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14:泣かせた、泣かせた
「うおおっ、ギリ間に合うかーーっ!?」
そう、俺は、少しばかり焦っていた。
「書き写すのに時間かかっちまった!」
お陰で、イーサの部屋守の交代時間にギリギリ間に合うか間に合わないかの時間になっていた。だって仕方がないだろう!
「ワケわからん文字を書き写すって……もう絵の模写と同じじゃねぇかっ!」
そうなのだ。
あの、掲示板の文字をイーサに見せるべく、上から順番に馴染みのない文字を書き写していったのだが、そりゃあもう骨が折れた。
そもそも、意味が分かるから言葉は“文字”としての体を保てているのであって、分からない線の交わりとうねりは……ただの絵だ。
「どうせ、これを見せてもアイツは喋れねぇから……いっこいっこ二択で選ばせるような質問をしていって……はぁっ、こっちも骨が折れそうだ。つーか、そもそも読んでくれんのかも怪しいし」
片手で後ろ髪をかきむしりながら、俺はメモした手帳を親指でパラパラとめくる。
そして、たまたま目に入ってきた言葉に、俺は思わず口角を大いに上げた。
「……むふふふ」
大股で宮殿脇の小道を歩きながら、俺は、今度こそ耐える事なく笑みを浮かべた。大丈夫。イーサの部屋までは基本的に誰も居ない。黄金色の外扉に手をかけた俺は、それまで走っていた足を止め、ゆっくりと足を動かした。
宮殿内は有事の際以外は走る事を禁止されている。
「あーぁ!泣かせた、泣かせたっ!」
そう、捲り過ぎた記録用紙の先に書いてあったのは、俺お手製の「人魚姫」の台本の頁だった。
怖がらせはしないが、絶対に泣かせてやると意気込んで臨んだ人魚姫のお話会。その言葉通り、俺はまさにイーサを大いに泣かせてやったのだ!
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≪王子様は私に向かって言った。僕は、彼女と……隣の国のお姫様と結婚をするんだ。君は僕の幸せを願ってくれるかい?と≫
『……』
パタパタパタパタ。
パタパタパタパタ。
扉の向こうから聞こえるせわしない足音。きっと、扉の前を我慢ならんとでも言うように歩きまわっているのだろう。物語中、隣の国のお姫様が現れたあたりから、ずっとこの調子だ。
俺にはイーサの気持ちが分かる。それこそ、手に取るように。いや、掌の上で転がすように!
イーサは今、人魚姫にずっぷりと感情移入しきっている。そうなるように、俺が情感をこれでもかという程込めて語っているのだから。
けど、ここからが怒涛のクライマックス!
ぜってー、俺の声で泣かせてやる!
≪その瞬間、私はカッと頭に血が上ったわ!一瞬だけど、王子様が凄く憎らしく見えたの!そんな女と幸せになんてならないで!私とずっと一緒に居て!貴方を助けたのは、この私なのよ!その女じゃないっ!≫
『……』
≪ねぇ、どうしてぇっ!?どうして分かってくれないの!?どうして心の声は貴方に届かないの!?どうして、どうして、どうしてっ……≫
パタリと足音が止む。
きっと俺の迫真の人魚姫の心情描写に、耳を、心を、……奪われているのが容易に想像できる。顔を見た事もないのに、その表情すら見えてきそうな程だ。
お前は今、唇を噛み締め、泣きそうになっているだろう!
扉越しにだって分かるんだからなっ!
≪そう、叫んだつもりだった。けれど、実際に口から出てきたのは、何も音を紡ぎ出す事なく漏れる深い吐息だけ……分かっていたわ。心の声は、想っているだけでは、相手に届かない事を≫
『……』
泣け。
≪私は、微笑む王子様を前に、握りしめた拳からフッと力を抜いた≫
『…………』
泣け!
≪だって、私には……もう、心の声を伝える術が……声が、ない≫
『っ!』
泣け!!
ドスン!
先程までパタパタ聞こえていた足音が止まり、軽い衝撃が扉に走る。きっと、その後に予想される嫌な予感に、どうしようもない気持ちになってしまったのだろう。
なにせ、人魚姫は魔女と約束を交わした際に、声ともう一つ、リスクを背負わされているのだから。
≪その時、私は、あの魔女の言葉が耳の奥に、まるで、さざ波のように反響するのを聞いた気がした≫
『……』
扉の奥がシンと静まり返る。
あぁ、俺も、耳の奥にイーサの息を呑む微かな音が聞こえてきた気がするぜ。
≪もし、あの王子様が他の女と結婚してしまったら、お前は泡になって消えてしまうからね。それでもいいのかい?≫
先程まで最大限に高く、必死に可愛らしくあろうとしていた声をガラリと変化させる。今の俺の声は、皺がれた、少し悪意のある老婆の声だ。
あぁ、ちょっと喉が変になりそうだ。
≪あぁ、王子様……なんて幸せそうな笑顔なの。本当に、その子の事が好きなのね。私じゃなくて、その人とずっと一緒に居る事が、王子様の幸せなのね≫
『……』
コンコン。
堪らないと言った風に、二度叩かれる目の前の扉。
一度は肯定。二度は否定。
コンコン、コンコン。
いやいや、お前が否定したとて物語のラストは変わらないんだよーーー?
やいやーい!早く泣いちまえ!
物語の切ない情感に反して、その時の俺はノリノリだった。もう、踊り出しそうなくらい。
≪それなら、私は、もういいわ。それが私の幸せでいい。貴方の幸せが、私の幸せ。だから、貴方がお姫様と結婚する事も、私にとっての幸せ。私は、もうそれでいいっ……≫
コンコン、コンコン、コンコン。
扉の向こう側に居る、たった一人の観客が人魚姫のその後を察し必死に戸を叩き始めた。
悪いが、どんなに戸を叩かれても俺はラストを変えるつもりなど毛頭ない。
俺は必ずや、人魚姫を泡にしてやると決めているのだ!
さぁ、イーサ!俺の声を聴け!
そして、俺の声で、泣け!
目の扉のすぐ向こう側で二度のノックを繰り返すイーサに、俺は本当のクライマックスへとその手を引いて連れて行ってやる事にした。
≪サヨナラ、王子様≫
『……っ』
コンコン。
≪私、本当に幸せだった。貴方を助けて、好きになって、憧れの世界へと足を踏み入れて、人間みたいに自分で立って、貴方の隣を歩いて。海の中に居たら出来なかったことが、全部出来た≫
こん、こん。
『……ず』
≪貴方を諦めなくて良かった。飛び出して良かった。本当に良かった……貴方を好きになって、良かった≫
『っずず、っっ』
鼻をすする音が、確かに扉の向こうから聞こえた。これは、気のせいではない。ちゃんと、聞こえてきたのだ。
よっしゃぁぁぁっ!泣いたーーー!
泣かせた泣かせたっ!いえぇぇぇいっ!
≪そして、私はその後一人で海を望む場所へと向かった。海、私の故郷。私は、両手を広げ海の中へと飛び込んだ。冷たくも温かい感覚が、私の体を包み込む。あぁ、懐かしい。そうね。そうだった。私、此処も……大好きだった。思い出せて、良かった。あたたかい日の光に照らされ、そこから私の意識は――≫
『っっっずずず、っう、ふぅ』
≪その日、一人の少女がお城から姿を消しました。海は、その日も、いつものように……穏やかでした≫
その後、俺は扉の向こうから終始聞こえる、呼吸を詰まらせたような苦し気な嗚咽に、人魚姫を泡にした余韻を楽しんだのであった。
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