それに新しい受付が来る旨が記されていた。 「やっと来るんだ」 「長かったわねぇ」 「いくらお願いしても駄目だったのにね」  俺の言葉にサザリーが苦笑を浮かべている。  サザリーはベテランの受付として、俺以上に夜の受付業務について心配していたのだろう。そうして俺と同じくらい、ギルドマスターに人員補充をお願いしてくれていたに違いない。 「きっとサウザンドルインズが有名になってきたからよ」 「有名に?」  リィナの言葉に首を傾げる。 「だって、二つ目の太古の富(エンシェントウェルス)が発見されたのよ? これからますますやって来る冒険者が増えると思うの!」 「え? ちょっと待って。二つ目の太古の富(エンシェントウェルス)って、いつ?」 「あれ? 聞いてない? 昨日ニゲルが持ち帰ったって、朝から大騒ぎだったんだから」 (ニゲルが太古の富(エンシェントウェルス)を持ち帰った……?)  リィナの興奮した声はまだ続いていたが、俺の意識は昨日のニゲルの様子を思い出すことに向かっていた。  ニゲルがギルドに顔を見せたのは夕方過ぎだ。依頼を受けていたわけじゃないから、受付台に来ることはなかった。久しぶりに姿を現したからかすぐに冒険者たちに囲まれ、そのまま酒場へ連れて行かれる後ろ姿も見た。そうして賑やかに酒を酌み交わしていた、と思う。  思う、というのは、仕事に集中できなくなりそうで、できるだけ酒場のほうを見ないようにしていたからだ。  その後、ニゲルは受付業務が終わった俺に声をかけてきて、そのまま老舗ホテルへ行った。ホテルへの道すがらもお酒を飲んでいる間も、太古の富(エンシェントウェルス)の話は一切出なかった。それどころか古代遺跡に行った理由も聞いていないままだ。 (まぁ、俺の態度もよくなかったしな……)  本当は話すつもりだったのかもしれないが、俺がそうさせなかっただけかもしれない。  それにしても、わざわざ太古の富(エンシェントウェルス)を探しに行っていたとは……。これが魔術士ならわからなくもない。  魔術士が使う魔術の基礎である魔力は、基本的に本人の体内で作られる。体力と同じで無尽蔵に生み出せるわけじゃない。だから多くの魔術士は体内魔力を補うために、様々な道具を身につけている。  よく知られているのは、魔力を増幅する指輪や特定のエレメンツを素早く呼び寄せるようにする腕輪、魔術の効力を増す杖だが、魔力が枯渇したときに取り出して使うことができる首飾りなんてものもあった。太古の富(エンシェントウェルス)の中には、そういった道具をはるかに凌駕する遺物もあるだろう。  だが、剣士であるニゲルに必要なものがあるかといえば、現状ではわからないというのが正しかった。  加工すれば、神官のみが扱える神の加護を付与できる武具や、霊体を斬ることが可能な武器などを生み出せるかもしれない。だが、わざわざ探しに行くほどほしいものかと言えば、魔獣などが大量発生していないいま、シルバーランクの剣士にとってはそうでもないはずだ。  売って大金を得たいというならわかるが、ニゲルの懐は驚くほど潤っているらしいから、それはないだろう。たまたま見つけたのならまだしも、わざわざ探しに行く理由が見当たらない。しかも三週間もかけて、だ。  一体どういうことだと首を捻っていると、「あ、噂の張本人が来た!」というリィナの声が聞こえた。 「ニゲル」  黒髪はいつもどおり柔らかそうに揺れ、黒目は少しだけ眠そうに見える。それでも相変わらず整った顔立ちで、いつもどおりにこりと笑えば年齢よりも若く見えるだろう。  そう、これまでなら童顔に見える笑顔を、誰よりも先に俺に見せていた。それなのにニゲルは少し視線をさまよわせてから、スッと酒場のほうを見た。  まるで俺を見たくないかのようなその仕草に、胸がズキッとした。 (神罰が下ったんだ)  自分の我が儘でニゲルから逃げた俺への罰に違いない。それに、ずっとそばで俺を思ってくれていたヒューゲルさんの気持ちに気づこうとしなかった罰。もしかしたら、同じように真剣に俺を思ってくれていたかもしれない人たちに気づこうとしなかった罰も含まれているかもしれない。 (でも、もう逃げないと決めたから)  昨夜、俺はそう決意した。目覚めてからもその決意は変わらず、緊張して早くギルドに到着してしまったくらいだ。  ヒューゲルさんの言葉に背中を押されたということもあるが、気持ちに正直になるべきだと自分でも思った。そうしなければ、俺はきっとまた昔と同じことをくり返してしまう。ただ容姿が美しいだけの木偶の棒にいつ戻ってしまうのかと、この先何かあるたびに思い出すことになる。 (それは嫌だし、何より腹が立つじゃないか)  随分と久しぶりに「見た目だけだ」と言い放った男のことを思い出し、腹の底がカッと熱くなった。  チラッとこちらを見て、そのまま酒場のほうへ行こうとするニゲルの腕を掴む。 「話したいことがあるんだ。仕事が終わるまで、待っていてほしい」 「ハイネさん……」 「待っていて」  腕を掴む手に少し力を込め、灰青色の目を見つめながらそう言えば、ニゲルがわずかに頷いてくれた。