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バレンタイン・キス②
『エバーグリーン』のある歓楽街は、以前は昼間でも犇めく程の人で賑わっているのだが、自粛を促されている昨今、人はまばらでどこか疲れた顔で歩いている。
俺と涼さんはふたり並んで特に人の減った一角に向かう。さっきからずっと涼さんの顔はひどく苦い物を食べたようにしかめっ面だ。
それでも一緒に来てくれた事に感謝しかないんだけども……
「ごめん、涼さん。あんまり行きたくないと思うけど……」
「いいんですよ、健一さん。オレも一度会ってみたかったので」
「でも……」
「健一さんひとりで行くっていうのはナシですからね。今の、健一さんの恋人は、オレなんですから」
噛み締めるように、自分が俺の恋人だと宣言してくれて、恥ずかしいけども嬉しい。
だけど緑川に対して良い印象を持っていない涼さんを、緑川に紹介していいものかと悩む。
異常性愛が集まる一角に入ってからというもの、俺と涼さんの間に隙間がない。腰に腕を回され、密着しながら歩いているのだ。体の半分以上が涼さんの体温に包まれている状態。
テレビとかで観る事の多い歓楽街の入口付近に比べたら歩く人はまばらではあるも、堂々と寄り添って歩くのはどうかと思う。にも関わらず涼さんはどこ吹く風で、俺の頭にキスしてきたり、何故か周囲に牽制していた。
そこまでしなくとも、俺のようなもやしはゲイの人からすれば、モテる要素のない平凡な立場。涼さんは何を心配しているのか知らないけど、大丈夫なんだけどなぁ。
惚れた欲目? それは俺か。
そうこうしている内に、目的の場所である『エバーグリーン』に到着する。
緑青色の看板に金色の筆記体で店名が綴られている。この辺りでは地味に取られがちに見えるけども、こうして昼間に見てみるとハイソな雰囲気があって好きだ。
「こんにちは、みどりママいる?」
カランコロンとカウベルが鳴る中、カウンターに居る黒服君に声をかける。あれ? 雪乃君は不在なのかな。
夜は気づかないけどカウンターの辺りに天窓があり、昼間の光がさんさんと入って、思った以上に明るい店内に驚く。普通は照明を薄暗くしているからソファ等が安っぽく見えたり生地が擦れてるのが目立つみたいだけど、緑川はこまめにメンテナンスを依頼しているらしく、ラグジュアリーな雰囲気が壊れていない。
緑川がこの店をとても大事にしているのが良く分かる。
「いらっしゃい、健ちゃん。あ、そちらが噂のカレね」
「久しぶり、みどりママ。噂って、それほど話した記憶ないんだけど」
「!?」
黒服君が厨房に声を掛けたのか、見慣れた女装姿のみどりママが姿を現す。まだ明るい時間だからか、萌黄色のシフォンワンピースを纏ったママは、比較的さっぱりめなメイクで微笑んだ。
ちらりと隣に立つ涼さんを見上げると、彼はみどりママを目の当たりにして目を白黒している。うん、俺も元彼である緑川ことみどりママが、女装嗜好のタチだとは話してなかったから。びっくりするのは当然だろう。
「え?」「これが?」と涼さんが目で訴えてくるのを、俺はコクコクと頷いて返す。
「この時間はほぼ貸切状態だから、ゆっくりしてね。健ちゃん、彼氏君、お昼は食べた?」
「ううん、まだ」
「それなら食べていったら? 雪乃の間食用に今、天むす作ってるのよ」
天むす! 個人的に好きなメニューなので、思わず顔に喜色が浮かぶ。
涼さんに「それでもいい?」と尋ねると、小さく頷いてくれたので、遠慮なくご相伴に預かることにした。
「はじめまして、健ちゃんの彼氏君。みどりママこと緑川博也です。健ちゃんとは大学からの付き合いで」
「知ってます。健一さんとは昔交際していたそうですね。こちらこそはじめまして、オレは木戸涼といいます」
緑川の自己紹介をぶった斬り、涼さんは淡々と言葉を返す。
ツンと通り越して外温よりも冷たい風がカウンターを駆け抜ける。
涼さんって接客業しているから、結構人当たりいい方なんだけど、緑川に対してはやけに喧嘩腰で話してる気がする。
「あらぁ、先制攻撃食らっちゃったわ」
そして緑川は柳に風と言わんばかりにサラリと涼さんの棘のある言葉を受け流す。
さっき対応してくれた黒服君は休憩なのか席を外してしまったし、唯一の良心である雪乃君も不在で、俺はどうしたらいいのかオロオロしていると。
「ただいま~、今帰ってきました。……って、健一さん?」
「あ、あぁ! 雪乃君っ、帰ってきてくれてありがとう!」
「は? え?」
カランコロンという音色と共に明るい声が、ツンドラ地帯になっていた店内を通り抜け、救世主の登場に俺は思わず縋る声で雪乃君を迎えた。
◇◆◇
「雪乃君、今日はバイトだったの?」
「はい、今日も健一さんの本が売れましたよ」
現在、俺と雪乃君は、緑川が作ってくれた天むすを奥のソファ席でモグモグしている。程良い塩加減のご飯とサクサクの小海老の天ぷらは青のりの衣で、ご飯を巻いた海苔はパリパリで美味しい。時間が経ってしっとりした海苔も味わいがあっていい。
一緒にきゃらぶきの煮物と、赤だしのお味噌汁もセットで。具は焼き麩と三つ葉。
うん、天むすにはきゃらぶきがないとね。随分慣れたけど、味噌汁も赤だしってホッとする。
分かってる。現実逃避だって分かってる。でも、カウンターを見るの怖いんだよ。
さっきから涼さんと緑川が向かい合ったまま一言も喋らずに沈黙しているのだ。もう怖いのなんのって。コブラ対マングースの戦いが脳裏に浮かんだ程。
それを、雪乃君が厨房から出来上がったばっかりの天むすセットをトレイに乗せて、俺をソファ席へと連れて行ってくれたのである。
一触即発じゃないのは救いだけど、下手に口を出すと、ふたりの導火線に着火しそうで怖い。故に雪乃君と並んで天むすを食んでいる訳で。
「次の新刊も楽しみにしてますね」
「うん、まだいつ出るか決定してないけど。決まったら献本持って遊びに来るよ」
「わぁ、楽しみです!」
ちなみに雪乃君はヲタクの聖地と言われている地区にある大型書店で、日中はアルバイトをしている。『エバーグリーン』には夕食を食べるのが目的で、お手伝いは人が足りない時にやっている程度。雪乃君が可愛いから、あんまり店に出したくないのだと緑川に惚気けられたことがあった。
「あ、そうだ。雪乃君、これ」
険悪な空気が渦巻いてるカウンターから目を逸らし、持参した紙袋の中から小さな包みをふたつ取り出して雪乃君に渡す。昔、地元の大きな商店街で見つけたベルギーの有名メゾンで食べたオランジェットが美味しくて、こっちに来て見つけてからは、バレンタインに配るチョコはそこで購入している。
涼さんのは、また違うメゾンの限定チョコを購入してあるのだ。差別化大事。
「ひとつは雪乃君へのチョコ。もう一個はあとでみどりママに渡してあげて」
「わぁ、毎年ありがとうございます。僕も用意してあるので、後で渡しますね」
「うん、楽しみにしてる」
なるべくカウンターに目を向けずに、天むすを堪能しながら、雪乃君と最近出たラノベの話で盛り上がったのだった。
触らぬ神に祟りなし。
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