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名前2
『前から気になってたんだけど』
「?」
久重の部屋。ルイと暮らしやすいようにフローリングにはマットが敷かれ、ソファの横にはゲージが置かれていた。久重の足元で寛ぐことが多いルイは雑種ながらも体は大きく、まるで主を守るかのようにいつも寄り添っている。
『ルイの名前は空がつけたのか?』
黒い短毛に立った耳。大きな体で精悍な顔立ちをしているが、ルイは実はメスだ。見た目と名前ですっかり勘違いしていたから、その事実を知ったときは少し驚いた。
『はい、私がつけました。どうしてですか?』
「えっと…」
言葉を紡ごもうとして手が止まる。手話に限界を感じ不破はペンを手に取った。
『ルイって、オスみたいな名前だなって思ったから。名前の由来何かあるの?』
久重のように丁寧な文字は苦手だ。ペンを走らせた文字は書いた本人でも呆れるくらいだが、そのぶん書ききるのは早い。
「あぁ…」
納得いったように頷く久重に、不破は真っ直ぐと視線を向けた。
白い手がペンを握る。
『私の言葉は、はっきりと発音できていないでしょう?』
ノートに書かれた文字に、不破は戸惑いながらも頷いた。確かに久重の言葉は籠ったような少し舌足らずな発音で、聞き取りやすいとは言い難い。「そんなことはない」と言うのは簡単だが、それは彼に対して失礼に思えた。
音を聞いたことのない彼が、どれ程の苦労と努力でここまで発音できるようになったか不破は知らない。そうして得た今の久重の言葉は尊敬に値するし、同様に愛しくもある。
「…あいあとう(ありがとう)」
偽りない不破の態度にフワッと笑うと、久重は視線をノートに移した。ペンがサラサラと動く。
『犬に手話は通じない。私は皆のように、この子に言葉をかけてやることができないから。だから、ルイと名付けたんです。』
「………」
次々と書かれていく文字を食い入るように見つめる。
どういう意味なのか、それを考えながら。
『これなら多少発音が違っていても、そう変わりはないでしょう?』
そこまで書いて手を止めると、久重はゆっくりと口を開いた。
「うい(ルイ)」
その優しい声に、足元に転んでいたルイが頭を上げる。主人に名を呼ばれ尻尾をパタパタと振る姿にフフッと笑って見せると、久重はその頭を愛しげに撫でた。
『言葉をかけてやれなくても、名前は呼んでやりたい。だから』
そこまで書いて久重の手が止まった。いや、正しくは書けなくなった。
「ふあさん?」
「…………」
じっと話を聞いていた不破に急に抱き締められ、久重は戸惑いながら名を呼んだ。抱き締める腕に力がこもる。これでは不破の口が読めない。自分の手話も伝えることができない。
けれど、互いの言葉は通じなくとも、不破の思いは伝わってくるように感じた。
「……ごめん、急に」
やがてゆっくりと体を離し、不破が口を開く。その口の動きに首を振ると、久重の白い手が流れるように動いた。
『だから、この子は【ルイ】です』
「うん」
不破が頷けば久重が嬉しそうに笑う。その笑顔がなんだか堪らなくて、胸がまた締め付けられる。
『良い名前だな』
「あいあとう(ありがとう)」
久重の優しさが詰まった名前。その名を与えられたルイは、本当に幸せな犬だと思えた。伏せたルイの前にしゃがみこみ、手を伸ばす。
「お前は幸運な犬だな。…空のところに来てくれて、ありがとう」
久重の大切な相棒が不破を見つめる。その顔を両手で挟みワシャワシャと撫でると、一度だけルイが吠えた。
「…ん、いいこだ。」
偶然かもしれない。
それでもまるで返事をしたように思えて、不破は顔を綻ばせたー。
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