11 / 32

第11話

朝のキッチンは大忙しだ。 「邪魔。手伝わないならあっち行ってろ」 「今日は何?サンドイッチ?」 「できてからのお楽しみ」 「どーせまた自分のハムだけ厚く切んだろ」 「残念だったな、今日はピーナッツバターとジャムのお手軽サンドだ」 「シケた献立。手抜きだろ」 「金欠なんだ、食費も節約しなきゃ。あ、こら摘まみ食いはよせって!まったくほんの数分の待てもできないのかよお前は」 「ケチケチすんなちょっと位いいじゃねーか、どうせ胃に入んだし。そういうテメエこそ、まーた自分のだけ厚くジャム塗んの?」 「なんでわか……しないよそんなずる!料理中にうろちょろすんなよ気が散る、ただでさえ狭い台所が定員オーバーで底が抜ける!ハウス!」 「ここがハウスだっての」 スワローは目がいい。器用にナイフを裏返し、ちゃっかりと自分のパンの断面に心もち厚くジャムを塗るピジョンに突っ込めば、ぎくりと顔を引き攣らせる。 「喧嘩するほど仲がいいってゆーかなんというか……」 仲良く喧嘩する兄弟を、テーブルに頬杖付いて呆れ顔で眺めるのは劉だ。 一晩ぐっすり寝たおかげで体力と食欲がいくぶん回復し、成り行きで朝食をとることになったものの、手持無沙汰で暇を持て余している。 そんな第三者にして部外者の劉の目から見ても、スワローは兄に纏わり付いて邪魔してるだけで、お世辞にも役立ってるとか手伝ってるとか言いがたい。 ナイフを使ってパンを切り、ピーナッツバターやジャムを塗るピジョンの肩に顎をのっけて覗きこみ、うざったげに振り払われてもこりずに手を伸ばしてジャムをすくってしゃぶり、ピジョンの腰に片手を回してはたき落とされている。邪険にされても一向にへこたれず付き纏う根性だけはたいしたものだ。 生来の落ち着きなさを発揮し、手狭なキッチンを徘徊する弟にピジョンが注意をとばす。 「もうすぐできる」 「腹減った」 「我慢を覚えろ」 「俺の胃は待てしちゃくれねえ」 「ナイフ使ってる時に抱き付くな、手元が狂って危ない」 「はッ、おさわり厳禁ってか?てめぇの集中力の問題だろ、俺なら目ェ閉じてナイフ投げても余裕だね」 「じゃあお前がやれよ」 「てめえ馬鹿か、俺ご自慢のナイフでパンの耳切れってのか?」 「パンの耳は栄養あるからちゃんと食べろ、好き嫌いすると大きくなれないぞ」 「兄貴よか背ェ高えって」 「縮め」 「あんなかてーのいちいち噛んでられっか、かったりぃ」 「残すともったいない」 「駄バトの餌にゃちょうどいいか、食費も浮くし」 「砂糖まぶして油で揚げるとおいしいんだって、母さんがよくオヤツにしてくれたろ」 「兄貴はテーブルにおちた砂糖も指ですくってなめてたっけ」 「どうでもいいことばっか覚えてるな。その記憶力ほかに使えよ、昨日穿いたパンツの柄とか」 「上はセーフでも下はアウトだろさすがに」 「三秒ルールだ。三秒以内なら汚くない」 「床におちたパンの耳フツーに摘まむのやめろ」 「捨てたらもったいない」 ピジョンはスワローを見もせず、執拗に付け狙う手からサンドイッチを逃がしている。 何年も同じやりとりをくりかえしてきたとおぼしき流れるような躱し方で、完璧に死角を把握して回避。わがまま言ってちょっかいかける弟を小さい子供のようにあやしていなして受け流し、傍らの平皿にサンドイッチを重ねていく。 兄の腰に手を回したスワローがあーんと大口開けてねだり、ピジョンが大袈裟にため息。サンドイッチのひときれを弟の口へと運ぶ。 「一口だけだぞ。食べたら大人しくしてろ」 スワローは兄の手から直接咀嚼し嚥下、満足げに唇をなめる。 「ごっそさん」 まるで雛鳥の餌付けだ。 