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Always thinking of you.

純白のカーテンに漉され、溶けかけのバターさながらまろやかな陽射しが注ぐ。 白皙の頬を滑り、瞼の上で踊る陽光に睫毛が動く。 「うぅん……あと五分……」 緩やかに巻いた金髪が揺れ、寝返りを打った拍子に肩紐が外れる。 女体美の極致のような成熟した曲線で構成される肢体を申し訳に隠すのはシフォンショーゼットのベビードールのみ、些かセクシーすぎる寝姿も彼女の職業を思えば無理もない。 透け感ある生地には過剰な装飾が施され、裾には繊細なレースとフリルがあしらわれている。着るより見せることを主体とした衣装だ。 無防備に寝そべる女はまだ若い。 美しさと可憐さが絶妙の均衡で同居する顔立ち。外見年齢は二十代半ばか、せいぜい後半にしか見えない。 零れ落ちそうに豊満な乳房と肉付きのいい尻、ボリュームある身体を裏切るあどけない表情にぐっとくる男性も多い。 ねぼすけのビーナスか尻軽のマリア様か、輝かんばかりの美貌を持つ女性は低血圧で朝が苦手とみえ、毛布の中でぐずっている。 上腕にずりおちた肩紐を直しもせず、魅惑の谷間を惜しげもなくさらして、完璧な弧を描く瞼を儚く震わす。 彼女の目覚めに立ち会えるなら感激で死ぬ、という男はいかほどか。女神の覚醒を目撃するご利益に預かれば、きっととんでもない幸運に恵まれるはずだ。 残念ながら今の所、それは彼女がお腹を痛めた息子だけの特権だ。 幸せな夢でも見ているのだろうか、口元をむにゃむにゃ伸び縮みさせる女性の肩に手がかかる。 「おはよう母さん」 「ん……ピジョン……?」 「朝食食べる?シリアルもってこようか」 カーテンを透かす日差しを浴び、女性を覗き込むのはローティーンの少年。とっくに身支度を整えて、ベッドでまどろむを母を起こしに来たのだ。緩慢に瞬き、子どもっぽい仕草で目を擦る母を、ピジョンは愛情深く見詰めている。 「うぅ、どうしても起きなきゃだめ……?」 「もう日が高いよ、お日さまに挨拶して」 子どもと親の立場が逆転している。 優しく肩を揺すられ渋々毛布から這い出た母に、予め用意していたマグカップを渡す。 「ホットミルク。ハチミツ入りだよ」 「気がきくわね」 「朝はコーヒーよりコレでしょ」 「起き抜けにカフェインはちょっとね……ふぁ」 「火傷しないよう気を付けてね」 「ふふ、ピジョンってば……いいお婿さんになるわよ」 「と、突然なに言い出すのさ!?やめてよ母さん……だいいち彼女もいないし、女の子とろくに手を繋いだこともないのに結婚なんて早すぎるよ」 あくびまじりに起き出し一口、「アツっ!」と舌先を引っ込めれば「いわんこっちゃない」とピジョンが慌てる。 「大丈夫?猫舌なんだから無理しないで」 「ふーふーしてちょうだい」 「甘えんぼさんだな……自分でやりなよ」 上目遣いに甘えられ、さすがに面倒見きれないと渋れば、髪を人指し指に巻き付けいじける始末。 「ピジョンが冷たい……反抗期かしら」 「わかった、わかったって」 ふくれ面で拗ねられ根負け。口を窄めて吹き立てる母の手からマグカップを奪い、用心深く吐息で冷ます。 「はい」 「ありがとう」 極上の微笑みで労い、マグカップを両手で捧げ持ち一口嚥下。ハチミツを溶かしたミルクが喉を通り、全身にぬくみが染み渡り、ようやく目が覚めてくる。 改めて傍らの息子を仰ぐ。 洗いざらしのTシャツとジーパン、擦り切れたスニーカー。 貧しくとも清潔感あるいでたちと誰にでも分け隔てなく親切な物腰、素朴な笑みが似合う気取らない風貌は、けっして本人が卑下するほど悪くないと彼女は思っている。 