それにホッとしながらも、表情はいつもどおりにと自分に言い聞かせながら受付台に戻る。 「なになに、ニゲルと何かあったの?」 「なんでもないよ」 「えぇー、嘘だぁ」 「何もないって。それより夜の受付、始まるよ」  まだ何か言いたそうにしていたリィナは、「あ、今日はおばあちゃんの荷物を取りに行くんだった!」とバタバタと荷物を抱えて、挨拶もそこそこにギルドを飛び出して行った。それを苦笑しながら見ていると、ポンと肩を叩かれた。 「がんばって」 「サザリー」  たったそれだけの言葉だったが、どうしてかサザリーには全部お見通しに違いないと思った。  優しい笑みを浮かべるサザリーに「うん」と返事をし、手を振って見送る。それから金縁眼鏡を押し上げ、まずは仕事をしなければと気合いを入れ直した。  ++++  受付時間が終わり、ギルドを閉める頃には酒場も静かになっていた。  どうやら昼間、ニゲルが持ち帰ったという太古の富(エンシェントウェルス)や古代遺跡について散々盛り上がっていたらしい。夕方には大方の冒険者たちは酔い潰れ、おかげで夜の受付業務はほぼなかった。  ギルドの入り口で待っていたニゲルに近づくと、俺が隣に行く前にスッと歩き出した。一瞬、本当は待っていたくなかったのかと思ったが、一歩先を歩くだけで歩調は俺に合わせてくれている。それだけで胸が疼いてしまう自分に笑いたくなった。  ニゲルの後をついて行くと、初めてベッドを共にし、三週間ほど前にも泊まったあのホテルに到着した。今夜は部屋が空いていたようで、向かった先は初めての日と同じ部屋だった。相変わらず洒落た部屋で、テーブルにはすでに軽食とエールが置かれている。 「いつ部屋を取ったんだ?」  これまでならニゲルのほうから声をかけてきたから、こうして先に部屋を取っていることも当たり前だった。  しかし今夜は俺から声をかけた。ギルドに現れたときの様子では、ニゲルのほうは俺に声をかけるつもりがないように見えたのに、どうしてすんなりと部屋が取れたのだろう。 「……声をかけて、断られなかったらこの部屋がいいと思ったんです。それで……」 「まさか」  俺の言葉に、ニゲルがスッと視線を逸らした。 「いつ一緒に来るかわからないのに、連泊で部屋を取っていたのか」  いくら懐は大丈夫だと言っても、さすがにそれは無駄遣いがすぎるだろう。そういう気持ちの込もった声だと気づいたのか、灰青色の目がしっかりと俺を見た。 「俺は昨日のことで諦めるつもりは、まったくなかったので」  はっきりとした口調に、胸がざわりと疼いた。いままでなら面倒に感じただろう言葉も、ニゲルの口からだと途端に心地よく聞こえるのだから、俺は随分と身勝手だ。  昨日までは、ニゲルに気持ちもほしいと言われて冗談じゃないと思っていた。即オチだと言われたのを否定し、かわいいと言われて反発もした。好きだと言われて無理だと思った。  それなのに、今夜は何を言われても胸を甘く疼かせる自信さえある。 「諦めてもらわなくていいよ。っていうか、諦めないでほしいかな」 「え……?」  ぽかんとした顔も童顔っぽくなるのか、なんて、新しい表情を見ただけで楽しくなる。そういえば、恋をしていたときはこんな感じだったな、なんて懐かしく思った。 「ハイネさん、どうしたんですか?」 「どうしたって、何が?」 「いや、だっていつもと違うから、どうしたのかと」 「あー、うん。ちょっと思い直したことがあってね」 「思い直したこと……?」 「それに、決めたこともある」  ぽかんの次はきょとん顔か。うん、そういう表情も悪くない。これまで年下の相手はほとんどいなかったが、ニゲルなら有りだと思った。……違うな、ニゲルだから有りなんだ。  金縁眼鏡をクイッと上げ、改めてニゲルの顔を見た。 「俺はニゲルのことが好きだと思う」 「…………え? あの、はい?」 「せっかくの告白への反応がそれって、結構ひどいな」 「あ、いや、そうじゃなくて、」 「わかってる。俺が急におかしなことを言い出して驚いているんだろ」 「あー、ええと、まぁ、はい」  俺だって驚いているんだから、それはそうだろう。でも、そんなふうに驚いてくれるのも悪くないと思った。 「昨日のことは悪かったと思ってる。言い訳にしかならないけど、昨日までは本気で恋なんか冗談じゃないって思っていたんだ」 「わかってます。それでも俺は、諦めるつもりはまったくありませんでしたけど」 「うん、諦めないでいてくれて、ありがとう」  今度は照れているのか、わずかに目元が赤くなったように見える。そういう表情もいいなと自然に思えた。 「本当にどうしたんですか? もしかして、もう酔っ払ってます?」 「まだひと口も飲んでないよ」  ニゲルの手を引いてソファに座る。そうしてエールをひと口飲んだら、思っていたより喉が渇いていたことに気がついた。  それでも先に話してからだと思い、グラスをテーブルに戻す。 