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第12話

 立花と別れた後、自宅へと戻る道すがら、彼にメッセージを送った。 『今日は本当にありがとうございました。気を付けて帰って下さい』 『ありがとう。坂本君も気を付けてね』 『たまに、こうやってメッセージを送ってもいいですか?』  十五分ほど間を置いて『いいけど』という返信が届いた。眉根を寄せ、物言いたげな目がこちらの様子を窺っている。たった四文字からそんな姿を思い浮かべて、眦が下がった。  それから二週間が経とうとしていた。隠れ家にまた新しい写真を飾り、ふとひらめいた。これを立花に知らせてみるのはどうだろう。見に来て欲しいと伝えたら、都合の良い時にでも隠れ家に来てもらえないだろうか。  そう考えを巡らせているところに、タイミング良く、立花は早乙女と一緒にやって来た。  レジカウンターにいたため、ドアが開いてすぐ声をかけた。 「お久しぶりです」  珍しく早乙女の後をついてやって来た立花は、肩を揺らしてこちらを見遣った。すぐに笑みを浮かべたがどこかぎこちない。  窓際の席には先客がいるため、別のテーブル席へと二人を案内する。お冷を用意して持って行くと、メニュー表も手に取らず、立花が見上げてくる。 「注文、いい? アイスコーヒーとナポリタンを二つずつお願いしたいんだけど」  目が合ったのはその僅かな間で、用件を伝え終えるとそのまま伏せられてしまった。いつもなら他愛もない話を交えながらオーダーを聞いていた。味気なく感じてしまうのはきっとそのせいだろう。  せっかく会えたのだから近況くらい聞きたい。口を開きかけたところ、早乙女が釘を刺してきた。 「以上ですけど」  相変わらずスマートフォンを片手に、胡乱げな眼差しで突き放してくる。その一言を押し遣るほどの言葉が出てこず、オーダーシートを握り締め、引き下がった。  厨房で調理中の久瀬の元へ向かう。 「久瀬さん。立花さんと早乙女さんが来ました」 「あー、そう……って、どうした。そんなむくれて」 「むくれてません」 「そう? アイツら何か食べるって?」 「ナポリタンを二つだそうです」 「了解。これ、桃井さんのところにお願いね」  生クリームとともに、三つもさくらんぼが乗ったプリンを渡される。余分に乗っている小さな果実に溜め息をつきそうになったが、桃井に目を向ければ、そんな気持ちも霧散していった。  大学の前期試験が近いこともあり、講義に出席する学生が増えてきた。比例するように、隠れ家を訪れる学生も増え、今日も九割ほど席が埋まっている。桃井もこの時期になると文庫本ではなく、ノートを開いて難しい顔をしている。 「お待たせしました。プリンです」 「ありがとうございます。……たくさん乗ってますね」  いつにも増して飾られているさくらんぼを見て、彼女は笑みを零した。 「試験、頑張って下さい」 「ありがとうございます」  桃井のオーダーを終え、立花と早乙女のドリンクに取りかかる。その合間、視線はふらりふらりと立花の方へと引き寄せられていく。  立花は、彼の席からは遠いながらも写真を眺めていた。ちょうどいい。話題のいいきっかけになる。そこから目が離れてしまう前にと、手早くコーヒーを淹れた。  けれど、彼らのテーブルに辿り着いたところでまた一組、客がやって来た。顔を顰めてしまいそうになるのを既のところで思い留まり、女性二人を出迎えた。  久瀬にナポリタンができたと呼ばれた時、再びチャンスが巡ってきたと思った。 「大変お待たせしました」 「ありがとう。なんか忙しい時に来ちゃってごめんね」  立花は気遣う言葉をかけてはくれた。けれど早々に粉チーズのボトルを手にしてナポリタンに振りかけ始めた。早乙女もフォークを手にして食べ始める。拍子抜けした俺は、やっとの思いで「ごゆっくりどうぞ」と口にした。  カウンターへ戻ると、厨房から久瀬が出てきた。オムライスを両手に、俺の顔を見るなり眉を顰めた。 「何。どうしたの?」 「……何がですか」 「苦虫でも噛み潰したような顔してるけど」 「気のせいですよ。それ、持っていきます。二番テーブルですよね」  手を差し出すが、相手はじっとこちらを見つめてくる。腹の底を探るような目付きに、反射的に唇を引き結んだ。 「……すみませんでした。持っていきます、それ」  姿勢を正して改めて手を差し出すと、ようやく皿を受け取ることができた。  