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真新しい画布 1

 一抱えほどもある大きさの板に紙を張る。  大きさが大きさだけにそれに紙を張る作業は、慣れたこととは言え一苦労だった。  まるで、相撲を取っているような錯覚さえ覚えてくる。  この画布は玄関に飾るものだからと猫を入れることにしようと思い立ち、写生帳を引っ張り出した。  込める思いは、幸せであるように。  ただそれだけだ。 「しかし、はぁ……暑いな」  随分と朝夕が涼しくなってきたとは言え、画布を張るなどの作業をすれば必然と汗が滝のように噴き出してくる。 「水……は、ないか」  水差しを持って母屋の厨房へと向かい、のれんの向こうに立つ料理人の田口に声をかけた。 「すみません、お水いただけますか?」 「あぁ、……画家の先生かぃ」  そう言うと料理人らしいごつりとした手を差し出す。  田口は白髪頭の気難しそうな印象の老人だった。  けれど話してみると意外と気さくで、差し入れなどもよくしてくれる人物だ。 「あれかぃ、ちぃ坊ちゃんはまだお嬢さんに捉まってるのかぃ?」 「えぇ」  庶子なのだからそこまで言うことはなかろうと思うのだが、峯子は近頃やたらと翠也にふらふらとするな、しっかりするようにと説教をすることが増えたのだった。 「ちぃ坊ちゃんもお可哀想に」  彼は、翠也のことを小さい坊ちゃんと呼ぶ。  あまり気にしたことはなかったのだが、峯子をお嬢さんと呼ぶことも含めて気にかかり出すと気になって仕方がなくなった。 「田口さんは、こちらにずいぶん長いこといらっしゃるんですか?」 「えぇまぁ。父の代から親子二代で務めさせてもらってるんで、はぁー……長いねぇ」  指を折って年月を数える田口から冷たい水差しを受け取る。  初老と言っても差支えのない田口の父親の代からと言うと、随分以前からだ。 「お父上の代からなんですね」 「はっはっ、お父上なんて立派なもんじゃないが、親父もここでずっと厨房を任されててなぁ、小せぇ頃から亡くなった旦那様にはずいぶんとよくして貰ったよ」 「亡くなった……?」  この家で旦那様と呼ばれる人間は一人しか思い至らない。  けれど、会ったことのないその人物が亡くなったとは聞いたことがない。  さすがに妾とは言え、旦那様がなくなれば慌てもするだろうし……  訳がわからず首を傾げた。 「お嬢さんも、旦那様が生きていた頃のようにこの家を盛り立てたいんだろうが。人には得手不得手があるからなぁ、ちぃ坊ちゃんには無理だよ。この家を昔みたいにするなんて……」 「あ、あの……よくわからなくて」  んぁ? と田口は強面の顔を歪める。 「この家は、……南川氏が奥様を住まわせるために用意したものでは  」

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