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Happy Halloween
「ピジョ、ハッピハロウィンしたい」
頭から真っ白いシーツを被ったピジョンがおずおずと申し出る。はだけたネグリジェ姿のままベッドでだらけていた母は、あくびを引っ込めて思い出す。
「ハロウィン……ああ、10月31日だものね。どうりでかわいいおばけさんがいると思った」
「スアロもハッピハロウィンしたいってゆってるよ」
「ね?」と小首を傾げ、ふっくらした手を握る弟をのぞきこむ。こちらは尖った角が生えたフードを目深に被っている。
「そのフードどこにあったの」
「お客さんの忘れ物」
「どうりでぶかぶかね」
ピジョンは五歳、スワローは三歳だ。種違いなせいかあまり似てない。
ピジョンはピンクゴールドの猫毛と赤い目、スワローはイエローゴールドの固い髪と赤い目の取り合わせで、ピジョンが地味な顔立ちをしてるのと対照的に、スワローは同年代のどの女の子より愛くるしい容貌を備えている。
兄の問いにスワローは唇を一文字に引き結んだまま頷き、反対の手にさげた空っぽのバスケットを突きだす。
「スアロもおかしほしい。バスケットいっぱいにしたい」
「まあ、ママのちびおばけさんはそろいもそろって食いしん坊さんたちね」
「いらっしゃい」と母が微笑んで両手を広げる。
ピジョンとスワローは互いに顔を見合わせてから、たおやかな腕の中へとびこむ。
零れんばかりに豊満な胸元に、微笑ましい仮装をした息子たちを招き入れた母は、ふたりの頬に交互にキスをする。よく見ればピジョンも弟とおそろいのバスケットを持って準備万端だ。
「ピジョンはなあに?」
「えっとね、ピジョはおばけ。ただのおばけだよ」
「スアロはくろいの」
「スアロ、くろいのっておばけはいないんだよ」
ピジョンが得意がって教えれば、スワローはへそを曲げて下唇を突きだす。
愛くるしいに尽きず、生来の癇の強さと利発さがうかがえる顔だ。
「いたっ、なんで踏むのいたいよ!」
一方のピジョンはといえば、こちらは年相応かそれ以上の純粋さで、喜怒哀楽の怒の働きが極端に鈍く、感情表現がほぼ喜と哀と楽とで成り立っている。
「スアロめっ、だよ。そーゆーことするとね、ピジョ泣いちゃうからね」
弟にわざと足を踏まれても可哀想で怒れず、せいぜい哀しげに訴えるのが関の山だ。
それに対しスワローの回答はにべもない。
「となりに突っ立っててジャマだもん」
年に一度のハロウィンとあって、三人が住むトレーラーハウスには心ずくしの装飾がされていた。
馴染み客が持ち込んだジャックオランタンがテーブルや戸棚に飾られ、カラフルな紙輪やモンスターの切り抜きが賑やかに壁を彩っている。
このトレーラーハウスは母の仕事場だが、ピジョンとスワローにとっては気のおけない我が家、手狭ながらにぬくもりに満ちた生活空間だった。
「ねえママ、ピジョたちもハッピハロウィンしてきていい?」
「町の子たちと一緒に?」
母が眉宇を翳らせ心配そうな顔。
泣き虫で弱虫、なにより心優しいピジョンは行く先々で地元の子にいじめられている。仲間外れにされ膝を抱える息子を何度慰めたかしれない。ところがピジョンは胸を張り、余ったシーツの両手をたらしてみせる。
「だいじょうぶ、おばけのかっこしてればばれないよ。お菓子たっくさんもらってくる」
ピジョンはハロウィンを楽しみにしていた。スワローも同様だ。