オーダーした料理が運ばれると、女性二人は和やかに言葉を交わす。 「レトロな感じでいいね」 「こんなお店があるなんて知らなかった」 「私も。ゆっくりできるし、良い所だね」  喜ばしい声が聞こえてくるというのに気もそぞろだった。どうしても意識は立花へと引き寄せられていく。  いつもと変わらない様子で食事を楽しんでいる。時々、小声で早乙女と何か話をしていた。早乙女がフォークを置いて、スマートフォンを操作する。画面を立花に見せれば、彼は小さく吹き出し、くすくすと笑う。 「お客様を睨んじゃダメだよー」  いつの間にいたのか。背後から、突然久瀬がそう言い放った。 「…………睨んでませんよ……」 「睨んでるじゃない」 「今は、睨んでます」  屁理屈に対して久瀬は陽気に笑ってみせた。「ちょっとお願いね」と断りを入れると、そのまま立花と早乙女の元へ向かって行った。友人の顔をして談笑する三人を、カウンターからぼんやりと見つめ続けた。  一人、また一人と席を立っていき、店内は徐々に閑散としていく。桃井が帰り支度を整え始めた頃、立花と早乙女も席を立った。早乙女はそのまま店の外へと出て行く。  会計を終えた後が最後のチャンスになる。さり気なく写真の話を振ろう。慎重に、そして丁寧に手を動かしながら、タイミングを見計らう。  しかしながら、こちらの目論見を余所に、立花の方から声をかけてくれた。 「写真、変えたんだね」 「あっ、はい」  不意を突かれて、素っ気ない返事をしてしまった。相手は気にした素振りもなく、頬を緩めた。 「良い写真だね。……良かった……」  写真の出来映えよりも、何か気にかかっていたことがあったようだ。ほっと胸を撫で下ろす。 「良かった、ですか?」 「うん。……その、上手く言えないんだけど……前の、木の道の写真は、なんか元気がないように見えたんだよね」 「……そう、見えましたか?」 「ごめんね。変なこと言って」 「いえ…………」  思案するように写真を眺めていた彼の横顔が、心の中でしこりとなって残っていた。やっぱり納得できていないものを飾るのは良くない。久瀬から仕事として任せてもらっているし、何より自分の写真を立花は好きだと言ってくれた。大切にしていたはずのことを、どうして忘れてしまったのか。居ても立ってもいられなくなり、すぐに通い慣れた緑地公園へ向かった。  芝生の広場で一番開けた場所を探し、突き抜けるような青空とともに切り取った。額縁に入れて飾ると、よりいっそう清々しさが映えた。久瀬にも隠れ家の雰囲気が明るくなると好評だった。 「あ、前の写真が悪いって言ってるわけじゃないよ。ただ、何て言うか……スランプっていうのかな。そういう感じなのかなって思って。だから、あの写真見て安心した」  彼は写真を見て、ふわりと微笑んだ。輝きが舞って、その光に惹き寄せられる。胸の奥にじんわりと熱が広がっていく。 「良かった…………」 「ん?」 「立花さんの、そういう顔が見たかったんで嬉しいです」 「………………」 「立花さん?」  みるみる内に、相手は顔から火が出そうなほど真っ赤に茹で上がっていく。 「……そういうこと、言うなよ……っ……」 「え」 「……勘違いするだろ……っ」  吐き捨てるなり、扉に向かって脱兎のごとく逃げた。自分の前から立ち去る姿がフラッシュバックして、咄嗟に足が動いた。  ドアを閉めようと振り返った立花は、遮るように立ちはだかった俺を見て声を上げる。 「びっ、くりした…………!」 「すみません。驚かすつもりはなくて……その、またお待ちしてますので」  かしこまっていたのは言葉だけだった。「また来るよ」と、彼の口から聞きたい。そんな欲求が端々から駄々漏れていた。 「…………それ、言いにきたの……?」  上目にこちらを見つめてくる。真意を確かめるような目付きを真正面からしっかりと見つめ返し、頷く。 「はい」 「………………もうっ、ほんと最低っ」  顔を真っ赤にしたまま、彼は階段を駆け下りて行ってしまった。  言葉にはしてもらえなかったが、それでもまた隠れ家に来てもらえる。不思議と確信は得られた。  店内に戻ると、久瀬が丸くした目を瞬かせていた。 「……坂本君はあれだね。ツンが強い分、デレが強烈だね」 「何ですか、いきなり」 「何でもないよ。こっちの話」  困ったように、彼は笑った。

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