1 / 32
第1話
涸れ果てた大地をタンブルウィードが転がっていく。
世界のはてを思わせる乾いた荒野を転がる枯れ草に、風に吹き飛ばされたビラが一枚貼り付く。
日照りと風雨にさらされて粗く毛羽立ち、長い旅をしてきたのだろう皺くちゃのビラの表にはこう印刷されている。
『汝 隣人を愛せよ 然るのち犯して殺せよ』
教会の啓蒙ポスターだろうか、聖書の引用句に不敬ないたずら書きが足されている。縮れた陰毛の生えた女性器に、十字架が突き刺さった卑猥な絵。
地図を書き換えるような幾度かの大戦を経て神の威光は失墜し、人間は堕落し、世界は荒廃しきった。
核兵器が死の灰を降らせた南半球はほぼ壊滅。北半球も広範囲が放射能に汚染され、人類の生存圏はごく一部に追いやられた。
そんな北半球の大陸、砂漠に呑まれかけた中西部。
その町がゴーストタウンと化して早二十年余りが経過する。
元々は砂漠を突っ切る道路沿いに拓けた宿場町だが、石油が枯渇し車が激減してから衰退の一途を辿り、やがて住民に見放された。
この手のゴーストタウンは大陸中至る所にある。
せいぜい二階か三階建ての小高い家屋に挟まれ、正気の沙汰とも思えないけばけばしいピンクで外壁を塗りたくった安モーテルは、滅びゆく町で異彩を放っていた。
窓は全て割れ、床一面にガラス片と瓦礫を散り敷いた廃墟に素性のよくない男たちが屯い、真っ昼間っから馬鹿騒ぎに興じている。
車座になった男たちはいずれ劣らぬ悪相ぞろいで、殺気走った凶眼をギラギラ光らせている。
刃物による切り傷や銃痕、顔や体の傷痕をこれ見よがしに誇るようにし、ゲップやしゃっくりの合間に下卑た猥談をくりひろげる。
眉間にキズの走る男が、ぎょろりと目ん玉をかっぴろげ、おどけた顔芸で両手を広げる。
「でさ、俺ァ言ってやったんだ。さんざっぱら咥えこんでガバガバなら首絞めてやりゃあいいんだって、ギュウッて搾り上げてきてたまんねえよって」
「はっ、でたよ!女の腹ァ殴りながらヤるのが好きな外道が、そのペースで犯り殺してたら供給が追い付かねーっての、ちったァ加減しろ」
「オンナは売り物、大事な商品だって何べんも言ってんだろばーか。中古ならまぁ大目に見るが、生娘ならそんだけで値打ちがでるんだ。なのにテメエときたら力ずくでツッコんですーぐぶっ壊す」
「だってさ、穴があったら挿れたくなんのが男の本能だろ?」
「ちげェねえ」
「そこのサソリ穴に突っ込みゃ大物釣れるぜ、ちょんぎらねーよう気ィ付けな」
大量のアルコールを聞し召し、喧しく騒ぎ立てる赤ら顔の集団の何人かが時折部屋の片隅に一瞥くれ、いやらしく舌なめずりをする。
男たちが酒宴を催す廃墟のモーテルの片隅、身を寄せ合うようにして蹲っているのは半裸も同然の女たち。
惨たらしく引き裂かれた上着や下着を押さえ、皆ひどく怯えきった様子で、ニヤケる男たちを見返している。
男たちは札付きの悪党どもであり、現在指名手配中の賞金首だった。
殺人、強盗、密売、傷害、婦女暴行……いずれも常習犯。はみだしもののゴロツキが徒党を組み、一通りの悪事に手を染めてきた。罪を犯すなら道連れは多い方がなにかと心強い。仲間が増えるほど犯行は大胆になり増長する。
今では総勢6人の大所帯、儲けを出す為なら手段を選ばない血気さかんなグループとして裏の世界でも一目置かれている。
ここは彼らの当面のねぐらだ。
