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第4話
スワローは発見した。性欲と暴力は代替がきく。故に性欲が溜まればだれかをこっぴどく殴って発散すればいい。
「ひでぶっ!!」
情けない悲鳴を上げて三段腹の巨漢が吹っ飛ぶ。
最前まで女の髪を掴んで引きずり回していた、縦幅も横幅もある醜男だ。強いものには下手にでて弱いものには強くでる典型的な腐れ外道。
相手がまだ十代前半の華奢な少年と侮り、威勢よく殴りかかった目論見はまんまと外れた。
歓楽街の路地裏、空き瓶を詰めた木箱の塔が轟音を奏でて盛大に崩落。
木箱の山へ背中から突っ込んだ男はひとたまりもなく戦意喪失、もんどりうって低く呻く。
スワローは大股ににじり寄り、その手の甲を踏み付ける。
「肋骨何本かイッたな。次は指の骨折ってく?」
「く、くそ……ガキの分際でしゃしゃりでやがって。テメェは関係ねーだろさ!」
「ところがどっこい大アリさ、この界隈に女に乱暴働く心得違いのアホがいるからキッツイお灸を据えてやってくれって頼まれちまってさ」
しどけなく金髪が舞う赤錆の瞳が残忍に濡れ光る。
スワローの背後ではあられもなく服をはだけた娼婦が放心の態で蹲っている。
顔と体には大小の無惨な痣が咲き乱れ、暴行の痕跡が明らか。鼻血も出ている。
すっかり怯えきり、恐怖に引き攣った表情であとじさる女とへたりこんだ男とを見比べ、スワローは両足を開いてしゃがみこむ。
「アンタさ、女の首絞めながらやるのが好きなんだって?そっちのほうがアソコがよく締まるって、そう吹かしてるそうじゃねーか」
「ぐ……それのどこが悪い、金で買った女に何しようが俺の勝手だ」
「ソイツはちっとばかし思い上がりがすぎるってもんさ、商品にキズ付けられちゃたまんねーよ。娼婦は顔と体が商売道具なんだ、慰謝料たんまり弾んでもらわなきゃな」
男の顔には品性の卑しさが滲んでいる、まったく反吐がでるようなゲスなクズだ。コイツは界隈でも悪名高いゴロツキ崩れで、行きずりの娼婦を暴行するのが生き甲斐だった。
別に珍しくもない、商売女を虐げて射精する加虐趣味の変態野郎。セックスを征服欲と優越感を満たす道具にし、服従と隷属だけを女に求め、相手の苦痛を搾取することでしか達せないひねこびた自尊心のかたまり。
生憎とその手の鬼畜は腐るほど見飽きており、扱いも熟知している。
スワローは手近に転がった酒瓶の底部を叩き割り、鋭利な切っ先を男の喉笛に突き付ける。
「うぐっ」
脅しには物を使うのが効果的だ。わざわざ愛用のナイフを出すまでもない、そこに転がってる酒瓶で事足りる。
精一杯仰け反る男の首の薄皮が裂け、赤い血が一線滲む。
眼光に威圧を宿し、興奮に乾いた唇を舐めて脅す。
「女の首を絞めなゃイケねー手合いなら遠慮はいらねーな?」
「た、頼む、見逃してくれ……ほんの出来心だったんだ」
「おーっと今度は見事な手のひら返しときたか。魔が差した、出来心で、性欲を抑えきれず?お次はなんだ、言い訳は弾切れか?せいぜい貧困な|語彙《ボキャブラリー》をドブさらいして唄ってくれよ」
「金払った分了解してると思って、それで……俺だけじゃねェ、そっちだってさんざん愉しんだくせに」
「ふざけんな、人の喉潰しといて!!」
「よく言えるねそんなこと、泣いて嫌がる子をぶたなきゃイけないくそったれの変態野郎が!!」
暗がりから沸いてきた影の群れがスワローに加勢する。趨勢が決するまで固唾を呑んで傍観していた娼婦たちだ。仕事仲間を庇うよう円陣を組み、スワローを先頭に押し立て、男を一分の隙なく包囲する。憤怒と憎悪が綯い交ぜとなった醜悪な形相は、一様に男への極大の嫌悪感を表明していた。
