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薬指のヴィクテム 後
2.賞金稼ぎ
青空の下、行き止まりの屋上に追い立てられた賞金首がぎらぎら顔をてからせる。
「落ち着けキドニー、距離的に見て脳漿浴びるのはお前だ」
「そういう問題じゃない、人質とられたんだぞ!?」
「場を和ませようとしたんだよ」
スワローとピジョンが場違いなボケツッコミをかまし、子どもをひきずってあとじさる男と対峙。
キドニーは卑屈に顔面を歪め、虚勢を張ってがなりたてる。
「俺の賞金額なんざたいしたことねえだろ、見逃せ」
「どうだかな」
スワローがナイフをくるくる回す。
「子どもをはなせ」
ピジョンが慎重ににじりよる。
「下がれっていってんだろ!!」
「ひッ!!」
銃口を押し込まれて子どもが泣き喚く。恐怖で口もきけないようだ。
手汗でずり落ちる鞄を抱え直し、気も狂いそうな焦燥に駆り立てられて怒鳴れば、相方が悔しげに顔を歪めて足を引く。
「よし……そのまま一階まで降りろ。いや、そうだ、いいこと考えた。階段なんて使うこたねえ、|直《ちょく》で降りな」
容易くへし折れそうな細首に腕を巻き付け、自分の方へと引き寄せる。
キドニーの言葉が意味するところを悟り、スワローとピジョンは顔を見合わせる。
廃墟は八階建てだ。落ちたら当然死ぬ。
脅迫の効果は絶大と見て途端に態度がでかくなったキドニーが、醜悪な笑みに顔引き攣らせ、屋上の向こうの空へ顎をしゃくる。
「どうした、早くしねえとガキが天使になるぜ」
その時だ。
キドニーと腕の中の子どもを退屈げに眺めていたスワローが、ナイフの回転を止めてたずねる。
「……気付かねェの?」
「はあ?」
「あー……やっぱいいや。今のなし、忘れろ」
何言ってんだコイツ。意味わかんねえ。
もう興味を失ったとでもいうふうに肩を竦めるスワローの隣で、歯痒そうなピジョンがごく小さく独りごちる。
「本当にわからないのか……」
その呟きは小さすぎて、追い詰められたキドニーの耳に届かない。
「もうだめだ。これ以上はやっていけない。こっぴどく殴られた晩、私はお店にもどった。みんな驚いてた……お店から逃げた子はたくさんいるけど、自分の意志でもどってきたのは私ひとりだけだって。物好きねってあきれる子もいた。他に行くとこも帰るとこもなかったんだからしょうがないじゃない、ねえ?……計算はあったの。その頃には安全に堕ろせる時期をとっくに過ぎてたから、オーナーも渋々認めざるえなかった。自分でいうのもなんだけど、若い頃は結構な売れっ子だったのよ?私がこれから稼ぐ分とこれまで稼いだ分を秤にかけて、お店においてやろうって寛大な処置をくだしたの。なんて、あっさりいってるけど……もちろんおしおきされたわよ、キッツイのをね。それから……月が満ちて赤ちゃんが生まれたわ。元気な男の子。あの人にそっくりの、ふてぶてしい面構え。嬉しくて嬉しくて……なんだかすごい泣けてきた。なんでかしら……赤ちゃんの顔を見たら、やさしくされた思い出ばっかぶわっとよみがえってきちゃって。やなことだってたくさんあったのに、いえ、そっちのほうが多い位なのに……たとえば、あの人がくれた指輪。安っぽいエンゲージリング。宝石店を何軒も襲って、高い宝石をいっぱい盗んで……でもね、あの人が私にくれたのは……最初で最後の贈り物は、自分のお金でちゃんと買ってくれた、露店の指輪だった……」
芋虫めいて太く醜い指に、褪せた指輪が嵌まっている。
その手はいま拳銃を握り締め、油断なく引き金を矯めている。
「宝石と札束は魅力的だけどな」
スワローが飄々と嘯き、頭の後ろで手を組む。
「俺達が欲しいのは、もっと大事なものだ」
相方が哀しそうな表情で静かに答える。
極度の緊張と興奮に乾いた唇を舐め、キドニーが返す。
「てめえら―……ヴィクテムがめあてか?」
ヴィクテムとは命を見逃す代わりに賞金首の何かを奪う制度だ。
強姦魔に去勢を施し、泥棒の腕を切り落とし、詐欺師の口を縫い付けるなり喉をかっさばくなりして「声」を取り上げ……そうやって二度と悪さができない、致命的な裁きをくだす。
賞金首が己のヴィクテムを知るには手配書を見るか直接保安局に出向くしかないが、後者は自殺行為で、前者も頻繁なチェックがかなわない者とのあいだに行き違いがおきる。
キドニーが良い例だ。ここ数か月というもの目的の店を襲うほかはじっと隠れ家に潜んで、世間とまるきり交渉を断ってきたせいで最新のニュースに疎い。
この場所を知っているのは俺の他にだれも……
本当にそうか?
