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不器用な恋

 なんでも屋という名の自由業を始めて2年程が経つ。居酒屋のヘルプ、新作スマホ購入の為の行列に並ぶ、果てにはレンタル彼氏や結婚式で友人のフリをしてスピーチなど多種多様な仕事をこなしてきた。それらを動画で配信して、動画配信での収入もそれなりに。  そんな中である1件の仕事が舞い込んできた。『抱き枕になってほしい』そんな依頼だった。  なんでも屋を謳ってはいるが法に触れることや性的な内容の仕事はNG。あと身の危険を感じる仕事もダメ。  普段なら断る内容ではあったけど、依頼のメールと共に送られてきた報酬10万という多額の報酬を見て二つ返事で了承のメールを送った。身分証明書もついていたし、例えそれが偽物でも話のネタになる。  そういうわけで、俺はこの依頼に乗り気だった。  インターホンを鳴らす。今までも依頼者の家に伺うことはあったものの、タワマンに入るのは初めてでどうにも緊張する。 『はい』 「なんでも屋の木戸です。篠村さんのお宅で……っ」 『真ん中のエレベーターで25階。エレベーター降りたところでマネージャーが待ってるから』  全てを言い終わる前に自動ドアが開く。なんだか随分と素っ気ないなと思いながらも指示通りに真ん中のエレベーターに乗って25階へ。普段エレベーターに乗ることはあってもこんなに長く乗ることはなく、それがさらに緊張を加速させた。  エレベーターを降りるとスーツ姿の男性が一人。短髪で体格も良く、いかにも仕事が出来そうな雰囲気だ。  けれどそれが依頼者ではないことは分かりきっていた。 「木戸様。お待ちしておりました。高宮のマネージャーをしております佐々木と申します」 「あっこれはどうも御丁寧に……何でも屋の木戸です」  依頼者の名前は篠村基樹。でもそれは本名で、芸名は高宮樹だ。  今をときめく人気俳優。最近はアーティスト活動にも力を入れていてテレビでは見ない日が無いほどの人気っぷりだ。  そんな人気俳優から依頼が入るだなんて思ってもいなかったし、内容が抱き枕代行だなんて最初は何かのドッキリかと思ったぐらいだ。 「契約書がございますので、廊下で申し訳ありませんが記入して頂いても宜しいですか?」 「契約書……あっはい。それはもちろん」  そんなものまで用意されてるなんて初めてだ。やっぱり芸能人だからか、ある程度の制約をつけないといけないのか。  契約書とペンを受け取ってざっと目を通す。内容は主にこの依頼のことを人に話したりSNSで発信したりしないこと、要するに守秘義務。依頼は本物だったけど、話のネタにはできなさそうだ。  なんでも屋として動画投稿もしているけど、今回の依頼に関しては動画で発信するのはNGらしい。でもそのぶん依頼料をかなり貰うから、特にそのあたりに不満はない。 「エントランスですと記者に目撃されて色々勘ぐられることもありますので……マネージャーの私ですら追われたりするんですよ。すみませんね」 「いえいえ。人気俳優のマネージャーも大変ですね」  人気俳優となるといつ何時も記者に追われたりするのだろう。ただでさえ忙しいのに心も体も休まらないのだろうなと考える。 「どうぞ、書けました」 「ありがとうございます。あとそれから……」  佐々木さんが困ったように視線を彷徨わせる。 「高宮なんですけど、ちょっとワガママなところがありまして……」 「はぁ」 「生意気な小学生の相手をする、くらいの気持ちで接して頂ければ」 「え?」 「はは、すみません。部屋に案内しますね」  高宮樹と言えば演技派で才能に溢れていて、24歳とは思えない童顔でまるで少年のようなあどけなさの残るビジュアルも人気のひとつ――とまとめサイトに書かれていた。  生意気な小学生。一体どういうことかと聞き返す前に佐々木さんはドアのロックを解除して中へ入るように促してくれた。 「私はこれで失礼します。詳しくは本人から聞いてください。突き当たりのリビングで高宮は待ってますので」 「は、はぁ……」 「それでは」  バタンとドアが閉まる。