スワローはおどけて肩を竦め、からかうよう両手を広げる。
「お嬢さんがたから大ブーイングだぜ?顔面偏差値の差だな」
「くっ……うるせえ淫売が、大人しく股開くのがテメェらの仕事だろうが!!」
ああ、ぞくぞくする。
「反省の色がねェ。おいたができねーよう去勢するか」
だしぬけに腕を振り抜く。「ひっ!」と男が喉を窄め、咄嗟に足を引っ込める。
鋭く尖った破片が、切っ先にネオンの瞬きを宿して一面に飛び散る。
委縮した股間スレスレを掠めて酒瓶を叩き割れば、男の尻の下に湯気だつ水たまりが広がっていく。恐怖の絶頂で失禁したのだ。
「あははは漏らしてやがんの、きったなーい!すっかり股ぐら竦んじまったね、使い物になりゃしない!」
「いくらもらってもスカトロはお断りだね、他あたんな!」
「これに懲りたら二度と女の子に手ェ出すんじゃないよ、お呼びじゃないんだよアンタみたいな図体とイチモツのデカさが釣り合ってない短小は!」
形勢逆転した娼婦たちが一斉に笑いのめし下品な野次をとばす。悪意さざめく爆笑の渦の中、下着とズボンを濡らした男はもうぐうのねもでず、恥辱と激痛に丸まって震えるのみ。恥をかかされて顔も上げられない。
男の懐へ手をさしいれ、くたびれた財布をひったくり、皺くちゃの紙幣をまとめてすっぱ抜く。
そのうち数枚をスタジャンに無造作にねじこみ、残りを頭上高くまきちらす。
「さーて早いもん勝ち、おまちかねの慰謝料とりっぱぐれんな」
ネオンの光を塗されカラフルに踊る紙幣に蓮っ葉な嬌声を上げ女たちが群がる。軽薄に舞う札束を押し合いへし合い奪い合い、我欲を剥きだして醜く小競り合う金の亡者の中に鼻血を出した女がちゃっかりまじってるあたり立ち直りが早い。なんとも俗悪で痛快な光景だ。
空っぽの財布を男の顔面に投げ付け、スワローは年嵩の女に声を投げる。
「一丁あがり。あとは煮るなり焼くなりお好きにどーぞ」
「助かったよ、ありがとね」
この界隈では顔利きの四十路がらみの娼婦が礼を述べ、胸繰りの深いドレスの谷間から皺くちゃの紙幣をとりだしスワローに握らせる。
今晩の用心棒代プラス男の財布の中身……合わせてまあまあの実入りだ。少しは貯金の足しになる。
唾で湿した指で紙幣を弾いて数えるスワローに、女は愚痴っぽくかきくどく。
「コイツにゃみんな困ってたんだ。アタシらみたいな一流店のお抱えじゃない場末の娼婦は、トラブルが起きても泣き寝入りっきゃないし……それに付け込んで好き勝手悪さ働かれちゃたまんないよ。怪我した子はむこうで手当てしてやんな」
「スワローにはホント感謝してるの、頼りになるし」
「用心棒も安く引き受けてくれるしね」
「アタシたちの元締めはとんだケチんぼで、上納金の取り立てばかしキツくって、仲間が乱暴されても見て見ぬふりさ。変態客ほど口止め料込みでたんまりふんだくれるから大歓迎だって……イカレてるよ、股開いて相手する身にもなれってんだ」
路地に屯う年齢も肌の色もばらばらの娼婦たちの愚痴をスワローはどうでもよさそうに聞き流す。
「この街もひと昔前はもうちょい客の質がよかったんだけどね」
「やだよ姐さん、昔懐かしむのは年寄りの証拠だよ。そんなトシじゃないでしょうに」
互いの肩を叩いて馴れ合う四十路の娼婦とその妹分。
四十路女は娼婦たちを仕切る界隈のベテランで、てんで頼りにならない元締めに成り代わってなにくれと女の子たちの世話を焼いている。
「採石場が閉鎖になってから客足もすっかり引いてね……もともとは炭鉱街として栄えた街なんだけど、いい鉱石もでるんだよ」