よそから来た娼婦の私生児として日頃は肩身が狭いが、ハロウィンだけは特別だ。おばけやモンスターの仮装に身を窶せば地元の子たちに素性がばれないし、彼らにまざって練り歩き、いっぱいお菓子をもらえる。
トリックオアトリートはピジョンとスワローを別のだれかに変身させてくれる魔法の呪文だった。
「そうね……そうよね、いってらっしゃい。暗いからふたりとも気を付けて、あんまり遅くならないでね」
「やった!」
ピジョンとスワローがハイタッチで喜ぶ。馴染み客同士の挨拶で覚えたものらしい、狭い町では客と客が顔見知りということが実によくある。
母は愛おしくてたまらない笑顔で息子たちを見守っていたが、ふとピジョンが気遣わしげな目をする。
「ママはこないの?」
「ハロウィンは子供のお祭りだしおうちで待ってるわ、大人はお菓子をあげる係だもの。ママがお留守にしてたらここに来た子が可哀想でしょ?」
おどけて目を回し、枕元に予め用意していたボウルのキャンディをかきまぜる。
「わあ……!」
オレンジと黒のハロウィンカラーでラッピングされた大量のキャンディは、ピジョンには宝の山に見える。
物欲しそうに指をくわえるピジョンとスワローの眼前からイケズにボウルを取り上げ、母が軽快に舌打ち。
「だーめ、お預け。帰ってきたらあげる」
「なんで?いまじゃだめ?」
「今食べたらお腹が膨れて他のお菓子が入らないでしょ?」
「ピジョが食べ尽くしちまうし」
「ピジョそんな食べないよ、ママとスアロとちゃんとわけっこするもん!」
母がピジョンの鼻を押してからかえばスワローが追随、集中砲火を浴びたピジョンがさも心外そうに抗議する。
「いいからいいから、早くいかないとお菓子全部とられちゃうわよ?」
ベッドから抜け出た母はピジョンとスワローの背中を押し、いそいそと昇降口へ送り出す。
「ふたりとも、そこに立って」
母が指示をすればスワローとピジョンは同時に姿勢を正し、腕を脇にくっ付けて起立のポーズ。まだ兄の背に追い付けないスワローが一生懸命爪先立ち、伸びをしてサバを読もうとするのはご愛敬だ。
「うーん……悪くないけどなんか足りない」
母が軽く顎を引いて唸る。
ピジョンはただシーツを被っただけ、スワローは角が生えた黒いフードを被っただけだ。仮装というには簡略すぎる。
「スアロ腹へった。はやく甘いのぶんどりにいきてー」
「いいこと閃いた!ふたりともお利口さんだからちょっと待ってて」
うるさ肌のファッションチェックにじれ、せっかちなスワローがぼやくのを遮り、母がご機嫌な様子でその場を離れていく。
朗らかに口ずさむのは「おんなのこってなにでできてる」のマザーグースだ。クローゼットの扉を開けて中をかきまぜ、やがて何かを抱えて戻ってくる。
「小鳩さんはなにでできてる、ママのファースカーフと真っ白シーツ、そういうものでできている」
ピジョンの首の後ろに純白ファーの襟巻を通す。
続いて踊るように車内を横切り、道具箱から壊れた雨傘をとってくる。
「ツバメさんはなにでできてる、ママの手作りコウモリ羽と真っ黒フード、そういうものでできている」
雨傘のビニールを切り抜き、骨組みを再利用してツギハギ拵えてくれたのはコウモリを模したギザギザの羽。それをスワローのフードの背中にテープで貼り付け、満足げに仕上がりを見比べる。
「これでよし。二人とも、ぐっと素敵になったわ」
「えへへ……ありがとうママ」
「……がと」
ちなみにファースカーフは客の貢ぎ物だ。
ピジョンとスワローの顔を交互に手挟んで誉めそやせば、ピジョンははにかみがみに照れ笑いし、スワローは右足の親指で左足の親指を踏み、むずがゆそうに俯く。