劉はどん引きし、わななく人さし指で兄弟を指さす。 「なあ……お前らってさ……いつもそうなの?」 「「は?」」 背中越しに密着したピジョンとスワローが同時に振り向き、綺麗なユニゾンで疑問符を発する。きょとんとした顔……マジで自覚ねえのかコイツら。 「いや……なんでもねえ、流してくれ」 「変なヤツ」 「まだ寝てなよ」 顔の前でなげやりに手を振ってそっぽを向けば、腹立たしいことにふたり揃って思わしげな視線を送ってきやがる。 スワローは嘲りと揶揄、ピジョンは同情と心配を含んだお人好しのまなざしだ。 兄と弟のじゃれあいとも新婚夫婦ののろけとも判じかねる光景をいやというほど見せ付けられて朝からげんなりし、せっかく復活の兆しを見せた食欲が音速で減退する。 コイツらの距離感は極端だ、スキンシップが過剰すぎる。なおおそろしいことに本人たちにはまったくその自覚がない。ことスワローに関して言えば兄貴の作業を邪魔するのを生き甲斐にしてるとしか思えない。 劉は小さくため息し、ピジョンとスワローが同居するアパートの室内を見渡す。 キッチンと居間は共有スペース、左右の壁に向かい合わせに配置されたドアがそれぞれの私室に通じている。 右がスワロー、左がピジョンの自室らしいが、聞く前から一目瞭然だ。 右のドアには髑髏や稲妻、悪魔を模した悪趣味なステッカーがべたべた貼られた上、盛大に破壊され修繕を施した痕跡がある。 ドアの表面はへこみや疵に覆われ、中央のでかい穴には乱雑に板が打ち付けてある。 ガタガタに傾いでズレた板の上にキープアウトテープと同じ柄のスキングテープが張り巡らされ、封鎖された事件現場さながら禍々しい様相を呈する。 ドアを開けたら死体が転がってても別に驚かない。全裸の女が伸びをしてでてくる可能性のほうが高そうだが。 一方ピジョンの部屋は……こちらはどこといって特徴のない無個性なドアだ。兄弟の人間性が端的に表されている。 暇ならピジョンを手伝うという案もあるのだが、勝手を知らない人様んちで余計な手出しをするのも憚られ、というかぶっちゃけ面倒くさくて呑気に見物をきめこんでいる。 でもまあ一応は客人だし、タダ飯をただ待っているだけというのも落ち着かず、打算と義理の足し引きでのろくさ口を開く。 「なんか手伝おうか?」 「怪我人は座ってて」 「いくら俺が貧弱だって瓶の蓋開ける位ならできるぞ」 カウンター越しに調理を続けながらきっぱり命じるピジョンに、ちょっとだけプライドが傷付く。 役立たずと決め付けられるのもそれはそれで複雑な男心だ。 ピジョンが善意から言っているのは十分わかるが、だからこそむきにって腰を浮かせば、広口の瓶がカウンターを飛び越えてくる。 「おっと」 咄嗟に両手を出して受け止め、てのひらで弾む瓶を押さえ付ければ、投げた張本人がしてやったりと意地悪く笑っている。 「いきなりなにすんだ、あぶねーじゃん」 「ジャムの蓋なら余裕なんだろ?」 言質をとられてぐっと押し黙る。 スワローがカウンターに身を乗り出して挑発し、自ら言い出した手前引っ込みが付かなくなった劉が、深呼吸ののち覚悟を決めた面構えでふたと格闘しはじめる。右に回そうとして突っかえ、今度は反対側に回そうと力をこめ、顔真っ赤で歯を食いしばる。 「これ開かね……キツく閉めすぎだっての……!」 「遊んでないで席着いて。食べるよ」 「遊んでんじゃねーよ!」 親切が報われずキレて喚く劉は素通りして定位置に就き、さっさと食べ始めるスワロー。 行儀悪く片膝立てサンドイッチをむさぼる弟とは対照的に、ピジョンは丁寧に手を組んで食前の祈りを唱える。 「父よ、あなたの慈しみに感謝してこの食事をいただきます。