首に賞金がかけられてからこちら、一箇所に留まらず転々としている。
リーダー格だろう上座に陣取った男がしゃっくりをあげ、缶ビールで女たちをさす。
「アイツらを売り飛ばしゃ当分は遊んで暮らせる」
「だとさ。聞いたかお前ら?」
手下が口々に囃し立て、娘たちが悲愴な顔を見合わせる。
中の一人、傷んだ赤毛を腰までたらした十代半ばの少女が震える声で問い質す。
「う、売り飛ばすって……」
「変態の性奴隷か場末の売春窟か……どれがいい?」
「こないだの奴なんか傑作だぜ、買った女をどうするって聞いたらなんて言ったと思う?食べ比べるんだとさ!女の小指の肉を削いで食べるのが大好きときた、とんだカニバル野郎さ。性癖こじらせた金持ちはこれだから」
「この前のマッド野郎もなかなかだぜ?汚染区域にうじゃうじゃしてる畸形の動物を捕獲してオンナと交尾させるんだ。奴が言うにゃ汚染区域の動物は遺伝子操作の実験体のなれのはてなんだそうだ。ミュータントのなりそこない、正真正銘のモドキだよ。見た目はバケモンでも遺伝子配列が人間なら受胎は可能だろうって、それで人間の女が身ごもるか試すって……」
「やめてよ!」
おぞましい想像に少女が耳を塞ぎ、未来を悲観した女たちの間から絶望の啜り泣きが漏れる。
男たちは女たちを脅し、言葉と暴力で嬲り、ヒステリックな反応を肴にして悦に入る。
互いに抱き合い縮こまった娘たちが、か細く消え入りそうに哀願する。
「いや、そんなの絶対いや……」
「おねがい帰らせて……なんでもするから……」
女たちは娼婦ではない。やむにやまれず体を売って口を糊していた者こそいるが、年も若く、殆どが十代後半から二十代前半にかけてだ。
男たちが行く先々でさらってきた身寄りのない少女たち。
ひもじさと惨めさと恐ろしさとで多くは衰弱しきり、抵抗虚しくけだもののような男たちの慰み者にされたのか、痛々しい青痣や生傷をこしらえた娘もいる。
現在の所、器量良しの娘を拉致して方々に売り飛ばすのが男たちの主力な商売だ。事を荒立てないよう消えても騒がれない娘を狙ってきたが、些か派手にやりすぎたせいで表沙汰になり、ほとぼりが冷めるまでねぐらで大人しくしていようと相成った。
しかし見張りにも飽いて、白昼から酒盛りになだれこんだというわけだ。
幸いにしてこのゴーストタウンには先住者がいない。彼ら以外の人間にはとんとお目にかからない。追っ手のかかる犯罪者にとっては極楽、おもいっきり羽目が外せる穴場だ。
「もういや……我慢の限界よ、私がなにしたっていうの?」
「オモチャにされるのはウンザリ」
「お願い、あなた達のことはだれにも言わない!告げ口なんてしないから帰らせて!」
痺れを切らした二人が腰を浮かす。
ボスが力任せに腕を振り抜き、中身の入った缶ビールが女たちのすぐ近くの壁ではねる。
「きゃっ……」
冷たい飛沫を浴びて首を竦める女へと大股ににじり寄り、髪の毛を鷲掴む。
「ぎゃあぎゃあうるせえ。萎えるぜ」
「痛ッ、いたい、はなして……ごめんなさい、もう口答えしませんからゆるして」
頭皮ごと毟るような握力で引きずり回し、もがく女を張り倒す。
「いいかあ、耳の孔かっぽじってよーっく聞け。てめぇらは!俺達に!拉致られたんだよ!てことはどういうことだ?頭のワリィ売女にわかりやすく噛み砕いて説明してやる、この俺達がてめえらのご主人様ってこった!甘やかしてほしけりゃそのよく動く口を別のことに使ってせいぜいご機嫌とるんだな、こちとら一人二人犯り殺したってかまやしねーんだ、補充のあてはいくらでもあっからな!」