「それじゃいってらっしゃい、私のぶんも目一杯楽しんできてね」
ピジョンとスワローは仲良く手を繋いでトレーラーハウスを出発する。
「いってきまーす」
「ます」
ピジョンは何度も返り見ては昇降口のスライドドアを開けて見送る母に手を振り、スワローもまた親離れできない兄に渋々付き合わされる羽目になる。
「えへへ。ピジョハトさんに見える?」
ピジョンがご機嫌で肩に巻いたファーを揺らす。色と質感に限れば、確かにハトの翼に似てなくもない。
「スアロはツバメさん……には見えないね」
ピジョンは弟の背後に回り、ズレた翼を直してやる。沿道に出ると既に町の子たちがあふれていた。吸血鬼、妖精、ミイラ、狼男、フランケンシュタイン……皆思い思いのモンスターの仮装で盛り上がっている。
「トリックオアトリート!お菓子くれなきゃいたずらするぞ!」
「トリックオアトリート!お菓子くれてもいたずらするぞ!」
むしろいたずらしたくてたまらない、わんぱく盛りの子供たちが甲高い歓声を上げて隣を駆け抜けていく。
反射的に身を強張らせ、ポストの後ろに隠れてしまったピジョンをスワローが引っ張り出す。
「だ、だいじょうぶ。ばれないもんね」
シーツを被り直して深呼吸、だんまりな弟を不安にさせないように頑張って笑いかける。スワローの手を握り直し、まずは手近な家を訪問する。
「「トリックオアトリート」」
バルコニーを一段一段慎重に上がり、うんと爪先立ってノックする。
待たせず扉が開き、いかにも人がよさそうな白髪の老婆が、一口サイズのチョコやキャンディーを盛ったボウルを抱えて出てくる。
「あらまあ、かわいい天使さまと悪魔ちゃんね!このへんの子かしら?」
まんざらお世辞でもなさそうにおだてあげ、「はいどうぞ、えんりょしないで沢山食べてね」と、手掴みでお菓子をとらせてくれる。
「ちがうよ、ピジョはハトさん」
「まあそうなの」
「スアロはツバメさん」
「ちいちゃい角まで生えてかっこいいツバメさんねえ」
少しボケているのだろうか、老婆の受け答えはおっとりしてまるで悪気がない。ピジョンは自分の頭の上に手をやり、水平に空を切って続ける。
「天使さんだったらぴかぴかの輪っかができるかな?」
「ピジョはぐずでのろまな駄バトだろ」
「駄バトじゃないよ。ってスアロひとりじめしちゃだめだよ、そんなにとったらあとの子が困るだろ、めっ」
ピジョンが遠慮を知らないスワローの腕を掴んで止める。スワローはふてくされて兄の手をふりほどく。
続いて二人が向かったのは隣の家だ。チャイムを押すと「はあい」と間延びした声が響き、若い女性が出てくる。マタニティドレスの腹がせりだし、歩くのも大変そうだが、手にはちゃんと子供の為のお菓子が用意されていた。
「トリックオアトリート、お菓子くれなきゃいたずらするぞ」
「きゃっ、おっかない。いたずらされちゃ困るからお菓子で許してね」
そう言って二人にカップケーキを配る。
やたらリアルな眼球と血が飛び散った、悪趣味なカップケーキにピジョンが「ぅひゃっ」と慄く。
「あははごめん、びっくりさせちゃった?味はおいしいから安心して……って言っても説得力ないか。毒見する勇気があるなら」
食べ物は粗末にしちゃだめと言い聞かされているが、見た目がおどろおどろしすぎて食べる勇気がない。
初対面の女性を信じていいものか、されど旺盛な食欲と好奇心に勝てず手を伸ばすピジョンをさしおき、見事に大口開けたスワローがカップケーキに噛り付く。
大変だ!