ここに用意されたものを祝福し、わたしたちの心とからだを支える糧としてください。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン」 最後に簡単に十字を切って締めくくる姿に開いた口が塞がらない。いまどき食前・食後の祈りを律義に唱える信仰心篤い人間がいるとは驚きだ、しかも大人で。 コメントに迷った末、なんとも微妙な表情で無難な思い出話をもちだす。 「……懐かしいな、それ。俺もガキの頃言わされたわ」 「いまだにやってんのコイツくらいのもんだ」 「やんねーと飯抜きだった」 「厳しいな」 スワローが少し笑ってサンドイッチを嚥下、コップの水を一気飲みする。 好奇まじりの不本意な注目を浴びたピジョンは、「なんだよ」と顔を赤らめて二人を睨む。 「間違ったことしてないだろ?スワローはサボってるけど」 「んなもん飯のたびにいちいち唱えてたら腹ぺこで死んじまうよ」 「ちゃんとしないと母さんが哀しむ」 「母さんも省略してたろ」 「母さんは別格」 飽きもせず兄弟喧嘩を繰り広げるピジョンとスワローをよそに椅子の背凭れに手をかけて引こうか引くまいか躊躇し、疑念の色を濃く浮かべた劉が念を押す。 「……俺の分もあんの?」 「?当たり前だろ」 サンドイッチを持った手を止め、ピジョンが心底不思議そうな顔をする。 スワローが無関心に一瞥、すぐまた食事に戻る。 一晩介抱させた上で変な遠慮をする劉に呆れ半分苦笑半分、砕けた口調でとりなす。 「怪我人を蹴り出すわけにいかない」 「ここまで迷惑かけんのもかえって悪いってか……」 「いまさらだね」 本当に今さらだ。ピジョンは肩を竦めて促し、所在なげに突っ立っている劉へサンドイッチを盛り付けた皿をさしだす。 「スワローも黒後家蜘蛛のネタ拾ってきたんだ、劉の話と擦り合わせたい。立ち話もなんだろ?座ってよ」 天にまします我らが主に感謝の祈りを捧げてから、平皿のサンドイッチを摘まんで口へもっていく。 渋々席に戻った劉もまねしてサンドイッチをかじるも、口の中に走る痛みと鉄錆びた後味に慌ててひっこめる。 対面のピジョンが二口目をかじりかけて劉の様子に気付き、申し訳なさそうに詫びる。 「まだダメか……ごめん、あとでお粥作るよ」 「そこまでしなくていいって。一日二日断食しても死にゃしねーよ」 「もとから栄養失調だもんなお前」 「るっせェ、太れねー体質なんだよ」 「ミルク粥が残ってればよかったんだけど……」 「全部食っちまった」 「お前かよ」 「朝帰りで腹減ってさ。粥だから腹の足しになんねーけど」 「じゃあ食うなよ」 意地悪くまぜっかえすスワローに突っ込み、水で腹を膨らます作戦に切り替える。 こうして劉を加え、三人そろった奇妙な食卓が幕を開ける。 ピジョンとスワローは隣同士並んで座り、その対面を劉が占め、もそもそとサンドイッチを咀嚼して飲みくだす。傷に障らぬようゆっくり噛めば、少しは満腹感に繋がる。 「スワロー、口の横」 「あん?」 「ピーナッツバター付いてる」 もそもそと貧乏くさく咀嚼と嚥下をくりかえす劉の眼前、ピジョンがだしぬけに弟の唇の端に触れ、人さし指の先端にちょっぴり付着したピーナッツバターをごく自然な仕草でなめとる。 礼も言わず食事にもどったスワローがふと流し目をくれ、ピジョンの方へ体を傾けて無造作に頬っぺをひと擦り。 「人んこと言えねえな」 「あ」 ピジョンの頬っぺにとんだジャムをこれ見よがしに親指で拭いとり、これまたごく自然な動作で口に突っこんでしゃぶり尽くす。 十代後半にさしかかろうという兄弟が、互いの頬っぺから食べ滓を摘まんで当たり前の如く口に入れる光景を目の当たりにし、以前にも増して窶れた劉が食べかけのサンドイッチを静かにおく。 