何か忘れてないか?
「ヴィクテムの更新はいつだ」
「昨日」
「今度はだれだ?先月襲った銀行のハゲ支配人か、宝石店のデブオーナーか、娘をキズモノにされたヒステリー親父か……いや、何を賭けた?札束と宝石は渡さねェぞ、こりゃ俺のもんだ。親父の方はイチモツ切り落としゃ満足かよ、可愛い娘をさんざんオモチャにしたカタキだもんな。ハッ変態野郎が、スケベまるだしな目でテメェのガキ見てやがったくせに!先越されて悔しいならそう言えよ、テメェの娘はとんでもねえスキモノだって教えてやったのに!」
唾飛ばして喚きたてるキドニーを、腕の中の子供がきょとんと見上げる。
純粋な疑問の眼差し。
「お店に戻ってからあっというまに月日がすぎた。私は前にも増して働いた……あの人によく似た子どもの成長だけを心の支えにがんばった。そんなある日、ジプシーの占い師と出会ったの。帰り道で声をかけられて……不思議なおばあさんだった。なんでも見通すような深い目をしてた。占ってもらったのはほんの気まぐれ。彼女はまじまじと私の顔を見て告げたわ、『薬指が幸運を運んでくる』『石を隠すなら腹の中』って。最初はどういう意味かわからなかった。わかったのは後日……お店によく来るお金持ちの指輪がなくなったの。大事にしてた薬指の結婚指輪……奥さんの誕生石をあしらったオーダーメイドで、途方もなく値が張るだろうってみんな噂してた。お店の子、総出でさがしたわ。本人はひたすらおたおたしてた。娼館通いは奥さんに内緒、立場上公けにできない。一方紛失した指輪をほっとけない、奥さんに聞かれたら困る。しまいには誰かが盗んだんじゃないかって疑い合って喧々囂々、阿鼻叫喚……そこでふと思い出したの、おばあさんのお告げを。石を隠すなら腹の中。アレはなにを意味してるのかしら?わたしは考えた。考えて考えて……まさか、っておもった。半信半疑でその紳士に耳打ちしたの……今夜のプレイにフィストファックは入ってませんでした?って。恥ずかしくてカオ真っ赤よ、ね、笑っちゃうでしょ。おばあさんの占いは見事的中、紳士の指輪は彼の相手をした女の子のお尻からでてきた。拳を突っ込んだ時、もとから緩んでた指輪がすっぽぬけてそのまま……気付かなかったのかって?でしょうね、プレイに夢中で……女の子のほうは知ってて知らんぷりしたのかもしれない。体内に忘れられたリングをしめしめネコババしたとして、まさかバレるなんて思わないでしょ?さて、そんなわけで紛失騒動は一件落着。私はよく機転が利くって紳士にほめられて、オーナーの覚えもめでたくなった。そこから全てが上手く転がり出した……天涯孤独のオーナーは、死に際にお店をのこしてくれた。お金持ちの紳士は、なにかと私に恩を感じて融資をしてくれた。心強いパトロンを得て、お店はどんどんおっきくなった。私は一生懸命経営を学んだ。これはと見込んだ女の子を積極的にスカウトして、紳士の人脈で気前よくお金をおとしてくれる客筋を掴まえて……いまじゃあちこちに分店を出せるほど経営は上向き。おばあさんのいうとおり、薬指が幸運を運んでくれたの」
「撃てば?」
「スワロー!」
「俺達たァさっぱり関係のねェガキが目の前で脳漿ぶちまけようがどうでもいい、こちとら痛くも痒くもねえ、ちょっとばかし服が汚れるだけだ。なあアンタ、さっきも言ったな。俺の悪い噂さんざ聞いてんだろ。血も涙もねえ無頼漢、女子供だろうが容赦しねえ、一旦キレたら手が付けられねえ、走り出したら止まらねえ。そんなこの俺様が、見ず知らずのガキを盾にしていきがるザコを見逃す理由はねえよな?」
「ぐ……、」
ごもっともだ。
「はやまるなよスワロー、挑発してどうする、頭を冷やせ」