「オンナは消耗品だ。ウチのお得意さんは人に言えねー趣味を持った変態が多いからよ、たんまりカネが入るんだよ」
「どーせ心配してくれるヤツも待ってる家族もいねーんだろ、新しいご主人様に引き取られるまでツナギでご奉仕……」
「いるわよ!」
殺風景な廃墟に渦巻く馬鹿笑いが途切れる。
平手打ちをくらう仲間から顔を背け、嗚咽していた女たちが虚ろな目を上げる。
先程の少女が憤然と肩を聳やかせ、気丈に顎を引く。
瞳には涙に磨き抜かれた強い意志。
恐怖に震える手を握りこみ、乾いた喉にささくれた唾を送り込み、興ざめと好奇心とが相半ばする目で自分を見る男たちに反論する。
「決めつけないで。私にだって待ってるひとはいるんだから」
「誰だよ?」
ふくよかに張った胸に手をやり、儚く震える睫毛を伏せ、呟く。
「……赤ちゃん」
「はァ?」
「赤ちゃんがいるの、私の子よ、まだ三か月……出る前に友達に預けてきたの。早く帰らなきゃ……あの子をひとりぽっちにできない……」
嘘だとしたら迫真の演技だ……
が、おそらく事実だろう証拠に子どもの存在に言及した途端消え入りそうな声音に芯が通り、虚勢が瀬戸際の凄味を増す。
なによりも少女の胸、拳をおいた乳房の先端にじわりと母乳が滲む。
少女は気も狂わんばかりの焦燥に身を焼かれている。
友人のもとに置いてきた産まれてまもない赤子を案じ、一目会いたいと献身的に祈る姿にはまぎれもない母性が宿っている。
「子供連れじゃ仕事できないから……仕方なくおねがいしてきたの」
その「仕事」がどういうたぐいのものか、皆まで言わなくともわかる。
人けのない路地裏で客をとっていたせいで悪党に目を付けられ、少女は今ここにいるのだ。
娼婦としては素人だが、母親としての覚悟はもう一人前だ。
必死の形相、決死の覚悟で声を上げた少女。
希望を手放さぬ強靭な精神に囚われの仲間がざわめき、暗闇で気力の尽きかけた瞳が僅かに光を取り戻す。
だが、少女の勇気は男たちの悪意でもって報いられることとなった。
「へーちょうどいいや。胸が張って苦しいだろ」
「俺らで搾って飲んでやる」
「赤ん坊に吸われて乳首が敏感になってるって噂、ホントかどうかためしてみようぜ」
「一回やってみたかったんだよなー搾乳プレイ。母乳ってどんな味だろ、覚えてねーや」
ゲスの極みで独りごち、男たちがのっそりと身を起こす。
一気にかっくらった空き缶や空き瓶を音高く放り投げ、殺伐とした物腰で近付いてくる野獣の群れに赤毛の少女が絶句。
縺れた足取りであとじさり、壁際で腰砕けにへたりこみ、最前の威勢など跡片なく消し飛ばして頑是なく首を振る。
「なめたまねしくさったぶんたっぷり躾け直してやる」
「やだ……こないで……」
口端が不規則に痙攣、大粒の涙で潤んだ瞳が迫りくる影を映す。
女たちの目が再び恐怖と絶望に翳り、あちこちで鋭い悲鳴が沸く。
凶相のボスが不敵に笑み、見せ付けるように拳に息を吐きかける。
ボスの左右に侍る子分は、手を不気味に蠢かせ、壁際で竦み上がった少女に伸ばす……
「どわっ!!?」
ボスが勢いよく蹴っ躓く。
間抜けにもコケたボスの視線の先、彼を躓かせた張本人が、咄嗟に足を引っ込める。