僅かな不安がありながらもこれは仕事だと思い直す。  玄関だけでもかなり広い。一体何足靴が並べられるんだろうなと考えながら靴を脱いで部屋へと上がった。 「お邪魔します。なんでも屋の木戸です」  一応声をかけてみたけれど返事はなし。佐々木さんの言う通り突き当たりへ進んでドアをあけるとそこにはドラマでしか見たことの無いような豪華なリビングが広がっていた。 「やっと来た。遅すぎ」  黒い革張りのソファに座っていた依頼者が立ち上がってこちらへ近づいてくる。  本物だ。本物の高宮樹だ。顔は小さいし目はぱっちり。化粧なんてしてないだろうに唇はピンク色。本当に同じ人間の男なのかと疑うレベルで整った顔立ち。  少年のような、とまとめサイトに書かれていたがいざ目の前に立つとその意味がよくわかった。背も低く童顔、24歳には見えない。 「初めまして。なんでも屋の……」 「知ってる。いいから早くこっち来て」  腕をグイグイと引かれてソファに座らされた。テレビで見ているのとは大分印象が違う。  テレビの中ではいつも笑顔で人あたりの良い印象だったけど、今目の前にいる高宮樹はムスッとしていて不機嫌そうだ。  なんというか、イメージとかなり違う。 「あんた依頼の内容覚えてる?」 「抱き枕代行……ですよね?」 「そう。てか敬語やめて。だるい」 「わ、わかった。えっと篠村さんは」 「基樹でいい。よいしょ、と」 「へ」  間抜けな声が出たのも無理はない。  篠村さ……じゃなくて基樹は座っている俺の上に対面で跨るとそのまま体を預けてきた。  体が密着する。ふわりと香ったのはシャンプーの匂いだろうか。 「あ〜〜落ち着く。あったかい」  長いこと恋人もいないし、他人とこんなに接触触れ合うのは久々の事だった。もどかしいようなくすぐったいような感覚。  俺の気持ちはつゆ知らず、基樹はぎゅうううと音がしそうな程しがみついてくる。人のぬくもり。程よい重さ。抱き枕代行なのだから、俺はその役目に徹するほかない。 「手、貸して」 「どうぞ」 「へぇ、結構大きい」  基樹は俺の手をまじまじと見つめたり握ってみたりと繰り返す。何かを確かめるように肩や胸、腹に触れられる。それはまるで身体検査のようだった。  不思議に思ったけど、これで10万貰えるし。抱き枕に徹すればいいだけだ。 「ねぇ」 「ん、なに?」  ただ黙って体に触れられていた。しかしふいに話しかけられて抱き枕に徹していた意識が戻ってくる。 「あんたいくつ?」 「24だけど……」 「なんだ。年下か」 「基樹、も24じゃなかった? 早生まれ?」 「サバ読んでるに決まってんじゃん。本当は29だよ」 「29!?」 「うるっさ……耳元で叫ばないでよ」  とてもじゃないが基樹は29歳には見えなかった。少年のような、と言う売り出し文句の通り18歳と言われても違和感のない容姿だ。 「あの、気になってたんだけど」 「なに」 「なんで俺に依頼を? 基樹くらい人気なら女の子だって選び放題だろうし」  抱き枕にするなら男の俺より女の子の方が抱き心地……というと語弊があるけど、抱き心地も良いだろうし何より今をときめく人気俳優なのだからむしろ女の子から寄ってくるぐらいじゃないだろうか。 「馬鹿なの、あんた」 「はい?」 「記者に撮られたら終わり。記者は撒けても同業と関係持って業界で噂になったらめんどくさい。プロに頼んでも噂は絶対どこかで回る」 「それで業界とは無関係の俺に?」 「そ。一応あんたの身辺も調べたけど親族もいないし恋人もナシ。業界との繋がりもナシ。友人関係も狭い。犯罪歴ナシ。安全でしょ」 「いつの間に……」  そんなに調べられていたなんて気が付かなかった。その通りだけども。 「ていうか基樹、彼女は?」 「僕の話聞いてた?」 「いや、だって」  今日のために事前に見たまとめサイトでも基樹は女優と付き合っているということが書かれていた。まとめサイトだけではなく世間でも基樹は駆け出しの時に共演していた女優と長らく付き合っていると認識されている。2人の仲を応援する声も多い。 「噂でしょ。