「てめえも言ってやれよピジョン、なげえ階段のぼらされて頭にきてんだ。おいキドニー、てめえの腎臓 は何色だ?さぞかし可愛いピンク色なんだろうな、それとも破廉恥にまっかっか?」
「ヴぃ、ヴィクテムは腎臓か?それが狙いか!?」
みっともなく声が裏返る。
唇を不敵にねじりナイフをもたげ、銀に光る切っ先でキドニーをさす。
言葉よりなお雄弁な処刑宣告。
「~~くそったれが!!」
忍耐力が切れて引き金にかけた指を引く。
否……引こうとした。
キドニーは左利きだ。故に左手で拳銃をもっている。
引き金を絞る間際、薬指の古い指輪に目が行き……
その向こうで呆然とする子どもと、まともに目をあわせる。
無意識に舌打ち。
「!あっ、」
引き金を引く代わりにおもいきり突き飛ばす。
屋上の縁から虚空へ、後ろ向きに倒れゆく子供が絶望の表情で凍り付く。
「銃を使うのはやめだ、弾がもったいねえ」
子どもが屋上から転落する間際、場違いに甲高い女の悲鳴がすぐ近くで爆ぜ、キドニーが振り向こうとした数瞬に事態が動く。
甲走った悲鳴の方角に首をねじった隙に乗じ、素晴らしい瞬発力で肉薄したスワローが鋭い呼気と共に腕を振り抜く。
まさしく飛燕の如し身ごなし。
「ぐあァあああああぁああああッあああッあ!?」
「悪評リストの頭に手癖の悪さはピカイチって付け加えとけ」
鋭く研ぎ澄まされたナイフが太腿を薙ぎ払い、勢いよく血がしぶく。
銃と鞄を取り落とし、錐揉み倒れたキドニーと入れ違いに相方が駆け抜け、屋上の際に滑り込んで手を伸ばす。
「間に合わない!」
「テメエの『腕』はその程度か!」
「ご冗談を」
素早く片膝付いて背中のスナイパーライフルを構え、ダストシュートの継ぎ目に狙い定めて発砲。
銃声が全て重なり、一発に聞こえる早撃ち。
もとから劣化して脆くなっていたところに続けざま鉛弾を打ち込まれギギギと軋んで傾いだダストシュートがスローモーションで空中分解、弓なりに撓んだチューブが男の子をひっかける。
撓う管に受け止められ、一命をとりとめた男の子が激しく泣きじゃくるのを確認後、スナイパーライフルをおろして安堵の息を吐く。
キドニーはその全てを、激痛に苛まれて目に焼き付ける。
屋上の際から引き返した若造が、大事そうに男の子を抱いている。
スワローがあっけなくナイフを引き抜き、血糊を払って鞘におさめる。
全身の毛穴が開いて冷たい脂汗がふきだす。
血液と一緒に体温も流れでていく。
極限の苦痛と恐怖に眼を剥き、息も絶え絶えにキドニーが懇願する。
「……たのむ、命だけは……」
「ヴィクテム払えば考える」
「だ、だれのどれだ。宝石か?札束か?盗んだもんなら返す、壊したもんなら弁償する、売っ払っちまったもんは取り戻せねえが……たんま、ちょっと時間をくれ、そしたら絶対取り返す!全部元通りにして返すから!」
「てめえが殺した連中は?ゾンビ召喚の儀式でもやっか?ついでに破れた処女膜も再生しろよ」
銀行の支配人。
宝石店のオーナー。
娘を溺愛する父親とその娘。
自分が傷付けてきた人々の顔が脳裏をぐるぐる回る。
ねばっこい血だまりを這いずってどうにか顎を引き上げたキドニーは、ぼやけた人影を視界に映す。全部で四人。
「なあたのむおしえてくれ、俺のヴィクテムはなんだ、なにを支払えば帳消しにしてくれる……」
「よく聞けぼんくら、ヴィクテムってなあ罪と罰の帳尻を合わせる仕組みだ」
スワローが傍らにしゃがみ、急激に冷え始めた頬をナイフでぺちぺち叩く。
「まだ思い出さないか」
反対側に立ち尽くす相方が苦渋の声音を吐きだす。
「しかたねェ」
ひやり、冷たく硬質な感触が骨までしみわたる。