「だめスアロっぺっしてっ、ぺっしたのはピジョが」
「んまい」
「え?」
ピジョンがきょとんとすれば、兄と弟の反応を見比べた女性が盛大に笑い転げる。
「あーおかし、キミ度胸あるねー。正直作った私も自分で食べる気しないのに」
自ら兄の毒見役を買って出たスワローは、その事を恩に着せるでもなく、ただただ我を貫き通してふんぞり返る。
食いしん坊な弟に触発され、カップケーキを一口齧ったピジョンが目を輝かす。
「おいしい」
「よかった」
「お姉さんお腹おっきいね」
「ああ……今月産まれるのよ。相手には逃げられちゃったけど」
「おいかけっこしてるの?ピジョね、スアロとすると負けるよ」
「ピジョがおそいからわるい」
「兄弟なの?仲いいね」
カップケーキをあらかたたいらげた後、ピジョンはおもむろにボウルに手を突っ込み、先程老婆にもらったキャンディを一粒女性に渡す。
「くれるの?でも今日は」
「おなかの赤ちゃんに。ママがね、ハロウィンは子供のお祭りだってゆってたから」
恥ずかしそうに、それでいて嬉しそうにキャンディをさしだすピジョンに面と向かった女性が固まる。
「ちいさい子にはやさしくしてあげるのよって、ママゆってた」
恋人に逃げられた哀しみと独りで出産に挑む不安とが一気に決壊したような、弱さをさらけだす表情で。
そんな兄を見ていたスワローがまねし、ボウルから一粒キャンディをとって荒っぽく突きだす。
「ん」
「きみも?」
「おんなのこにはやさしくしろって、ママとピジョがゆってる」
スワローの言葉に虚を衝かれた次の瞬間、しみったれた不幸を蹴飛ばすように吹っ切れた笑いが弾ける。
「私もまだまだギリおんなのこでイケるんだ……なんか安心しちゃった、ありがとね」
目尻に涙が光る女性に見送られ、ピジョンとスワローは安普請の家を後にする。ピジョンは「ばいばい」と女性とお腹の子供に手を振り続け、スワローはもた付く兄を苛立たしげに引っ張っていく。
その後も二人はお菓子をもらったりあげたりし、ハロウィンの夜を楽しんだ。
仮装をしてる限り二人は町の子と一緒にはしゃぐのを許される。
よしんば彼らの正体に気付いたとして、ハロウィンの夜にまでうるさいことを言うのは野暮だ。その程度の分別は保守的な田舎の住人にも備わっていた。
「ハッピーハロウィン!」
「ハッピーハロウィン!」
魔女や吸血鬼や狼男、さまざまな仮装をした子供たちが元気に駆け抜けていく。
ステッキを打ちふり包帯をなびかせ、あるいはマントをひるがえし、偽物の血糊で本物のモンスターになりきり大人たちを脅かして回る。
ピジョンとスワローも例外ではない。日頃町の子にまざれず寂しい思いをしていただけに、一際楽しんでるとさえ言っていい。
「トリックオアトリート!」
「ハッピハロウィン!」
競うように声を張り上げ、繋いだ手を大きく振る。
スワローとピジョンの行進に合わせ、ハトとツバメ、あるいは天使と悪魔に見立てた背中の翼がふぞろいに揺れる。
町の至る所におかれたジャックオランタンとその口の中で輝くキャンドルが幻想的な祝祭を演出、シーツとフードに映じる火影が好対照の仮装にリアルな陰影を付ける。
「ピジョね、すっごくたのしい。スアロはたのし?」
スワローが無言のままこっくり頷く。
「えへへ」
ピジョンはくすぐったそうに微笑み、スワローにおねがいする。
「あーんして、スアロ」
大人しく口を開けて待ち惚けるスワローの前でラッピングを開封、ミルクチョコレートをねじこむ。
舌の上でまろやかに溶ける甘みに驚き、スワローが当惑げに目を開ければ、ピジョンがまごころ込めて弟の肩を抱く。
「いい子にしてたごほうび」
いばりんぼでくいしんぼのスワローがだれかにモノを譲るなんてめったにない。
「スアロが飴あげたさっきの女のひと、すっごいよろこんでたよ。赤ちゃんも」
