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神宮寺家 終
義兄さんに、並んで座るように言われて二人で腰を下ろす。
「蓮くん、秋人くん。遅くなったけど、おめでとうね」
雫の前では俺たちの話はできなくて、やっと義兄さんとその話ができる。
「ありがとう、義兄さん」
「ありがとうございます」
「それでね。二人は婚姻届ってもう書いた?」
「……え?」
思いもよらない言葉に驚いて秋さんと目を見合わせた。
婚姻届……って、俺たちが?
「あ、えっと、書いても出せるわけじゃないど……さ。でもいまは、記念用の婚姻届を書いて飾ったりする人もいるんだよ。デザイン婚姻届ってのがネットでいっぱいダウンロードできてね」
「デザイン婚姻届……」
守義兄さんが封筒から取り出した数枚の紙。
テーブルに並べられたのは、いろいろな柄の婚姻届だった。
「守、もしかしてさっき帰ったのってこれ印刷するため?」
「うん。二人の結婚式の話を聞いて、僕たちがダウンロードした婚姻届を思いだしてね。二人に合うのはどれかなって選んでたらすごい時間かかっちゃった」
クローバー柄やチャペルの絵柄、新緑の柄、シンプルなものばかりチョイスされていた。きっと婚姻届だから女性向けの柄が多いだろう。その中から一生懸命俺たちに合ったものを選んで印刷してくれたんだ。
鼻の奥がツンとしてまぶたの裏が熱くなった。
隣を見ると、秋さんの目にはもう涙があふれていて、いまにも流れそうだった。
「あ、もちろん役所の本物もあるよ。好きなの選んでね」
「義兄さん……ありがとう。婚姻届なんて俺、思いつかなかった」
記念用の婚姻届を飾る……。誰が来るわけでも無いし、飾っても大丈夫かな。俺、飾りたい。
秋さんは言葉にならずに必死で涙をこらえている。
俺は秋さんの手を取りぎゅっとにぎった。
「秋さん、書こうよ、婚姻届。俺、部屋に飾りたいな」
「…………っ」
秋さんの返事はない。きっと口を開くと泣いてしまうからだろう。
「秋人くん」
ソファに座ったままの父さんが、秋さんを見て目を細めた。
「涙を我慢するのはよくないぞ。嬉し涙は幸せな証拠だ。流れ出るまま流しなさい」
「…………っ」
父さんの言葉に、秋さんの目から涙がこぼれた。
ハッとしたような顔で目元を腕で覆う秋さんを、抱きしめたくて仕方がない。背中を優しく撫でると秋さんの嗚咽が漏れ聞こえた。
母さんが慌ててティッシュを用意してから「タオルのほうがいいかしらっ」とタオルを持ってくる。
「守、やるじゃん」
「でも泣かしちゃったよ」
「ラブラブな証拠だからいいのよ」
姉さんたちも手をつないで、優しい顔で秋さんを見守っていた。
ひとしきり泣いた秋さんの涙が落ち着いて、俺たちは婚姻届にサインをした。
二人で選んだ星空柄の婚姻届。
まさか書くことになるとは思っていなかった婚姻届に、感動で胸がいっぱいになった。
「なんか……もう俺……夢みたいでふわふわしてる……」
「うん……俺も」
「はぁ……やばい、また泣きそう……」
秋さんがそう言ってまたタオルに顔をうずめた。
「証人はどうしようか」
みんなで顔を見合わせて、全員が父さんを見た。
「ん? 私か?」
「お願いできますか……?」
秋さんがおずおずと尋ねると、父さんが腰を上げてこちらに来る。
向かいの椅子に黙って座ってペンを取り、でも書かずに動かない。
「秋人くん」
「……はい」
「これを私が書いた瞬間に、もう君は本当に私達の家族だ。私は君の父親になる。覚悟はいいか?」
「……は……はい。はい、もちろんです……っ」
「よし、じゃあ書こう」