キドニーの左手薬指の根元にナイフを擬し、プツリと皮膚を切る。
傷口に血の玉が盛り上がる。ナイフの切っ先を濡らす真っ赤な雫を見、唄うような節回しで囁く。
「腎臓《キドニー》にいいのもらった、|子猫ちゃん《キティ》はどこいった」
「?」
「忘れたのか、てめえの寝言だろ」
「あ、頭おかしいのか……」
腎臓にいいのもらった、子猫ちゃんはどこいった。へたくそな歌を口ずさみ、根元にあてがう刃に圧を加える。
スワローと互い違いに乗り出したピジョンが気の毒そうな顔をする。
「お前のヴィクテムは……」
「|薬指《リングフィンガー》だ」
コイツらは悪魔だ。
なんたって、これから人様の指を切り落とそうってのに眉一筋動かさない。
逆光に沈んでこっちを覗き込む顔は、そっくり同じ酷薄さだ。
交互に宣言する賞金稼ぎを見上げ、指を切断される激痛に絶叫しー……
キドニーの意識は溶暗した。
暗転する視界が最後にとらえたのは、少し離れた場所で食い入るようにこちらを見詰める女と、その胸に顔を伏せて泣きじゃくる子どもだった。
「だいじょうぶ、どこも痛くない?」
「うん、お兄ちゃんが助けてくれたから……」
「無事でよかった……怖い思いさせてごめんね、ママが悪かったわ。かくれんぼはおしまいよ、おうちに帰りましょ」
「ボクが言うこと聞かずにとびだしてったから負けちゃったの……?」
「そうじゃない、全部ママのわがままよ……」
「約束の品です」
ハンカチに包んで渡された、断面もいまだ赤黒く生々しい薬指を、女は恭しく受け取る。
「ありがとう」
さいわいにして……というべきかなんというべきか、男の子は母に強く抱かれて、肝心の場面の目撃に至らなかった。
すなわち、大の男が指を切り落とされて悶え苦しむ悪夢にうなされる心配はない。今回の件でそれは大きな救いだ。
少なくともスプラッタな光景を目撃し、しばらく食事が喉を通らなそうなピジョンの慰めにはなる。
銀行強盗に宝石店襲撃に婦女暴行に殺人と、細かい余罪を含めれば八十三件にのぼる賞金首はさきほど保安局に突き出してきたところだ。
太腿の傷は見た目と出血は派手だがさほど深くなく、命に別状はないそうだ。
早くもどす黒く乾き始めた血だまりを見下ろし、右手から左手へ、そしてその逆と、ナイフをもてあそんでいたスワローが首を傾げる。
「わっかんねーなァ。そんなに指輪が未練かよ?」
今回スワローとピジョンは、男の昔の女の頼みでヴィクテムを取り立てにきた。
ヤサに先回りできたのも女のタレコミあればこそだ。
ハンカチに包んだ薬指を胸に抱きしめ、女がゆっくりと屋上を見回す。
「私がいた頃のまんま、時が止まったみたい……変わってないのね、ここは」
か細く吐息し、遠い目を虚空に馳せる。
「あの人が逃げ込むならここをおいて他にないって直感したわ、絶対バレないふたりだけの隠れ家だって豪語してたもの。あの時教えてもらった裏口や抜け道が、何年もたってからこんなかたちで日の目を見るなんてね……」
「昔のオンナに売られるなんてアイツもツキがねえな」
「スワロー」
「いいのよ、本当のことだもの」
「お子さんは大丈夫ですか?」
「ええ……怖がってたけどもう落ち着いたわ」
「ちゃんと捕まえてろよ、いきなりとびだして全部おじゃんになるとこだった」
「ごめんなさい」
「子連れは地雷だ。挟み撃ちで屋上に誘導する、アンタは待ち伏せてただ見てるだけって取り決めだったよな」
「ちゃんと押さえてなかったから……母親失格ね」
「過ぎたことはいいだろ、この人だって一杯一杯だったんだ」
「そもそも連れてくるのに反対だった」