シャンパンの上澄みをおもわせるピンクゴールドの髪はさらさらの猫っ毛で、赤茶に澄んだ双眸には善性が結晶し、陽射しに洗われる立ち姿は後光を帯びているかのようだ。 この子はまるで天使ね。 私に幸せを運んでくる|白い小鳩ちゃん《リトルピジョン》。 初めて子どもを抱いた時とおなじ感慨を毎朝抱き直せるのもまた母親の特権だ。 はにかむように笑うのが癖の息子の首ったまに抱き付き、だれの目も憚ることなく大胆に頬ずり。 「おはようハニートーストちゃん」 「やめてよ恥ずかしい、子供じゃないんだから」 「えぇ~いつものやってくれないの?」 不満げに口を尖らす。ピジョンの頬が赤らむ。母親がにっこり笑い、息子の首に腕を回す。親子というより恋人の抱擁に似たしぐさ。 「もういっかい仕切り直しね。おはよう、私のハニートーストちゃん」 「おはよう、俺のスイートパイちゃん」 毎朝これをやるのは思春期の少年にとってなかなか辛い。スワローに至っては「何が哀しくて母親を所有格で呼ばなきゃなんないんだよ馬鹿かよ」とベタ甘の茶番を毛嫌いし、朝起こしに行く係を兄に押し付けている。 「気が済んだ?」 「ええ、満足」 首ったまにかじり付く母が、派手なリップ音をたてピジョンの頬にキスをする。ピジョンも控えめにキスを返し、ベッドから追い出す。 「さあ、シーツ干すからどいて」 「ふぁい」 寝ぼけた生返事をし、端っこに行儀よく腰掛ける。 透け透けベビードールが肌寒く、椅子の背にかけたガウンを羽織る。手早くシーツを回収するピジョンを見、感心した口ぶりで呟く。 「スイートルームのホテルマンみたいね。ベッドメイクのプロだわ」 「いい加減慣れたよ」 朝が遅い母を起こしに来るのは大抵ピジョンの仕事だ。 母は寝起きが悪く、しばしば息子の手を焼かせる。子ども返りして甘える始末の悪さに可愛げを見出してしまうのだから、自分も相当なマザコンだ。シーツを剥がす手際を愉快げに見守ったのち、ホットミルクを飲み干す。 「体調はどう?」 「今日は上々。お天気もいいし今すぐショットガンもって狩りにいけそうよ、ライオンだって倒せちゃうかも」 「ライオンとってきたらベジタリアンに改宗するからね」 「ライオンのお肉食べたくない?」 「固くてまずそうだし動物を殺すのはかわいそうだ。まあ、それ以前にライオンはいないけどね」 「わからないわよ、こないだ通った荒野でも大戦前に動物園から逃げ出したアルパカやガゼルが野生化してたじゃない。今じゃ大陸中サファリパークよ」 「だからってなんでも食べるのはどうかと思うよ」 「たまには動物性たんぱく質を摂取したいわ……」 「大豆のステーキで我慢して」 「そんなの都会のセレブご用達の健康食よ」 ピジョンはなにかと「可哀想」が口癖だ。心が優しすぎるのだ。 おもいっきり伸びをし、華奢な素足を部屋履きにもぐりこませる。ピジョンはシーツを小脇に抱えチラチラと母親を見る。 「今日は休みだよね」 「そうね……お客をとってもいいけど、お引越し初日だし。しばらくは蓄えでやってけるから、街を歩いてみてもいいかもね。どんなお店があるか楽しみよ、新しいランジェリーも欲しいし」 「また布面積が極端に小さい紐パン買うの?」 「お客さんのウケがいいのよ、ベイビーブルーやサーモンピンクの勘違い清純派好みはひと通りそろえたし今度は黒のビスチェにしようかしら……なんだかやけにそわそわしてるわねピジョン、どうしたの」 「忘れたの?」 「え、何が?」 「特別な日じゃないか」 顎先に人さし指をあてすっとぼける様子にあきれかえり、かと思えば手にしたシーツをふわりと広げ、花嫁のベールに見立て母の頭に被せる。 ちょっとだけ目を見開いた母の正面に立ち、気恥ずかしそうに微笑むや、ありったけの真心こめて祝福する。 