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第14話
新メニューに加えたマフィンは、思いの外テイクアウトで好評だった。さらに常連客から「冷たいマフィンがあればいいのに」という声があり、試しに作ってみるのはどうだろうかという話にもなった。
雑談に近い打ち合わせを終え、久瀬よりも先に隠れ家を出た。ドアを開ければ纏わり付くような熱を全身に浴び、思わず顔を顰めてしまう。駅までのわずか五分の距離を歩いただけでも、じんわりと汗が滲む。
そんな茹だるような暑さが、思いがけず立花の姿を見つけてどこかへ消えた。
クールビズのシャツにビジネスバックを手にしているところからして会社帰りのようだ。柱に持たれかかりながら、スマートフォンを眺めている。
足早に歩み寄ると、相手は顔を上げた。
「え。……坂本君……?」
きょとんとした顔は少し間抜けで、自ずと目尻が下がった。
「お疲れさまです。待ち合わせですか?」
「うん、そう。大輔と俊介と食べに行く約束してて」
彼の目がちらりと手にしたスマートフォンを見遣る。
まさか久瀬と待ち合わせているとは思ってもいなかった。そんな素振りもなく、久瀬はあれこれと話をしていたため、自分も呑気に話し込んでしまっていた。
もしかして、かなり待たせていたりしないだろうか。
「すみません。もしかして結構待ってますか?」
「いや、さっき着いたばっかりだから。何で坂本君が謝るの?」
おかしそうに、それでいて困ったように立花は笑う。
「俺、今まで久瀬さんと打ち合わせをしてたんです。だから待たせてしまったんじゃないかと思って」
「あぁ、そうだったんだ。全然待ってないよ。むしろちょっと早く着いちゃったから、どうしようかなぁって思ってたくらいで」
話しながら、彼はゆっくりと辺りを見渡した。
それなら、もう少しこのまま話を続けてもいいだろうか。せっかく会えたのだ。あと少しだけこの場にいたい。
「この間は夜中に突然メッセージを送ったりしてすみませんでした」
「いいって。ちょうど寝付けなくて起きてたから。でもビックリした。まさか誘ってくれるなんて思ってなかったから」
浮かべた笑顔はとても爽やかだった。嘘ひとつないと言わんばかりで、胸の奥に何とも言えない物寂しさが広がっていく。
「『送る相手、間違えてない?』って言われて、ちょっと凹みました」
沈む気持ちを持ち上げるように冗談を言ってみたものの、思いの外、責めるような口振りになってしまった。
立花は大仰に目を瞬かせて破顔した。
「ごめん、ごめん。本当にちょっとビックリしちゃって。誘ってくれて嬉しかったよ」
優しくあからさまに宥められてしまい、頬が熱い。口を噤む俺を余所に、相手は話を続けた。
「あの時も話したけど、俺、花火観るのが好きなんだよね。夏と言えば花火っていうくらい、観ないと夏が始まらないし、終わらないっていうか。いいんだよねぇ。ド派手で綺麗だけど、でも一瞬で消えてなくなる儚い感じがさぁ……観終わった後、妙に寂しくなるんだよね。あー、夏が終わるなぁ……みたいな」
「…………」
想像以上の熱量だった。誘った甲斐があったと思う反面、楽しそうに話す彼を見ていると、どこか腑に落ちない感覚が拭えない。
「坂本君はそうでもない?」
こちらを気にかけるように、相手は尋ねてきた。
「俺も好きですけど、立花さんほどではないです。少なくても、観なくても夏は終わります」
正直に答えると、相手は噴き出して笑った。屈託のない表情から目を離せない。
「相変わらずだなぁ。そう言えば、チケットをもらったって言ってたけど、すごいね。手に入れるのも大変なのに」
「久瀬さんが譲ってくれたんです」
「大輔が?」
意外だと言わんばかりに聞き返してくる。やはり久瀬は立花に声をかけなかったようだ。こんなにも観たがっている相手がいるのにどうして声をかけなかったのか。眉を寄せ、口を閉ざしてしまった相手を見つめながら、そんな謎が頭を過ぎる。
「……大輔、何か言ってた?」
恐る恐る立花がこちらを見つめてくる。何に怯えているのかはわからないが、漠然と安心してもらいたいという気持ちが湧いた。
「特に何も。誰か誘って一緒に行っておいでって言ってましたけど」
「そう……」
「あれ? 坂本君?」
突然名前を呼ばれて振り返ると、久瀬と早乙女がすぐそこまで来ていた。
「どうした? 望に捕まった?」
久瀬はおどけるように笑ってみせ、早乙女は気怠そうに視線を逸らした。
「いえ。どちらかというと俺が立花さんを捕まえた方です」
「坂本君が?」
「坂本君も冗談に付き合わなくていいから。二人が遅いから、話し相手になってもらってたんだよ」
軽く睨め付け、こちらに向き直った立花は「引き止めてごめんね」と眉を下げた。
「あー、そうだったのか。じゃぁ、坂本君も一緒に来る? 俺達これから近くの店に行くんだけど、お詫びに驕るよ」
何か考えがあってのことなのか。それともそのままの意味なのか。飄々と言ってのける久瀬を、隣の早乙女がじろりと彼を見遣った。
「大輔、お前なぁ……」
そう声をかけた立花も、何と言葉を続けてよいものか、考えあぐねているようだった。
誘いの意図はよくわからないが、自分としては目的も果たしたため、もうこの場にいる必要がなかった。
「いえ、このまま帰ります。明日も早いので」
「雇い主に向かってそんな寂しいこと言わないでよ……」
久瀬が情けない声を上げるので、「あんまり呑み過ぎないで下さい」とさらに付け加えておいた。
「立場、逆転してるじゃん」
くすりと笑みを零す立花と目が合い、自分もつられて口の端を緩めた。
「それじゃぁ、俺はこれで」
「ありがとう。またね」
ホームに着いたところで、タイミング良く電車もやって来た。
ゆっくりと列車が走り出し、おもむろにつり革を掴んだ。窓の外へ目を遣れば、夜の街並みにぼんやりと自分の姿が反射して映る。
『またね』
別れ際の立花の言葉をまた反芻してしまう。窓に映る自分がくすぐったさを噛み締め、だらしない顔付きをしている。取り繕うように顰めていれば、今度は突然の揺れにバランスを崩して倒れそうになる。つり革を強く握り締め、体勢を立て直す。
そんなことを繰り返している内に、いつの間にか降車駅に到着していた。乗り込んでくる人を押し退け、何とか下車したところで力尽きて立ち止まる。
「……何やってんだよ……」
列車も走り去り、人気もなくなったホームで、そう呟かずにはいられなかった。
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