「無理を言って困らせたわね……でもどうしても、最後にもう一度だけ会いたくて」
会って確かめたくて。
私を……私達を覚えているかどうか。
言葉にできない思いが胸に沈み、泡と弾けて消える。
ピジョンは痛ましげにハンカチを抱いてたたずむ女を見守る。
事の発端、彼女の方から兄弟に接触してきた。
ある賞金首を捕まえてくれ、隠れ家の情報を提供するという申し出にスワローは大乗り気だったが、ピジョンは彼女の物憂げな顔色が気にかかり、詳しくわけを聞いた。
そして判明した事実。
|件《くだん》の賞金首は彼女が若い頃付き合っていた男で、彼女の子供の父親だった。
「当時もろくでもないひとだったけど……私がいなくなってから、もっとひどくなっちゃった」
まだ落ちるところまで落ちてなかった男との思い出を回想、そっと自らの薬指に触れる。
痩せた薬指に、安っぽい指輪が嵌まっている。キドニーが贈ったエンゲージリング。
甘やかな感傷か断ちがたい未練か、味方にした運を努力で磨き上げて成功者となった女は、綺麗に化粧をほどこした顔に儚い笑みを浮かべる。
彼女には金があった。
オーナ―から継いだ店をパトロンの援助で大きくし、今では大陸中に支店を抱える富裕な経営者。ヴィクテムの更新はたやすかった。
「聞いていいですか?」
「何?」
「なんで大勢の中から俺達を選んだんですか?賞金稼ぎなんてこの街には掃いて捨てるほどいるのに」
「ああ……それね。ごめんなさい、大した理由はないの。そっちの彼はルーキーで一番の注目株、そして実のお兄さんのあなたは堅実な狙撃手。普段は地味で目立たないけど、影でしっかり弟さんをサポートして、着々とキャリアを積んでいく。それにとっても優しくて頼りになるってスイートとサシャが」
「スイートとサシャが!?」
数年前に知り合った風俗嬢コンビの名前をだされ、今日いちばん素っ頓狂な大声を返す。
慌ててトーンを落とし、女ににじりよって問いただす。
「なんであの子たちが……知り合いなんですか?」
「ミルクタンクヘヴンはうちの系列店なの、ふたりとも今は近くの支店で働いてるわ。その気になればすぐ行って帰ってこれる距離」
「知らなかった……」
どこでどう回り回って情報が入ったのか、星の数ほどいる賞金稼ぎの中からさて候補をしぼりこもうと悩む女に、偶然ピジョンとスワローの資料を見るかどうかしたスイートとサシャが、ふたりそろって「激推し!」してくれたのだ。
人の縁はどこでどう結び直されるかわからない。
出会いと別れにはちゃんと意味がある。
「もう一個聞いてもいいですか」
「なんなりと」
「その……どうして指輪じゃなく薬指を?」
「手配書見たでしょ?別れて数年であんなに太ましくなってるなんて悪い意味で衝撃よ。抜けないなら切り落とすしかない、でしょ?」
理屈があってるようであってない。
言い淀むピジョンの隣にのらくら引き返したスワローが、兄を代弁してずばりと切り込む。
「捨てられてたらどうすんだ?何年も前に別れたっきり、まだしてっかわかんねーだろ」
弟の無神経が今回ばかりは有り難い。
続きを促すピジョンの視線を受け、女は丁寧にハンカチを包み直す。
「薬指は幸運のあかしだから」
「いやだから」
「モノがないならなおさら……私とおそろいの指輪があった、薬指だけでも手に入れたかった」
あのひとを取り戻したかった。
たとえ変わり果てた姿になっても、肥満した指から指輪が抜けなくなっても。
嘗て孕ませて引きこんだ女の存在が忘却の彼方に過ぎ去っても、そこにある指輪の存在さえ忘れ去っても……
「薬指は心臓と繋がる指。薬指を手に入れたら心を手に入れたも同然だって、そう思わない?」
