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第3話
かくして、春虎と鬼神の二人三脚の日々がはじまった。
使用人の中でもっとも年若く、要領の悪さ故に疎んじられてきた春虎が、鬼神の神通力に助けられ目覚ましい活躍をなすようになった。
気紛れな鬼神は、されど春虎が呼べば必ず答えてくれる。
一声春虎が「鬼神」と呼べば、たちどころに召喚に応じる
態度には表れないが、彼なりに封印をといてくれた恩義を感じているのかもしれない。
軽薄な憎まれ口を叩きながら鬼神は春虎を手伝い、彼に手柄を上げさせる。
春虎が鬼神を呼ぶのは大抵意地悪い朋輩に無理難題をふっかけられ、自力ではいかんともしがたく困り果てた時で、ある日は主人が大事にしてる壷を割った罪を着せられ、別の日は柱に傷を付けた犯人の身代わりにされた。
前者、後者とも朋輩の仕業だった。
前者は過失、後者は悪戯。
主人の部屋の掃除をサボって花瓶を投げて遊んでいた朋輩たちは、自分たちの過失を示し合わせて、春虎のせいにしようと目論んだ。
「どうしよう……」
花瓶の破片を見下ろして絶望する春虎の耳元で、あきれ声が囁く。
「ありのままを言やあいいじゃねえか。お前の仕業じゃねーんだろ、真犯人言っちまえ」
「そんなことしたら楊と劉が仕置きされる」
「お前が気遣う筋合いねえ、濡れ衣着せようとしたんだぞ」
「だけど……でも……」
煮え切らない春虎に鬼神はいらつく。
ややあって、ポツリと呟く。
「………痛いのは可哀想だ」
鬼神は絶句。
痩せ細った春虎の手足には多数の傷がある。折檻のあとだ。
「……とんだお人よしだぜ。自分をいじめた奴が仕置きされりゃすっとすんだろ?」
「僕は……いいんだよ」
「何が?」
「怪我したって心配する人いないから」
「~わっかんねーなあ、仕返ししたくねえのか!?」
春虎はうなだれる。目にみるみる涙が盛り上がる。
舌打ちを放ち、鬼神が旋風を巻き起こす。
再び目を開けば、粉々に砕け散ったはずの花瓶は継ぎ目がわからぬほど綺麗に復元されていた。
「謝謝!」
礼を言う春虎に鬼神は答えず、一陣の風とともに去っていった。
柱の傷は朋輩が悪戯の産物だ。それもまた、春虎が目を瞑っているうちに吹いた風が時を巻き戻し、綺麗に復元してしまった。
毒を吐き、舌打ちをし、それでも鬼神は必ず春虎を助けてくれる。
春虎は次第に鬼神に心を開き始めた。
鬼神はどうか。。
鬼神はけっして春虎の前に姿を現さず、耳元にだけ囁く。
声だけの妖怪かと最初は疑ったが、封印を破いた時に逆巻いた風は、一瞬確かに人間の輪郭をかたどった。
「どうして見えないの?」
春虎の質問に鬼神は答える。
「百年も閉じ込められてたんだぜ?残念ながらまだ本調子じゃねえ、姿かたちを保てるほど力が回復してねえのよ」
「じゃあそのうち力が完全に戻ったら見えるんだね?」
問いを重ねる春虎に何故か一拍おき、続ける。
「さあな。どうだか。隠遁してた百年ですっかり力が衰えちまったからなあ。俺様の顔に興味あるか?」
「ある。声だけじゃなんか変な感じだし……その、ちゃんと顔見てお礼言いたい」
「けけ、男前すぎてちびるぜ」
「漏らしたりしないって。蒸し返さないでよ」
駿馬の如く時はすぎ、いたいけな子供だった春虎も齢を重ねて行く。
春虎が十四の時、お屋敷のご令嬢が簪を紛失する事件がおきた。
ご令嬢は傍仕えの下女が泥棒したと決め付け、下女は涙ながらに否定した。
「寿安はやってない」
休憩時間、回廊の柱にもたれて春虎は弁護する。
「寿安はいい人だよ。内緒で飴玉くれたし怪我の手当てをしてくれたり……実家の弟に似てるって可愛がってくれた。寿安が盗みなんて働くはずない、絶対お嬢様の勘違いだ」
隣を振り返り、虚空に訴えかける。
「ねえ鬼神。まさかとは思うけど、簪のありか知ってたりしない?」
試みに聞いたが、内心は親切な下女を救いたい、嫌疑を晴らしたいとあせっていた。
「簪をさがしてくりゃいいんだな?」
「え?」
「どんなのだ」
「真っ赤な牡丹の花をあしらった銀色の……じゃらじゃら玉飾りが付いてる……」
皆まで言い終えるのを待たず気配が消失、風に乗ってどこぞにすっとんでいく。
「………そんなつもりじゃなかったんだ」
出会いから二年が経過するが、鬼神は今だ春虎に仕えている。
春虎が命じれば庭を一吹きで掃き清め、不可思議な術を駆使し、たちどころに壊れた物を復元してみせる。
