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悲しみのきつねうどん
「高任さん、最近痩せたんじゃありませんか?」
平日の昼、一緒に営業に回っていた同僚からの一言に、心臓がドキンと跳ねる。
「あー、まあ、どうだろう? うち、体重計ないからさ」
曖昧に言葉を濁し、食べかけのきつねうどんを啜る。関東のうどんのつゆは、妙に真っ黒でしょっぱい。実家は母親が関西の出だったから、つゆが丼の底まで見えるほど澄んだものだった。
新幹線に乗れば三時間で行ける場所なのに、こんなにも東と西で同じうどんでもつゆが違うなんて、日本って狭いようで広いな、とぼんやりと思ったものだ。
「毎日見てる俺が気づく位ですよ? もしかして、体調でも悪くしたんじゃ……」
「平気だって。こうしてちゃんと食べられてるし。ほら、お前もさっさと食わないと、午後一でアポ取った会社に間に合わなくなるぞ」
ほらほらと急かせば、同僚は唇を尖らせたまま、半分以上減ったカツ丼を掻き込んでいた。
元恋人のみどりママと、そのママが溺愛している雪乃に慰められ、一時期は落ちていた食欲も回復していた。
しかし、とある出来事を目撃して以来、今度は前よりも食欲が落ちてしまったようだ。同僚に言ったように体重計はないものの、明らかにサイズが変わったスラックスやベルトに実感が湧く。
いや、一応は食べている。だが、どうしても体が耐え切れずに吐き戻してしまうのだ。
まさか、木戸さんが女性と一緒にいるのを見ただけで、メンタルに来てしまうなんて……こんなに自分が弱くなっていたことに驚愕しかない。
十日前、土日は木戸さんが来ないので、俺は食べる物を求めて近所のスーパーへと足を伸ばしていた。
冷蔵庫に木戸さんが作り置きしてくれたきんぴらと小松菜の煮浸しがあるのを思い出し、それならばそれに合ったメイン惣菜を買えば夕御飯はなんとかなるだろうとの算段だった。
最近はコンビニをほとんど利用しなくなっていた。なんというか、妙にしょっぱかったり、口の中に甘さが残ったりと美味しさを感じなくなっていたからだ。
正直、スーパーの味付けも口に合わないものが多かったものの、コンビニに比べればましな部類だった。
完全に木戸さんの味に舌も体も慣れてしまった。多分、契約が終了してしまったら、俺は何も食べられなくなるかもしれない。
それは困る、と苦笑に唇を歪め、急に春めいた空気の中を歩く。
徒歩十五分の散歩の到着地は、木戸さんが教えてくれた中規模のチェーン店のスーパーだった。駅を挟めば大型のモールがあったものの、休みの日にまで人の中を歩く気持ちにもなれなかったため、こちらのスーパーにしたのだが。
ふと、入口に目を向けた途端、来なければ良かったと後悔にさいなまれた。
『木戸さん……?』
開いた自動ドアから出てきた長身の美丈夫は、肩からエコバッグを掛けて横にいる相手に笑顔を見せていた。
美丈夫の空いた腕に自身の細い腕を絡ませ見上げるのは、緩やかにウェーブを描く長い髪を片側でひとつにまとめ、モデルと言っても遜色ないスタイルも小さな顔に収まるパーツも美しい女性。誰が見ても、美丈夫と恋人同士と納得できる見事なふたりに、俺は凍りついたように動けなかった。
この時、俺は「ああ、やっぱり」と心の中は妙に静かに納得していた。
あれだけ美形で、いかにも女性にモテそうな彼がゲイなはずがあるわけない。実際、俺の書く小説の彼が好きなキャラクターも、一途に主人公を思い慕う心優しいスタイルの良いヒロインなのだから。
俺は木戸さんに告白する前に玉砕してしまった。
いや、ある意味自爆か。
ひとりで木戸さんを好きになって、ひとりで勝手に失恋したのだから。
俺のいる場所とは反対に歩き出すふたりをぼんやりと見送る。だんだんと小さくなっていくふたりの行く先は、きっと木戸さんの自宅なのだろう。前に契約した時に記憶した住所はそちらの方だ。
完全にふたりの姿が見えなくなると、そのまま買い物せずに踵を返して自宅へと歩く。
来るときは楽しい気持ちだった道程は、足を引きずるように重く胸が痛い。
丸一日書籍の方の作業ができる貴重な時間なのに、果たしてこんな感情でできるのだろうか。
いや、やらなくてはならない。
木戸さんだけではない。ネットで応援してくれて、楽しみにしてくれる人たちのためにも、俺は書かなくてはならない。
自宅に帰り一度集中しだすと、思いのほか作業は進んだ。無心にやってたせいで、気づいたら寝る時間をとっくに過ぎてたため、慌てて布団に入った。
そして週が開けてすぐに、しばらく仕事が忙しくて何時に帰れるか分からないし、もしかしたら会社に泊まるかもしれないからこちらから連絡するまで休みにして欲しいと。その分の給料もこちらの都合なのできちんと口座に振り込むからと一方的にメッセージを送った。
何度か木戸さんからメッセージが来たけども、アプリを開くことも既読を付けるのも怖くて、ポップアップすらすぐに消してしまっていた。
ブロックはできなかった。ただでさえ互いのプライベートすら話さない希薄な関係なのに、これ以上の繋がりを自分が切るのが怖かった。
数日後、食べないせいで、冷蔵庫の作り置きが全てダメになっていた。
泣く泣く捨てて、袋の口をきつく縛る。俺の憂鬱な気持ちもこんな風にゴミみたいに捨てることができればいいのに……
それでも木戸さんと出会わなければ良かったとは思えなかった。
同僚との慌ただしい昼食を終え、俺たちはアポを取った会社へと向かう。
しかし途中で気持ち悪くなってしまい、コンビニのトイレに駆け込むと、すぐさま便器に縋り付いて食べたばかりのものを吐き出した。
消化していない残骸を流し、洗面台で口をすすぎ顔を上げる。鏡にはげっそりと痩せて顔色の悪いひとりの男の姿が映っていた。
アルカリイオン水と、待ってくれてる同僚のために缶コーヒーをレジで買い、コンビニを後にする。
「待たせて悪かったな」
そう言って、両手に持った缶コーヒーの方を渡そうとした瞬間。
「あ?」
目の前の同僚も周りの風景もグニャリと歪んで、体が足元から崩れていく。
「高任さん!?」
ふ、と闇に意識が呑まれた俺の耳に、同僚の焦った叫びが聞こえたような気がした。
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