「…………完全に食欲失せたわ」 俺は一体何を見せられてるんだ。 無自覚か?無自覚なのか?俺の存在を頭っから忘れてやがんのか?? 「おいスワロー、人前じゃよせよ」 「あ?あ~……照れてんの?先にしたのお前じゃん」 「うっかり癖で……」 「癖になるほど毎日してんの……」 「子供の頃からね。コイツ食べ方汚いから……食べながら漫画読むわ椅子揺するわでてんで行儀がなっちゃない。まったくだれに似たんだか……」 「兄貴」 「俺はそこまでひどくない。くちゃくちゃモノ噛みながら喋る癖も直らないし……言っとくけど誰もお前の口の中なんか見たくないぞ、扁桃腺の色かたちにも断じて興味ない。唾とばして喋るのもやめろ、単純に汚い」 「キスねだる女は別な」 「ニコチンタールで歯が黄ばむ呪いをかけた」 「床にぶちまけたシリアル拾い食いする駄バトがいい子ちゃんしてんじゃねーぞ」 「じゃあ皿の外にぼろぼろ零すなよ、テーブルに足上げるのもやめろって何度も言ってるだろ」 「待て待て、お前らガキの頃からお互いにあーんとかしてたの?」 「男兄弟ならフツーだろ?」 「そんなもんか……?」 「劉はひとりっ子?」 「さあな」 鬱屈した声色に複雑な事情を慮ったピジョンは、それ以上の詮索はあえて避け、飄々と知らんぷりする弟を一睨みして咀嚼に戻る。 質素な朝食をたいらげてから、ピジョンはやや真面目に顔を引き締めて切り出す。 「黒後家蜘蛛のことだけど」 「ヤるだろ、とーぜん」 スワローが兄の言葉を先取りし、渋面を作ったピジョンが「簡単に言ってくれるね」と呟く。空皿を腕で脇によけてスペースを保持し、そこで両手を組んで続ける。 「昨日劉から話を聞いた」 「俺も知ってる。黒後家蜘蛛といやバウチでもひっぱりだこ、カードにも載ってる有名な殺人鬼。ガキの頃から馴染みだぜ、蟲中天に飼われてたってなァ初耳だけどな」 スワローが頭の後ろで手を組み、テーブルに放り出した長い脚で行儀悪く皿をどかす。 ピジョンは素早く記憶を検索し、子供の頃に読んだ雑誌の記述を思い出す。 黒後家蜘蛛。主に歓楽街に出没し、娼婦や男娼をターゲットに猟奇的な犯行を重ねる異常者。 その知名度と人気は高く、賞金首を扱うトレーディングカードにも名前と来歴が取り上げられている。 ピジョンとスワローが幼い頃から血塗られた殺人遍歴を重ねて大陸中に指名手配されているが、捜査の目をかいくぐって巧みに逃げおおせており、今だ捕まったという話は聞かない。 その黒後家蜘蛛が、アンデッド・エンドのほど近くの街に舞い戻ったらしい。食べ残したサンドイッチを丁寧な所作で脇にどかし、劉が語尾を引き取る。 「言っちまえばアンデッド・エンドはヤツの古巣だ。今頃舞い戻ったワケは知る由もねェが……故郷が恋しくなったのか、復讐か。まあとにかく、ヤツの姿が目撃されたなァ一週間前。蟲中天の末端のチンピラが、近くの街にでかけた際に古顔を見かけた。まさかたァ思ったが、一応上に報告した。そしたら出てくるわ出てくるわ、自分も見たぞと便乗犯が沸いてくる。一人なら見間違いや気の迷いで流したかもしんねェが、十人以上が口をそろえてご注進すりゃ、さすがの上も黙ってられねェ。認めたくはねェが、『あの』黒後家蜘蛛が戻ってきちまったのさ」 「随分と曖昧だな。目撃証言だけで証拠はねーのかよ」 「いまんとこは。というのも、戻ってきてからこっち派手な動きはねーんだ。もちろん誰も殺してねェ、それどころかある時期を過ぎたら出歩いてもねェ。俺の見立てだと、ヤツはいま巣を張ってる最中だ」 「潜伏してるのか……」 「目撃者だって信用おけるか怪しーもんだ。