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番外編 剣士は天使を溺愛する

「そろそろ起きて朝食を食べないと遅れるぞ」 「んー……」  ベッドで丸くなって眠る姿は天使のようにかわいいと思うが、そろそろ朝食を食べさせなければギルドに遅れてしまいそうだ。  仕事に一生懸命なアイクは、帰宅してからもメモをしたノートを見ながらいろいろ勉強をしている。そのせいで最近は少し寝不足気味で、こうして朝起きれなくなることが多い。 「まぁ、わたしが抱かなければもう少し寝る時間が増えるんだろうが」  わかってはいるものの、どうしても風呂上がりの寝間着姿のアイクを見ると手を伸ばしてしまう。  せめてとイかせるのは一晩に一度と決めているが、現役の剣士であるわたしとギルドの受付であるアイクでは根本的な体力に大きな差がある。一度だけでも、毎晩となれば体力がもたないのだろう。泣きながら必死に縋ってくる姿に、つい時間を忘れてかわいがってしまうのは、わたしの悪いところだ。 「さぁアイク、起きてくれ」  柔らかな金髪を撫でながら声をかける。  せめてものお詫びにと毎朝わたしが朝食を用意することにしたのだが、時間がなくてもしっかり食べ、ニコニコ笑いながら「おいしかったです」と言ってくれるアイクは本当に天使のようだ。今日もその笑顔を見せてくれるだろうか。 「アイク」 「んぅ……。ぉき、ますぅ……」  たどたどしい口調に思わず笑みが浮かび、続けてゆっくりと開く碧眼にドキッとさせられた。 (毎日見ているというのに、いつでも見惚れてしまうな)  こういうのを恋と呼ぶのかもしれない、などと、三十五にもなった大人の男が思うことではないのかもしれないが。  はじめは、長年思っていたハイネに似た色だから目に留まるのかと思っていた。アイクのほうが濃い碧眼で髪質も違うが、金髪碧眼という部分は同じで、しかも受付という職業まで一緒だ。  ハイネに恋人ができ、自分の思いはすっかり消化したものだと思っていたが、もしかして未練があったのかと思うこともあった。その考えが変わったのは、魔獣の森でアイクを助けた後からだろう。  あの日、わたしは腕慣らしのためにフリーで魔獣の森に入っていた。  森の中を通り抜ける細い道を横切ろうとしたとき、離れたところに猛々しい魔獣の気配を感じ、咄嗟に足を向けた。そこにはAランクの四ツ脚型魔獣と、腰を抜かして座り込んでいるアイクがいた。  すぐさま魔獣を討伐しアイクに怪我がないか確認していたとき、潤んでいる碧眼にハッとさせられた。抱きしめた小柄な体が震える様子に、なぜか体がフワッと熱くなった。思えば、あのときアイクに特別な感情を抱いたのかもしれない。  その前から、わたしはアイクにある程度の好意を抱いていた。新人らしく真面目で一生懸命な様子には好感が持てたし、話し振りでも彼の性格がわかり「いい新人受付が来たな」と感じていた。剣士に憧れているのだと言って、純粋な羨望の眼差しを向けられるのも悪くないと感じてもいた。  アイクに特別な思いを抱いていることを自覚したわたしは、様子を見ながら少しずつ距離を縮めた。アイクの気持ちに十分配慮しながら、先に思いを告げたのはわたしのほうだった。そうでもしなければ、アイクは自分の気持ちに気づかないだろうとわかったからだ。 (そう思って行動に出られたのも、ハイネの件があったからかもしれないが)  以前のわたしなら、アイクが告白してくるまで自ら動くことはなかっただろう。  しかし、それではハイネのときと同じ結果になるのではと思った。多少強引になってでもアイクを手に入れたいと、そう思ったのだ。 「それだけ本気だったということだろうな」 「んぇ……ほんき……?」 「こっちの話だ。さぁ起きてくれ」 「ん……、起きました」  ふわふわの金髪をさらにふわふわにしたまま、アイクの頭が少し揺れている。まだ完全に起きていないらしい姿は微笑ましいが、さすがにもう時間的余裕がない。 「ほら、朝食はできているから、食べ始めて」 「ん……」  ベッドから抱き起こし、朝食が載ったテーブルの前の椅子に座らせる。そのままアイクには食べることに集中させ、わたしは髪用の香油を手に取りふわふわの金髪を宥めることにした。