「誕生日おめでとう母さん」 「まあ……」 一瞬ぽかんとしてからくすぐったげに笑み崩れ、成長した息子の頬にすべらかな手を添える。 「そうか、今日だっけ。覚えててくれたのね」 「あたりまえだよ、腕によりをかけてごちそう作るね」 「メニューはなにかしら」 「できあがってからのお楽しみ、きっと母さんの好きなものだよ」 本人すら忘れていたがピジョンはちゃんと覚えている、忘れたことなど一度もない。毎年この日は心尽くしのごちそうを作ってお祝いするのだ。 無垢な少女のように恍惚と笑んだ母が、感極まってピジョンを抱き締め、両頬にかわるがわる接吻する。 「孝行息子を持ってしあわせだわ」 「大袈裟だなあ……年に一度の母さんの誕生日を祝うのは当たり前だろ」 けっして丈夫とはいえぬ体で客をとり、育ててくれたことへの尽きせぬ感謝と頬に受けた接吻に照れれば、カーテンがシャッと開く。 歯ブラシを咥えて通りがかったスワローが、おもいっきり顔を顰める。 「朝っぱらから近親相姦かよ?きしょっ」 「え……」 ピジョンが絶句。 首をねじきれんばかりに回し、大股ですたすた去り行く弟を何か言いたげに見送る。著しくショックを受けたピジョンをよそに、母は相変わらずのほほんと「スワローもハグしたげる」と呼びかけ、「いらねえよババア」と突っぱねられる。 しゃこしゃこ歯を磨く弟の背中を穴が開くほど見詰めるピジョンの心中は、本人しか知る由がない。 その日の夕方、家族水入らずのトレーラーハウスでささやかなパーティーが開かれた。もちろん主役は母で、ホストは彼女の息子たちだ。 「もう目を開けていいよ」 「わあ……」 ゆっくり手がとりのけられる。瞼を持ち上げた母は、目の前に広がる光景に本心から歓声を上げる。トレーラーハウスの中は賑やかに様変わりしていた。 ダイニングキッチンの壁には色紙を切り貼りした手製の紙輪がかかり、綺麗に拭かれたテーブルの真ん中には一輪、コップに赤い薔薇が挿してある。その隣では空き缶を細工した花のオモチャが、妙にギクシャクした動きで踊っている。 「きゃっ!?……あ~も~びっくりした、銃声と勘違いしちゃったわ」 「サプライズ大成功だな」 「おまえっわざと俺に向けて打ったな、口の中に入っちゃったろ!?」 「よけねー兄貴がわりぃ」 一日限りの模様替えに素直に驚く母の死角で、クラッカーを軽快に打ち鳴らすスワロー。胸を押さえてどぎまぎする母にしてやったりと狡猾に笑い、乱れ舞う紙吹雪をもろに被ったピジョンにとっちめられる。 子どもたちのやりとりに笑う母を、弟に腹を立てながら椅子を引いてエスコートするピジョン。 「っていうかなんだよこのゴミ、せっかくキレイにセッティングしたのに台無しじゃねーか」 「ゴミじゃない、俺の自信作のダンシングフラワー三号だ。糸を引っ張るとひとりでに踊り出すんだ、ユニークでかわいいだろ?オモチャにして売り出せばウケると思うんだけど、特許とれないかな。そしたら人を雇って大量生産するんだ、利益がでたらお前にも分けてやるよ」 ピジョンが言い終わるのを待たず、薔薇の隣に並んだダンシングフラワーを無慈悲に払いのける。 「あ゛ーー―――――ーッ!?」 哀れ卓上から転落、床でぺしゃんこに潰れたダンシングフラワーにピジョンが駆け寄って悲鳴を上げる。 「こらスワロー、なんてことするの!」 「あんな気色ワリィのがあるとメシがまずくなる」 母が膝をそろえて屈み、ピジョンが大事そうに起こしたダンシングフラワーを「よしよし」となでてやる。 ダイニングキッチンにはいい匂いが漂っている。香ばしく甘い、焼きたてのスポンジケーキの匂い。一旦引っ込んだスワローが、両手に皿を持って再び出てくる。右手の皿には様々な具を挟んだサンドイッチ、左手の皿には油で照り光るフライドチキン。 「わあ豪勢ね!」 