本音じゃひとりじめしたかったろうに兄にならって飴を差し出した事が最高に嬉しく誇らしく褒めまくれば、スワローが居心地悪げに呟く。
「おんなのこにはやさしくしろって、ママの口癖じゃん」
「スアロはママのゆーことよく聞くいい子だね」
ピジョのゆーことは聞かないけど。
まだ褒め足りず「えらいえらい」と頭をなでまくる兄にじれたのか、その手をふりほどき前に出たスワローが唐突に命じる。
「あーん」
「あーん?」
「あーん!」
オウム返しで不思議がる兄の要領得なさに、スワローがキレて地団駄踏む。
弟を怒らせるのは嫌なので、わけがわからないまま大人しく従えば
「あー……ぶっ?すあろやめ、くるし口くるしっ」
ピジョンの口に手掴みで飴玉をねじこみ、強引に食わせようとするスワロー。
ピジョンが手足をばた付かせ暴れ、包装されたままの飴を吐きだせば、スワローがさも大袈裟に嘆く。
「あーあ、もったいない」
「うえぇ……」
情けなくべそかくピジョンをよそにさっさと地面にばらまかれた飴をかき集める。ピジョンも泣きながら弟を手伝い零れたキャンディを回収、ざらざらとボウルに入れる。
「そろそろ帰る?」
「待って」
飽きたスワローの催促を押しとどめ、ハロウィンの喧騒を離れた道端の暗がりへと駆けていく。そこには魔女さながら不吉なローブを纏ったジプシーの老婆が座っていた。
「ピジョ、コイツ仮装じゃないぞ」
「わかってる」
スワローがシーツの裾を引っ張り忠告するが、ピジョは何故か心に決めてまっすぐ老婆へ近寄っていく。
「ハッピハロウィン」
老婆が顔を上げる。エキゾチックな褐色の肌は深い年輪を刻み、盲いた目が二人に向けられる。
早く帰りたそうなスワローをよそに、ピジョンは老婆の正面にたたずむ。
「やけに賑やかだと思ったら今日はハロウィンかえ。坊やたちは町の子……じゃあなさそうじゃね」
「目が見えないのにわかるの」
「なんとなく。勘じゃよ」
「はやく帰ろうぜ、ホントの魔女かもしんねー。肌カサカサじゃん」
首を竦めてとぼける老婆をスワローは不気味がり、兄の小脇を突付いて退散を促すが、ピジョンは手に持ったバスケットを掲げてみせる。
「ピジョ、たくさんもらったから。よかったらどうぞ」
乞食と見まがう薄汚い老婆におすそ分けを勧める姿は、仮装と相俟って本当に天使に見える。
「ピジョ!」
スワローが強くシーツを引っ張る。
ピジョンはじっとしてない弟の手を握りこむ。
「いいのかい?」
「ハロウィンは子供のお祭りだってママは言うけど、みんながおなかいっぱいになれるほうが絶対いいもん」
兄の善行、あるいは度し難いお人好しぶりにスワローは不機嫌この上なくそっぽを向くが、ピジョンは彼の手を握り締めて言って聞かせる。
「おんなのこにはやさしくしろってママゆってたろ」
「おんなのこじゃない」
「スアロ、めっ!」
「ありがとうよ坊やたち」
老婆がしみじみ肯ってバスケットに手を入れ、一掴みのキャンディを持ち去る。
想像よりはるかに多くふんだくられたピジョンが「あ」と哀しげな顔をするが、慌てて取り繕って背筋を伸ばす。
「坊やたちは兄弟かい」
「そうだよ。ピジョはピジョ、こっちがスアロ。ピジョがお兄さんでスアロは弟だよ」
「親御さんは?」
「ママが車で待ってる」
「そうかい」
包装をひっぺがしてキャンディを口に放り込み、舐め転がしながら続ける。
「知ってるかい?ハロウィンってのはもともと死者のお祭りなんだよ」
「死んだひとの?」
「あの世に行った人たちの魂が特別に帰って来る晩。ハロウィンにこの世ならざるものの仮装をするのは、地獄の窯から這い出してきた死者たちが心置きなくまざれるようにするためさ」
「っ!?」
脅かされたピジョンが震えて周囲を警戒、スワローの手を痛いほど握り締める。
