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第1話
入店してきたのは二人組の女性だった。近所の私立大学に通う学生だろうか。二人とも初めて見る顔だ。彼女達はこちらを見るなり、声量を抑えながらも興奮気味に言葉を交わしている。
「……あの人だよね?」
「間違いないよ。本当にすごい……っ。カッコいいね……」
どうしてこの容姿はこうも女性の視線を集めるのか。平均よりも少し高い身長と、割としっかりとした体躯ではあるものの、強気な性根が顔に表われていてよく無愛想だと言われる。二十三年生きてきて、未だに何が彼女達の興味を引いているのかわからない。
坂本達也は心中で力なく溜め息をついた。
駅前に建つ雑居ビルの二階で、このカフェ「隠れ家」は営業している。ビルのフロア案内板にひっそりとその名を掲げただけで、外観からはなかなかその存在に気付けない。窓際にテーブル席があるので、そこに人が座っていれば何かしらの飲食店であろうことは推測できるかもしれない。
人目を避けるような佇まいとは対照的に、店内は家庭的な明るさに包まれていた。内装や家具を木目調で統一し、温もりに重きを置いた雰囲気となっている。カフェミュージックが緩やかに流れ、ゆったりとしたこの空間で寛げるのはせいぜい十数人程度。隠れ家という名の通り、小さいなりに程よくまとまった店だ。
先ほどの女性客は、ろくにメニューも確認しないまま俺を呼んだ。
「お伺いします」
「デザートで、オススメってあったりしますか?」
「……でしたら、プリンはいかがですか?」
「じゃぁ、それを二つ、お願いします」
「飲み物はどうされますか?」
「ホットのコーヒーで」
「かしこまりました」
背を向けた途端、二人の話し声が嫌でも耳に入ってくる。
「……落ち着いてるし、クールだし、ヤバい……っ」
「髪も似合いすぎだよね……シルバー系であんなに似合ってる人、見たことない……」
二人の関心は明らかに隠れ家ではなく自分の容姿だった。最近、この手の客がちらほらと増えてきたように感じるのは気のせいだろうか。以前は辟易していたけど、今はそれも通り越して感情すら湧いてこなくなった。事務的な接客をする自分を、カウンターに立つオーナーは何とも言えない顔で眺めていた。
また木製のドアが開いた。ドアベルが客の入店を知らせる。
「おぉ、久し振りだな」
オーナーが親しげに声をかけた。客は男性二人組、オーナーの友人だった。
前を歩いていた男は挨拶を返しながら、何かを探すように店内へと目を向けた。俺と目が合う。
「こんにちはー」
立花望は頬を緩め、人懐っこい笑みを浮かべた。
「どうも。奥、どうぞ」
二人の定位置となっている部屋の奥、窓際のテーブル席を案内してカウンターへと戻る。
「……うそ……カッコ良くない……?」
「……このカフェ、すごいね……」
先ほどの女性二人が、今度は立花達に目を向けた。自分はともかく他の客に迷惑をかけるようなら、一声かけるべきか。そんな考えが過ぎったところ、オーナーの久瀬大輔に肩をポンと叩かれた。
「はいはい。アイツらは大丈夫だから。先にコーヒーお願いね。俺はデザートの用意してるから」
飄々とした物言いながらも、マグカップを押し付けて奥の厨房へと入って行く。
七歳年上の彼は一八〇を超える高身長と線の細い体躯の持ち主で、腰巻きのエプロン姿がとても様になっている。肩程まで伸ばした髪は「カフェの店員と言えば長髪」というイメージがあるらしく、勤務中は後ろで結っていた。
口を噤み、指示通り女性客へコーヒーを届けると、今度はウォーターグラスを手にする。
水を注いでいる間、何かを感じてふと視線を上げた。こちらを見ていた立花と視線がぶつかる。相手は目を瞠ると、取り繕うようにぎこちなくはにかんだ。
訝しく思いながら、ピッチャーを置いて彼らの元へ運ぶ。
「何かありましたか?」
「えっ。あー……。いや……なんか、また一段と男前になったなぁって思って」
この手のお世辞がお世辞に聞こえない。立花にはそんな素直さがあった。
人柄の良さに加えて、容姿も良い。身長や体型が優れているというより、何でも着こなしてしまうバランスの良さと雰囲気があった。
愛嬌の滲む目が、ホワイトシルバーに染まった頭を見た。
「髪、切った?」
「……切りはしましたけど」
昨日は水曜で店の定休日だった。前々から毛先が伸びて少し鬱陶しく感じていたので、予約していた美容室で確かに髪を切った。けれど、一ヶ月ほどしか経っていない内に切ったため、大して髪型も変わっていないはずだ。髪色だって変えていない。
それでも相手の目には雰囲気が変わったように映るらしい。
「爽やかで良いね。似合ってる」
にっこりと浮かべた笑顔の方がよっぽど爽やかだ。返事に困った自分は、とりあえず仕事に専念することにした。
「今日はどうしますか?」
「そうだなぁ。どうしようかな」
「俺、アイスコーヒー」