「~~~ッ、いいトコだったのにジャマすんじゃねえ足癖のわりぃアマだな!!」
反射的にスカートの裾を引っ張り、見事なおみ足を隠すのは若い女。体格が良く随分な長身だ。
肩の下まである金髪。伸びた前髪に隠れて表情は判然としないが、端正に整った鼻梁と形良い唇がノーブルな美貌を予感させる。
おそらく今日拉致してきたばかりの新入りだ。
怒号を浴びせられ哀れっぽく怯える様を見て、下半身が疼く。
「ああ……そうかそうか、ワリィワリィ。放置プレイはご不満か、お前も遊んでほしいんだろ?かまってもらえなくて妬いてんだな?」
「ッ、」
女が鋭く息を呑み、吐くのを忘れてあとじさる。
赤毛の女から金髪の女へ矛先を転じ、懐から取り出したサバイバルナイフを顔の前に翳してひと舐め。
太い唇が発情した蛭のように卑猥に蠢き、刃の表面を塗布された唾液でテカらせる。
醜悪な容貌に脂ぎった劣情を滾らせ、ズボンの上からでもまるわかりな程に下半身を節操なく昂らせ、もう片方の手で女の肩を掴む。
やけにゴツく骨ばっている……掌に伝わる一瞬の違和感を下心が上回る。
コイツは上玉だ。大人しすぎて殆ど存在感がないから見落としていたが、至近距離でじっくり拝むと、シャープな頬のラインや顎の尖り方で相当な美形だとわかる。
顎を強く掴み、女の顔を不躾に値踏みする。
女がもがいても知ったことかと上向きに固定し、前髪に隠れた目元と、口角の下がった気の強そうな唇をじろじろ眺める。
首にチョーカーを巻いている。その上を華奢な鎖が横切って、服の胸刳りへと消えている。
「気の強ェ女は好きだぜ」
ちょっとした好奇心から鎖を引っ張り、先端を暴く。
「なんだこりゃ、色気のねーアクセサリーだな。ひょっとして彼氏とおそろいか」
男が引っ張り上げた鎖の先、宙で揺れるドッグタグが光を弾いて眩く輝く。
女は何も答えない。さっきから静かすぎる。
「びびりまくって声も出ねえか?」
「その子、口がきけないみたい……」
「話しかけても返事ないし」
周囲の女たちが見かねて擁護する。
拉致されたショックか、それ以前からの障害か……由来は判じかねるが、金髪の少女は無言で震えるのみ。
やけに幅広で厚い革のチョーカーは喉の傷痕を隠す為か……妄想を逞しくしたボスは、ねちっこくドッグタグをひねくりまわす。
「かわいい首輪してんじゃねーか。心がけ次第じゃ売り飛ばすのはやめにして俺のイヌにしてやる」
生意気に尖った顎、仰け反った首筋、豊満な胸、抱き潰し甲斐のありそうな体……
だんだん辛抱たまらなくなってきた。
横に流れた前髪の奥、一瞬露わになった瞳が困惑の波紋に揺れる。
セピアがかった赤錆の瞳……|太陽の石《サンストーン》を思わせる珍しい色合い。ますます気に入った。性奴隷として飼いたい。見栄えのいい女を侍らすのは人さらいの役得でボスの特権だ。
女を押し倒し、窓を背にして跨る。
諦めきったのか、女はすっかり無抵抗だ。ボスにされるがまま埃だらけの床に仰向け、ぱくぱく喘ぐ。
ボスの手がスカートをたくしあげ膝裏を持ち、もう片方の手が乳房を乱暴に揉みしだく。下半身はもうビンビンに勃起してはちきれそうだ。
ボスは生唾を呑み、女の下着をひったくりにかかる。
「ちょうどいい。口がきけねーオンナがどんなふうに喘ぐか、お友達に見せてやれ」
長く優美な睫毛が震え、官能的な唇がうっすら開く―
「あーあ。時間切れだ」