あんなのでっち上げだよ」 「え、そうなんだ」 「彼女がいたらあんた呼んでないし」 「それもそうか……」 「あんたこそ彼女いないんでしょ。風俗店に出入りしてる様子もなかったし」 「そんなことまで調べてたのかよ」 「行動を調べる上で必然的にね。でも、こんなにカッコイイのに、変なの……」  基樹は耳元でそう呟くと体を離して両手で俺の顔を包み込む。うるんだ瞳、長いまつ毛。女の子に見えなくもない。鼓動が早くなる。密着した体から熱が込み上げてきて、顔が熱くなるのがわかる。  そうして、基樹の顔がだんだんと近づいてくる。体を触られていたことといい、もしやそういう目的か? いやでも、俺別にイケメンでもなんでもないしと動揺から心臓がバクバクと音をたてる。 「冗談! アハハ! なに、童貞?」 「良い性格してるな……」  基樹は笑いながら俺の上から下りる。からかわれたと気がついたものの、心臓はまだうるさいくらいに音をたてている。 「僕かわいいもんな〜」 「ナルシストかよ」 「あったりまえじゃん。じゃなきゃこの仕事できないし」 「ソウデスカ……」  テレビで見る高宮樹のイメージがどんどん崩れていく。そりゃ芸能人もプライベートとテレビじゃ違うとは思うけど、ここまでとは。 「ま、いいや。ところで木戸、パジャマ用意させたから着替えてきて。必要ならシャワーも浴びていいから」 「あ、あぁわかった。シャワールームって」 「連れてく」  そう言うと基樹は立ち上がって俺の腕を引いていく。抱き枕代行を頼むぐらいだから、元々人との距離が近いのかもしれない。  人肌が恋しい、というのもあるんだろうけど。 「はいここ。着替えて。その紙袋に入ってるから」  脱衣所はまるでホテルのようだった。大きな鏡、見るからに高級そうなドライヤー。一体何に使うのかわからないボトルがいくつも並んでいる。化粧水、とかそういうのだと思うけど。 「僕寝室で待ってるから」  そういうと基樹は出ていった。パジャマが入ってるという紙袋も俺は知らないブランドだがきっと高いものなのだろう。  シルクのパジャマなんて着慣れない。普段は高校時代のジャージが寝巻き代わりだ。寝室の場所もわからなかったが、適当にドアをあけていたらなんとかたどり着くことが出来た。 「遅い」 「悪い、寝室の場所がわからなくて」 「まぁいいけど。 さ、抱き枕なんだから早くこっち来て」  寝室にあるのは大きなベッド。キングサイズだろうか? 多分、かなり大きいけど俺みたいな一般市民は大きくてもダブルベッドしか使ったことがない。  ベッドに乗り上げると柔らかく体が沈み込む。マットレスが柔らかい。これは巷に聞くウォーターベッドというやつだろうか。  ベッドに横になると基樹はすぐに俺に抱きついてきた。何せ俺は抱き枕なので、元々これが目的で呼ばれたのだから。  しばらく無言だった。疲れてるだろうし、このまま寝るのだろうかと俺も目を瞑る。しかし少しして、基樹が口を開いた。 「……あんた、身寄りがないみたいだけど。親兄弟は?」 「俺? あぁ、親と弟は亡くなったよ。俺が小5の時、交通事故で」 「あんたは無事だったの?」 「その日は小学校のサッカーチームの練習試合だったんだ。俺は朝早く学校に行ってて、試合が始まる時間に合わせて父さんと母さんと弟が来る予定で……でも、来なかった。信号無視の車が突っ込んできて、そのまま」  もう過去の話だ。幸いにも祖父母が俺を引き取ってくれて成人するまで世話をしてくれた。その祖父母ももう、亡くなってしまったけど。 「……ご両親と弟さんと、仲良かった?」 「まぁ、そうだな。兄弟喧嘩もしたし父さんも母さんもウゼーって思ったこともあったけど、家族として大切な存在だったよ」 「ふぅん、そう」  含みのある返事。初対面で、仕事としてここに来ている俺の過去なんて聞いて何を思ったのだろうか。 「基樹の親は?」 「さぁ。母親しかいないけど、金持ちの爺捕まえてどっか行ったよ」 「連絡を取ったりは……」 「してない。まだ俳優として売れてなかった頃に勝手にどっか行って、売れた途端に連絡してきたからもう二度と連絡してくんなって言ってさよなら。