「おまえと関係を持つようになってから、俺はほかの誰とも寝てないんだ」 「……まぁ、それは何となく」 「おまえが仕向けてたっていうのもあるかもしれないけど、俺はもうおまえ以外の誰ともセックスできないんだって、昨日気がついた」 「え?」 「ほかの男を見て色気を感じても、性欲を感じないんだ」  今度は無表情っぽい顔か。これはきっと何か隠しているな。  俺がこうなった原因はやっぱりニゲルが何かしたからだったんだとわかったが、追求するのは後でもできる。 「体もそうだけど、気持ちも、もうおまえ以外には向かないってわかった」 「……どういうことですか?」 「昨日、部屋を出てすぐにおまえを手放したくないって思ったんだ。自分から離れたくせにね」 「ハイネさん、」 「おまえが古代遺跡に行っていた間も、ずっとおまえのことを考えてた。というより、気がつけば考えているんだ。それに戸惑って、昨日はおかしな態度になってしまった」 「あぁ、それで……」 「こんなの、もう気持ちが傾いているのと同じなのに、必死に気づかない振りをしていたんだ」  でも、もう気づかない振りなんてしない。する必要なんてない、そう思い直すことができた。そうして前に踏み出すんだと決意することもできた。 「そう思ってくれたのはうれしいですけど、急すぎやしませんか?」 「なに、うれしくないとか?」 「いえ、ものすごくうれしいし飛び跳ねたいくらいですけど、昨日の今日でこの展開はどういうことなんだろうと思って」 「それに関しては俺も同意する。まぁヒューゲルさんに会いに行かなかったら、今日も昨日と同じままだっただろうし」 「……あの後、あの人に会いに行ったんですか?」  急に低くなった声色にどうしたんだろうと視線を向けると、灰青色の目が心なしか細くなっているように見えた。……え? どうして怒っているんだ? 「ハイネさんが俺を好きになってくれたのは天にも昇る気持ちです。これまでで一番うれしい出来事です。でも、それを後押ししたのがあの人だっていうのは、正直複雑な気持ちですね」 「ニゲル?」 「何より、昨夜あのままあの人に会いにいったというのは看過できません」 「え?」 「かわいく『え?』なんて言っても駄目ですからね」 「いや、いまのはかわいくも何ともないだろう。っていうか、駄目ってどうして?」  今度はハァァと大きくため息をつかれてしまった。 「風呂に入っていい匂いをプンプンさせながら、しかも相当酔っていたでしょう? あんな姿、どうぞ食べてくださいって言ってるようなものじゃないですか。それで男の、いや、あの人の部屋に行くなんてどうかしてます」 「は?」 「昔のことは言いたくないですけど、でも俺だって気にならないわけじゃない。昨日だって追いかけたいのに強引にはなれなくて、どれだけ悶々としながら心配したと思っているんですか。誰かに襲われてないか、もしかして過去の誰かと寝たんじゃないか、そんなことばかり考えて眠れなかったんですよ? 案の定、一番危険な男のところに行っていたなんて……」 「待った。ヒューゲルさんの部屋には行ったけど、何もしてないからな?」 「当然です。シたとしても感じられなくなっていたはずです」 「ちょっと待て。この前も気になったんだけど、その感じられないっていうのは一体……」 「黙って」  ずいっと顔が近づいてそんなことを言われたら、口を閉じるしかない。言われるままに唇をキュッと閉じれば、フッと笑ったニゲルがキスをしてきた。  それほど肉厚じゃないのに、やけに官能的に感じる唇に心臓がどくりと鳴る。若いからか、それとも体質的なものなのか、ニゲルの唇は俺よりも温かかった。  ゆっくりと触れ、それから舌で俺の唇を舐め、それが合図のように口を開けばするりと口内に舌が入ってくる。優しく、でも熱心に口の中を動き回る舌に、腰にジンとした甘い痺れが走った。  そうだ、このキスだ。ニゲルのキスは優しくて甘くて、でも熱烈で、キスだけで俺を蕩けさせてしまう。キスひとつとっても、もうこのキス以外は受け入れられないだろうし感じることができないに違いない。 「あぁもう、なんでこんなにかわいいかな」 「……かわいくなんて、ないから」 「そりゃ見た目は美人ですけど、中身はとてもかわいいですよ」 「……かわいいとか、言うな」 「あ、もしかして照れてます? そんなところもかわいいですけど」 「うるさい」  面映くなって視線を逸らしたら、そっと金縁眼鏡を奪われた。 「俺を好きになってくれたのはうれしいですし、最高の気分ですけど」 「……なに」 「俺だってハイネさんのことは好きだし、っていうか愛してますけど、まぁそれとこれとは別の話なんで」 「だから、なんだよ」 「あの人のところに行ったのは、駄目ですよね」  目の前で整った顔がにこりと笑った。いつもなら童顔にも見える表情なのに男臭いように感じたのは、眼鏡をしていなかったから……じゃあ、なかった。

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