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念願の黒スーツ✦side秋人✦終
『インフルだったのか? 大丈夫か?』
榊さんから唐突にそう聞かれた。
「……え?」
『仕事はいつから来れるんだ?』
「……は?」
なにを言ってるのか理解が追いつかない。
『……熱は?』
「無い、ですよ……?」
と答えてから、ショッピングモールでの珍事を思い出した。インフルってあれのこと? なんで榊さんが知ってるんだろう。
蓮が心配そうな顔をしてこちらを見てる。俺はスマホをスピーカーにした。
電話の向こうから、あきれたような深いため息が聞こえる。
『今日のお前たちのことが早速ネットニュースになってるぞ』
「……は? なんで……」
『なにがどうなったら、蓮くんに支えられてる発熱秋人の写真が載るんだ?』
「えっ……」
蓮と二人で顔が青くなる。
榊さんに問い詰められて、スーツ専門店での珍事を話す羽目になった。まさか榊さんに恥をさらすことになるとは思いもしなかった。
『あきれてものも言えないな……』
「……すみません」
『明日はどこにも出かけるなよ』
「えっ! だってせっかくの連休がっ!」
『すごい熱だって言っちゃったんだろ? それなのに明日ケロッと遊んでたらおかしいだろう。少しは考えろ』
「うう……」
自分のせいだとわかっていても榊さんが鬼に思える。
蓮との貴重な連休なのに……。
『SNSで元気アピールしとけよ。じゃなきゃ残りずっとどこも行けないぞ』
「しますします。しますよ……」
『はぁ……。心配して損した。じゃあな』
榊さんの電話が切れて、俺たちは慌ててネットニュースを見た。
『スーツ売り場で発熱秋人を蓮が介抱。インフルエンザか』
『さすがニコイチあきれん! 選び合った時計がペアウォッチに!』
『意外と庶民的なあきれんに好感度アップ! スーツは既製品』
『あきれん尊い、再びトレンド入り!』
開いた口が塞がらないってこういうことか。
午前中の出来事が、夜にはニュースになるのか……。
いや、こんなことがニュースになるのか、の間違いか……。
二人で呆然としていたら今度は美月さんからメッセージが届き、目を通した蓮がまた顔を青くする。
「美月さん、なんて?」
「……怖い」
「え?」
スマホを渡されメッセージを読む。
『秋人くん熱は大丈夫? まさかとは思うけど、スーツの蓮くんに見蕩れて赤面しただけ……なわけないよね? だったら美味しいんだけど。ぐふふ』
美月さんが怖すぎる。やっぱりエスパーだろう、どう考えても……。
気を取り直した俺たちは、まず元気だよアピールをSNSに上げた。
そしてペアウォッチをまた腕にはめて並んで写真を撮り、二人同時にアップした。
「……蓮」
「うん?」
胸にぽすっと顔をうずめると包み込むように抱きしめてくれる。優しくてあったかい俺の蓮。本当に愛おしい。
この甘やかされてる時間が大好きだ。
「すげぇ嬉しい。ペアウォッチ。こんな風にペアのものをSNSに上げたりできると思わなかった。ありがとな」
「俺も、すごい嬉しい。なんか、想像以上にドキドキしてる」
「うん、俺も」
SNSの反響がすごい。
尊いとか、結婚しちゃえとか、都合のいいコメントばかりに目がいってしまう。
でもやっぱり出てくる「この二人あやしい」のコメント。そりゃ出るよなぁ。
「秋さん、次は指輪だね。昨日見てたやつに決めちゃう?」
「あれは高いから……もうちょっと安くていいよ。俺たちにはこれもあるし」
ペアの腕時計を眺めて撫でてホクホクする。
俺はこれだけでも充分。そう思ってはいるのに、でもたとえつけられなくても指輪もほしいと思ってしまう。俺は贅沢だな……。
「俺は絶対あれがいい。だからあれにしよう?」
蓮がめずらしくわがままモードだ。
「贅沢だって」
「だって結婚指輪だよ?」
「け……っ、え……?」
ただのペアリングじゃないのか……?
「婚約指輪は女性が身につけるものらしいんだ。そういう説明を見ちゃったらなんか違うなって。でもペアリングじゃなんか軽いし、じゃあもう結婚指輪でしょ?」
「でもそれはまだ……」
「気が変わりそう?」
「は? んなわけねぇだろっ。冗談でもそんなこと言うなっ」
俺が怒って言い返すと、蓮がニヤッと笑った。
「じゃあ結婚指輪ってことでいいよね? 昨日のに決定ね」
あ、蓮の策略にまんまと乗せられた。やられた。
「でも、贅沢だろ……」
「一生ものだから、いいんだよ」
「……二人の預金から買うからなっ」
「いや、これは俺が――――」
「俺たちは、どっちも夫だろっ! じゃあどっちも出さなきゃダメだろっ」
「そ……っか。うん、そうだね。じゃあ二人の預金から買おっか」
「おう。絶対だかんなっ」
俺たちは、もう給与をひとつにまとめてる。
そこから個人のお金として毎月平等にもらう。
蓮はそれを変に使わず貯めてるから、それで指輪を買うつもりだとわかってた。
「ありがと、蓮。気持ちだけもらっとくな。本当は、めっちゃ嬉しかった」
「秋さん……」
蓮の頬に手をふれて、唇にそっとキスをした。
「すげぇ愛してるよ、蓮」
「俺も、もっとずっと愛してる」
「うあー……。もうほんと、幸せすぎる」
また胸に顔をうずめてグリグリした。
「うん。ほんと幸せだね」
「なぁ。お前、絶対俺より長生きしろよな」
「それ俺のセリフ」
「やだ。俺だけ残ったら寂しくて死んじゃうもん」
「俺だって死んじゃうもん」
お互いに顔を見合わせて吹き出した。
「なぁ、ムード無いこと言っていいか?」
「うん、なに?」
「腹減った」
俺がそう言うと、蓮はまた吹き出した。
昼も食べずに抱き合っていたからもうギュルギュルだ。
「そうだった。なにか頼もうって言ってたのにね」
「もうさ、カップ麺でもいいからすぐ食いてぇ」
「……そうしちゃおっか」
二人一緒の連休初日、夕飯はカップ麺にお湯を入れて三分待つ。
その時間ですら、幸せな時間。
明日は家でなにをしようか。あとで二人でゆっくり決めよう。
end.
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