父さんは「酔っ払ってるが大丈夫かな」と言いながらゆっくりと署名捺印をした。
「さあ、これで君はもう私の息子だ。神宮寺家にようこそ」
父さんの差し出した手を、秋さんがゆっくりとにぎり返した。
「はい……。よろしく……お願いします」
今度は俺が涙をこらえられなかった。一度流れたら止まらない。それを見た秋さんもまた泣き出した。
一つのタオルで二人で涙を拭う俺たちを、みんながラブラブだとからかって笑った。
「もう一つの証人は秋さんのお父さんに頼む?」
「……いや。……ここは空けておいたらだめか……?」
「え? 空けておくの?」
どういう意味かわからず聞き返すと、秋さんが雫の寝ている和室に視線を向けた。
「いつか雫ちゃんが大きくなって俺たちのことを話すときが来て、もし認めてくれたら……そのときここに署名してほしい。それまで空けておきたい。……だめか?」
「まさか。全然だめじゃないよ。それすごくいいね」
俺たちの婚姻届は正式には受理されない。でもだからそんなこともできるんだ。
雫が大きくなって俺たちを認めてくれたとき、やっと完成する婚姻届。……完成、するといいな。
「やだ……すごい素敵……っ」
「本当ねっ」
姉さんと母さんがまた手を取り合った。
「雫も寝たし、そろそろ二人の話を聞かせてほしいな」
義兄さんがニコニコして言った。
「おお、そうだな。やっと大人の時間だ。二人の話を肴に飲もうじゃないか」
父さんのセリフに「父さんはもう充分飲んでるからっ」とみんながツッコんだ。
「蓮……」
「うん?」
「俺、幸せすぎて……もう死んでもいいや……」
「秋さん、冗談でもそういうこと言わないで」
「……ん、ごめん。でもほんと、夢みたいだ……」
「うん。本当だね。今日思い切って来てよかった」
「ん……」
手をぎゅっとつなぎ直すと、秋さんが幸せそうに頬をゆるめる。
もうずっとつないでるから、いまさら離さなくてもいいか、と開き直ってつなぎっぱなしだ。
「あ、そうだ秋さん、あのね。姉さん、二人目だって」
「……ん? 二人目……えっ。マジでっ?」
「うん。だからさ、雫も、生まれてくる子も、俺たち一緒に成長を見守ろうね」
「マジか……っ。やばい、楽しみすぎるっ。……あ、でもお姉さんにウザがられねぇかな?」
「ううん。全然。こき使うって言われた」
「うわっそれ最高なっ。堂々とお世話できるじゃんっ。やったっ」
予想どおりの秋さんの反応に笑ってしまった。
早く生まれてきてほしい。男の子か女の子か本当に楽しみだ。
「おーいお前たち、イチャラブのままでいいから早くこっち来い。飲め飲めっ」
「い、イチャラブ……っ」
つぶやいて頬を染める秋さんを引っ張ってソファに戻った。
みんなにビールをどんどん注がれて飲まされる。
飲みながら、食卓テーブルに置いてある婚姻届の入った封筒が気になって何度も見た。
もうすぐ結婚指輪も届く。結婚式も、もしかするとすぐに挙げられるかもしれない。もう、いつかしたいね、の話じゃないんだ。
婚姻届を書いたから、父さんの証人ももらったから、もう俺たちは夫夫 なんだ。やっと実感がわいてくる。
あ、そっか。今日ってもしかして……。
「なぁ、蓮、蓮」
「うん?」
秋さんが耳元に唇を寄せてささやいた。
「今日ってあれだな、初夜だよな?」
いままさに同じことを考えていたから、心の中を覗かれた気分になって顔が熱くなった。
そんな俺に秋さんはまた耳打ちをする。
「優しくしてね?」
「……っ、秋さんっ」
ふはっと耳元で秋さんが笑った。
end.
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