缶詰やシリアルを主とする質素な食卓に慣れた母が、手を組んで感激する。 「本番はこれからだぜ」 「主役の登場だよ」 ダンシングフラワー破壊のショックから立ち直ったのか、弟の後に続くピジョンが両手の大皿に掲げ持ってきたのは、生クリームを塗りたくったワンホールケーキ。 ヨダレをたらさんばかりの母を一瞥、テーブルの真ん中に厳かに皿をおく。フルーツは入手困難だ。故にいちごは買えないが、何層も生クリームでコーティングした上にカラフルなチョコ菓子……スプリンクルをトッピングし、艶々光るジェリービーンズで飾り立ててある。 子どもが憧れるお菓子の国の夢の結晶、といった趣だ。 「|楽しい《ファニー》をギュッと凝縮したおもちゃ箱のようなケーキね!」 「ホントはいちごをのせたかったんだけど……」 「そんなことない、ピジョンとスワローが作ってくれただけで嬉しいわ」 「そう言ってもらえると作り甲斐があるよ」 「テメエはなんもしてねーだろが、俺一人で作ったよーなもんだ」 「お、俺だって手伝ったろ生クリーム絞るのとか仕上げのトッピングをさ」 「最後にちょっこっと手と口出しておいしいとこかっさらう気かよ?下手くそだな、ココとココなんか潰れてんじゃねーか。テメエの仕事は最中の摘まみ食いだろ駄バト、ボウル底の生クリームぺろぺろやってたの見たぜ」 「残しちゃもったいないじゃんか」 「はいはい、ふたりとも喧嘩はそこまで!席着いて食べましょ、冷めちゃうわよ」 口論に縺れこみかけた息子たちを急いでとりなす母。 「ヘイヘイ仰せの通りに」 「……ごめん水さして」 本日の主役の仲裁にピジョンは物分かりよく反省、スワローも大人しく肩を竦め、空気を読んで各々の役割を分担する。 母の誕生日は仲良く喧嘩しながらケーキを焼くのが恒例行事だ……しかし天性のセンスとスキルに差がでるのは否めない。 「ピジョンてば、鼻の頭にクリーム付いてるわよ。食いしん坊さんね」 「えっ嘘」 ピジョンの鼻の頭にちょこんとのったクリームをすくいとり、おいしそうになめる母。 「ごちそうさま」 「えへへ……」 ちゃっかり礼を述べる母と照れ笑いするピジョンの間に生温かい空気が流れる。それを見ていたスワローがむっとする。 「ほっぺにも付いてんぞ」 挟み撃ちで頬をなめればピジョンが顔色変えて激怒する。 「母さんが見てる前でやるなよ!!」 「見てねーとこならいいの?」 「スワロー!!!!」 「んだよ、もっと下の方なめてほしかった?」 「まあまあ、おさえておさえて」 スワローに反省の色はない。肩で息をするピジョンを母がなだめ、次のフェーズに移行する。 スポンジを焼くのはほぼ弟に一任していたピジョンが、ケーキのふちを一周するようにいそいそろうそくを立て、マッチを擦って火をともす。 「さあどうぞ」 「準備オーケー」 「いくわよ~」 テーブルを囲む息子たちに口々に促され、長く息を吸い込んで身を乗り出す。大真面目な緊張の面持ち。 大皿のケーキに近付き、ろうそくの火を一気に吹き消す。ピジョンが心のこもった拍手をし、スワローがいかにもやる気なさげに追随する。 「ハッピーバースデー母さん」 「また一歩閉経が近付いたな」 「なんてこと言うんだよお前、せっかくのいいムードがぶち壊しだ!」 「まあまあ怒らないでピジョン、スワローも悪気はないのよ、照れ隠しよね」 なんでもお見通しといった口調とにこにこ笑いが癇に障るのか、スワローが「けっ」とそっぽを向く。ピジョンは弟の分まで二倍拍手をする。それでも母は終始ご機嫌で、幸せそうな笑顔を絶やさない。 ピジョンは定位置の椅子に掛け、スワローがキッチンナイフをとってくる。 「レオナルドじゃないよね?」 「馬鹿」 兄の懸念をすげなく一蹴、キッチンナイフをかざしてケーキを正確に三等分する。 