美しく仰け反る喉から滑り出たのは、セクシーに低い男の声。
サディスティックな嘲弄とコケティッシュな挑発を等分に含む、軽やかに残忍な―……たとえるならそう、確信犯で愉快犯の。
流れた前髪の向こうから赤錆の双眸をさらけだした女が―否、女のフリをしていた少年が、眼光鋭く戯れ合いの打ち切りを宣言する。
刹那、男の肩口が破裂した。
「い゛ッ……!?」
血と肉片をしぶかせて右肩が爆ぜ、衝撃と激痛にボスが頽れ、周囲の女たちが絶叫する。
わけもわからず前に倒れ込んだボスの鳩尾を膝で抉れば今度は女たちの方へ吹っ飛んでいくが、全員が散って逃げたせいで哀れ壁に激突する。
「窓際で無防備に背中さらすとか馬鹿か、絶好の狙撃ポイントだろ。もたもたしてっから突っ込めねーで終わっちまうんだよ、前に穴がなくてビックリしたか?」
「うぐァがッああああ゛ッ……ざけんなてめぇ、男だったのか!!」
ぽんぽんとマシンガンのような饒舌でまくしたてる男に、肩を狙撃されたボスが吠え猛る。
たちどころにカツラをとり、首に巻いたチョーカーをうざったげに剥ぎ取り、荒々しく揉みしだかれてずれ動いた胸の詰め物を投げ捨てる。
人工の毛髪の下からあふれたでたのは太陽に透けるジンジャエールさながらのイエローゴールド、彼が本来生まれ持った髪の色。
チョーカーを取り払った首には鋭く尖った喉仏……男の証。
「あ~~~ずうっとダンマリきめこんでんのもストレスたまんな、タマとクチがおもてーと調子でねーぜ」
無造作に跳ね散った金髪をかきあげて、肩幅に足を開いて踏み構えたのは、年の頃16・7の美しい少年。
綺麗な顔を裏切るように、|左右非対称《アシンメトリー》に唇をねじって笑うのが癖になってる。
天に唾して落ちてきたその唾を躱して遊ぶのが趣味だとでもいうふうな、大層俗っぽく冒涜的な笑い方だ。
「てめえッ、賞金稼ぎか!?」
「女のナリして紛れ込むたァふてぇ野郎だ、馬鹿にしやがって!袋叩きにしちまえ!」
「敵の本拠地に単身潜入とか自殺行為だ!」
「相手はひとり、それもまだガキだ!ブチ転がしてドギツい変態に売り付けちまえ、カオさえよけりゃ穴の前後ろなんざ気にしねー輩がゴロゴロいる!」
男たちが殺気立ち、手に手に得物を持って少年を包囲する。
鉄パイプやナイフ、角材に銃をひっさげ、数の利に奢って距離を詰める敵を少年は底光りする瞳で牽制する。
「あ、あんた……」
「逃げろ」
「で、でも」
「俺が時間を稼ぐ。オンナは邪魔だ、とっとと逃げるかさもなけりゃ隅で丸まってろ。しゃしゃりでりゃブチ犯す」
尊大に顎をしゃくる、そのセリフだけとればどちらが悪役かわかりゃしない。
急展開に面食らう赤毛の少女を片手でさがらせ、もう片方の手を裾に潜らせる。
怒り狂った男たちが凶暴性を全開に、敵のアジトで孤立した少年に一斉に襲いかかる。
「ヤッちまえ!!」
少年は飄々と余裕ぶって、待ってましたとドレスの裾を勢いよく跳ね上げる。
太腿に装着したガーターベルト、そこに仕込んだ愛用のナイフを引っこ抜くや、頭を低めた前傾姿勢で走り先頭の男が力任せに振るった鉄パイプを躱す。
「大振りすぎだよ」
銀の軌跡が虚空を一閃、男の膝を深々とナイフが切り付ける。
刺すのではなく切るのが少年の戦闘スタイルだ。
刺して抜くのはタイムロス、切り付けるほうが時間の短縮になる。骨にひっかかれば抜くのに手こずる、脂で滑って落とすかもしれない、その一瞬が命取りになりうる。