髪の毛がまとまり、アイクの着替えを持って戻ってくる頃には食事を終えてココアを飲んでいる。  これも毎朝のことで、今日もわたしを見上げながら「おいしかったです」とニコニコした顔を見せてくれた。 「あの、毎日ごめ、じゃなかった、ありがとうございます」 「気にしなくていい。わたしがやりたくてやっていることだからね」  毎朝わたしの世話になることに、どうしても慣れないらしい。そんな些細なことなんて気にしなくていいのに、こうして事あるごとに申し訳なさそうな顔をする。 「でも、」 「それに、朝寝坊をしてしまう原因の一端は、わたしにもある」 「え?」 「アイクがかわいすぎて、つい夜更けまでシてしまうからな」 「……っ」  ポンと顔が真っ赤になった。こういうふうに感情が素直に顔に出てしまうところも天使のようだ。 「さぁ、着替えようか」 「……はい」  真っ赤な顔のままいそいそと着替えるのを横目で見ながら、テーブルの上を片付ける。  本当は着替えも手伝いたいところだが、アイクの必死の抵抗を受けてやむなく断念した。アイクいわく「このままじゃ一人では何もできなくなってしまう」という危機感に駆られたらしい。  さすがにそんなことはないと思うが、……いや、先日ハイネから「少し構いすぎでは」と注意されたばかりだったか。隣でニゲルが「そうですか?」と言っていたが、ハイネが口元を引くつかせていたということは、やり過ぎだということだろう。  ハイネたちがいちゃついているのはすぐにわかるのに、どうも自分のことになると判断が鈍ってしまうらしい。 「あの、着替え、終わりました」 「あぁ。……うん、今日も天使だな」 「……もう」  困ったように笑うアイクは、間違いなく天使だ。  着替えの手伝いは拒否されたものの、こうして着替え後のチェックはさせてくれる。今日はアイクが持っていた服にわたしが選んでプレゼントしたスカーフを合わせたのだが、なかなかいい組み合わせだと自画自賛したい。 「フロインって、本当は世話焼きだったんですね。知りませんでした」 「そうか?」 「だって、一緒に住むまでは、こういうところは見たことなかったから」 「そうだな……。たしかに以前は、こうして誰かの世話を焼こうと思ったことはなかったかもしれない」  目に余ることや気になって仕方がないことには手を差し伸べたり口を挟んだりしたが、日常的にこういうことをするのはアイクが初めてだ。 「アイクが初めての恋人だから、だろうな」 「……っ。もう、フロイン」 「どうした?」 「朝からそういうのは、顔が赤くなるから、困ります」  見れば先ほどよりさらに真っ赤になっていた。それはそれでかわいいのだが、この顔を大勢に見られるのはあまり愉快ではない。 (……なるほど、ニゲルがハイネの笑顔を見せたがらないのもわかるな)  ニゲルはよく「かわいい顔を見せないで」とハイネに言っているが、たしかにそう言いたくなる気持ちは理解できる。 「あのっ、僕、顔を洗って荷物用意してきますっ」  真っ赤な顔のまま寝室を出て行く姿を微笑ましく見ながら、自分は随分と変わったに違いないと思った。  わたしは王都に大きな屋敷を構える貴族の出身で、上に姉が一人と兄が三人いる末っ子だ。ただし母は屋敷で働いていた使用人で、姉兄たちとは母違いの弟になる。  物心ついたときから母一人で、その母が病気で亡くなり、わたしは天涯孤独になる運命だった。王都には孤児を専門に引き取る施設や弟子として迎え入れてくれる場所が多く、いずれかの所に行くことになるのだろうと思っていた。  しかし母の葬儀の直後、わたしの前に現れたのは貴族の家令だという年配の男性だった。男性に連れられて行った先は、幼いわたしでも聞いたことのある名の知れた貴族の屋敷で、そこで待っていたのは父だと名乗る人だった。  こうして父に迎え入れられ、貴族子息となったのは五歳のときだった。  血の繋がらない母は優しくも厳しく、そして愛情深い人だった。そういう人に育てられたからか、姉も兄たちも本当の弟のように接してくれた。  おそらくわたしは幸福な人生を歩んでいたのだろう。しかし心の中には常に、母や姉兄たちにいつか疎まれるのではないかという気持ちがあった。