だから知らない」  ぎゅう、と抱きしめられる力が強くなる。  今日出会ってから薄々と気がついていたけど、なんというか、子どものまま大人になったようなアンバランスな人だ。でもそれが俳優、高宮樹の魅力でもあるのだと思う。 「一人で頑張ってきたんだな」  そう言って子どもをあやす様に背中を撫でると基樹は大人しくそれを受け入れた。  まだ出会って数時間、だけどなんとなく篠村基樹の人となりが見えてきた気がする。  なんとなくそうした方が良い気がして、抱きしめられるのではなく抱き締め返した。小柄な基樹は腕の中に収まって、生意気さはどこへ行ってしまったのか素直に抱きしめられていた。 「弟みたいだ」  人懐こかった弟。思ったことをそのまま口にしたら胸のあたりをぽかりと叩かれた。 「僕のが年上。ていうか!僕のことはいいんだよ、別に。ねぇあんた下の名前は?」  静かにそれらを受け入れていた基樹が再び口を開いた。  普段は『なんでも屋 木戸』として活動しているから、下の名前は特に公表していない。隠しているわけでもないんだけど。 「太陽の『陽』に『太』いって書いて、陽太」 「ヨウタ? へぇ、結構普通」 「悪かったな、普通で。ていうか寝なくていいのかよ」  売れてる芸能人は睡眠時間が確保できないとはよく聞く。現在の時刻、22時半。まだ早い時間ではあるけど、寝れる時に寝ておくべきではないのか。 「陽太のこと、知りたい。教えろ」 「命令形かよ」 「だって金払ってるし、顧客の要求は飲んでよ」 「ソウデシタネ……」  と言っても何を話せばいいのか。それを尋ねると「好きなものとか、なんでもいい」とのことだったので俺は適当に好きな漫画とか行きつけの居酒屋の話とか、そんな取り留めのない話をした。  こんなつまらない話でいいのかと思ったほどだ。  基樹はあいかわらず、フーンとかヘェとかそんな相槌ばかりだったけどそれでも寝ずに俺の話を聞いていた。  抱き枕代行というより話し相手としてここに来ている気分だった。  いや、喋る抱き枕なのか。  俺が何かを話して、基樹が相槌をうつ。たまにぽつぽつと会話を交わして、1時間ほど過ぎた頃。 「あのさ」 「うん?」 「僕、実はあんたのこと少し疑ってた」 「え」  突然の告白。どこをどう、疑われていたのだろうか。 「偽善者っていうか。なんでも屋なんて活動して、人を助けて優越感に浸る嫌な奴なのかなって。でも違った」 「まぁ、そう思う人もいるよな」  そんなメッセージを貰ったことだって1度ではなく何度かある。  もちろんそんなつもりはないけど、そう捉える人だっているだろう。 「世話焼き、お節介。それも根っからの」 「よく言われるよ。でも、親がいないぶん色んな人に助けられて生きてきたから恩返しのつもりでもあったんだ」  元はそうだった。身近な人の、お世話になった人に恩返しがしたくて。そのうち色んな人の手伝いをしたいと思い始めて、人と接することの楽しさを覚えて、たくさんの人と関わるためになんでも屋を続けている。 「僕がなんであんたに10万も出して依頼したかわかる?」 「人肌が恋しいとか、そういう?」  それ以外に何か理由があるのだろうか。 「売れてないモデルでも芸能人専門のそういう店でも、ただ添い寝するだけなら別に手段はいくらでもあるんだよ。本当は」 「でもさっきはめんどくさいことになるからって……」 「そんなのでまかせに決まってんじゃん」 「じゃあ、なんで」  問いかけると基樹はだんまりを決め込む。さっぱりわからない、何が言いたいのか。  部屋が暗いから表情はよくわからない。だけど何か俺に伝えたいことがあるのだろう。 「あんたの活動、動画サイトでずっと見てた。移動の時とか、寝る前とか。人のために一生懸命なあんたを、ずっと見てて……もっと知りたいし話してみたいとか、色んなこと考えて、番組の企画で呼んでもらおうとしたこともあったけど……」 「けど?」 「でもそれだと高宮樹として会うことになるから、それは違うなって……1日付き人してもらうとか、そういう依頼も考えたけどそれでもやっぱりただの依頼人になるし。