刃物の扱いにかけてはスワローの右に出るものはいないので、安心して任せておけばいい。ピジョンは公平に切り分ける自信がない、無意識の食い意地が働いて自分のだけ大きくしかねない。 スワローも母が見てる前ではさすがに不正を働かない。ナイフの表面にのっけたケーキをれぞれの小皿に移してから、自分も席に着く。 「ねえ母さん、そろそろホントのトシ教えてよ。じゃないとろうそく立てられないよ」 「18よ」 「図々しすぎんだろ」 「じゃあ16」 「恥を知れよ」 「サバはもう少し遠慮がちに読むものだよ」 「ピジョンまでひどい……ん、おいしい、ほっぺたおちちゃいそー!相変わらずスワローのケーキは世界一ね、年一度しか食べられないのが残念。もっと頻繁に作ってくれていいのよ」 「さいですか」 「俺も作ったんだよ」 「ふたりの愛の共同作業が生んだ傑作だもの、おいしいはずだわ!」 「愛とかゆーな気色わりぃ」 旺盛な食欲を発揮して次々料理をたいらげていく母と、それに負けず劣らぬ食い意地でケーキを頬張る兄を見比べ、まんざらじゃない顔でフライドチキンに齧り付くスワロー。料理の腕前を褒められて悪い気はしない。 最愛の母を挟んで兄と弟がふざける姿は、止まり木で睦み合う雛と親鳥やポストカードに刷られて売られてそうな|通俗的《ポピュラー》な聖母子画を思わせる。 あらかた料理が片付いた頃合いを見計らい、スワローが椅子を引く。 「そろそろだな」 ピジョンも慌てて立ち上がる。きょとんとする母を残して一旦引っ込んだスワローが、後ろ手に何かを隠してもどってくる。 「目ェ閉じて」 「なになにキス?」 「いいから」 正面に立ち、促す。大人しく目を閉じた母の首に手を回し、作業を済ませるあいだ、スワローの唇は自信ありげな笑みを刻んでいた。女の落とし方を十通りは身に付けた色男の自惚れだ。 「いいぜ」 首まわりの素肌に冷たく硬質な金属の感触。許しを得て目を開けた母の顔に、驚きの波紋が広がる。 反射的に首元に触れ、そこに輝く華奢なネックレスをいじる。 魅惑の谷間を飾るのは、本来の輝きを際立てる見事なカッティングを施された4本爪のダイヤモンド。台座の中心に嵌まった大粒の金剛石は、母の白く美しい肌に相乗し、瑞々しい透明感を与えている。 「綺麗……」 陶然と呟いてから、心配そうに眉をひそめて息子を見る。 「これどうしたの?」 「プレゼントだよ。貯めてたカネで買った」 「だってすっごい高そうよ?ちゃんとした宝石店じゃなきゃ売ってないでしょ」 どう見ても露店の安物とは違う品格だ。 不安と喜びに揺れる母の追及を不敵な笑みで受けて立ち、すこぶる女慣れした仕草でそのおくれ毛をかきあげる。 「母さんの誕生日にサービスしなくてどうするよ?」 恋人にするような手付きで母の髪の毛をすくい、じゃれるようなキスをする。顔を傾け、耳朶に唇を持っていき、艶っぽく低めた声で「ハッピーバースデー」と囁く。 こんな声でスワローに口説いてもらえるなら死んでもいいという女は多いが、彼が本気で愛しているのは母親ともう一人だけだ。 母が蕩けるように笑ってキスにこたえる。 「私も愛してるわよ、|私のツバメさん《ヤングスワロー》」 そしてそのもう一人は、ふたりがいちゃいちゃしているあいだジッと唇を噛んで思い詰めていた。具体的には母の胸元で誇らしげに輝くダイヤと自分の手を見比べ、今にも泣きそうに目を潤ませる。 「どうしたのピジョン」 息子の異変を察し、心配そうに声をかける母に、ピジョンは力なく首を振る。 「俺……プレゼント、用意できなかった」 「は?なんでだよ、カネ持って出たろ」 「うん……」 「スワローは一緒じゃなかったの?」 「街じゃ別行動。手の内わかっちゃツマンねーだろ」 途方に暮れて立ち尽くすピジョンを、スワローが凄味を含んで問い質す。 