抜き差しの際にしぶく血も厄介だ、視界を奪われてはたまらない。
手首の捻りと翻し方、スピードに乗せて切り払うなら飛距離と量が調整できる。
コツは体の芯まで叩きこんである、今では目を瞑ってたって余裕だ。
肉を抉り腱を断ち、少年は男たちを相手どって立ち回る。右手に頼むナイフ一本、それを自由自在、縦横無尽に振るって確実に仕留めていく。
サバイバルナイフを振り上げた男の股ぐらをくぐりぬけざま腿の動脈を切断、片膝付いた男は見向きもせず壁を蹴って跳躍、後続の上腕を薙ぎ払って鉄パイプを捨てさせる。
少年は体中のバネを使い、軽捷な身ごなしで跳んで跳ね、アクロバティックに舞って敵を翻弄する。
ナイフだけじゃない、近接格闘のセンスもかなりのものだ。的確に死角を突き、ガードの甘い脇腹や脛、脳震盪を引き起こす顎先にキレのある蹴りとフックを叩きこむ。
ガタイでは男たちに劣るが、そのぶんスピードに数段勝るのが強みだ。
一撃の軽さはナイフで補い、左拳でフックを放った直後に右手を振り抜き、鋭利な刃を斜めに切り下げる。
「くそっコイツ強え、めちゃくちゃやるぞ!」
「びびんな、敵は一人だ!」
「いや待て、さっきの銃声は……もう一人いるぞ、窓から離れろ!」
今頃気付いたのかよ。
少年は腹の中で嘲笑い、切り裂かれたドレスを手荒く毟り、裸の胸板に光るドッグタグを露わにする。
「ちんたらやってんなよ俺の小鳩ちゃん」
「まったく気まぐれだな、俺の燕さんは」
嬉々として叫ぶ少年の遥か視線の先、青空が広がる屋上に腹這う青年がいる。
磨き抜かれたスナイパーライフルを顎に挟んで構え、油断なく片目を眇めてスコープを覗く。
スナイパーライフルの銃身にはドリームキャッチャーが括り付けられ、鷹の羽根が僅か風に揺れる。
慎重に引き金を絞り、照準を合わせる。
凶弾が炸裂、苦痛に引き裂かれた絶叫が喉から迸る。
「ぐあァああッ!?肩が、肩がああああああ!?」
「言ったそばから……」
少年と戦っていた男がもんどりうち、肩から血が噴き出す。
六人いた男は既に三人まで減っていた、半数は床で伸びている。よくて半殺し、悪くて瀕死の状態だ。物の足しにもなりゃしない。
「ハッ、大した腕じゃねェ。急所外してんぞ、ノーコンが」
銃を突き付けた男が強がるも、仲間が半分減った状況では焼け石に水だ。
女たちは泣き喚いて逃げ惑い、男たちは怒り狂い取り乱し、混乱の極みの現場で鬱憤が爆発する。
「もういい逃げる、このアジトは捨てる!女さえいりゃカネは入る、立て直しはきく!」
「そ、それもそうだ……こんなヤサにこだわる意味ねェ、似たような廃墟はいくらでもある、よそで再出発だ!」
「ボスは?おいてくのか?」
「こんなヤツいなくてもどうとでもなる、いばりちらして元から気に食わなかったんだ!」
「て、てめえ……覚えてろ!」
男が口汚く罵倒してボスの腹に蹴りを入れる。辛うじて致命傷は避けているが、放っておけば失血死はまぬがれない仲間をあっさり見捨て、女を引っ張った残党が逃走を企てる。
当初こそ少年の実力を侮っていたが、乱戦になだれこんだ結果、その過ちを痛いほど思い知らされた。
狙撃手と挟み撃ちにされては不利と判断したのだ。
「やめて離して!」
「ぐだぐだぬかすなアマッ、二度と赤ん坊に会えねーカラダになってもいいのか!?」
