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第39話過去との決別

 五月二十九日が俺の誕生日だ。そして、蒼也の誕生日でもある。  小さいときは誕生日が嬉しかった。  ケーキ食べて、好きな食べ物を用意してもらって、プレゼントを買ってもらったっけ。  俺の力が目覚めた後でもお祝いはしてもらったけど、お祝いしてもらうことが怖かった。  色んなものを壊してしまっていたのに、それでも両親は俺にプレゼントはくれたっけ。  そして家を出てからは、家のお手伝いさんであるこのはさんが料理を用意してくれている。  去年とその前は蒼也がケーキを持ってうちに来て、朝まで啼かされた。  誕生日は苦い思い出と楽しかった思い出が混ざり合い、複雑な気持ちになってしまう。  そして今年。  俺の誕生日は日曜日だ。  いぜんこのはさんから連絡があったので彼女が俺の為に料理を作ってくれる約束になっている。  だからその日はバイトをいれなかった。そして俺は、相変わらず奏さんの家に入り浸っていて家にはほとんど帰っていない。  大学で蒼也と顔を合わせることはなく、とりあえず平穏な時間を過ごしている、と思う。  俺はまだ家に近づくと身体が震えてしまうし、あいつがいたらどうしようって考えてしまうけれど、時と共にだいぶ気持ちは落ち着いてきた。  そして誕生日当日の午後、俺は奏さんと一緒に久しぶりに家に戻っていた。  もともと祖父母が余生を過ごすために造った家で、築十年ほどしか経っていない。  ふたりは俺が小学生の時に相次いで亡くなって、空き家になったところに俺が住みたいと親に願い出て今に至る。  奏さんとふたりで家じゅうの窓を開けて空気の入れ替えをして、掃除機をかける。  三年と少し暮らしたけれど、ここに戻ってきたい、という思いはなかった。  ここで何度も蒼也に抱かれたから、どうしてもそのことを思い出してしまう。  掃除機を片付けていると、ジーパンのポケットの中にあるスマホがぶるぶると震えた。  掃除機を置いてから俺はスマホをポケットから出してメッセージの送り主を確認した。  そこに表示されていたのは母親の名前だった。 「あ……」  母からメッセージが来るのは蒼也がらみの時だけだ。  そしてこのところ母からメッセージは来ていないし、用がないので俺はいっさい母と連絡を取っていない。  父親からは今朝誕生日を祝うメッセージと、引っ越し費用に関するメッセージが届いていたけど、母親の事は何も聞いていない。いったい何の用だろうか。  大きく息を吸い、スマホの画面を見つめて固まっていると背後からそっと抱きしめられた。 「緋彩」  優しく甘い声で、耳元で響く。 「震えてどうしたの」 「え、あ……あの、母さんから……その……」  そこで俺は唇を閉ざす。   「あぁ、親からメッセージが来たって事?」 「そう、何ですけど……」  大した内容じゃないかもしれない、でも違うかもしれない。  もう俺は蒼也と会っていないし、今さら蒼也の事をどうこう言ってくることはないだろう。だから大丈夫。そう自分に言い聞かせて俺は震える指でロックを解除してメッセージを見た。 『誕生日おめでとう』  たった一言、それだけが書かれたメッセージ。  どうしよう、なんて返そう……  一瞬悩みそして俺は、両手でスマホを持って震える指で何とか文字を入力して、送信ボタンを押した。 『ありがとう』  それだけ送り、俺はスマホをポケットに突っ込んだ。  母親と会う勇気は未だにないし、父親もそれを求めては来ない。  だけどいつかちゃんと、話ができるようになるだろうか。まだ家に近づきたいと思えないし、メッセージを返すのも震えている位だのだから、しばらく無理だろうな。 「緋彩、お手伝いさんが来るの何時頃?」 「え? あ……えーと確か三時に来るはずです」  このはさんの料理を食べるのは一年ぶりだ。煮込みハンバーグにポテトサラダ、スープを作ってくれることになっている。  そして今日、奏さんも一緒であることは伝えてある。特に詮索はされなかったけど、父さんから話は伝わっているんだろうか。 「じゃあせっかく来たんだから引越しの準備をすすめようか」 「え、でも……引越しって夏休み中……」  俺にしても奏さんにしても、前期は課題や実習で余裕が余りない。なので引越しは夏休みにしよう、という話になった。  今の奏さんの住むマンションの近くにある、別のマンションに部屋を借りることになった。それは三LDKの部屋で、俺が卒業したら町を出よう、と話している。  町の外からここに通えなくはないけど、バイトもあるので今はまだ町から出なくてもいい、という結論に至った。  俺が手袋をしなくても生活できるようになったのも理由のひとつだ。  俺はとっくに力をコントロールできるし、自分の力と少し向き合えるようになった。  俺は自分の力が怖かったけど今はそこまでじゃない。  できればずっと使わないで終わればいいけど。 「そうだけど、部屋はもう押さえてるからいつでも荷物は運べるよ。そうだ、あと家具とかも見に行きたいな」 「ちょっと、奏さん気が早すぎですよ」 「僕はこれでもかなり我慢しているよ。僕は君を閉じ込めたくて仕方ないんだから」  それは、アルファが当たり前のようにオメガにやることだ。  そしてそれをオメガは幸せだと感じる、らしい。  俺はそうじゃないから閉じ込められるのは勘弁してほしい。だからきっと、奏さんは普通アルファがしないような我慢をしているんだろうな。 「す、すみません、俺……」 「別に謝る事じゃないよ。わかっていながら僕は君を選んだんだから」  そして奏さんは、俺を抱きしめる腕に力を込める。 「じゃあ、引越しに必要なものと必要じゃないものの選別はできるでしょ。時間まで片づけをしよう?」  その申し出を断る理由がなく、俺は頷いた。  奏さんと出会ったのは四月で、それからまだ二か月も経っていない。なのに俺の生活は劇的に変化している。  まさか誰かと一緒に暮らすことになるなんて思わなかったな。  奏さんのお陰で俺は自分の力に自信を持てるようになったし、何かあっても奏さんが止めてくれるから。  自分の力にも人にも怯えて他人との関わりを拒んできた俺は、すっかり奏さんに飼い慣らされてしまった。  俺は寝室として使っていた部屋に行き中を見回す。  あのベッドも布団も、もったいないけど処分しよう。俺が過去と決別して、先へと進むために。

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