「おっことしたのか」 「ちがう」 「脅し取られた?」 「ちがう」 「じゃあなんで手ぶらなのさ」 ピジョンはしばし逡巡、右へ左へ視線を移ろわせてから言いにくそうに口を開く。 「あげた……」 「は????」 弟の疑問に反射的に首を竦め、両手の人さし指を突き合わせる。 「プレゼント買いに行く途中で道端にうずくまってる子どもに会って……男の子と女の子、よく似た兄妹。着てるモノはボロで痩せっぽち、暗いカオしてるからどうしても気になっちゃって、思いきってどうしたのって聞いたんだ。そしたらお母さんに、ここで待ってなさいって言われたって……絶対むかえにくるから動いちゃだめよって。それ何日前?って聞いたら、両手の指を全部折り返して首を振るんだ。食べ物もないっていうからそれで……」 皆まで言わずともわかる。 その子たちは捨てられたのだ。母親は二度と帰ってこない。 話のオチが読めたスワローは、軽蔑の表情で苦々しく吐き捨てる。 「で、お優しい駄バトちゃんは母さんのプレゼント買うためにコツコツ貯めた大事なカネを全部くれてやったって訳か」 「だって見過ごせないだろ」 「馬鹿か、演技かもしんねーだろ。最近の孤児は悪知恵回っからな、テメエから小金巻き上げる為に一芝居打ったのさ」 「わかんないだろ、ホントだったらどうするんだ」 「それか親が隠れてどっかで見てたのさ、ガキをエサにしてカモを捕まえるんだ、そっちのが同情引けっかんな。いいかテメエはだまされたんだよピジョン、ったくどうしようもねェお人好しだな、母さんよか赤の他人が大事なのかよ?」 「あの子たちは困ってた、本当に腹を空かせてたんだ!俺が見てる前でぐーぐー鳴ったし……ほっとけないだろ、あんな小さい子が帰ってこない親を待ってるって聞かされて!何日も何日も……でも俺、なにもしてあげられなくて……お金をあげる位しか、できることなくて」 コイツ馬鹿か。スワローは心底あきれる。 荒廃した世情では、あちこちに宿なしのみなしごがあふれている。連中にいちいち同情してたらきりがない。ピジョンが聞かされたストーリーもどこまで真実かわかりゃしない。 それをコイツは馬鹿正直に真に受けて、母さんのプレゼントを買う金を全部くれてやったというんだからお笑い種だ。 幼い兄妹の姿を瞼に思い浮かべたのか、母へのプレゼントを用意できなかった自責にうちのめされたのか、ピジョンが唇を噛んで俯く。 感情が決壊しそうな赤茶の瞳を伏せ、絞り出すように謝罪する。 「ごめん……」 スワローはダイヤモンドのネックレスを贈ったのに。 こみ上げる涙を辛うじてこらえ、小刻みに震える拳を握り締めて詫びるピジョンを母は無言で見詰めていたが、沈痛な表情が晴れて限りなく透明な微笑みが広がる。 「いい子ねピジョン、こっちいらっしゃい」 「母さん……」 言葉とは裏腹に自ら歩み寄り、もう少しで背丈を追い越しそうな息子を抱擁する。 母の腕に迎え入れられた途端、自制の糸が切れる。 「プレゼントなんて気にしなくていいのよ」 「でも……楽しみにしてたでしょ」 「少しはね。でもいいの、あなたのした事がママにとって一番のプレゼントよ」 小さい子どもにするように大きくなった息子の頭をなで、やにわに潤みだした赤茶の瞳を至近で覗きこむ。 「ピジョンはママだけじゃなく、みんなに幸せを運んでくれる小鳩ちゃんなのね」 「オリーブの小枝も持ってこれなかったよ……」 「宝石を剥がしてばら撒くのはツバメの仕事だろ?駄バトは豆鉄砲でKOされてろ」 横から茶化され、ピジョンが母親の首にぎゅっと抱き付く。 「スワローが意地悪する、俺のこと嫌いなんだ……」 「スワローはピジョンが大好きよ、でも素直じゃないから可愛さ余っていじめちゃうの、困ったツバメさんね」 「言ってろ」 繊細な猫っ毛をくりかえしなでさすり、前髪をかきわけた額に接吻。 