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エピローグ
「レモンのマフィン、すごく美味しかったです。ごちそうさまでした」
女子学生二人はニコニコと笑顔で店を後にした。
「あの二人、前にも来たことあったよね」
久瀬はカウンターからドアの方を眺めつつ、腕を組んだ。記憶を辿っているのか、遠い目をしている。
「確か二度は来てくれてると思います」
「やっぱりそうか。気に入ってくれたのかなぁ」
「どうでしょう」
「ちょっと。せめてそこは『そうですね』って頷こうよ」
ツッコミを背中で聞きながら、テーブル席の片付けを始める。
近くの大学が夏休み期間中ということもあり、この時期の営業は終始のんびりとしていた。久瀬と他愛もない話をしている時間の方が長いくらいだ。
「レモンのマフィン、また無くなりましたね」
食器を全て運び終えたところで、俺はそう切り出した。
試行錯誤の上、完成した冷たいマフィンは好評で、客足が少ないながらも連日売り切れていた。今日も先ほどの女性客の注文した分で売り切ってしまった。
これもひとえに、青果店の奥さんの「柑橘系の果物を使ったみたら?」というアドバイスのおかげだ。
「でもプレーンの方は今日も残りそうですね」
「そうなんだよねぇ。この際だから、冷やしマフィンオンリーにしてみようか」
「一度試してみたいです」
「で、上手くいったら、夏の名物ってことで、夏が来たら『冷やしマフィンはじめました』ってメニュー表に書いてさ」
「それはやめて下さい」
容赦なく指摘すると、久瀬は「えぇ、ダメ……?」とあからさまに肩を落とした。
そんな相手から、視線を壁掛けの時計へと移す。閉店まであと一時間ほどに迫っていた。
もうそろそろかな。
隠れ家にまた新しい写真を飾った。それを立花に知らせたところ、「今日見に行く」と連絡がきたのだ。
今回の写真は彼と一緒に海へ行った時に撮ったものだった。海水浴シーズンは終わってしまったけれど、写真を撮るために海へ行く計画を立てていると、何ともなしに彼に話をした。
『それって一緒について行ったら、迷惑だったりする?』
『迷惑ではないですけど、写真を撮るだけなので……』
一緒に行くなら、また別の機会にしたい。そう続けようとしたが、立花はそれを遮ってきた。
『坂本君が見てる景色、一度でいいから見てみたいんだ』
邪魔はしないと重ねて乞われた。
以前、同じようにお願いをされ、彼女をつれて行ったことがあった。撮影に没頭するあまり、帰り際まで彼女が機嫌を損ねていることに気付きもしなかった。苦い思い出が蘇る。
「お願いします」と念押しされてしまい、不安を残しながらも立花と水浴場へと向かった。
『なんか自然の力ってすごいな……波の音ってこんなに癒やされるんだ……』
撮った写真を確認している隣で、しみじみと呟いていた姿を思い出す。
彼は本当に隣で一緒になって景色をただ眺めていた。
おもむろに立ち上がり、波打ち際まで歩いていく彼の後ろ姿を何ともなしに目で追った。そして凝り固まった体を伸ばすように手を広げ、空を見上げた。
雲一つない真っ青な空を仰ぐその姿があまりにも絵になっていて、思わずシャッターを切っていた。
音に振り返った相手は、撮られていることに気付くや否や、文字通り飛び上がった。そんな姿も写真に収めたかったが、突進する勢いで走ってきた彼にレンズを塞がれ、叶わなかった。
「どうした、楽しそうに笑っちゃって」
久瀬に指摘され、慌てて頬を引き締めた。けれど、揶揄するような物言いとは裏腹に、こちらを見る目は見守るような温かさがあった。
「幸せそうで何よりだ」
「…………そうですね」
額縁へと目を向ける。そこに飾られているのは、あの時に撮った立花の後ろ姿だ。
「望さんのおかげです」
はっきりと言ってのければ、久瀬は眩しそうに目を眇めた。
「そう言えば、結局、望にはあの写真にしたって言ったの?」
「いえ。言ってません」
立花には砂浜から澄んだ青空と広大な海を映したものだと伝えていた。確かにそれも、もう一つの候補だった。
「そっか」
久瀬は楽しそうに口の端を持ち上げる。
「『何これ、どういうことだよ! 今すぐ外して!』って喚きそうだな」
「俺もそう思います」
驚愕した立花が顔を真っ赤にして訴えてきそうだ。思い浮かべると、引き締めていた頬がまた緩んでしまった。
ドアベルが軽やかに鳴った。振り返り、やって来た男のタイミングの良さに笑ってしまった。
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