やれ街角に立って客とってんの見た、やれ場末のバーの片隅で男誘ってんの見た、商売女と連れだって人ごみに消えんの見た……そんなんばっかだ」 「見た人はすぐ黒後家蜘蛛だってわかったの?」 怪訝そうなピジョンの質問に、劉は不敵に口の端を吊り上げる。 「整形を疑ってかかってんならいいセンスだ。顔も体もカネさえ出しゃいじり放題の世の中、ぶっちゃけ目撃者なんざアテになんねえ。知ってるか?殺人鬼のファンの中にゃ、わざと憧れの対象と同じツラに変えるアホがいるんだそうだ。で、間違われて殺されちまったって笑い話さ」 「憧れのシリアルキラーに取り違えられたんなら本人的にゃ本望かもな」 「言えてる」 背凭れにふんぞり返って馬鹿にするスワローに同意する劉。ピジョンは複雑な面持ちで黙りこくる。殺人鬼に憧れる人間の気持ちも、殺人鬼をまねて顔まで変える人間の気持ちも、ごく一般的な感性と価値観の持ち主である彼には到底理解しがたい。 そんなピジョンの内心を察したか、劉が軽薄に肩を竦め眼鏡のブリッジを押し上げる。 「俺も黒後家蜘蛛のツラは知らねェ。アンデッド・エンドに流れてきた時にゃ、あちらさんはとっくにここを離れてたからな。でもまぁ、古株のチンピラどもがありゃ絶対そうだって断言してるんだ。連中は全員黒後家蜘蛛の見知りだ……勘が働くんだろうさ」 「万一顔だけ似せた別人だったらどうするよ?空振りはごめんだぜ」 「それはそれでカネになる。いいか?蟲中天はよそ者に舐められるのをなにより嫌うんだ。昔々てめぇの組織に泥かけてトンズラした殺人鬼のファンだか信者だかが、わざわざ顔まで似せて近所を徘徊してんなら……」 劉が人さし指と中指を重ね、無言で首の前を横切らせる。スワローは愉快げに目を細め、喉の奥で濁った笑いを泡立てる。 「なるほど。見せしめね」 「どっちにしろ蟲中天は喉から手が出るほど黒後家蜘蛛を欲しがってる」 弟の語尾に被せて事実確認してから、ピジョンは「待てよ」と思考を巻き戻す。頬杖を崩して身を乗り出し、油断ない目を劉に向ける。 「じゃあなんで追われてたのさ?黒後家蜘蛛のネタはもともと蟲中天の管轄だろ、連中がいちばんご執心だ。自分の仲間に組織の仇でもある賞金首のネタ渡せって言われて拒むって、筋が通らないよ」 「あ~~~……ありゃ|蟲中天《うち》のヤツらじゃねえ」 「え?」 「うちの商売敵の……言っちまえば、敵だ」 「意味わからねーぞ」 ピジョンとスワローが交互に疑問を呈すのに考えを整理し、はだけた柄シャツのポケットをまさぐる。 「煙草喫っていい?」 「禁煙」 「何も食えねーんだ、せめて煙で腹膨らませてくれ」 「仕方ないな……」 ピジョンは怪我人と病人に甘い。哀れっぽく請われ、渋々喫煙の許可を出す。 お許しを得た劉は「やった」と小声で快哉を上げ、どす黒い隈のできた不健康な顔を現金に輝かせるも、直後煙草を切らしていたことを思い出す。 捨てられた犬のような情けない極みの眼差しでスワローを凝視。 スワローはそれを冷たく突っぱねるも、ピジョンの援護射撃を受けてとうとう折れる。 「ほらよ」 禁断症状で今にも発狂しそうな懇願の眼差しと、「いい加減大人になれよ」といわんばかりの賢しげな眼差しに催促され、露骨な舌打ちに続いて煙草を一本投げてよこす。 「ありがてえ」 お恵みされた煙草にスライディングで飛び付くも、すぐに落胆する。 「メンソールじゃねえのか……」 「だからそう言ったろ」 凄まじい葛藤。 されど背に腹は変えられぬ。 悩んだ末に点火、肺一杯に紫煙を送り込んで深々と吐息する。 「は~~~~~~~~~~~~~~~~~~~…………うっめェ、生き返る」 血走った眼球が恍惚と潤み、全身が心地よく脱力して椅子に沈む。 