ピジョンはしきりに瞬いて涙が引っ込むまで待ち、切迫感に満ちた真剣な表情で母を見据える。 「なにかしてほしいことある?」 「そうね……」 縋るような、祈るような……ひたむきな眼差しを受けた母がピジョンの耳元で囁き、息子の顔に驚きと動揺が広がるも、毅然と肯って唇を引き結ぶ。 だらしなく腕を組み、テーブルに凭れたスワローの前を素通り。 テーブルの上座に立ち瞠目、喉をさすって大きく深呼吸。母が期待に上気した顔で手を組み、スワローが胡乱げに目を眇める。 満ち渡る静寂の中、変声期にさしかかって掠れがちの歌声が滑り出しはおずおずと、次第に勇を鼓して朗々と響きだす。 緊張と羞恥に初々しく頬を染め、けれど昂然と顎を上げ、ピジョンが一生懸命声を張る。 伴奏はない、アカペラの讃美歌。 彼の歌は特別上手くも下手でもない。音程の取り方はあぶなっかしいが、派手に音を外すこともなく実直に歌詞をたどっていく。 少年と大人の過渡期、多感な揺れを孕んだ歌声はされど歪むことなく真っ直ぐ伸びて繊細な響きの余韻を残す。 ピジョンは歌の天才でもなんでもない。 したがって歌唱力に秀でる訳でもないが、その声には捧げる対象への思慕に支えられた芯が通り、善良な心性から発露する親しみ、小さく弱きものを庇護する信念から生じる包容力すら感じさせる。 美しくも綺麗でもない、上手くも激しくもない、それ以上に尊く得難い歌声。心底誰かを想い、唄う歌だ。 スワローは野次を入れるのも忘れ、母は陶然と聞き惚れる。 最後の一音が空気に溶け込んで消えたあと、ピジョンは丁寧に一礼する。 ちょっとだけ顔を上げ、不安でたまらない目で母とスワローを見比べる。 「……どうだったかな」 拍手が爆発した。 実際手を叩いてるのは母一人なので爆発と表現するには語弊があるが、ピジョンにはそう聞こえた。 たまらず駆け寄ってきた母がピジョンに抱き付く。目尻にはうっすら涙が滲んでいる。 ピジョンが母へ贈ったのは有名な讃美歌、「いつくしみ深き」。 不幸な人々や貧しい人々への奉仕活動に一生を捧げた男が、病に苦しむ母親を慰めるため、恋人を二度失った絶望のどん底でもイエスを信じる気持ちを綴った詩と言われている。 別名を、「母君にまさる」。 「……ありがとうピジョン。大好き」 「お、大袈裟だよ、ただの讃美歌じゃないか……アカペラなんて初めてだし、上手く唄えたかどうか。上がりまくって声震えちゃったしさ……鼻歌なら簡単なのにやっぱこっちの才能ないね、俺」 もはや癖で己を卑下し、恥じらうように頭をかくピジョンの横にやってきたスワローが、無言で兄の膝裏に蹴りを入れる。 「~~~痛ッだ、なんで蹴るのさ痛いよ!?」 「るっせェ」 自分の時より母が喜んでいるのが癪に障るが、そんな本音は絶対ヒミツだ。代わりに兄の肩に片腕を回し、手荒く褒めてやる。 「駄バトだけあって歌だきゃ悪くねェな」 「スワロー……」 「俺様にゃかなわねーけど」 「やっぱりそうなるよね」 とほほと情けなく笑ってからがっくりうなだれるピジョンと、そんな兄の頬にうりうり人さし指を抉りこむスワローを同時に抱き寄せ、本日最高の笑顔で母が宣言する。 「ふたりとも、愛してるわ」 ふてくされて顔を背けたスワローが、ぶっきらぼうに肩を抱く。 「……俺も」 反対側の肩を抱き、世界でいちばん安心できるぬくもりを世界でいちばん頼れる弟と半分こして、力強くピジョンが断言する。 「俺達もだよ、母さん」 ハッピーバースデー、ディアマザー。 後日スワローのプレゼントが盗品と判明して一波乱あるのだが、それはまた別の話。

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