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霍公鳥と川蝉 2

「話はついたよ」  「うん」  傍らに座り、先程まで描いていたらしい百合の花に目を遣った。  咲き誇るそれは、粗いが美しい。 「並木夫人には話をしてある。荷物を纏めておくんだ」 「  うん」  きゅっと桜色の唇を引き結び、るりは俺に寄り添う。 「……いいの? おれときて」  以前言っていた言葉とは裏腹な台詞に苦笑が漏れた。  いい、悪い、ではないのだ。  翠也を堕とさずに絵を描いていく道はこれしかないのだから。    いつか擂り潰された倫理の果てに、弟すらも堕とす日が来ることが恐ろしかった。  傍に居れば消しきれない埋火が再び燃え上がり、この身を焼くのは必至だ。    だから、早急に離れたかった。  けれど、まだ後援なしに遣って行けるほどではない。  絵は描きたい。  傍にはいられない。  俺のために筆を折ると言った翠也に対して、なんとも意気地のないことだろうか。 「俺はるりを選んだ。それだけだ」  返す俺にるりは少し寂しげに窺うような表情のままだ。 「どうした?」 「うぅん、ただ。おにいちゃんも卯太朗もおれのことを好きって言ってくれたけど、おれは一番じゃないんだなって」  暖を取るように擦り寄り、脂肪が少なくて寒そうな体を震わせる。 「それは……」 「でもいいんだ。卯太朗はおれをえらんでくれたんだから」  引き結んだ口から何の言葉も出せないまま、そのひやりとした体を抱き締めた。  吐く息が仄かに白い。  夏の庭はすっかり寂しくなり、見上げた菩提樹の枝の向こうに寂しげな月が見え隠れする。  満月にわずかにとどかないその月明かりに、ぼんやりと立ち尽くす翠也は闇に消えてしまいそうだった。  さり と、土を鳴らす音に翠也がゆっくりと首を巡らす。  髪で出来た影が表情を隠して、さながら幽鬼のようにも見える。  憑り殺してくれないだろうかと朧げに願った。 「寒いのに中に入らないのかい? また調子が良くないとみつ子さんが言っていたよ?」 「月を、見ていたいので」 「そう、満月と言うわけでもないのだから早く入った方がいい」  あくまで無関心を装ったような声音で返すと、ふらふらと翠也の体がこちらへと向いた。 「ご用向きでも?」  寒い中、部屋にいない翠也を心配して探していたなどとは言えない。 「いや、偶然見かけて……みつ子さんが探していたから」  しどろもどろに言うと、「そうですか」と呟いて睫毛を伏せる。  そうすると濃い影が落ちて、やつれて見えて……  抱き締めたい衝動を抑えきれなくなる前にと、背を向けて歩き出す。 「卯太朗さん」  止まってはいけないと思いながらも、声に足が縫い留められた。  さりさりと近づく足音から逃げようと思うも、足は少しも動いてはくれない。  

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