弛緩しきった笑みでニコチンがもたらす多幸感に浸るも、その顔がみるみる赤くなり激しく咳き込む。普通の煙草は刺激が強すぎたらしい。 「がほがほげほッ!!……あ~……ひっさびさはキチィわ……」 「酒が切れたからエタノールを呑むアル中みてェだな」 劉の脛をテーブル下のスワローが荒っぽく蹴飛ばす。 「トリップしてんじゃねェよ。続きは?」 「ッでェ、お前ふざ……脛はやめろよ折れんだろ!」 「骨粗しょう症かよ。カルシウムとれよ」 「えーと……どこまでいったっけ」 「劉を袋叩きにしてた連中が敵ってとこまで」 ピジョンの助け舟に「それな」と他人事めいた相槌を打ち、劉が用心しいしい紫煙を吐きだす。 「さかのぼると話がややこしくなるんだが……黒後家蜘蛛がもともと蟲中天のアングラショーに出てたってのは話したよな?今から二十年ちょっと前、てめぇらは当然生まれてねえ。俺も人伝に聞いただけだが……当時、蟲中天が仕切るショーは他組織との会合の務めも果たしてた。ホールを貸し切って、特等席に商売相手を呼んで色々と接待するんだ。気に入った出演者はご指名お持ち帰りできる。で、当時のお得意様がえらく黒後家蜘蛛を気に入ってよ……聞いてたまげろ、コイツが昨日のチンピラどものボスだ」 「へー」 「うっすい反応どうも。昨日の敵は今日の友、ならば逆もしかりだ。当時は取引先としてよろしくやってたギャングだが、黒後家蜘蛛の一件がこじれにこじれていまじゃ不倶戴天の宿敵だ。こともあろうに黒後家蜘蛛は、あちらさんのボスのご指名を受けた直後に、男を手引きして姿をくらましやがった。さあこれからことをおっぱじめようって時に、乗り込んできたヒモ野郎がボスをノシたのさ」 「ああなるほど……読めてきたぞ」 ピジョンはゆるやかに唇をなぞり、劉とスワローから入手した情報を整理する。 スナイパーライフルのスコープ越しに捕捉した会話の中で、男たちはしきりに「恥をかかされた」「借りを返す」と怒り狂って喚いていた。 「今から二十年前、黒後家蜘蛛は蟲中天が取り仕切る地下の見世物に出演していた。そこは他組織への接待を兼ねた売春窟で、当時は協調路線にあった別組織のボスが黒後家蜘蛛に目をかけてたけど、彼女はそれを裏切り、ボスを当て馬にして駆け落ちした……ってことであってる?」 「んで両方に憎まれて追っかけられるはめになったと」 ピジョンが簡潔にまとめ、スワローが「食わねーならもらうぜ」と劉の食い残しのサンドイッチをひったくって茶々を入れる。 ピジョンの読みはおおよそは当たっているらしく、絆創膏で覆われた頬を痛そうにさすりながら劉が呟く。 「おかげさんであちらさんたァこじれまくった犬猿の仲、この二十年来出会いがしらにドンパチやらかす始末の悪さだ。そうなった元凶の黒後家蜘蛛を蟲中天は是が非でもとっ捕まえたい、ボスをキズモノにされてさんざ恥かかされた敵サンも仕返ししたい。そこで白羽の矢が立ったのが末端のチンピラ、小遣い稼ぎにネタをさばく俺ってワケさ」 「組織は売れないよね。報復が怖い」 ピジョンが目一杯同情して頷く。すべての事情を知った今なら昨晩の劉の反応も道理だ。 敵組織は末端の劉を袋叩きにして宿敵の居所を吐かせようとしたが、結果的にその性急さと強引さが裏目に出た。 劉ががっくりと肩を落とし、情けないことこの上ない眉八の字の顔でスワローとピジョンを見比べる。 「あのさぁ……もっと俺の忠誠心とか義侠心に焦点あててくれていいんだぜ?」 「あるわけねーだろそんなもん」 保身にかまける守銭奴の寝言を鼻先で笑い飛ばしてサンドイッチを嚥下、「で、どうするよ」と兄に向き直る。 「のるだろ、このヤマ」

ともだちにシェアしよう!