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戸惑いに揺れるプリン①

 目を開くと見知らぬ天井が入ってくる。ここは一体、と首を右に向けた途端、そこに居た人物に驚愕する。 「……き、どさ……ん?」 「健一さん、目が覚めたんですね?」  ああ、良かったと安堵する木戸さんが何故ここに、という疑問でいっぱいになってしまった。確かお昼を食べた後に営業先に向かう途中で気分が悪くなったあたりまでは覚えてるのだが…… 「健一さん。もしかして自分がどこにいるか分かっていませんか?」 「……うん」  混乱が抜けない俺に、木戸さんは落ち着いた声音で説明してくれた。  やはり同僚と営業に行く途中で倒れたらしい。  医者の見立てでは、栄養不足による貧血と、寝不足。それから胃を痛めてるようだ。  それで一晩様子を見るために、今日は入院をすることになって、俺はその病院のベッドで寝ていた。  そっと窓の外に視線を移すと、とっぷりと陽が落ちて紺の空に、頼りない星の光が瞬いている。半日仕事を休んだ上に、滞ってる小説の作業も放り出してる状態に胸が痛い。  担当さんには理由を言えば考慮してくれると思うけど、それしちゃうと、次の仕事はもらえないだろうな。とにもかくにも世知辛い世の中なのだ。 「あ、そういえば、会社の人から上司の方に連絡して欲しいって伝言を預かってます」 「えっ? あ、そうだな。えーと、スマホは……」 「こちらにありますよ。はい、どうぞ」  半身を起こしてキョロキョロと自分の端末を探してると、なぜか木戸さんのコートのポケットからそれは現れ、手渡された。  バックライトに浮かぶ画面に表示された時刻は夜の七時を過ぎた頃。これ位なら、上司はまだ会社にいるだろうな。  通話履歴から上司の名前を見つけタップする。二回目のコールでプツと相手に繋がったので「もしもし、高任です」と言った途端『大丈夫か?』と焦ったような声が戻ってくる。 「ご心配お掛け致しました」 『いや、こっちこそ君の体調が悪いのには気づいてたのに、対処が遅くなってすまない』 「自己管理が甘かったこちらの方に責はありますので……。重ねて申し訳ありません」  そう、全部自分が悪い。  人との距離が上手く測れない癖に、木戸さんと雇用契約をしてしまったのだから。 『そうか……。まあ、それはまた復帰した時にでも落ち着いて話そう。ところで、君を病院に付き添った奴が、入院は一晩だし、付き添いも不要だと言われて帰ってきたけど、本当にご両親に連絡しなくても大丈夫だったか?」  はい、と口を開いた所で「あれ?」と疑問が湧く。  確かに一晩の入院だし、付き添いもまるきり行動制限されてないから、特別必要と感じない。だから両親にわざわざ愛知から出向いてもらう必要もないのだが……  俺はちらりとこちらを窺う木戸さんを見る。  木戸さんは俺からの視線に、にっこりと微笑みを返す。  しかし、俺はいつもなら返す笑みを浮かべることができなかった。  ドクドクと心臓が嫌な音を立てている。  疑問、疑心、疑懼。  何度打ち消しても、浮かんでくる。  彼はどうしてこの場に、当たり前のようにいるのだろうか──と。 『高任君?』 「あ、はい」  ブワリと疑念が奥底から浮き上がったものの、すぐに上司の声に意識を向けたせいで霧散してしまった。 『大丈夫か?』 「ええ、すみません。まだ薬が効いてるのか、少々ぼんやりしてしまって……」 『無理はするなよ』 「……ありがとうございます」  結局、これまで溜まった有給を消化してくれと総務に勧告を受けてたのもあり、一週間の有給を得て体調を戻すようにと言われて会話を終了させた。 「お話終わりました?」 「……うん」 「じゃあ、スマホ充電しておきますね」  木戸さんはそう言って掌をこちらに向けてくるので、俺も素直に躯体を預ける。充電式のモバイルバッテリーなのか、白く小さなそれに繋がったUSBケーブルをスマホに繋げた後、またも木戸さんのコートの中に押し込まれた。  まあ、充電中はバッテリーの発火とかあるって聞いたことあるし、持って歩けば異変に気づけるだろう。やはり木戸さんは気遣いが細かい人だなと関心する。  ぼんやりと尊敬の眼差しを送っていると、木戸さんは何か思い出したのか、口を薄く開いて「あ」と言葉を零す。 「何か食べますか? 先ほど急ごしらえでプリン作ったんですけど」 「プリン……」 「ええ、今は冷蔵庫に保存してますが」  前に一度作ってくれた、とろけそうに柔らかく、優しい甘さのそれを思い出す。  たまに、賞味期限が近くなった牛乳や卵を使って、即興でデザート等を作ってくれたのだ。  プリン、ラングドシャ、メレンゲクッキーにパンケーキ。ああ、牛乳寒天を使ったミルクティーゼリーも美味しかった。 「どうだろう。看護師さんから検査とか何か聞いてます?」 「あ、そうですよね。……ちょっと聞いてくるので、待っててくださいね?」  そう言って木戸さんが病室を出ていくのを、ぼんやりと見送る。扉が閉じて彼の均一の取れた背中が消えると、自然と溜息が零れた。  木戸さんの姿を近くで見たの、随分と久しぶりのような気がする。  まだ十日位しか経ってないはずなのに。多分、毎日のように顔を合わせていたから、そう感じるのだろう。  会いたかったような、会いたくなかったような、|悲喜交々《ひきこもごも》が胸の中で混在している。  ふと、木戸さんの恋人を放置して、こちらに来ても大丈夫なのか、と心配になる。  とても綺麗な女性。木戸さんと一緒に並んでも不自然じゃない雰囲気。  実際に見た光景が脳裏に蘇り、ギュッと胃のあたりが絞られるような痛みに襲われた。  ああいやだ。色恋でこんなに胃が痛くなるなんて……  だから人と距離を空けて生きてきたのに、まさかネットにアップされていた肉じゃがに一目惚れするとか。しかも、その作った相手に恋をするなんて……もう自分が馬鹿すぎて笑えてくる。  俺は眉間に深い皺を作り苦悶しているくせに、口元だけは笑みを浮かべるという、奇っ怪な表情をしている自覚があった。  ズキズキと痛みを体が訴えているのがおかしい。  自分の馬鹿さ加減に唇が笑みに歪むのを止められない。  ああ……本当に阿呆だ。  引き連れる痛みを肩を震わせることでごまかした俺は、木戸さんが戻る前に、またも深い眠りに落ちていった。

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