お調子者に見えて案外と義理堅い鬼神。
今だ姿を見せず、声だけの存在である鬼神。
友達になってくれますかとあの時聞いたのに、答えははぐらかされたまま。
本当は命令なんてしたくないのに。
命令する側とされる側ではない、友達になりたいのに。
知らず、春虎は駆け出していた。
そろそろ二年になる付き合いだ。
鬼神がどこにいるかは気配でわかる、風を追えばいいのだ。
鬼神と過ごすうちに嗅覚は鍛えられた。
春虎の鼻は風に乗じる瘴気を鋭敏に嗅ぎ分ける。
鬼神は……
あそこか。
庭の片隅、野放図に枝葉を広げ聳え立つ槐の大木。
「鬼神!」
青々と葉を茂らせる槐を仰ぎ、口の横に手をあて叫ぶ。
「なんだ、きちまったのかい、待ってりゃよかったのに。てかよく居場所がわかったな」
「二年も一緒にいればわかるさ。お嬢様の簪はそこにあるの?」
「待て春虎」
鬼神の制止も聞かず、枝に手足をかけて上っていく。
幹の瘤に足をかけ、梯子の按配でするする登り、青々茂る枝葉をかき分けた春虎は、思いがけぬ光景を目を瞬く。
「見付けたんだが……ちと困ってる」
枝の一本にカラスが巣を作っていた。
既に雛が孵り、くちばしを突き出し囀っている。
問題の簪はその巣にあった。
他の小枝と合わせ、巣を編む素材に用いられていたのだ。
無理矢理引き抜けば巣が崩壊し、生まれたての雛が墜落死する。
「鬼神」
「すぐ持って帰ろうと思ったんだが。……俺が起こす風じゃ巣を壊しちまうし。加減が下手なんだ」
「優しいんだね」
鬼神が巣を壊さずにいてくれたことが単純に嬉しかった。
雛の命より春虎の命令を、ただの物を優先する鬼神でなくて、本当によかった。
安堵にも似た喜びを覚えた春虎の一言に、鬼神は「はあ?」と素っ頓狂な声を出す。
「あとはまかせて」
鬼神には毎回助けてもらってる。自分の無力を棚に上げ、厚かましく甘えてられない。
枝が撓んで葉が擦れ、先端の巣で雛が啼き騒ぐ。
「勘違いするなよ春虎、俺様がカラス如きに慈悲を垂れるもんか、ただそう、迂闊に引き抜くと簪に糞が付いちまうだろ?ぴーちくぱーちくうるせえ雛どもなんざどうなってもいいんだ、今すぐ枝から叩き落としてやってもいいんだ。けどお前、糞まみれの簪なんざ持ち帰ったら顰蹙もんだろ。俺はそういうのにうるせえんだ、仕事にクソが付いちゃ鬼神の名折れよ」
墓穴を掘る鬼神に微笑ましさを感じながら慎重に手を伸ばし、巣を壊さぬように微妙な力加減で簪に触れる―……
次の瞬間、不吉な黒翼が視界を遮る。
「!」
腕の柔肉を鋭い嘴が突き、激痛が爆ぜる。親ガラスが戻ってきたのだ。
「だいじょうぶ、雛にはなんにもしないから……簪をとらせてもらうだけ……」
懸命の説得も虚しく攻防に枝が撓む、鋭利な嘴が目玉を狙って迫り……
視界が傾く。
浮遊感が身を包む。
咄嗟に簪を掴む、枝から滑り落ちたと知るや目を瞑る、打ち所が悪ければ即死だ。
―「春虎!!」―
耳を貫く切迫した呼び声。
太く逞しい腕が落下する体をしっかり抱え上げる。
「鬼神?」
夥しく舞い散る羽が顔を覆い、足裏が静かに地に付く。
鬼神の姿は一瞬でかき消え、地面に降り立った春虎だけがその場に残る。
「あなたすごい、今のどうやったの!」
豪奢な着物の裾を従者に持たせ、向こうから走って来るのはお嬢様。
下女を従えて庭を巡る途中、木から鮮やかに降りた春虎を認めたらしい。
「あんな高い木から落ちて無傷なんて凄い、体術の修練をしてるの?ねえねえ教えてってば、さっきのあなたまるで風に抱っこされてたみたいよ」
抱っこ。
直接的な物言いに力強い抱擁の感触を思い出し、顔が赤くなる。
ともすれば感情に流されそうなおのれを律し、手に握り締めた簪を恭しくさしだす。
「お嬢様がなくした簪です」
「え?どこにあったの」
「木の上です。カラスが巣の材料にしていました」
「嘘、じゃあ寿安は無実だったのね。あんなに叱って悪いことしたわ」
「カラスは光り物が好きですから。お天道様の光を照り返したのを、開けっぱなしの窓から盗んで行ったんでしょうね」
「これをとりに木に登ったの?カラスに突かれてぼろぼろになってまで?」
お嬢様は頬を染め、受け取った簪を胸に当てる。
じかに話すのは初めてだ。垢抜けた、綺麗な人だ。
木漏れ日注ぐ大樹を仰げば、鬼神が守り抜いた巣の中で、親ガラスに抱かれた雛が囀っていた。
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