「どのみちあんたたちに付いてったら二度と会えない、だったらここで死んだ方がマシよ、あの子のママのまま死なせてちょうだい!」
廃墟の外に這い出た男たちを、乾燥した気候と灼熱の太陽が容赦なく炙る。
髪振り乱した赤毛の少女が真っ赤に腫れた目で怒鳴り、「それもそうね」「そうよ、そうよ」と極限まで追い詰められた女たちが追随する。
「殺したきゃ殺しなさいよ、私達だってやられっぱなしじゃないんだから、死ぬ気で抵抗してやる!」
「もうアンタたちに好き勝手されるのはウンザリ、最期くらい全力でやってやる、見てなさい!」
「女はモノじゃないよ、私たちだって生きてるんだから、痛いモノは痛いんだからねッ!」
赤毛に触発され全身で抵抗する下着姿の女たち、男の顔面をひっかいて腕に噛み付く阿鼻叫喚の図。
手を焼かされて露骨に舌打ち、ボスに蹴りを入れた男がキレて、自分に掴みかかる女に銃口を向ける。
「ふざけやがって……さんざん突っ込んでやったのに俺のじゃ不満か、だったらコイツをぶちこんでやる!!」
「逃げて!!」
酔いどれた千鳥足といえど、この距離から外すはずはない。
別の男に髪を掴まれた赤毛が叫び、銃口を眉間に翳された女が片方の乳房をこぼしてへたりこみ、男が嗜虐的にほくそ笑んで引き金を引くー……
甲高く乾いた銃声が炸裂、男の手が弾け飛ぶ。
「ぁぎゃあ!?」
何が起きたかわからず場が凍り付く。
男が引き金を絞りきるよりコンマ何秒かだけ早く飛来した弾丸が、正確にその手だけを撃ち抜いたのだ。
銃口は女の眉間を削り、男のゴツい手はその目と鼻の先数インチに浮かんでいた。
|わざと急所を外してる《・・・・・・・・・・》|のだ《・・》。
「くそったれが……」
大した腕前じゃない?前言撤回だ。
たったいま衆人環視の中で披露された芸当こそ、姿を見せないこの狙撃手がとんでもない凄腕だと証明している。
吹きすさぶ風が絶え間なく砂塵を巻き上げお世辞にも視界が良いとは言えず、男が突き付けた銃が次の瞬間には火を噴く状況下において、女は全く無傷のまま、銃を固定する男の手指だけを狙撃した。
ようやくその驚くべき事実に思い至り、激痛に今にも焼き切れそうな脳髄が異質な戦慄に痺れる。
「女の子には優しくしないとね」
スコープで丸く区切られた十字の視界の中心に苦悶の相を捕捉、屋上に伏せった青年がそっけなく呟く。
向こうは騒がしいが、ここは静かだ。
集中力が極限まで研ぎ澄まされ、夾雑物が漉された純粋な孤独の世界。
点と点を結び、線を引くのが狙撃手の仕事。
俺が始点で標的が終点だ。
青年は呼吸を整えて抑制し、冷たく澄んだ静寂の水位を引き上げ、運動調節を担うドーパミンを指先に染み渡らせる。
指が欠け落ちて間欠的に血をしぶく手を押さえ、大量の脂汗に塗れた男が銃声の残響を仰げば、遥か遠く離れた建物の屋上で何かが光を反射する。
それがきっかけで、恐慌が伝播する。
「ふざけんな、やってられっか!」
「バケモノかよ……」
残すところ二人となった男たちが女を突き飛ばし我先に駆け出す。
完全に度を失って命惜しさに逃亡する一人の左肩が爆ぜ、惰性でよろめく右膝が撃ち抜かれ、あっけなく倒れ伏す。
点々と血をたらして転んだ仲間を踏み付け、道路に停めた馬に這いずる男の背に、底抜けに陽気な声が被さる。
「あれ、逃げんの?」
唄うような節回しで。