ただの依頼人じゃなくて、そうじゃなくて……」  人をからかうような、生意気な態度はどこへやら。基樹なりに気持ちを伝えようとしてくれている。まとまっていない言葉だけど、彼なりの精一杯なのだろう。 「それってつまり」 「察しろよ。10万もだして、こんな依頼してるんだから」  腕の中で基樹がさらに俺に擦り寄ってくる。密着した体からうるさいくらいの心臓の音が伝わってくる。俺のじゃない、基樹からだ。  どうするのが正解か。わからなくてより強く基樹のことを抱き寄せた。 「そっか。ありがとう」 「………ん」 「俺の活動が誰かの糧になってたならやりがいがあるよ」  依頼してくれた人だけじゃなく、俺の活動をみて元気をだしてくれる人がいた。こんな嬉しいことはあるだろうか。 「待てよ、あんた勘違いしてない?」 「え」 「あーーーー、これだから童貞は」 「だから童貞じゃないって」 「じゃあわかるだろ」 「うわっ、なに!」  基樹は俺にしがみついたまま勢いよく体を捻らせた。腰の上でマウントポジションを取られて、一瞬の出来事に理解が追いつかなかった。 「高宮樹にこんなことしてもらえる奴、いないんだからな」  そういうと基樹はぐっと顔を近づけてくる。さっきも似たようなことがあった、デジャブ。またからかわれているのか? 判断が鈍る。  でもやっぱり、基樹はそれ以上近づいてくることはなくて、至近距離でただただ向かい合う。  多分、不器用なんだろうなと思う。素直じゃないし、寂しがりで頑張り屋。たくさんの人と関わってきたから何となくそれを感じ取れる。 「今は高宮樹じゃなくて、篠村基樹なんだろ」  自然と体が動いた。後頭部に片手を回して、そっと引き寄せる。暗闇でも基樹の瞳は子どものように澄んでいて、やっぱりアンバランスな人なんだなと思う。  目は開いたまま、距離はゼロにになった。 「…………なんでも屋って、ここまでしてくれるの」 「基樹は顧客なんだろ。顧客の要求は飲まなくちゃ」 「それは、そうだけど」  意趣返しのつもりだったけど、通じなかったようだ。途端にしおらしくなった基樹がなんだかおかしくて。笑いが漏れる。そうすると「何がおかしいんだよ」と睨まれてしまった。 「いや? 抱き枕代行なんかじゃなくて、レンタル彼氏なんかもやったことあるけど」 「あんたをレンタルしろってこと? そうしたら、そうしたら……」 「性的なことはNG。引き受けてない」 「なんだよそれ。キスはセーフなのかよ」 「アウトだな。俺がなんでも屋失格だ」 「いや、でも、僕が誘ったような、ものだし……あぁもう、ただあんたと話して、くっついていたら、満足するはずだった」  基樹が耳元で小さな声で呟いた。  面白い人だ。素直じゃないし、近づきたい相手に対していきなり抱き枕代行を依頼しようだなんてひねくれてるにも程がある。 「ねぇ、追加料金なら、払うし……だから、さ」 「なんでそうなる」  篠村基樹、その人を知りたいと思ってるのは紛れもなく俺自身で。なんでも屋としてじゃなくて、これはもはや勤務時間外の話だ。 「追加料金なんていらない。なんでも屋木戸じゃなくて、今からは木戸陽太として基樹に向き合いたいんだけど」 「でも……」 「童貞はどっちだよ」 「なんだよ! 僕が童貞じゃないこと、証明しようと思えば出来るけど?」  ガバッと身を起こした基樹が俺のパジャマのボタンに手をかけようとして、やめた。  そのまま俺の隣に横になると、顔に手が伸びてくる。 「…………キス、だけ。それならいいだろ」 「キスだけな。ふーん……」  つい意地悪を言いたくなってしまうのは何故なんだろう。  篠村基樹をもっと知りたい、それ以上にこの不器用で寂しがりな人間を愛おしいという気持ちが湧き上がってくる。 「なんだよ、あんた。本当にウザい」  もどかしいのはお互いさまだ。  腰を抱き寄せて、ベッドに沈んでいく。そこからはもう素直になるしかなかった。

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