血を分けたわが子にとうとう最後まで気付かずとも。
自分の手で引き金を引かず、過去を振り払うように屋上から突き落としたのは……ほんの一瞬、昔の女への未練だか哀惜だかがよぎったからというのは、都合いい話だろうか。
危険を承知で現場への立ち合いを希望したのは、そこへお腹を痛めた子どもを伴ったのは、もしかしたら男が気付いてくれるのではないか、薬指の指輪が引き合って再び幸運を呼び込んでくれるのではと、最後の最後までむなしい期待を捨てきれなかったからじゃないか……
女は賭けたのだ。
男が自分を覚えているかどうか。
一文字に結んだ唇がふっと緩み、伏せた目に寂寥の影が落ちる。
「あの人は覚えてなかったけど」
子どもの名前、一緒に決めようって約束したのに。
恋人の薬指を抱き締めて瞠目する女に、ピジョンが告げる。
「辛いことは忘れようとしたんじゃないかな」
「え」
「自分のせいで大事なものをなくしたら、俺だってそうしないとも限らない」
だれだって、そうしないとは限らない。
さもないと、自分を殺してしまいたくなる。
ピジョンの視線の先にはスワローがいる。
ナイーブな痛みを秘めた眼差しに女はなにかを悟り、くちびるを震わせる。
「……そうね」
そうならいいと心から願う。
愛した女と子どもを忘れても、指輪だけは外せなかった。
なんでそこにあるのか忘れても、なお。
スワローは据わった目で殊勝にうなだれる女を眺めまわす。
「おっかねーオンナ」
お人好しのピジョンはおしまいまで気付かない。
この女は昔の男と腹を痛めたガキを秤にかけて賭けを張った。
『かくれんぼはおしまい』
『全部ママのわがままよ』
ガキを|代価《ヴィクテム》にして男を試す……なるほど、母親失格だ。
まあ、そういうしたたかな女は嫌いじゃない。
称賛ともあきれとも付かぬ口笛で送るスワローと、言葉を失って立ち尽くすピジョンに会釈し、扉の近くに待たせた子どものもとへ歩いていく。
「……あの指どうするんだろう」
「食べるんじゃね?」
「洒落にならないこと言うな」
「レア?ミディアム?ウェルダン?」
「悪ふざけがすぎるぞ」
「防腐処置して保存」
「子どもの手の届かないところにおいてほしい。遊んでる最中に指がでてきたら一生のトラウマだ」
「もしくはホルマリン漬け」
「戸棚にしまうの?ホラーじゃん」
綺麗に整った顔を派手に崩し、とびきり下劣な笑みを見せるスワロー。
「知ってっか?|薬指《リングフィンガー》も愛人にできるんだぜ」
「……なに考えてるかは聞かないでおく」
ピジョンは処置なしと肩を竦める。
男の子と仲良く手を繋いで去っていく女を並んで見送り、どちらからともなく歩きだす。
「なあピジョン」
「なんだよ」
「指貸して」
「は?」
歩きながらピジョンの手をひったくり、薬指に噛み付く。
「!?痛ッ……おい馬鹿おまえ馬鹿なんで馬鹿!?」
「わざわざ指輪なんざしなくてもコレでじゅーぶん」
歯型ですむなら安上がりだ。
付け根に輪を描く薬指をさすり、ジト目で追及。
「俺の薬指が恋しくなったのか?」
「ジャムがねーと味けねーなやっぱ」
すっとぼける弟の横顔を憮然と睨み、隙を突いて左手を掴まえる。
「お返し」
「あ、ッで!?」
左手薬指の根元に歯を立て、赤いしるしを刻む。
「てめえクソおまえクソなんでクソ!?」
大袈裟に痛がり喚くスワローの左手をさっとはなし、笑いを含んだ目付きで一言。
「な?ペアリングだ」
歯型はいずれ薄れて消える。
それでも消えずに残る痛みが、俺達の誓いの指輪 だ。
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