「うっかり死者の行列を見ても付いてっちゃあいけないよ、永遠に帰れなくなるからね」
「ど、どうすればうちに帰れるの……?」
「簡単じゃよ。お互いの手を離さなけりゃいい」
ジプシーの老婆は賢しげに告げ、飴玉一掴み分の助言は済んだとばかりに暗い夜道に二人を送り出す。
「へんなばばあ」
「そーゆーこと言っちゃいけないよスアロ、へんなおばあさんってゆーんだよ」
さすがに夜もふけてきた。そろそろ帰らないと母が心配する。
老婆のもとを辞したピジョンとスワローは互いの手を握り直し、トレーラーハウスが停まる、町はずれのガソリンスタンドをめざす。
中心部を離れると周囲は森が目立って閑散とし、あれほどいた子供たちの姿も見かけなくなる。
「こわくない、こわくない」
老婆の警告を反芻、こみ上げる恐怖心を虚勢と自己暗示で乗り切ろうとするピジョン。
スワローは無言だ。弟の静けさを何と思ったか、ピジョンは深呼吸で断言する。
「スアロはピジョがまもってあげるからね」
「ぐずでのろまな駄バトじゃムリ」
「ピジョはハトさんだけど、いまだけスアロの守護天使さまなんだよ」
可愛くとも可愛げはない弟の憎まれ口に強がって、夜道をひたすら歩いていると瘴気を孕んだ生あたたかい風に乗じてざわめきが届く。
「ピジョ」
「しー」
勘のいいスワローが何かを察して口を開きかけるのを人さし指で封じ、足早に通り過ぎようとする。
陰々としたざわめきは次第に大きくなり、すぐ耳元で聞こえるような遠近狂わす錯覚をもたらす。
道端に点々と置かれたジャックオランタン、口の中に灯るキャンドルの儚い炎、それらが生み出すピジョンとスワローの影が朧に伸びる。
ピジョンが緊張の汗をかく。スワローが前にも増して無言になる。
しっとり汗ばむ手の火照りが二人の恐怖を通い合わせる。
夜道に投じられた影が蠢き、ピジョンとスワローの後ろからさらに巨大な影が伸びる。誰かがすぐ近くにいる。
1人じゃない、沢山いる。
今夜は無礼講と浮かれ騒いで、好き放題に踊り疲れて、長蛇の列を作って練り歩く。
ハロウィンの夜のみ特別に許された、この世ならざるものたちのパレード。
オレンジの火影が伸び縮み踊る夜闇、ジャックオランタンが大きな口で禍々しく笑っている。
「スアロ、だいじょぶだからじっとして」
怪物たちとの邂逅に恐れ慄きながらも、ピジョンは懸命に弟を制す。
「なんでもないふりで、がんばってゆっくり歩いて」
などと無茶な注文をし、弟の手を優しく引いて歩きだす。
スワローの手が食い込んで痛いがぐっと我慢し、顔を正面の闇に固定してパレードとすれ違いしな安堵で全身が弛緩する。
夜道に蠢き伸びる異形の影絵がワルプルギスの峠を越して、現世への召喚をはたした怪物の群れのウィスパーボイスが葉擦れの音にすりかわる頃、ピジョンはおずおずと弟に話しかける。
「今の聞いたスアロ、あれってさっきのおばあさんがゆってた」
「……」
「スアロ?」
黙り込んだスワローを見下ろす。ズボンの股間が濡れている。
「おしっこしちゃったの?」
「……」
スワローは青褪めて震え、ボウルによそったキャンディを地面にばら撒く。ピジョンは飴玉を回収後、弟のボウルも持ってやる。
「おばけさんたち、もういっちゃったよ」
「……ピジョはへいきなの」
「スアロを守らなきゃって頭がいっぱいで、こわいの忘れちゃった」
あのおばあさんはお互いの手をはなさければ大丈夫だって約束した。
なら信じるしかない、信じて二人で夜道を行くしかない。
内心死ぬほど怖くて頭がおかしくなりそうだったが、自分に縋り付く小さな手のぬくもりが、ピジョンに眠るちっぽけな勇気を奮い立たせてくれた。
恥ずかしさと悔しさで涙ぐみ、唇を噛んで立ち尽くす弟に、ピジョンはこっそり耳打ちする。
「ママにはないしょだよ。ピジョもちょっとだけもらしちゃった」
スワローがやっと顔を上げる。ピジョは弟に微笑みかける。