悪魔のような狂気で。
砂煙が左右にたなびき晴れた視界を、モーテルから人影が歩んでくる。
風に弄ばれ吹き転がるタンブルウィードを悠々と踏み越えて、あたり払う孤高を帯び、しなやかに緩い挙措に危険な本性ときな臭い殺気を秘めて。
「一人だけぴんしゃんしてトンズラかよ、仲間が泣くぜ。雑魚は雑魚らしく身の程を知れよ、地獄は満杯でテメエの席はねーとさ。息の根は止めねーでおいてやっから、死にぞこないの吐息で唄ってくれよ」
「くッ……」
少年はご機嫌に笑い、こっちにやってくる。
殺気に怯えた馬が嘶き、男は生唾を呑んで銃を握り直す。
仲間が倒れた時、拾っておいてよかった。いくらアイツが強くてもナイフと銃じゃ勝敗は歴然、リーチが届く前に引き金を引けば……
少年が男の眼前に立ち、ふざけて肩を竦める。
イエローゴールドの前髪の間、用済みの弾丸に似た赤錆の瞳が残忍に細まる。
「手あたり次第にさらって犯して売り飛ばして、もう十分楽しんだ頃合いだろ?物事にゃなんにでも終わりがあるんだ、テメエは時間切れだ……|ヴィクテム《ツケ》を払う時がきたんだよ。で、俺ァ地獄から派遣された取立人ってわけ。おわかり、この意味が?リピートアフタミー?」
男が会心の笑みを広げ、両手にまっすぐ銃を構える。
「死ぬのはテメエだ、クソガキ!!」
乾いた銃声が炸裂、硝煙が一筋漂いだす。
「悪魔、め……」
脇腹から溢れる血にどしゃりと崩れ落ちる男……火を噴かずに終わった拳銃がその手から零れ、少年の足元にまで転がってくる。
仄白く硝煙立ち上る銃口を一吹き、指にひっかけた拳銃をくるくる回す。
「遅漏が」
ガーターベルトに差していたのはナイフだけじゃない。こんなこともあろうかと保険も仕込み済みだ。
少年が手にした装飾の多い銃には、銘が刻まれている。
たった一言……『|KILLERS《人殺したち》』。
一方その頃、五軒離れた建物の屋上で待機していた青年は長々と安堵の息を吐く。
柔く繊細なピンクゴールドの猫っ毛が揺れ、現れたのは平凡な目鼻立ち。
スコープ越しに見守る少年とは違い、お人よしを絵に描いたような無害さが取り柄の顔立ちだ。
優しい性格が滲み出る風貌の青年は、スナイパーライフルを抱いて胡坐をかき、乳酸のたまった首のこりを片手で揉みほぐす。
「ヒヤヒヤしたよ……どうしてアイツは作戦通りに動かないんだ、無茶するなって言ったのに。ていうか、アイツが窓辺に誘き出して俺が狙撃すればいいだけじゃないか。わざわざ危険の真っ只中にとびこんでって……」
引き締まった首筋を二重に這う鎖が光の粒を撒き、シャツの胸刳りからタグとロザリオが覗く。
セピアのフィルムを透かしたような赤錆の瞳を瞬き、立てた銃身にぐったり凭れてひとりごちる。
「ともあれ依頼は完了、全員無事に捕獲……女の子たちを家に帰せる」
弟へのお説教は後回しにして、とりあえず合流しようと腰を上げる。
スコープの向こうでは救出された女の子たちが抱き合って喜び、赤毛の少女が弟に抱き付いて熱烈にキスしている。
……俺もおこぼれもらえるだろうか、と考えてしまった調子のよさが少し呪わしい。
燦々と降り注ぐ陽光にきらめくスナイパーライフルの銃身には、弟と対となる銘が刻まれている。
『LOVERS《恋人たち》』
KILLERS&LOVERS
人殺しか恋人か。
ふたり合わせて、人殺しのつがいだ。
ともだちにシェアしよう!