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66:盾であり翼でもある

「彼自身が意思のある生き物であるという事です。彼は、今貴方の抱きしめている、物言わぬ愛玩人形とはワケが違うのですよ。隠す時に、どう彼に伝えるおつもりです?」 「……サトシに、お願いを、すれば」  畳みかけられた勢いで、イーサの勢いが一気に削がれる。そのせいで、途端に言葉遣いに幼さが滲み出した。腕の中の奇妙なウサギのぬいぐるみが、さらにイーサの腕の中で可哀想な程に握りしめられた。  あぁ。どれも、これも、面白い程に想定通りだ。 「彼はそれに素直に頷くような性質の人間ですか?」 「頼めば、きっと。だって、サトシは優しい」 「そうでしょうね。貴方が癇癪を起し、泣き喚けば、もしかすると困った顔で、自ら閉じ込められてくれるかもしれません。ですが、」 「……な、なんだ」 「貴方が居ない間、ずっと部屋に一人で閉じ込められた彼が、果たして貴方の望む“サトシ”のままで居てくれるでしょうか」 「っ!」 「貴方が一番分かっているのではないですか?一人きりの長い時の……その途方もない孤独を」 「……」  想定通り。  余りにも想定通り過ぎて、マティックは既に脳内を次の段階へと移行した。  ヴィタリックの死を、さて一体どのような順序で開示していくべきか。期限は約ひと月。伝達の順番も、ミスは許されない。各所の利権関係を加味し、いらぬ混乱を招かぬよう情報開示に努めなければ。 「ふむ」  未だに黙って俯くイーサの姿を前に、マティックの並行思考は止まらない。あと少し、イーサには沈黙を与えよう。問答は“間”も、鍵だ。  さて、ひと月もあれば、どうにか事を想定通りに進める事は可能だろう。では、国民への情報開示は、今からひと月後の開緑の節としようじゃないか。  では、ここで再確認。親族にすら、未だ知らされていないヴィタリックの死を現状、知っているのは――。 「……さて」  “間”は、十分取った。  ここで一旦、問答を再開させよう。 「……イーサ王子。人間の寿命はただでさえ短い。その中で、私達エルフの時間感覚と彼らのソレを同列に考えていると、人間は簡単に壊れてしまいます」 「……ど、どうしよう。隠しても、隠さなくてもサトシは危ない。あものようにしていては、ダメなのか」 「ええ。もちろんです。しかし、一つだけ、彼に鉄壁の盾を持たせる方法があります」 「な、なんだ!?」  ヴィタリックの死を知る者。  まずは、ヴィタリックの病を診察し続けてきた宮医一名。  死の淵に呼ばれた、現宰相である、マティックの父。そして、マティック自身。  そして先程、マティックの口から伝えられた、王位継承権第一位のイーサ。  計四名 「彼に、貴方を守らせる事です」 「……待て。し、しかし……それは」 「危険?いいえ、違いますよ。イーサ王子。貴方は大きな勘違いをしている」 「なんだと?」 「生き物が最も強くなる時というのは、大切なものを守ろうとする時だ。私は昨夜、彼と話して確信しましたよ。彼は守られるより、何かを“守っていた”方が大いにその真価を発揮する、と。そうは思いませんか?」 「……でも、サトシは人間で、死を……こわがらない」 「その際は、貴方が死の淵から彼を引き上げなさい。少なくとも、通常の外敵には隠すより表に出した方がよほど安全だ。それに――」  ――否。五名だ。  ヴィタリックの死を、このクリプラントにおいて知る人物がもう一人だけ居る。 「彼は、多少普通の人間よりは特殊な部分を持っているようです」  サトシ・ナカモト。  彼は既にヴィタリックの死を知っていた。勿論、マティックが教えた訳ではない。さすがに、今後の国家の大局を左右する、このような最重要機密を、たかだかネックレスを渡されただけの人間に伝えよう筈もない。 --------あの、ヴィタリック王って、もう亡くなってますよね?  それなのに、サトシはヴィタリックの死を当たり前のように知っていた。  むしろ、死んでいない方がおかしい。まるでそんな口調だった。 「イーサ王子。これは何の根拠もない私の勘の域を出ない話で、大変恐縮なのですが」 「許す。言え」 「彼は、本当に貴方がこの国の王として国民の前に立つ時に、その一翼を担うのではないかと思うのです。ですから、彼の翼を籠に閉じ込める事はお勧めしません。羽を手折るより、自由に羽ばたかせてみてはいかがでしょうか」 「……」  あの、サトシ・ナカモトという人間は、“普通”ではない。  だからこそ、マティックはイーサが彼にネックレスを与えた事に、昨晩の彼との問答であながち間違いではないと思い至ったのだ。 「どうやら彼は、信じるだけの馬鹿ではないようです」  なにせ、サトシはずっとマティックを完全に“敵”として見ていた。 (あなたは、イーサの敵ですか?)  口にはしないものの、サトシの目は最初から最後まで、その意思から一歩も動く事はなかった。政に携わった経験があるとは思えない。徴兵により人間達から生贄として捧げられた人間の彼が、的確な猜疑心をマティックへと向けてきたのだ。  しかも、自分の為にではない。  この、目の前のぬいぐるみを抱き締める、見捨てられていたイーサ王子の為に、だ。 「彼は、その寿命を真っ当する中で、きっと貴方の背中を常に押す存在になるでしょう。だからこそ、私は彼に言いました。イーサ王子を王にしたければ、今回の任務で、貴方個人の実績を作るように、と」 「なんでそんな事を言った!無茶をして、サトシが死んだらどうするんだ!」 「まったく、ネックレスにマナを込めてやったんでしょう?なら多少の毒は大丈夫ですよ」 「でも、でも!」  そろそろ、想定問答も終わりを告げる。  全て、想定通りだった。 「逆です。確固たる実績があれば、人間とは言え、誰もが容易に手を出し辛くなる。今回の任務での働き如何が、彼を守る盾を作れるかどうかにかかっているんです」 「でも、でも……もじ、ざどじが、じんだら」 「死んだら思い切り泣きなさい。遅かれ早かれ。人間である彼は、貴方が見送る事になるのですから」 「っ!!」  その瞬間、イーサの目には再び大粒の涙が湧き上がった。  そう、これも想定通り。 「というか、こんな所で死なれたら困るし、死ぬようでも困るのです。マナの集積任務。今度はどれ程死者が出てしまうか……それこそ、炭鉱のカナリアである……人間達にかかっているんですから」 ---------分かりました。俺にもイーサには王様になって欲しい。実績が何かは……全然分からないんですけど。まぁ、なんとかやってみます。 「……ふむ」  あのサトシという人間は、何故かイーサを王にしたがっているようだった。自身を寵愛してくれる相手だからこそ、王にしたい。そう考えるのが普通なのだが、マティックにはどうも、サトシがそんな人間には思えなかった。  それでは、何故……サトシはイーサを王にしたいのか。  故に、マティックは尋ねた。 「サトシは言いましたよ。イーサ王子。貴方に王になって欲しいと」 「……ぞ、ぞうなのが?」 「ええ。昨日、彼はハッキリと言われました」 -------俺の中で、このクリプラントの王様って言ったら、もうずっと“イーサ王”だけだ。 「っ!」 「理由になっていないにも程がありますが、彼の中では、王様と言えばもう“ヴィタリック王”ではなく、“イーサ王”なのだそうですよ?」 「……ほんとうに?サトシが?そう、言ったのか?」  イーサの目に再び溜まっていた涙が、ポロリと一筋だけ零れた。しかし、その後にイーサの涙が続く事はない。  もう、イーサの目から涙が流れる事はないだろう。

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