立花の向かいに座る早乙女俊介が、ここにきてようやく声を発した。元より口数が多いタイプではないようで、手にしたスマートフォンから目を離すこともしない。澄ました表情は整った顔立ちをよりクールに際立たせる。そこに無愛想な態度まで加わると、印象がさらに悪くなる。
「それだけ? 何か食べなって。そのために連れて来てるんだからさー」
立花の言葉に、切れ長の目が反応して相手を見遣った。けれど言葉を発することはない。
すると、カウンターの向こうから久瀬の声が飛んでくる。
「そうだぞー。どうせまだ何も食べてないんだろ?」
時刻はもうそろそろ午後二時半を迎えようとしていた。
早乙女は在宅で動画編集の仕事をしており、生活が不規則らしい。インドアな性根もあってますます外へと出なくなった友人を、商社勤めの立花が休日を利用して隠れ家まで連れ出しているのだという。
「サンドウィッチにしとくか?」
「うん。それでいいや。お願い」
早乙女の意見も聞かず勝手に二人で決めてしまうと、久瀬は厨房へと引っ込んだ。
「飲み物はー……、俺もアイスコーヒーにしようかな」
こちらを見上げ、再び笑顔を振りまく。その向かいでは、世話を焼かれようがお構いなしでスマートフォンをタップし続けている男。
「かしこまりました」
何とも独特な関係だ。三人を見ていていつも思う。久瀬の話では立花、早乙女との付き合いは高校時代からだそうだ。今のような調子で学生時代からつるんでいたらしい。
フロアへ目を向けると、別のテーブル席にいた桃井がこちらを見ていた。彼女は近くの私立大学に通っている学生で、常連客だ。文庫本を手にしながらも、今のやりとりを眺めていたようだ。おしとやかな彼女の唇も緩やかな弧を描いていた。
女性二人組のオーダーを片付けて厨房を覗くと、久瀬はサンドウィッチの調理中だった。キッチンは手狭で、男二人で立つと何かと不自由だ。ただ、外から見ていても彼の作っているものに違和感を覚える。
「久瀬さん」
「こっちはもうできるから、ドリンク淹れてくれる?」
久瀬は手を止めることなく告げる。
「わかりました……けど、久瀬さん。どれだけ作ってるんですか」
「ん? あぁ、二人でつまめるようにね」
「……ほどほどにして下さいよ……」
大方完成しつつある料理を前にしながらも、そう声をかけずにはいられなかった。
二人分のアイスコーヒーを準備し終えたところで、久瀬が奥から出てきた。手にした皿を見て盛大に溜め息をつく。
「一応、注文は一人分なんですけど」
ただでさえボリュームを売りに採算を度外視しているサンドウィッチを、通常四つのところ、六つも皿に乗せていた。
「まぁ、いいじゃない」
客とはいえ、オーナーの友人なので何をどうサービスしようが自由にすればいいと思っている。ただ久瀬のこの気前の良さは友人相手に限らない。下手をすれば初めて来店した客に対してさえ、同じようなことをしかねない。はっきり言って商売にはとても不向きな人だった。こういう事をするからいつまで経っても店の経営に余裕が生まれないのだ。
しかしながら、この人柄に惹かれてやって来る客が大半なので、何とも言い難い。
皿に盛られたサンドウィッチを見て、立花は素直に喜んだ。久瀬にも礼を伝えて、早速早乙女にも食べるように勧める。
「……可愛いよね……」
「……うん。すごく可愛い……」
話が尽きない女性二人組は、店を出るまで静かに騒ぎ続けていた。隠し撮りをしたり、あれこれ訊いてくることもなかったので、その点では助かった。ただ、ドアが閉まった途端、我慢していたものが一気に溢れ出したのだろう。興奮気味に声を上げていた。
桃井も退店し、しばらくして立花と早乙女も席を立つ。
「大輔、そろそろ帰るわ」
「あぁ。ありがとうな。俊介もちゃんと飯食えよ」
「はい、はい」
いつものように立花が会計を済ませる。
「ありがとう。美味しかったよ」
爽やかな笑顔を振りまきながら、彼は律儀に自分にも声をかけてくれる。その気遣いが今日は心苦しかった。
「騒がしくてすみませんでした」
「え? ……あぁ、さっきの女の子達のこと? 元気だったよねぇ」
彼女達が立花や早乙女を見ながら話をしていたことも恐らく気付いているはずだ。それでも彼は特に気にした様子もなく、のほほんと告げた。
「俺達は全然大丈夫だよ。むしろ坂本君の方が毎回大変だね」
立花もまた、自分があの手のタイプを苦手としていることを知っていた。「お疲れさま」と逆に労いの言葉をもらってしまい、さらに恐縮する。
「今日はコーヒーもおかわりしちゃったし、サンドウィッチで腹もいっぱいだし」
大満足だと腹をさすりながら上機嫌に笑ってみせる。陽気な振る舞いは、こちらの気を紛らわせようとしてくれているのかもしれない。
不意に、立花の背後で早乙女が呟いた。
「望は時間あるんだし、ゆっくりしていけば?」
「……うるさいなぁ。行くぞっ」
立花は強引に彼の腕を掴むと、引っ張るようにして店を出て行った。
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