「はやく帰って着替えよ」
ジャックオランタンをしるべに夜道を歩き抜き、町はずれの廃れたガソリンスタンドに辿り着いた兄弟をむかえたのは、口笛を吹いてトレーラーハウスから出てきた狼男。
「ひっ!?」
子供の仮装とは明らかにちがい、無駄にガタイのいい毛むくじゃらな狼男にピジョンが青褪めれば、すれ違いざま狼男がチョコバーを投げてくる。
「ハッピハロウィン!」
「ただの客だよ」
「びっくりしたー……」
凍り付いた兄に代わってチョコバーをキャッチしたスワローがあきれる。
「ただいまー」
「いま!」
「おかえりなさいピジョン、スワロー。大漁ね」
二人で昇降口をよじのぼり、トレーラーハウスの車内に転がり込む。母がベッドの上で両手を広げて息子たちを迎え、ピジョンとスワローは口々に本日の戦果と、たった今目撃した不可思議な出来事を報告する。
「ママ聞いて聞いて、ピジョとスアロお菓子いーっぱいもらっちゃった!髪の毛の白いおばあさんがすっごく似合ってるって褒めてくれたんだ、でもピジョのこと天使さまだっていうから違うよハトさんだよって」
「カップケーキうまかった。スアロ飴あげたんだ」
「ピジョもあげたんだ、すっごい喜んでくれた。ジプシーのおばあさんにも」
「帰りにへんなの見た、おばけのパレード。影がうごうごして声がざわざわしてるんだ」
「おばあさんが言ってたよ、ハロウィンは死んだ人と生きてる人をまぜっこする日だって」
「一度にしゃべったら何を言ってるかわからないわ」
ひとしきり騒ぐ息子たちを苦笑いで宥める母と向き合い、ピジョンが目をまるくする。
「ママが魔女になっちゃった」
「ホントだ」
スアロも目をまるくする。母は先端が尖った黒い帽子を被り、漆黒のローブを纏っている。
「年に一度のハロウィン、お客さんを愉しませてあげないとね」
「さっきのひと狼男のかっこしてたよ」
「そーゆー趣向なの」
謎めいた言葉でピジョンを煙に巻き、幼い息子たちを侍らしてベッドの上に堂々立ちはだかる。
「ご覧あれ!」
芝居がかった口上でローブの合わせ目をはねあげるなり黒革のボンテージを着込んだ肉感的な肢体が暴かれ、セクシーな魔女がセクシーすぎて目に毒な魔女へ変身を果たす。
「魔法の杖はレア物で入手困難だから打たれたひとを気持ちよくする魔法の鞭で代用したんだけどどうかしら、似合うかしら?」
扇情的なボンテージに巨乳を包み、男を虜にする曲線美を強調する傍ら右手に携えた鞭で壁を打てば、ベッドにちょこんとお座りしたピジョンが興奮しきって手を叩く。
「見て見てスアロママってすごいね、世界一強くてイケてる魔女さんだ!」
「ありがとピジョン。ツバメさんのご感想は?」
「狩られるまえに狩りにきそーだ」
子供以上にはしゃぎまくりの母がピジョンの前髪をかきあげ、額に口付けるのを仏頂面で見ていたスワロー。
漆黒のローブに裸身をしまった母がスワローを抱き寄せ、なめらかな額にキスを落とす。
「くるしいよママ」
天使の姿をしたピジョンが母の腕の中で身もがく。
「はなれろってば」
悪魔の姿をしたスワローが、キスをせがむ母の顔を嫌そうに突っぱねる。
「私の小鳩ちゃんとツバメさん、あらため天使さまと悪魔さん」
天使と悪魔、どちらに転んでもきっと愛せると小娘の頃に誓った彼女は、その言葉を果たすがごとく笑み崩れ、ピジョンとスワロー両方に頬ずりする。
「ふたりとも食べちゃいたい位かわいい!」
戦利品のキャンディーとチョコレート、帰り道ですれ違った怪物たちのパレードにも増して、ゴールに待ち構えていた世界一美しい魔女の笑顔と抱擁こそが、ピジョンとスワローにとって忘れられないハロウィンの思い出になった。
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