「スワローはあそこに寝泊まりしてるんだっけ?危ないから気を付けなよ」
「危ねえってなにが。落盤事故?」
「それもあるけど……ねえ?」
娼婦たちが意味深に目で示し合わせる。気に食わない符丁だ。スワローは口角を不敵に釣り上げる。
「幽霊でもでんの?」
「あそこは|コヨーテの谷《コヨーテアグリー》なのさ」
訳知り顔の四十路女が声を潜め、スワローへと耳打ちする。
「採石場の近くにコヨーテの群れが巣食ってるんだよ。まだ現役の頃に何人か喰い殺されてね……すっかり人の味を覚えて襲撃をくりかえすもんだから、それが閉鎖に繋がったのさ」
「へえ……そういや遠吠え聞いたな。狼かと思ったが」
「姿は見かけない?最近は随分と大人しいね」
「駆逐されちゃったとかあ?」
「どっかよそに行ったのかね。谷の由来にまで見捨てられるとはこの土地も落ちぶれたもんさ」
「最近物騒だもんね、一か月前も気味悪い事件があったじゃん」
「ああ、ヒースタウンの住民が殺し合ったっての?動機もよくわかんないんだっけ、アレ」
「うちの自警団が駆け付けた時はほぼ全滅、一面死体だらけで酷い有様」
「生き残りの話も支離滅裂だし……蜂の巣駆除しようとして祟られたんだー、とか、みんな蜂にやられちまったんだー、とか。完璧イカレちゃってるよ、ショックだったんだろね可哀想に」
「ううん、もとからアル中でしょアレは。完璧イッちゃってたもん」
「肝臓悪そうな顔色してたし……結局すぐぽっくり逝っちゃった、命拾いしたのにもったいない」
「崖を挟んで反対の道でも馬車が襲われたって。コヨーテだか野犬の仕業でしょ?」
「積み荷も荒らされて大損害だって」
「スワローだいじょぶ?一人で帰れる?」
「怖いなら今夜は泊まってく?もう遅いし」
「むしろ帰したくない的な?あたしたちのために頑張ってくれたんだもん、ご褒美あげちゃうただでいーよ?」
あっというまに取り巻かれてちやほやされる。四つん張って札拾いに夢中だった娼婦たちもわっと詰めかける。スタジャンの袖を右に左に引っ張られ頭をなでまわされ頬と額と首筋に接吻を浴びせられ、色めきだった娼婦らに熱烈なラブコールを受けながら、スワローはそっけなく呟く。
「いや。帰るわ」
「「ええー!?」」
甲高い抗議の声を一蹴、肩越しに手を振って歩みだす。名残惜しげに見送る女たちを、四十路女が「さあみんな、散った散った!仕事に戻るよ!」とけしかける。
スワローたちがロータスタウン近くの採石場をねぐらにして約一か月が経過した。元々は良質の鉱石や石炭が採れる炭鉱街として栄えた街だが、今じゃすっかり寂れている。
スワローはこの街で用心棒のまねごとをして収入を得ている。
彼が依頼を請け負うのは店に属さぬ弱い立場の街娼ばかりで、そういう娼婦たちに執拗に付き纏う悪質な客にお灸を据えるのが主な仕事だ。この街でスワローは大受けだ。惚れこんで誘いをかけてくる女も多い、ツレない態度がそそるんだそうだ。女心はよくわからない。
「稼げりゃどうでもいいけどな」
腕っぷしを見こまれ頼られるのは悪い気分じゃない。運が良ければ余禄にも預かれる。スワローは荒事向きの性分だ、人に暴力をふるうのにためらいがない。娼婦を下に見てあこぎなまねをする男は絶えず、従って用心棒の需要は増す一方だ。見てくれでなめてかかってくれれば好都合、先手を打てる。
スワローは肩で風を切って大通りを歩く。コヨーテアグリーとはご大層な名前だ。採石場にトレーラーハウスを停めて一か月が経過するが、コヨーテには終ぞお目にかかってない。絶滅したのか?
