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片付けたあとの塩ラーメン②
山積していたゴミ袋が姿をなくすと、意外と自分の部屋が広かったことに気づく。
とはいえ、放置していた雑誌や服が散らばっているので、俺と木戸さんは黙々と片付けたり、洗濯をしたりとやっている内に、気づけば夜も十時を過ぎていた。
「綺麗になった所で、契約書の確認をお願いしますね」
木戸さんはピカピカになったテーブルに俺が買ってきたペットボトルのお茶を置き、トートバックの中から大判の白封筒を取り出して渡してくる。大手の弁護士事務所の文字とロゴマークが下部にあった。
木戸さんの親戚の人って凄い所で働いてるんだな、と感心しながら中身を改める。
数枚をまとめた書類が二部。それぞれクリアファイルに挟まっていた。甲やら乙やらと書かれた正式な書類を端から端まで目線で追うと、こちらが提示した内容がちゃんと記載されており、ホッと安心する。
しかも木戸さんの記載が済んでいた。
本来なら雇用主である俺が準備しなくてはいけないものだ。
それを俺に負担がないようにと木戸さんが率先して動いてくれたことに、この人の優しさを無碍にはできないと心を引き締めた。
自分の住所と名前を書き、押印したのを二部。ひとつは自分で保管用。もうひとつは木戸さんが保有するものとして手渡す。
受け取った木戸さんは差異がないのを確認し終えると。
「それでは改めて、よろしくお願いいたします」
深々と頭を下げてくるのを「こちらこそ」と慌てて頭を振り下ろす。あまりにも勢いついたせいでゴチンとテーブルの端に額を派手にぶつけてしまった。
「あっ、つう……」
「結構凄い音しましたよね。大丈夫ですか、痛いですよね」
「へーき、です。音が大げさなだけで、そこまで強く打ってなかったみたいですから」
「ですが……」
ぎゅうううぅぅ……
「「……」」
空気を読んだか読まないんだか分からない俺の腹の虫が、ああだこうだ攻防を続けていた俺たちの動きを止めた。
「あー、そうですね。もう十時ですし。簡単に食べられる物を作ってきたので、お鍋をお借りしますね」
「えっ! 約束では明日じゃあ……」
「多分オレもお腹空くと思ったので、準備してきたんです。塩ラーメンお好きですか?」
塩ラーメン?
木戸さんからの質問に「好きですが……」と伝えると、木戸さんは立ち上がってキッチンへと向かう。それからすぐに戻ってきたかと思えば、右手には濡れたタオルハンカチが握られていた。
「準備しますので、それで少し額を冷やしたほうがいいですよ」
「あ、ありがとうございます」
恐縮しながらも木戸さんからタオルハンカチを受け取り、そっと額に乗せる。ジンジンと痛みを訴えていたその場所がヒヤリと冷たさを知らせる。
多分、普段の俺なら額をぶつけようが熱さえでなければ放置してたと思う。
ズボラな俺とは違い、木戸さんは几帳面だな、と感動を覚えつつ、冷えた心地よさに目を閉じた。
……それにしても、うちにあるの、鍋とやかんとフライパン位しかないのに、どうやってラーメンを作るのだろう……?
微かにキッチンから聞こえる様々な音。
大学卒業するまでは毎日聞いていた、鍋やフライパンの金属音、食器が触れ合うカチャカチャという音、包丁で何かを刻む均一のリズム。
それから、ごはんの炊ける匂いや、食材を炒める匂い、調味料の美味しそうな匂い。
この地に来てから初めて耳にする音や匂いに、なんだか胸が熱くなった。
「健一さん、お待たせしました」
頭上から降ってくる少し低くて艶のある声に、沈みかけていた意識がふわりと浮上する。
まだ冷たさの残るタオルを額から外せば、テーブルに並ぶふたつの丼。独り暮らしだけど、洗うのが面倒な時が多いので、百均でシンプルな陶器製の丼がいくつかあるのだ。
その中にはうっすら黄色味を帯びたスープと卵色の淡い麺、焦げ目のついた分厚いチャーシュー、こんもりと乗った白いもやし。どう見てもインスタントではないと分かるしろものに、俺は何度も目を瞬かせた。
「え……これ、インスタントじゃないですよね……?」
「勿論ですよ。自分が作るのに、健一さんにインスタントを食べさせる訳、ないじゃないですか」
「でも、スープとかはインスタント……」
「じゃ、ないんですよね。まあ、とりあえず麺が伸びちゃうので食べませんか?」
木戸さんはそう言って、俺の前に見慣れた箸を並べてくれた。
「「いただきます」」
自分の手を合わせて唱和する。俺は箸を持って丼に差し込み、そっと麺を持ち上げると、ブワリと湯気が一気に立ち上る。
ふわりと漂ういい匂いに、俺の胃が早くと収縮してくる。箸にかかったツヤツヤの麺を口に頬張ってズゾゾと啜った。
「うま……」
「良かった。スープがほぼ初めてだったので不安だったんですよね。健一さんが気に入ってくれて良かったですよ」
木戸さんの声が聞こえてくるが、俺の意識はラーメンに釘付けだった。
あっさりとした塩味のスープは色んな野菜の味が複雑に絡み合っていて、インスタントのようなパンチはないものの、夜も十分更けたこの時間にはもってこいな優しさで溢れている。
麺もツルツルなのにスープにちゃんと絡まってて、喉に流し込むと卵の微かな香りが後を引く。
分厚いチャーシューは豚肉だと思っていたら、なんと鶏肉だった。皮の部分を炙ったからか、香ばしくてタンパクなスープとの相性もいい。それからもやし。さっと湯どうししてあるようだ。温かいのにシャクシャクと歯触りが心地よい。
「凄い。まるでラーメン屋さんの塩ラーメンみたいです」
「ふふ、そう言っていただけると嬉しいですね。でも、実際時間ってそんなに掛かってないんですけどね」
「そうなんですか」
どうやら複雑なスープは木戸さんの自宅で端切れの野菜や皮を炒めて水で煮たものに、市販の鳥ガラスープで味付けしたものらしい。一緒に丸めて糸で巻いた鶏肉も入れて味に深みを与えたとのこと。
その鶏肉がチャーシューとして調味料で味付けして、食べる寸前にグリルで炙ったそうだ。
それで、スープを温めてる横で、もやしを軽く湯通しして、麺を茹でたものらしい。
「はー。凄いですね。流石プロだ」
「プロ……ではないんですけどね。趣味が高じただけなので」
どこか寂しげに微笑む木戸さんの姿に、まだ出会って二日目の俺は質問するべきではないと、湯気で白くなる中を掻き分けて麺を啜った。
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