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赤い写生帳 6
白髪交じりの睫毛を伏せ、手袋のはめられた手を握り締めては何か勇気を振り絞っているかのような雰囲気だった。
「新見さん?」
どうして、胸がひやりとしたのか。
どうして、母の容態を告げられた時を思い出してしまったのか。
どうして……
「田城様は、昨夜……お亡くなりになりました」
「……は?」
堪え切れなくなったのか、皺を刻んだ目尻からぽろりと一滴の涙が零れる。
「これは、お見苦しいものを」
そう告げてさっと涙を拭う姿を眺めながら、
「嘘だ」
ただそう返した。
余程、魂の抜けたような顔をしていたのか、新見は俺の肩を揺さぶってくる。
「お気を確かに」
「何を言って……いや、何かの間違いでしょう? ね? そうでしょう? あいつが……そんなこと一言も聞いてない!」
「田城様は以前より胃を患われていて」
「嘘だっ! あいつはっ! 質の悪い冗談はやめてください!」
怒鳴り返した俺に、人間らしい表情を浮かべた新見が項垂れる。
幾らその奔放さを苦々しく思ってはいても、懐こい玄上のことだ。
なんだかんだと新見に受け入れられていたに違いない。
弱々しく表情を崩した新見が手の中の写生帳を指差す。
「 ご自分が亡くなれば、責任をもって久山様にお渡しするよう、生前からきつく言われておりました」
手の中の赤い写生帳に視線を落とす俺に通夜と葬儀の日程を伝え、すぐに帰る非礼を詫びながら新見は帰って行った。
腕の中に赤い写生帳を抱いたまま工房に座り込む。
新見が訪れてから数刻経ち、日は名残を惜しみながら沈みかけていたが、未だに玄上のことが呑み込めずにいた。
「胃を?」
そんな素振り、微塵もなかった。
「────いや」
自問自答が返る。
手元に置かれていた痛散湯。
すぐに取り出すことのできた距離は、常用している人間のそれだ。
最後に会った時、痩せたのかと思ったのは気のせいではなかったんだろう。
以前訪ねた際に、新見はここに玄上はいないと答えて連絡を取ると言った。
それは、療養のために並木の屋敷を出たと言うことだ。
そして……身の回りを片付けるために、あいつは翠也に写生帳を託した。
そう言うことだ。
「玄上……────なぜ黙っていた……」
呪いを呟くかのような自分の声に驚きながら、手の一部になってしまったのではと思えるほど握り締めていた赤い写生帳の表紙を開いた。
挟まれていたのは、二通の手紙だ。
一通は俺、もう一通は翠也にだった。
なんの飾り気もない、ありきたりな封筒が俺の手にはひどく重く感じられて、封を切るまでにずいぶんと時間がかかった。
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