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第20話

 しかし、黒兎がいずみに全てを話し、少しだけ心が軽くなったと思いきや、事態は嫌な方向へと向かってしまった。  いずみが黒兎の前の職場に出入りしていたので、彼女の顔を内田は覚えていたのだ。そして営業で雅樹と一緒にいた所に遭遇して絡まれてしまう。 『本当に、話が通じない人で……』  これはいずみが黒兎に寄越したメールのセリフだ。  雅樹が一緒にいたのが幸いして、直接危害を加えられることはなかったのだが、いずみは否応なしに黒兎を襲った人物だと、雅樹に説明することになり、内田は警察に連行されたそうだ。 「どうしてきみは話さなかった?」  病室で、二人きりで、雅樹にそう詰め寄られる。黒兎は口を一文字に(つぐ)んだ。  結局、いずみにも雅樹にも、迷惑をかけることになってしまったと思っていると、雅樹が大きなため息をついた。 「……言えるわけないじゃないですか」  掠れる声で黒兎はそう言うと、雅樹は椅子に座って黒兎の顔を覗き込む。何かを見透かされそうで視線を逸らすと、先程よりは優しい声で、雅樹は言った。 「綾原くんがそっちの人だって、私は知っていたし、女性の皆川さんに頼るよりはマシだろう?」  暗に自分を頼れと雅樹に言われたような気がして、黒兎は唇を噛む。何だかムカついて、低い声で呟いた。 「木村さんには分からないですよ」  物心ついた時から、自分は少数派だと感じていた黒兎は、自分の胸の(うち)を隠しておくことが普通だったのだ。それを今更人に話すなど、急にできるようになるものではない。 「分からないよ。だから教えてと言ってるんだ」  黒兎はギュッと拳を握る。どうしてだ、と心の中で呟いた。再会してから今まで、自分の話をするばかりで、黒兎のことを聞いたこともなかったじゃないか、と。  俺に興味がなかったくせに、と。 「別に……ご迷惑をお掛けするのは嫌だったので……」 「迷惑かどうかは私が決める」  とりあえず、これから仕事を再開するまでは、私に面倒を見られなさい、と言われ、黒兎は渋々了承した。  それから黒兎は順調に回復し、無事に退院できることになった。  病院から黒兎のマンションまでは、雅樹が運転する車で帰ることになったのだが、その車を見て緊張してしまう。なぜなら、黒兎も知っている高級国産車だったからだ。外車には乗らないのかと聞くと、メンテナンス代がかかるから控えているらしい。 (う、ホントに金持ち……)  改めて住む世界が違うのだと思い知らされ、黒兎はおずおずと車に乗り込む。シートの座り心地が良くて、すぐに意識まで沈み込みそうになった。 「……皆川さんは元気だよ」 「……そうですか……」  彼女が襲われてから、さすがに心配した旦那さんが、しばらくケアにあたっているらしい。  良かった、とホッと一息つくと、意図せずストンと意識が落ちてしまった。  次に気が付いた時にはもう自宅マンションの駐車場で、黒兎は寝てしまったことに対してすみません、と謝る。 「どうして謝るんだい? 回復に役立つなら、いくらでも寝てくれてかまわないよ」  にこりと笑う雅樹。その爽やかな笑顔が高校生の時の彼と重なって、ドキリとした。  そして自宅のリビングに入ると、部屋を見渡す。入院中はいずみが出入りして、片付けてくれたらしいが、さすがにゴミ出しまでは時間が合わず、キッチンに置いたままになっていた。 「家事代行でも頼むかい? 仕事を再開するまで大変でしょう?」 「は?」  そんな部屋の様子を見た雅樹は、手助けになるなら、と思って言ったのだろう。家事は外注で、なんていかにもブルジョワな考え方だけれど、黒兎は先程からの雅樹の言動に、違和感を覚え、たまらず声を上げた。 「俺は今まで一応一人で生活していましたし、そこまでしなくてもいいですよ」  今まで黒兎のことを案じるなんてことをしなかったのに、本当に急にどうした、と思う。それが黒兎が怪我をしてからだと思うと、どうしても、この質問をせずにはいられない。 「あの、あの時偶然居合わせただけなので、木村さんが責任を感じる必要はないですからね?」  黒兎が襲われた日、直前に雅樹を見かけた。それを、自分が予約を入れなかったせいだと、雅樹は負い目を感じているのでは、と推測する。  けれど、彼から返ってきた言葉は意外なものだった。 「いや、綾原くんには申し訳ないけれど、あれは運が悪かったとしか……」  しかも雅樹は黒兎のことを、ずっと綾原くんと呼んでいる。今までその呼び名は、慰め合いの間だけだったのに。  すると、雅樹はソファーに座るよう促した。  何だろう? 本当に、雅樹が黒兎に興味を持ったように感じる。そして、彼の次の言葉に、どうしようもなく動揺してしまった。 「光洋(みつひろ)に言われたんだ。私は仕事人間だから、それに関係ない人脈は作らない。なのになぜ綾原くんを食事に誘ったのかって」 「そ、それは……俺たちが叶わない恋をしている者同士だからでしょう……」  確かに、日頃の感謝を伝えたかったのもある、と雅樹は言う。けれど、いつもの自分ならまず、食事には誘わないだろう、と思ったそうだ。 「俺のことが珍しいんでしょう。毛色が違うから、気になるだけですよ」 「だとしても、私は友人として、きみの心が晴れて欲しいと思っている」  真っ直ぐ、黒兎を見つめる雅樹の目。しかし黒兎は、全く雅樹の方を見ることができなかった。 「……友人……?」  思わず呟いた声色は、自分でも思った以上に掠れていた。  雅樹は頷く。 「私が叶わなかった恋を、私の分まで叶えて欲しい。きみを応援したい」  それを聞いて、頭を殴られたような衝撃が走った。そして座っているのに身体がふらつくと、雅樹が心配そうにこちらを見ている。  そんなセリフが出てくるのは、確実に、黒兎を意識していないからだ。  その事実に頭が真っ白になり、言葉が出なかった。手足と呼吸が震え、目頭を中心に顔が熱くなる。  分かっていたはずなのに、やっぱり苦しい。  それでも、自分の想いは伝えられなかった。

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