原因は、成長するにつれて見目よく体格にも恵まれてきたわたしに近づいてくる者たちの言葉だった。彼らはわたしに父の跡を継がせ、何かしらでいい思いをしたかったに違いない。  子どもながらに大人の思惑を見聞きする環境にいたからか、わたしは周囲の人たちの気持ちを敏感に感じるようになっていった。  両親や姉兄たちは逞しく成長するわたしを可愛がり、また厳しく接し、貴族社会で生きていけるように気を配ってくれた。それでもわたしの中の気持ちは消えることがなく、わたしの存在が(いさか)いの種になる前にと、十六のときに屋敷を出た。  両親や姉兄たちは何度も思いとどまるようにと言ってくれたが、最終的にはわたしの気持ちを汲んで家を出ることを許してくれた。  その後は貴族子息になってから続けていた剣技を磨き、十七歳でギルドに登録して冒険者になった。  しばらくは流れの冒険者としてあちこちの街を渡り歩いたが、サウザンドルインズにたどり着き、ここに根を張ろうと決めた。そう思った明確な理由はないが、きっと王都から離れた場所だということも要因になったように思う。  そうして二十五歳を迎えてしばらくした頃、新人受付としてギルドにやって来たハイネと出会った。 「あれから十年か」  ハイネに出会い、生まれて初めて人を好きになった。この人を手に入れたいという気持ちになったのも初めてだった。  ただ、どうしても一歩を踏み出すことができなかった。子どもの頃から何かをほしいと思うことはいけないことだと、そう思ってきたからかもしれない。欲する気持ちは周囲に利用されるだけだと、(いまし)めのように思い続けてきたからだろう。 「おかげで初恋の人は、まんまと若造に奪われたわけだ」  いや、思いを告げてもいなかったわけだから、奪われたというのは正確ではないか。それでも一歩を踏み出さなくては欲しいものは手に入らず奪われてしまうのだと、身をもって理解できた出来事だった。  おかげでアイクのことは様子を見ながらも手をこまねくことはなく、自分から一歩を踏み出すことができた。多少強引になった部分もあるだろうが、隣でアイクが笑ってくれるいまを思えば、それでよかったに違いない。  こうしてアイクという人生初の恋人ができたわけだが、アイクやハイネに指摘されて初めて自分が世話焼きだということに気がついた。言われるほどではないと思うのだが、初めてのことだから加減がわからないのも事実だ。だからアイクが嫌だというのなら、そこは素直にわたしが引くしかない。 「フロイン、そろそろ出ますね」  いつもの鞄を肩に下げる姿は、まだ十代のようにも見える。こんなにかわいいアイクが一人で出歩くのは危なくないだろうかと思っているのだが、毎日ギルドまで送るのは駄目だと言われたから我慢するしかなかった。 「気をつけて」 「はい、行ってきます」  玄関でいつもの言葉を言い合い、にこりと笑ったアイクの背中が見えなくなるまで見送る。 (それに、見送られるのがうれしいと言われたしな)  アイクは、これまで誰かに見送られるのが苦手だったと話していた。見送られるときは放り出されるときで、また自分は役立たずだったのだと、必要とされないのだと突きつけられるようで怖かったと言っていた。  しかし、わたしに見送られるのはうれしいらしい。誰かに見送られるということは帰る場所があるということなのだと、ようやく実感できるようになったのかもしれない。 「見送ることができ、見送られることができるというのは素敵なことだな」  いつもの角を曲がり、アイクの小柄な背中が見えなくなる。 「さて、今日は依頼を受けることにしようか」  わたしのランクチェッカーには、アイクの名前の登録数が少しずつ増えている。ハイネの名前の数を超える日も、そう遠くないはずだ。  プラチナランクになるのは簡単なことではないが、ランクアップのときにはアイクの名前を登録したい。そんな野望を密かに抱いていることなど、アイクは思いもしないだろう。 「さて、プラチナランクまでどのくらいかかるかな」  そんなことを思いながら見上げた空は、アイクの瞳のように澄んだ碧色をしていた。

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