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第6話
「こんにちは。天野です」
鷹使は依頼主の大野を見るなり、見たこともない笑顔で近付いて行った。
大野は小柄な女性で、歳は見た目で八十代くらいだろうか。奥の畑で仕事をしていた彼女は鷹使を見るなり、よく来たねぇ、と立ち上がる。その足腰は年齢よりもずっとピンピンしていて、鷹使の元へ歩いてきた。
「お仕事の邪魔をしてすみません。お元気そうですね」
緋嶺は笑顔で話す鷹使を横目で見て、コイツは誰だ、と寒気がした。緋嶺と話している時とのギャップがあり過ぎて、思わず笑いそうになる。
「あ、今日からアシスタントが入りました」
「鬼頭です。よろしくお願い致します」
緋嶺も配達員の仕事で板についた、営業スマイルで自己紹介をする。その時鷹使が笑ったような気がしたけれど、無視をした。
大野は皺のある顔をもっとしわくちゃにして笑うと、持っていたスコップで玄関を指した。
「中へお入り。お茶を出すからねぇ」
「おかまいなく。ご依頼の、電球交換はどちらの部屋ですか?」
三人で家に入ると、中は広かった。大野に案内されるままついて行くと、彼女はキッチンの蛍光灯を指す。
「えるいーでぃーに換えると、長持ちするんだろ?」
買ってきたから、と大野は机の上にある新品を指す。鷹使は、こちらも切れそうでしたからねぇ、と微笑んだ。すると大野は、あとアレ、と隣の部屋に置いてある新聞やら本やらを指した。
「アレは処分してくれ」
「分かりました。……緋嶺」
重たいものを運ぶのは得意だ。緋嶺は鷹使の指示通り動き出す。すると、本に混ざって写真がある事に気付いた。写真どころか、古い卒業アルバムらしきものまである。
「……大野さん、これ……本当に捨てて良いんですか?」
キッチンで鷹使が蛍光灯を交換する様子を見ていた大野に、緋嶺は尋ねた。すると彼女は苦笑する。
「……良いんだよ。息子のだから」
緋嶺はそうですか、とそれらをまとめ始めた。その部屋には男物のジャンバーやズボンがカーテンレールにハンガーで掛けてあり、大きなテレビも置いてあった。キッチンからの位置的に、ここがリビングのようだけれど、野球のサインボールやタバコの箱とライター、まとめた新聞はスポーツ紙と、依頼主から想像つくような物は見当たらない。
とりあえず、依頼だからと緋嶺はそれらを鷹使の車へ運んで行った。
運び終わると、鷹使が玄関で緋嶺を待っていた。こっちだ、と言われてついて行くと、先程の部屋の玄関を挟んだ反対側の部屋へ通される。
そこには先程見たよりも少し小さなテレビ、大野が着ていたジャンバー、座椅子にコタツがあり、コタツの上にはお煎餅とみかんとお茶が置いてあった。他にも家庭菜園の本や、スポーツ紙ではない新聞、孫かひ孫の写真が飾られており、ここが大野の普段生活しているスペースなんだな、と分かる。
すると飾られた写真の横に、白い石がある事に気付いた。室内でも僅かな光を集めているのか、キラキラと光っている。緋嶺は妙にそれに惹かれて、思わず手に取った。
緋嶺の手のひらの半分程の大きさの石は、綺麗と言うだけで他に何も無い。それをじっと見ていると、おい、と鷹使の咎める声がした。
「勝手に触るんじゃない」
「あ、すみませんっ」
ちょうどカステラを持って来た大野に謝り、石を元に戻そうとした。けれど何故かその石は緋嶺の手をするりと抜け落ち、コタツの敷布団の上であっさりと割れてしまう。
「わっ、嘘っ? ごめんなさい!」
慌ててその石を拾い集めると、大野は良いんだよ、とカステラをコタツに置いた。
「ひ孫が拾ってくれたんだ。何の変哲もない石ころだよ」
子供は純粋だねぇ、と大野は笑う。しかし鷹使はこちらを咎める目で見ていた。緋嶺は首を竦める。
「それだったら、大切な物なんじゃないんですか?」
「また新しい、綺麗な物をくれるさ」
動じていない大野に困った緋嶺は鷹使を見る。鷹使は深々と頭を下げ、大野に謝罪した。
緋嶺は鷹使と共にコタツに入ると、大野がくれたカステラを頂く。ザラメが着いたカステラで、口の中でシャリシャリとした食感がして美味しい。
ふと、緋嶺は飾られている写真を眺めた。年代順に並べてあるのか、孫が産まれ、ひ孫が産まれ、と人数が増えている。しかしある所で、いつも大野の隣りにいた男性がいなくなっているのだ。どの写真も立ち位置がみんな一緒で、見た目からしても大野の……。
それに気付いた瞬間、緋嶺は立ち上がって鷹使の車へ向かう。鷹使は呼び止めたけれど、無視した。そして先程まとめた新聞や本をもう一度仕分け、写真とアルバムを取り出す。
(あの部屋は息子さんの部屋だ)
多分いなくなってから、ずっとあのままなのだろう。きっといなくなる前は、大野の私物や写真もあの部屋にあったに違いない。
緋嶺はそれらを抱えて戻ると、大野に差し出す。
「これは、やっぱり処分できません」
「……」
しかし大野はため息をついてそっぽを向いてしまった。
鷹使が口を開く。
「おい、それも依頼だ。勝手な真似をするな」
「本当に、捨てて良いんですか?」
緋嶺は鷹使を無視して、改めて大野に尋ねる。大野は首を静かに振って、またため息をついた。
「親不孝者の息子なんざ、知らね」
「でも、帰ってくると思ってるから、あの部屋は空けてるんですよね?」
でも、息子がいない現実を認められなくて、息子の面影を探してしまうのが辛くて見たくなくて、片付けられないでいた。何とか写真や新聞だけ集めたんじゃないのか、と緋嶺は考えたのだ。
すると大野は両手で顔を覆った。
「山の様子を見に行ったきり、帰って来ないんだ。嫁も孫も、仕事するためにここを離れた……」
大野の家の奥には、山に繋がる道があった。多分そこから出掛けて、未だに見つかっていないのだろう。
「……こりゃもう諦めなきゃと決めたのに、お前ってやつは……」
大野は手を外して緋嶺を見る。そして皺々の手で緋嶺の持つアルバムをそっと撫でた。
「だからって、思い出まで捨てる必要無いですよ」
見られるようになったら、見れば良いんです、と緋嶺は言うと、お前は良い子だね、と手を撫でられた。胸がきゅっと温かくなり、緋嶺は微笑む。
緋嶺はその写真とアルバムを元の部屋に戻すと、鷹使が帰る支度をしていた。
「ではまた。来週に」
「ああ。今度は何が食べたい?」
大野はそう言うと、鷹使はいつもお気遣いありがとうございます、と頭を下げる。
「鬼頭さんに聞こうかね。何が良い?」
「え、俺?」
大野は微笑んで頷いた。しわくちゃの顔で笑うから可愛らしいと思って、緋嶺も笑う。
「鬼まんじゅうが良いです。好物なんで」
鷹使は珍しく大笑いした。
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