いや、コヨーテの消息などどうでもいい。今のスワローには他に考えなければいけないことがある。
街を出て少し行くと採石場が見えてくる。車で乗り入れるとまたややこしいことになるので宿泊場所には街外れを選ぶのが通例だが、それにしたって辺鄙なところだ。
足場の悪い岩場をスタジャンのポケットに両手を突っ込んだまま身軽に跳び伝い、闇に浮かび上がるトレーラーハウスに近付いていく。
兄と母と14年間暮らした家。
しこたま思い出の詰まった、移動式の|我が家《ホームスイートホーム》。
「…………」
子どもの頃に母と並んで語らった荷台と、ブラインドが下りた窓とをムッツリ見比べる。
『そんなのってない。ずるい』
ピジョンの悔しげな声が耳に甦る。卑怯な質問をした自覚はある。勿論わざとだ。あのヘタレがあそこで咄嗟にどちらかを選べるほど頭よくないと、最初からわかりきっていた。
なのになんで、こんなにむしゃくしゃするんだ?
そこは嘘でもいいから俺を選べよと思ってしまうのはどうしてだ?
喧嘩して飛び出して、そのまま夜遊びで時間を潰した。
用心棒のまねごとをしている間も、ずっと頭にあったのは哀しげに俯くピジョンの顔。世界が背負わせた悲劇に耐えるようなしょぼくれたツラ。
「……無理矢理ヤッたっていいんだ、別に」
実際そうするのは簡単だ。
それはもう笑ってしまうほど簡単で、だからこそ何の意味もない。
アイツから求めてこなければ意味がないと、ねだってこなければ本当の意味で勝ったとはいえないと分別が付くほどにはスワローも大人になった。まるで首枷のようにうざったく感じて、時々無性にドッグタグをちぎり捨てたくなるのと根は同じだ。三年前の約束はスワローの中でちゃんと生きてる。あの時アイツはなんて言った?俺が14でアイツが16になったら潔く抱かれてやると啖呵を切ったじゃねえか。でもそれをこっちから持ち出すのはなんかすげえ負けた気がする。
なあ兄貴あの約束覚えてるかまさか忘れたわけじゃねえよなと満を持して切り出して、そらっとぼけるなら張り倒してやりゃすむこったが、素できょとんとされでもしたら……
『約束?俺が開発した絶対ほどけない上に三秒で速攻できる靴紐の結び方を教えるって話?』
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!」
楽しみにしてたのは俺だけか?
待ち遠しくしてたのは俺だけか?
アイツにとっちゃコロッと忘れちまうくらいどうでもいいことを、一日一日数えて楽しみにしてたなんてふざけんな絶対に認めねェそれがバレるくらいなら舌噛みきって死んだほうがマシだ!!
やけにリアルに生々しく、いかにもあのアホが言いそうなアホなセリフが浮かんできて怒りが一瞬で臨界点を突破。両手足を振り回し地団駄踏み、声にならない絶叫を夜闇に放ち、頭を抱え込んでしゃがみこむ。
「……俺と母さんを秤にかけたらギリ母さんに傾く、それがアイツの本音だろ」
ドッグタグを握り込んで忌々しげに吐き捨てる。
どっちも選べないなんてズルい嘘だ。アイツの中じゃ優先順位がはっきりしてる、母さんを哀しませるのがいやだから本当の事が言えない、アイツは俺と賞金稼ぎになる夢を追いかけるよか母さんを泣かせる方がいやときた。
もしあのアホが本当にド忘れしてんならド忘れしてたから何も言いださないんだとしたら、今度こそ本当の本当にブチ殺してしまいそうで自分自身が抑えきれない。じらしてるんでも忘れてるんでもねえ、ただただそれが癪なのだ。
詰まるところ意地の張り合いだ。
ピジョンにとって自分は二番目に大事な家族で、どうあがいたって永遠の二番手で、母に劣る地位にすぎない現実を直視するのがいやなのだ。
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